第29話 突然ですが、ご報告。

文字数 2,387文字

 エッセイ賞の締め切りが近づいてきました。
 このエッセイも、ちょっと間抜けでゆるゆるな介護の日常を記した上で、最後は家族みんな、どうにか笑って生きています、というような形でしめくくる予定でした。
 だけど現実の方が急展開し、そうもいかなくなってしまいました。今日はそのご報告です。

 一昨日、5月22日の夜、義父は入院先の病院で死去しました。
 享年82。がん患者は急に容態が変化することも多いそうですが、まさにそうだったのだと思います。4月には笑って写真に収まっていた義父が、もうこの世にないなんて。

 先述したように、ゴールデンウィーク中に救急搬送された後、義父はそのまま入院となりました。
 だけどその後、一度は容態が安定し、退院する話も出ていたのです。義父も今度こそ緩和ケアを受けたいと自分から言い出し、主治医の先生の交代が決まったところ。
 つまり病院側は自宅で看取って下さい、という雰囲気だったのです。となると、こちらは覚悟を決め、準備をするより他ありませんでした。

 寝たきりの人の介護を、私が一人でするわけです。訪問看護の先生が頻繁に来てくれるといいますが、ずっといてくれるわけではありません。
 私の実家では、実母が祖母(実母の実母)を最後まで自宅で介護したので、私も一応「自宅看取り」を知っています。だけどそのとき私はもちろん手伝いましたし、遠方に住む叔母たちも駆けつけてくれました。今度は状況が違います。

 当然ながら、自宅には夜勤の看護師さんはいません。義父の介護ベッドの下に私が布団を敷いて寝ることになるでしょうか。カテーテルのお陰で、義父が夜間にトイレに起きることはなくなっていましたが、末期がん患者が苦しさや恐れから頻繁に人を呼びたがることは祖母の様子から知っています。眠れない日々が始まると思われました。
 どうしたらいいだろう。とにかく今後のことを、ケアマネのⅯさんに相談しようと思いました。彼女なら良いアイデアを出してくれるかもしれません。

 だけどいよいよ退院という日、義父は再び発熱し、そのまま入院生活を続けることになりました。容態が落ち着いている時でないと、自宅への移送も難しいのです。
 結局、義父は自宅に帰ることなく亡くなりました。ある意味、私にこれ以上迷惑をかけまいとする義父の意地のようにも思えます。

 もちろん長くないことは分かっていたのです。でも最後はやはり驚きの速さでした。
 余命がどのぐらいか、医師でも判定は難しいといいます。義父の場合は、最後の数日間で一気に体力が落ちたように感じられました。

 家族の中で、最後に言葉を交わしたのは私。
 亡くなる二日前のことでした。義父の欲しがる物を届けに、また洗濯物を持ち帰るために顔を出したのです。
 義父はラジオでNHKニュースを聞きたがりましたが、私にはうまく周波数が合わせられず、きれいに音が入るFM放送で許してもらいました。
「ごめんなさい、お義父さん。これしか聞けないみたい」

 骨と皮ばかりになった義父は、それでも納得したように何度もうなずき、私の差し出したラジオを受け取りました。
「……ありがとう。つばめさん、ありがとう……」
 かすれた声でそう言いました。
 義父は主治医の先生や看護師さんにも、ありがとうを連呼して息を引き取ったそうです。この最期は、いかにも真面目な義父らしいと思います。

 コロナ禍で面会制限がかかり、この病院でも基本的には禁止。事情次第では許されますが、面会は短時間、家族のみ、週に一度だけ。それも前日までの予約がいります。なかなか会うのもままなりません。
「来週は、K君が来ますからね」
 義父にそう言い聞かせて去ったのが、最後となりました。

 亡くなった当日、私たちは大切な用事があって外出しており、連絡がつくのが遅れました。病院側も看取りの時間だけは家族そろっての面会を許してくれているのに、私たち、その瞬間には間に合いませんでした。
 よりによって、という感じです。

 夫は今も気が咎めているようですが、死期は本人も選べないので致し方ありません。
 だけど夫はもう十分に頑張ったと思うし、何よりあの時の義父の「ありがとう」は、自分を引き取って面倒を見てくれた息子にも向けられていたのではないでしょうか。
 私とジゾウが到着した時、義父の手にまだ温かみが残っていたことが救いです。

 義父は穏やかな顔をしていました。納得いくまで頑張ることができたんだ、と思うのです。あの強引なほどの積極治療も、意味があったのではないでしょうか。
 そして先生によれば、義父はそんなに苦しまず眠るように逝ったとのこと。幸せな最期だったと言って良いのかもしれません。

 明後日、家族葬の形で告別式を行います。良い形でけじめがつけられるといいなと思います。

 大きな声では言えませんが、嫁の私は、介護から解放された時にせいせいするんじゃないかと思っていました。それだけ重たいものを背負わされている感覚でしたから。

 だけどいざそうなってみると、何だか違うのです。まだ混乱の中にあるせいかもしれませんが、胸にあるのは思った以上の喪失感。死に物狂いで守ってきたものが、突然ブツっと断ち切られてしまったような感覚です。

 実の子ではないのに、妙なものですね。
 冷凍庫の扉を開けると、大量に炊いて小分けにした軟飯パックがたくさん。カレンダーには通院の予定がいくつも書かれています(当然すべてキャンセル)。家の中にはまだレンタル中の介護用品がたくさんあります。義父がどれだけ頑張ったのかが見えてきて、とても切ないのです。

 だけど、泣いている場合じゃない。やることはいっぱいありますから、とにかくそちらを片付けます。

 病状の進行について途中で止まっている形ですが、そちらはまた改めて記事にしようと思っています。取り急ぎ、ご報告まで。
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