第15話 エカチェリーナ

文字数 5,216文字

 ジゾウが通った幼稚園ではPTAの名称を使っておらず、保護者の取りまとめ役は単に「役員さん」と呼ばれていました。

 この幼稚園は自由な園風と、充実した行事が魅力的でした。園内はスモック姿の子供たちの笑顔と、空まで響き渡る歓声でいっぱい。
 だけど華やかな行事をやるからには、裏方で支える人がそれだけ必要です。保護者は当然、駆り出されます。

 一般的に、子供の教育に熱心な園ほど保護者の負担は大きくなります。これは専業主婦、パート主婦の多い幼稚園のみならず、キャリアママの多い保育園でも同じ傾向があるようです。親の負担を少なくして欲しいなんて言い出したら、教職員だけでできる範囲に絞られていきますから、結果として行事は寂しいものになっていきます。
 トレードオフの関係です。頑張って華やかにするのと、楽をして地味なのとどっちがいいでしょう(笑)?

「お芋掘り」に「運動会」。主役である子供たちよりも、先生や母親たちの方が汗だく、埃まみれ。その疲労感ときたら、終わった途端に倒れそうなほどです。「お遊戯会」(文化祭みたいなもの)ではステージ衣装を縫ったりすることもありますが、お裁縫が苦手な人はどうする?
 そして「夏祭り」や「餅つき」など、食べ物を扱う行事も気を遣います。
 どの行事の係につくか。それが母親たちの運命を左右すると言っても過言ではありません。

 そこで利害が衝突し合うママさん達の意見を調整し、担当の係を決めていくのが、この幼稚園における「役員」のお仕事でした。どんなに穏便に済ませようと思っても(=自分が最も負担の重い係を引き受けても)、他の人にも負担を強いる立場である以上、憎まれ役になることは避けられません。
 というわけで、みんなが一番やりたくないのは「役員」だったりします。
 表向き、子供が在園中に一回は役員をやることが求められているんですけどね。

 さて行事がいろいろあったことは先述の通りですが、負担の多い行事の極めつけが卒園間近の「お別れ会」。
 何と母親たちがアイドルグループなどの真似をし、先生と子供たちの前で歌ったり踊ったりするのです!

 私もこれを知った時には、頭を抱えました。勘弁してよ。何でそんなことをしなくちゃならないの? 時代錯誤もいいところじゃない。こりゃ幼稚園の選択を誤ったな。

 だけど、どんなに気が進まずとも「お別れ会」の内容を変えるのは難しかったです。これは園の設立当初から続いてきた伝統的行事で、先生方は母親が一生懸命にやる出し物をとても大切に考えていらっしゃいました。
 もちろん歌やダンスはみんなでやるので、恥ずかしいという感覚はありません。だけど中心となって動く「お別れ会」係の心理的負担は、やはりとてつもなく大きいものでした。
 他の園の中には一流ホテルのラウンジを借り、盛大に謝恩会をしている所もありましたが(こっちはこっちで準備が大変だと後に聞きました)、ジゾウが通ったような庶民的な園では、お金がかかるやり方は余計に忌避されます。

 とにかく「お別れ会」担当の係については、本当に皆が嫌がっていました。つまり「役員」が自ら引き受けるしかない役目です。

 なので母親たちは入園間もない頃から、周到に画策をするものでした。
「お別れ会」担当だけは、何が何でも嫌。ということは、年長時に役員にはならないように。
 ということは、年少~年中のうちに役員を済ませておくように。
 作戦は仲間うちで、ひそひそと語られます。
「ね、このタイミングで一緒に手を挙げようよ!」

 こういう雰囲気って、友達が少ない、すなわち情報が少ないママ(ええ、私もこれに該当しますとも!)には辛いところ。何だかよく分からないうちに、一番大変な役を押し付けられることになってしまいます。

 最悪なことに、これを主導する「ボスママ」がいました。
 これ不思議なんですが、どこの園でも声が大きくて威圧感のあるママさんが幅を利かせるんですよね。そういう人は頭も良いのでしょう。他人の本心を鋭く見抜き、たくみに導いて、自分の取り巻きを増やします。ある意味では大したものです。

 このボスママの場合、自分は役員をやらずに、役員になった人を自分に従わせ、コントロールする手法で権力を掌握(!)していました。完全に恐れられていました。まるでどこかの国の独裁者のように。

 一応、日本は民主主義の国ですよね? いや、問いを間違えました。幼稚園の母親たちの間に上下関係はないはずですよね?
 だから傍で見ていると「何で?」と思うほどなのですが、すすんで手もみをし、媚びへつらう子分がいるのです。彼女が動けば周囲の人だかりも動くという感じで、かの女帝エカチェリーナもかくやという有様。

 私はといえば、すでに年中で役員を済ませていました。
 そうです。私も密かにやっていました、例の作戦を。

 なのに、ですよ。
 年長でも役員に立候補しました。
 バカですよね~。年長で役員になったら、あの「お別れ会」担当になってしまうじゃないですか。何のために去年の苦労があったんだという話です。
 だけどそれを百も承知で、やった方がいいと判断したのです。

 だって、あのボスママの天下を許してはならないと思ったから!
 女帝が「お別れ会」を牛耳ることで、自らの権力を誇示するつもりだということは分かっていました。卒園後を見据え、小学校でも権力を握るための布石です。冗談じゃありません。
 
 シーンと静まる保育室。円形に並べた園児用の小さな椅子に、母親たちが座っています。
 そのとき役員未経験者の全員が「できません」と拒絶していました。その本音の半分は「お別れ会」係が嫌だから。もう半分は、ここは女帝の子分が(表向きはしぶしぶといった形を取って)立候補する場だと理解しているから。

 そんな中で、私は手を挙げました。
「はい。やります」
 ええっと皆の視線が集中します。

 だって女帝の野望を、誰かが阻まねばなりません。自分が責任者になってしまえば、一部の人のやりたい放題に「NO!」を突きつけることもできるじゃないですか。私はどちらかというと一匹狼タイプなので、友達を巻き込む危険は少ないとも思いました。
 
 すべて覚悟の上。
 それでも。
 私が造反分子だと気付いた時の、女帝の視線の恐ろしさたるや!

 やっぱり震え上がりました。彼女は地味な私のことなどマークしてはいなかったでしょう。まさかこいつが、と思ったに違いありません。昨年に役員をしたことが、一種の意思表示にもなっていたんですから。 
 一方で女帝は、私が「従わない」タイプだということもまた知っていたのです。これまた昨年の役員任期中、私はクラスのみんなは平等だという主義を徹底していました。

 そして他の人はというと、みんなうつむいて発言を避けていました。硬直した、何ともやばい雰囲気。
「ジゾウ君のお母さん、引き受けて頂いてありがとうございます~」
 担任の先生のほっとした声だけが、明るく響き渡ります。
 女帝に睨まれたままの私は、さっそく自分の浅はかさを後悔し始めました。
 まずいな。こりゃ思ったより大変そうだぞ。

 帰宅後、ジゾウの顔を見るとやっぱり心が痛みました。
「……ママのせいで、幼稚園を辞めることになっちゃったらごめんね」
 ぽかんと口を開けた息子の頭を撫でて、私は唇を噛み締めました。新しい環境に馴染みにくいジゾウの性格を考えると、今さら他の幼稚園への転園は難しそうです。

 エカチェリーナとは、小学校の校区も同じ。下手をすれば、引っ越しを迫られるかもしれません。夫のK君にも大迷惑をかけてしまいます。

 以前からK君には忠告されていました。
「つばめは弱いくせに、無謀な戦いを挑む癖があるから気をつけろ」
 そうだった。またやっちまった。
 ごめんねK君。駄目な奥さんで。

 後日、係決めの話し合いが予定されていましたが、修羅場になると思われました。女帝が私のリーダーシップなどを許すわけがありません。今ごろ陰で作戦を練っているかも。話し合いの場では、子分を使って邪魔をしてくるかもしれません。

 眠れない夜を何度かやり過ごした、その当日。

「ジゾウ君ママ! 何でも言って。協力するから」
 話し合いを前に、そう申し出てくれる人たちがいました。
 何と多くの人が一斉に女帝に反旗を翻し、私の味方になってくれたのです。水面下でそのように話し合っていたのでしょう。敵方の軍勢が、一転してサーっとこちらに歩み寄り、これまでの主君に槍の穂先を向けるような感じでした。

 あの嫌な「お別れ会」係。誰もがうつむいて黙っているだろうと思われたのに、積極的に手を上げてくれるママさんが続出。

 ホワイトボードの前の私は、ペンを持ったまま拍子抜けしました。
「え、本当にいいの?」
 だって問題のその欄に書きいれるのは、自分の名前だろうとばかり思っていましたから。
 しかも手を挙げてくれたのは、下の子の面倒を見なければならないことを理由に、頑なに役員を固辞していた人たち。絶対に私には協力してくれないだろうと思っていた人たちだったのです。

「大丈夫だよー。一人でやるわけじゃないし」
「何とかするから心配しないで」
 信じがたいほど前向きな意見が出てきました。みんな見るところはちゃんと見ていて、私の崖から飛び降りるような覚悟を分かってくれていたんですね。
 あるいは、もともとが面従腹背だったのかも。本音としては女帝のやり方に不満があったんでしょうね。とにかく、よくぞ言ってくれたものだと思います。
 エカチェリーナはこの「謀反」を前に、黙って下を向いていました。

 俄然このクラスのママさんは盛り上がります。ちょっと前まで皆が暗い顔でうつむいていたのが嘘のように、生き生きと動き出しました。
 あんなに皆が嫌がっていたイベント「お別れ会」も、ほとんど全員が会合に顔を出し、意見を出し合い、争うように衣装や小物の制作にいそしんでくれました。

 見ていた私は、目の奥がじーんと熱くなったものです。
 こうなってみると、あんなに心配することなかったんだなーと思うのです。一部の人の自己満足イベントになることは、これで避けられました。

 で、エカチェリーナがどうなったかというと。
 一握りの側近を除いて部下が全員離れてしまったため、当然ながらその権勢は凋落の一途。
 もちろんいい気味だなどと思ったわけではありません。こちらとしてはフラットにお付き合いできればいいわけですから、彼女がクラスの一員として参加してくれる分には大歓迎するつもりでした。

 だけど人間って難しい。かつての子分の命令に従うなんて、彼女のプライドが許さなかったのでしょうか。私が全員集合の号令をかけても、エカチェリーナだけはあれこれ理由をつけ、最後まで顔を出してはくれませんでした。
 役員の私としては、幼稚園最後の大切な行事ですから「全員参加」で締めくくりたかった。なので彼女には、外部のアドバイザー的な役目を担ってもらうことで何とか折り合いを付けました。
 
 そんなわけで、お別れ会はかつてないほどの盛り上がりを見せ、楽しく終了しました。
 もちろん、いつもこんな風にうまくいくとは限りません。この時は何だかんだ言って、意志の強いお母さんたちが集まっていたのであって、次に同じことをしたら失敗するかも。そして会社での上司・部下のように、明らかな上下関係があるケースではまた違うやり方を迫られるでしょう。

 だけどこの件では、大いに勇気をもらったように思います。
 怖くないぞ、エカチェリーナ。あなたも普通の人間であることを認めなさい!

 この件が影響したわけではないでしょうが、小学校では誰か一人の保護者に権力が集中するようなバカげた事態は起きませんでした。
 人数が増えれば自浄作用が働くのでしょうか。いや、もしかしたら、私の知らないところで誰かが戦ってくれていたのかもしれません。密かに、だけど脈々と、理不尽に立ち向かうレジスタンスが繰り広げられているもの。
 各地にいる、名もなき革命の同志たちに、私は敬意を捧げます!

 その後もPTA組織の中の各委員会などでは、小さないざこざを経験しました。仕事じゃないけど仕事の能力差が見えてしまう世界。人間の(さが)というか、本能的に競争心が駆り立てられる部分があるので、ある程度は仕方がないのかもしれません。
「私がお姫様じゃないとイヤ!」
 みたいな感じで泣く、ぶっ飛びママさんもいました。こういう人に出会ったら、はいはいと笑ってやり過ごすのみでしょう。

 PTAは、波乱万丈な子育ての一面ですね。大変だけど、これからのパパさん、ママさんにはぜひ挑戦してもらいたいです。得るものは必ずありますから。
 中学のPTAがどうなっていくのかは未知数ですが、私としてはとにかくオープンな雰囲気を作りたいもの。祈るような気持ちです。
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