第33話 介護って誰が担う?

文字数 2,655文字

 もしも愛する人が、病気になったり大けがを負ったりしたら、どうする?

 多くの人が、精一杯のことをしようと思うはず。その人のために可能な限り心を砕き、力を尽くそうとするんじゃないでしょうか。
 病気や障害を抱えて生きることになったからといって、「右足だけ愛さない」とか、「大腸だけ愛さない」とかは、ないと思うのです。

 こう書くと怒られてしまうかもしれませんが、私は義理の父を愛していたわけじゃありません。愛情というのは自然に芽生えるもので、強制されたら途端に苦しくなります。
 だけど夫のK君のことは確実に愛している。夫のことだったら、爪とか髪の毛とかでさえも大事にしたいと思う自分がいる。
 そして夫を産んで育てた人たちは、紛れもなく夫の一部だと思うのです。
 どうしようもない人たちであっても、夫とは似ても似つかない人たちであっても、やはり夫と強く結ばれた人たちでした。

 自分の親がぞんざいに扱われたら、たぶん多くの人が悲しくなります。自分の一部が否定されたと感じるからじゃないでしょうか。
 パートナーの親を大切に扱うことで、何よりパートナーの心が救われる。だとしたら、苦しくてもやる価値はある。
 綺麗ごとを言うなって?
 いいえ、私にとっての介護とは、そんな考えの下でやるものでした。

 決して無制限の自己犠牲が良いとは思っていません。あくまでできる範囲で、自分たちの生活を守りながら、ベストを尽くせばいいや、という感覚です。子育ての都合とバッティングする時は、子育てを優先しようとも思っていました。やはりここは、これからの世代を育てていく方が大事だと思いますから。

 もちろんどうしても介護を優先せざるを得ない場面というのはあって、ジゾウが地団駄を踏みながら「お母さん、僕よりおじいちゃんの方が大事なんでしょ!」と怒っていたことも(笑)。
 だけどこれまた、なぜ今おじいちゃんを大切にしなければならないのか、ジゾウの肩に手を置いて懇々と諭すことになるわけです。かえってこれは、子育てのチャンスでした。

 今の時代、介護は配偶者や実子がやるものとされています。民法の扶養義務は経済的な支えのことを言っていますが、この規定から介護に関しても同じ解釈がなされているそうです。
 義理の親子関係では、この義務がありません。つまり「お嫁さん」には相続の権利がない代わりに、介護の義務もない。

 もちろん、そうは言っても……となりますよね。介護サービスをフル活用し実子がメインでやるにしても、義理の親と同居するパートナーの気苦労はそう変わらないでしょう。別居を貫いたなら貫いたで別の苦労もあります。特に遠距離介護になるケースでは、通う実子には体力的にきついものがあるはず。パートナーが疲弊し切っている時、それを無視できるでしょうか?

 日本では昔から「長男の嫁」が負わされてきた歴史があって、多くの女性がこのプレッシャーから逃れるのは難しい。だからこそ反発する人も多いのでしょう。「絶対に相手の親の介護を引き受けるな!」という意見も最近では珍しくなくなりました。
 でも実際にやってみた私は「これは一人じゃ無理だ」と感じましたよ。まさに二人でフル回転して、ようやっと辻褄を合わせる感じ。どっちの親のことも、二人で頑張った方が合理的なんじゃないでしょうか。
 
 私の場合、「お嫁さんだから」やったわけではありません。夫から頼まれたわけでも、他の誰かから強制されたわけでもありません。よく「介護負担のことは、親族でよく話し合って決めましょう」などと書かれているのを目にしますが、K家の場合は話し合い自体ができませんでした。
 仮にできたとしても、誰もが納得できる結論は出せなかったでしょう。不公平を承知で誰かがやらなければ、回っていかないのです。

 私は弱っていく義父を見て、ただ必要だと思ったからやりました。本来は夫がやるべきところ、どうしてもできない部分を「代行」しているのだという、冷めた感覚もありました。
 だからこれを読んで下さった方に、同じようにしろと言う気は毛頭ありません。親子の関係も、人それぞれだと思います。ただ「頑張ってみようかな」と思っている人には、少しでも気を楽に持って欲しい。

 ネット上で介護家族向けのアドバイスを探すと、どうしても配偶者や実子に向けられた言葉ばかりがずらっと出てきます。「お嫁さん」を励ます言葉は見当たりません。表向きには、嫁が介護を担う時代は終わった、ということになっているのでしょうね。
 私たちにふさわしい介護って何なのか。そこは自分たちで模索していくしかありませんでした。だけどどんな形にしろ、あくまで自分を主語に置いてやっていく分には、不幸にはならないんじゃないでしょうか。

 介護に真剣に向き合った人は、介護地獄には陥らない。
 というジンクスがあるそうです。受けられる支援やサービスをきっちり調べられるかどうかで、かなりの差が出てくるというのもその一つかもしれません。

 我が家の場合、夫が一緒に背負ってくれました。今何が大変なのか、常に二人で共有することができました。これは片方だけが頑張っても得られない、稀有な感覚なのかもしれません。
「私たち、よくやったよね」
 そう言い合えることが、私たちにとっての大きな財産になりました。確かに犠牲を払わねばならない部分はありますが、得るものは大きいです。

 ただしこの充実感、強調し過ぎるのは考え物です。「介護なんて、やりたい人が勝手にやればいいじゃない」とか言い出す人が出てきますから(笑)。
 誰がやっても大変なのは大前提。その上でどう協力して乗り越えていくかという話なのです。

 ……自分で書いていて、何だか聞いたことのある話だと思ったら。
 これ、PTAの役員決めと同じじゃないですか(笑)!
 みんなで順番に引き受けましょうよ、と呼び掛けたって、動いてくれない人は必ず、それも少なからずいます。だけどそれを責めても始まらない。自分がどうするか、というその一点ではないでしょうか。

 どんなことでも、絶対にやらなければならない、なんて考えると苦しくなります。一人で背負うとなるとなおさらです(どうしても一人で介護を担わざるを得ない人は、外部の応援を頼んで下さいね)。
 でもたぶん、多くの人が発想を転換できれば、それだけで問題のかなりの部分を吸収できるのでは。本来、介護はそんなにつらくない。協力し合えた方が楽しいし、生きやすくなる。ただそれだけのことだと思うのです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み