第19話 お世話になった先生たち

文字数 5,008文字

 一つ、告白しなければなりません。
「生まれつきの障害は、治らない」
 それを知った時、私はほとんど絶望したのです。持って生まれたものがいかに大きいかは、子育てを始めた最初の数年で嫌というほど分かりました。しかも先天的なものが人生の大部分を決めてしまうとしたら、教育なんてほとんど無意味じゃないですか!

 そうです。一時は教職を目指したこともあったのに、私は落ち込むあまり教育に対する希望を失ってしまったのです。どんなに良い指導を受けたところで、ジゾウの発達障害は消えてなくならない。頑張ったって、どうせ駄目じゃないですか。放置しておいたって同じじゃないですか。

 だけど今は私も、教育というものにそれなりの希望を見出せるようになっています。それなりの、と書きましたが、かなりの、と言い換えてもいい。少なくとも以前に比べたら、信じがたいほど変わっています。
 今のジゾウを見て「結構やれるじゃん?」なんて思うことも。良い刺激を与え続けることで、ちゃんと成果が出ているように感じます。
 認識を覆してくれたのは、ジゾウに対して誠実に接してくれた何人もの先生の姿。

 発達障害当事者の本などには「この世界の権威である〇〇先生との出会いが、私の人生を変えました!」などといったことが書かれていることがあります。別に疑うわけじゃありません。どんな場所にもラッキーな人はいます。本当にすごい先生がいて、またこの人が運よくそうした先生と出会えて、進むべき道を示してもらえたのは、ある程度事実なんでしょう。

 だけどこれ、物語を面白くするために、大げさに劇的な出会いを描いている可能性もあるんじゃないでしょうか(ノンフィクションの体裁を取っていても、です)。現実には、そんなスーパーマンみたいな先生って多くはない。むしろごく普通の人々が頑張って頑張って、ようやくわずかな成功を手にするところに、「本物」があるような気がします。

 今回は、そんな「本物」を感じさせてくれた先生について。
 だけどその前に、ジゾウの乳幼児期の様子に触れておかなくてはなりません。

 ジゾウは、まったく人に執着しませんでした。これも自閉症児の特徴です。
 大泣きする時は私よりも、パパが抱っこした方が落ち着くようでした。ともすると神経質になりがちな私と違い、K君は大らかなので、ジゾウは本能的に安心したのかもしれません。

 ジゾウはパパっ子なんだ。
 私としてはちょっと寂しいけれど、これはこれで良しとも思いました。どんな男性だって、自分を慕う我が子を見て心を動かされないわけがありません。K君も進んでおむつの取り換えなどをやってくれたので、私は「よくやった、ジゾウ」と内心ほくそ笑んでおりました。

 が、これは幼稚園入園まで!
 社会生活の第一歩を踏み出した(はずの)ジゾウは、手のひらを返したように人への執着を見せ始め、その相手は私でした。毎朝、ジゾウは幼稚園の担任のM先生の腕に抱かれたまま、大泣きして私を呼び止めようとします。

「ママ~! ママ~!」
 何とかして先生の手を逃れ、私の方へ駆け寄ろうとするジゾウ。私はこのまま彼を置いて行って良いのか、迷うほどでした。不安になって、何度も振り向いてしまいます。
「大丈夫ですよ。お預かりします!」
 笑顔で私にそう言ってくれるM先生ですが、腕の中で暴れるジゾウに翻弄されて、全身が揺れ動くほど。ああ、M先生、苦労をかけてすみません……。

 ところが後でM先生の話を聞くと、ジゾウはいざ保育時間が始まったらすっかり大人しくなり、普通に活動に参加しているそうなのです。
「……お母さんの姿が見えている間は、思いっきり泣いているんですけどね。見えなくなった途端にピタっと泣き止むんですよ」
 ジゾウよ、何だい、そりゃ。あれほど泣いて暴れるくせに、要求が通らないと分かったら、すぐに諦めるのか?

 M先生からこっそり提案がありました。後ろ髪をひかれても、私が何度も振り返る、などということをしない方が良いのではないかと。
「じゃあね。幼稚園、頑張るんだよ」
 そう本人に言い聞かせたら、後はさっさと姿を消す。もう自分で頑張るしかないのだと分からせる。気持ちの切り替えを促しましょうというわけでした。

 M先生は私より若いと思われる方でしたが、おろおろと落ち着かない、私のような母親を指導する能力のある方でした。M先生ご自身には発達障害の知識はないとのことでしたが、手のかかる子にどう接したら良いか、この先生なりの考えや判断力をすでに持っていました。

 もちろんジゾウは難敵です。母親に頼れないとなったら、今度はM先生に依存するようになっていきます。

 M先生はクラス担任ですから、他の子の面倒も見なければならない立場です。なのにジゾウはM先生の服をつかんで絶対に放しません。M先生は僕のものだ、トイレにも行かせないぞ、とでも言うように。
 私は実を言うと、そんな我が子からちょっぴり薄気味悪いものを感じていました。この子、人との距離の取り方が分からないんだ。将来すさまじいストーカーになっちゃったらどうしよう……。

 当のM先生は泰然自若といった様子で、その程度のことでは振り回されません。他の子供たちに指示を出しながら、同時に余裕を持って、ジゾウの相手をもしてくれている様子。
 他の先生もフォローしてくれ、大きなトラブルを未然に防いでいました。幼稚園側でいろいろ考えてくれている印象です。

 園長先生もまた、素晴らしい方でした。実を言うと、私は園長先生の人柄に惚れ込んでこの園を選んだのです。どんな職場でも、トップの人柄で従業員の働きやすさは変わるもの。幼稚園の場合、労働者である先生が大切にされている園なら、保育の質も担保されるというものじゃないですか!
 
 さて、一部始終をずっと見ていた園長先生でしたが、ジゾウをM先生から無理に引き離すことには慎重でした。M先生がしっかりした方だったからというのもありますが、これでジゾウが登園拒否に陥ったらまずいという判断があったのかもしれません。

 年中への進級時、担任は再びM先生になりました。
 親はうれしいけれど、M先生にしてみれば「またこの子か」とうんざりしてもおかしくない状況。でもM先生はジゾウとまた一年を過ごせることを心から喜んでくれました。大変なのは承知の上で。頭が上がらないとは、このことです。

 だけど年長への進級時、園長先生はジゾウの様子を見て「今度は大丈夫」という確信を持ったようです。担任の先生は若く経験の浅いY先生に変わりました。

 うわ~、大丈夫かな……。
 私はちょっと青ざめました。こういう場合、Y先生に失礼に当たるので、不安だとは言えないものです。それに我が家にとっても、ずっとM先生に依存したまま、というわけにはいきません。園長先生の意図も分かりますので、これはジゾウのためだと自分に言い聞かせました。

 しかし心配無用。Y先生はちゃんと年長時のジゾウを見て下さいました。若くても、しっかりした先生だったのです。
 またジゾウも変化を見せていて、よそのクラスの先生となったM先生を追いかけ回すようなことはなく、また新たにY先生に執着することもありませんでした。ひとまず、激しいストーカー時代は終わったようです。

 本当に良い先生ばかりでした。この園を選んで良かったと今も思っています。
 ジゾウを成長させてくれた幼稚園の先生方には、どんなに感謝してもし切れません。

 ……さて、ここで終われれば良かったんですが、人生は続きます(笑)。
 小学校に上がると、ジゾウはまた退行現象を見せ始めました。
「お母さ~ん……」
 校帽をかぶり、ランドセルを背負うようになっても、ジゾウは校門前で泣き叫び、私に抱きついてきました。他の子供たちの視線なんて、まったく気にしていません。

 登校班はなく、登校時は私が付き添うことを余儀なくされたのですが、あくまで送って行けるのは校門まで。
 だけどジゾウは放してくれない。学校まで来ることは来るのに、私と別れられないのです。
 困ったものでした。これじゃ、幼稚園の繰り返しです。

 そこで今度は、校長先生が登場します!
 女性の校長先生でした。笑顔でジゾウを私から引き取り、そのまま昇降口まで連れて行って下さいます。
「はーい、おはよう。今日もよく学校に来たわね」
 ジゾウは大泣きしているので、ほとんど強制連行といった感じでしたが、校長先生はどこ吹く風。
 お陰でジゾウは、校門前で私と別れねばならないことを覚えました。これは朝の日課となり、約一年続きました。校長先生、よくお付き合い下さったものです。

 実はこの校長先生、保護者の間では必ずしも評判が良かったわけではありません。詳しい事情は不明ですが、とにかく陰口を叩かれてしまう方のようでした。
 だけど校長先生が毎朝、ほうきで校門前を清掃し、児童の一人一人に声をかけているのを、私は目にしていました。何よりジゾウのためにここまでして下さったことに、その人柄が表れていると思うのです。
 管理職としての能力についてはもちろん分かりません。でも「近所の学校の悪い噂を聞いたから、遠くの学校を受験させる」という人は要注意ですよ。母親たちの噂って、当てにならないケースも多々あります。

 ジゾウは小学校でも、先生に恵まれました。幼稚園のママ友からは「児童の数が多い分、小学校の先生はそんなに手厚くは見てくれないよ」などと聞いていたのですが、私の実感としてはまったくそんなことはありません。小学校の先生だって、全力で子供を見てくれました。
 もちろんジゾウがちょっと特別視されていた、という事情はあります。
 でも幼稚園と違って、多くの親は授業参観や面談の時にしか先生の姿を見なくなるので、学校側の熱意が分かりにくくなる面があるのではないでしょうか。

 小学校の時の先生も、記憶に残る良い先生が多かったです。
「通級」を利用するという方法がありますよ、と教えてくれた一年生の時のT先生。運動会のダンスを覚えられないジゾウのために、放課後も残って特訓してくれたО先生。
 支援教室のN先生は、SST(ソーシャルスキルトレーニング)を学んできた経験を生かし、高学年になったジゾウに判断力を養うよう働きかけてくれました。

 ジゾウの場合、意外と学習面ではさほどの困難は生じず(もちろん優等生とまではいきませんが)、文字の読み書きや易しい計算の段階でつまずく子に比べれば、苦労は少なかったかも。
 その代わりやっぱり友達ができず、コミュニケーションにはずっと苦労が付きまといました。偏食も激しいので、給食は残しまくり。

 だけど理解ある先生たちのお陰で、学校に行けなくなるような難しい事態に直面することは、一度もありませんでした。
 登校時の付き添いについて、私は慎重なフェードアウトを目指しました。「いってらっしゃい」を言って別れる場所をちょっとずつ自宅寄りに移していったのです。

 内心ハラハラしていましたが、ジゾウは不満を言うことなく、登校していきました。これも学校に行けば優しい先生がいると分かっていたからだと思います。
 中学生になった今は、マンションの入り口で別れる、という形で大丈夫なようです(私はそのまま朝のジョギングに行くので、同時に家を出る)。今度はちょっと遠い学校なので徒歩20分近くかかりますが、ジゾウは車に気を付けながら、ちゃんと通っています。

 6年間でかなり成長したものです。
 小学校の先生方も、ジゾウを大きく変えてくれました。

 教育の力を見直すに至った今の私。
 変えられない部分は確かにあるけれど、変えられる部分もちゃんとあります。しかも後者は、私が思っていたよりずっと大きいようです。
 世の中には脳梗塞などで、後天的に発達障害の症状が出る人もいるそうです。だけどその場合も、リハビリでかなりの回復が可能なケースがあります。まずは絶望しないで、やってみて欲しいと思います。頑張る価値はあると思いますから。

 まして成長期にある子供は余計にチャンスに恵まれています。
 「体」が大きく成長する時期は、同時に「脳」が成長する時期でもあるんですよね。その時にいろいろな刺激をもらうのはかなり有効なようです。落ち込んでいた十年前の私に、これを伝えてあげたい気もします。
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