第32話 化学療法その2

文字数 2,797文字

 N先生は、義父の一日でも長く生きたいという希望をよく分かって下さいました。
 そこで第三段階の治療を提案してくれたのです。

「これ、胃がんでの効果が認められるようになったのは、ごく最近なんですけどね」

 薬の名前は「ニボルマブ」。これなら腎機能が低下していても使えるとのこと。
 免疫系統に直接働きかけてがん細胞を攻撃させる、いわゆるオプジーボです。
 そう、京大の本庶先生がノーベル賞を取った、あの話題のお薬です!

 さて義父という人には、ある大好物がありました。
 偏差値の高い学校の名前とか、権威のある賞とか人の名前とか(笑)! 何かというと息子のK君の学歴を引き合いに出し、有名人の誰それが先輩だ後輩だと騒ぎ出し、うちにも関係があるように言うので、当然のことながらK君は辟易していました。
「お父さん。それさ、頼むから外では言わないでくれよ~」

 私と二人きりの時も、あのテレビのアナウンサーは〇〇大学出身だ、あの政治家は〇〇大学から××大学に移ったんだと、よくまあそこまで調べたと思うほどその人物の経歴を語っていたものです。
 私たち、大抵は聞き流していましたが、義父がそういう話をする時に生き生きするのを分かってもいました。だから聞いてあげるのが親孝行と割り切り、はいはいと返事をしていたのです。

 そんな義父ですから、「ノーベル賞」のインパクトの大きかったこと!
 親戚にも電話をかけまくって「これからノーベル賞の薬に挑戦するんです」とうれしそうに自慢していました(自慢と言えるのか?)。元気いっぱい。相手の方はさぞ呆れたことでしょう……。

 こんな乱暴な言い方は怒られてしまうかもしれませんが、「これはノーベル賞のお薬ですよ」と本人に言いさえすれば、点滴に入れるのは生理食塩水とかでも良かったのかも……(笑)。プラセボ効果は、さすがにがんのような難しい病気ではありえないでしょうか?
 いや、この義父の場合は効果が出たかもしれないと思うのです!

 オプジーボの薬価は下がってきたとはいえ、まだまだ高価。税金を使ってしまったこと、世間に申し訳ないような気もします。だけど義父のわがままを分かっていながら、すべて受け入れて本人に悔いのない挑戦をさせてくれたN先生はなかなかの方だったと思います。

 その有難い「ノーベル賞・ニボルマブ」。
 画期的なはずのその効果は残念ながら、義父の場合は認められませんでした。
 がんはさらに進行していたのです。しかも「サイラムザ」+「パクリタキセル」の時以上に強い副作用が出ていました。
 残念。ノーベル賞もここまでです。

 化学療法は、第三段階まで。
 先生からは最初にそう聞かされていました。

 だけどN先生は義父の気持ちを優先してくれたんだと思います。第四段階を提案してくれました。
 薬の名前は「イリノテカン」。
 たぶん、本来ならもっと早い段階で(具体的にはオプジーボの前に)示されていてもおかしくなかった、比較的メジャーな抗がん剤です。

 高齢者の場合はかえって副作用が危険だからという理由で避けられるのでしょうが、義父の場合は本人が積極治療を強く望んでいました。N先生はできる限りの選択肢をひねり出し、与えて下さったんでしょう。

 この「イリノテカン」の投与が始まって間もなく。
 義父はたびたび発熱するようになりました。ひどい下痢をしたこともありました。ああ、これは駄目だ、と私までもが思いました。

 それでもやる?
 まだやる?

 周囲のそんな視線にもひるむことなく、義父は体調の良い時を見計らって点滴をして欲しいと言い続けました。N先生は優しくうなずくのみ。

 さて国立の病院には、医師の転勤があります。
 私たちが心から頼りにしていたN先生とは、ここでお別れ。本当に残念でしたが、仕方がありません。患者側が引き留めることはできないのです。
 この四月から新しくやってきたH先生が、義父のことを引き継いでくれました。

 今度の主治医、H先生も、すごく良い先生でした。だけど恐らくH先生にしてみれば、前任者のN先生の優しさが、やり過ぎ感が、見えてしまったのではないでしょうか。今までのどの先生よりも強い口調で、H先生は緩和ケアを勧めてきました。

「……潮時だと、思いますよ?」
 5月初めに救急外来に駆け込んだ時、H先生は私一人を呼び出してそう仰いました。
「こんな風に、救急搬送してしまうぐらい、お辛いのでしょう?」
 本当に、救急ベッドを埋めてしまうことについては、申し訳なく思っています。だけど強い副作用が出てきた時には、すぐに受診するよう言われていたのです。何よりどんなに辛くても治療を続けることが、義父の希望するところなのですから。
 私はこれまでの事情を知らないH先生に、経緯を話しました。

「……あ~。ご家族も、大変ですね」
 H先生、大きくうなずいてくれました。
「分かりました。ご本人が決断できるよう、私からお話ししてみましょう」
 頼もしい口調で言ってくれました。H先生も素晴らしい方です!
 
 だけど、この後ががっくり。
 H先生、いざ義父を目の前にしたら、オブラートに包んだ言い方しかしてくれないのです(笑)!

「抗がん剤は、効いてるんですよ? 効いてるんだけど、でも……」
 でも、の後が大切な部分なのに、肝心のところは聞き取れません。後ろにいる私にはっきり聞こえたのは、「効いてる」の所だけ。
 
 義父はわざわざ自分のベッドまで来てくれた先生の顔を、ぽかんと見上げています。
 ちょっとちょっと、H先生! その言い方じゃ、伝わりません。「抗がん剤治療は効いている。まだ望みがあるから続けましょう」という意味に聞こえてしまうじゃないですか。
 もちろんこれ、先生の優しさがあればこそ、です。誰だって、言いやすいことと言いにくいことがあるのは同じですね。

 そんなこんなで、ややツッコミどころのあるH先生でしたが、先述した通り、義父を最後まで診てくれたのはこの先生でした。手を尽くしてくれたと思います。緊急連絡の電話をくれたのも、家族の前で死亡確認をしてくれたのも、このH先生でした。

 最後、私たちが病院を後にする時も、院内の霊安室にまでもう一度お参りに来てくれました。そして雨の中を霊柩車が出発するまで、ご自身が濡れながら頭を下げて見送ってくれました。

 いつ終わるとも知れぬ、病気との戦い。
 だけどこうして振り返ると、多くの人が一緒に戦ってくれたんだなあと思うのです。特にこの病院に来ている日、義父と私は孤独ではありませんでした。

 だから今、病院に行く必要がなくなったことを、先生や看護師さんに会えなくなったことを、ちょっと寂しく思っていたりもします。コロナ禍でなければ、菓子折りを持ってご挨拶に行ったんだけどな~なんて(笑)。
 でもお別れする時に何度も挨拶をしたので、心は伝わっていると信じています。
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