第21話 電車に飛び込まないで!
文字数 4,185文字
夫のK君が職場環境の悪さについてこぼすようになったのは、いつからだったか。
「そっかー。大変だね……」
私はそう応じつつ、内心うるさいと思っていました。この頃のジゾウは一歳代。鼠経ヘルニアの術後の経過は問題ないものの、ちょうど発達障害の疑いが出てきたあたり。相変わらずひどい夜泣きだし、私は振り回されてクタクタでした。
私の方が大変なのに。あなたがもっと協力してくれたらいいのに。それが本音でした。口にせずとも滲み出ていたことでしょう。
少し前、K君の部署に、新しくやってきた上司がいました。パワハラでちょっと有名な方だったようです。
たぶんその頃、確執はすでに抜き差しならぬところまできていたんでしょう。夫は、一応はこの職場の厳しさを知る私に相談したかったんだと思います。帰宅後すぐに、何だかんだと話しかけてきました。
なのにこの頃の私には余裕なし。
自分が髪を振り乱しているような有様で、夫の顔色の悪さにも気づかなかったのです。
上司の要求レベルは、K君の能力を超えるものだったんだろうと思います。今のK君ならのらりくらりとかわすところですが、この頃はとにかく真面目でした。何とか応えねばならない。そうでなければ仕事を失うかもしれない。真剣にそう思い詰めていたんでしょう。
心身ともに疲れ切って、家に帰ってきたら今度は死に物狂いの妻と子を見るわけです。癒しになるどころか、むしろプレッシャーになっていたかもしれません。
自分がしっかりしなくては、と思う。そのたびに呼吸まで苦しくなる。そんな日々を送って、夫はかなり追い詰められていたんだと思います。
締め切りに間に合わないからと、休日返上で出社していく夫を、私は不満顔で見送りました。
「ねえ、ジゾウだってパパと遊びたいんだよ?」
「うん……わかってる」
夫に元気がないことには気づいていましたが、当時の夫はIT系部門(精神を病む人が本当に多い部署です)にいたので、締め切り前に忙しいのは当たり前。プロジェクトが終わると、同僚と派手に打ち上げをして、その後はしばらく落ち着いている、というのがいつものパターンでした。なのでこの時も「今はきついけど、もう少ししたら休めるんだろう」ぐらいに思っていたのです。
そのうち、夫は転職したいと漏らし始めました。
よほど今の職場が苦しいんだろうなとは思いましたが、実は以前も同じようなことがありました。その時は、しばらくすると落ち着いたのです。
今回も同じだろうと思った私は、はいはいと聞き流すのみ。一応は夫の肩もみをしてあげる時もありましたが、ジゾウが泣き出すとすぐにそちらを優先してしまいました。
「お腹が痛い」
とうとう、K君がそう訴え始めました。
ここまできて、私はようやく事態の深刻さに気付きました。今の会社にいられなくなるかもしれない。普段は忘れかけているそんな心配事が、急に現実味を帯びてきたような気がしたのです。
「……お、お腹かあ」
ドキドキしてきました。私までがパニック状態です。これからの生活、どうすればいいんでしょう?
こうなると、夫を心配するどころじゃありません。頼むから会社を辞めないで。その言葉を飲み込むのが精一杯です。
「胃腸薬、飲む?」
相手を心配しているふりをしつつ、自分を守るのが最優先。私はまだ粘ろうとしていました。何とかして、明日も夫を会社に送り出そうと思っていたのです。
ごめんね、K君。私はもっと早く「もう限界だ」の声に耳を傾けるべきだった。
K君が布団の中でぶるぶると震え、起き上がれなくなった時、とうとうこの日が来てしまったかと思いました。ここ数日、K君はすごく早起きし、始発に近い電車に飛び乗って会社へ行っていました。夜は遅いわけですから、睡眠不足は明らかです。
そのとき私の脳裏に鮮明な映像が浮かびました。
もしも今日、彼を無理矢理出社させたら。
当時はホームドアも未設置。正気を失ったK君が、フラフラと電車に近づく姿が見えたのです。
待って! 飛び込んじゃ駄目!
私はようやく決意を固めました。
布団の中のK君は、目覚めていました。昨夜も眠れなかったんでしょう。
「……休職、しよっか」
起き上がったK君にそう声を掛けた時。
夫は私の肩に頭をもたせかけ、静かに泣き始めました。いつも明るいK君。こんなことはかつてありませんでした。この人がここまで追い詰められるなんて、余程のことだったんでしょう。そして追い詰めてしまった側の一人に、私もいます。
当時、夫の会社にも「産業医」がいたのですが、私たちはその存在さえ知らず。
夫は同じ部署の同僚に「体調不良で休み」とだけ連絡したものの(この電話にパワハラ上司が出なくて良かった)、身近な人には事情を言えませんでした。
夫は、人事部に直接相談することにはかえって抵抗がなかったようです。「ここへ連絡しろ」と言われて産業医の先生に会う段取りとなりました。
産業医とは、労働者の健康を守るために事業主と業務契約している医師のこと。
「これ以後、部署に連絡してはなりません」
「仕事の引継ぎでも駄目です」
「まずは睡眠。とにかく体を休めるように」
先生は、ほとんど命令口調でK君を休ませました。
さて会社に行かなくて良いとなれば、とりあえず体力は回復します(ということは、うつは重症ではなかったのかもしれません)。一週間ぐらいで、いつもの明るいK君に戻りました。薬を処方されはしましたが、それに頼る必要はなし。
事情を知らないジゾウはパパが家にいてくれることに大喜びで(これは今のコロナ禍でもだいたい同じですが)、二人は毎日近所の公園に遊びに行きました。思えば、この時にも近所の公園に救われていたのです。公園、様、様です。
私は落ち着いて家事をすることができて大助かりでしたが、やっぱり胸の奥には不安がとどろいていました。まずは有給を消化し、その後は休職期間(まずは三か月。その後延長も)に入ります。夫の会社の場合、給付金が支給されるので何とか生活はできますが、その後はどうする?
うつと診断された夫に、まだこの先の話はできません。気が早すぎます。
だけど夫が働けなくなった時、今度は妻の私が稼がなくてはならないんだろうな、とは思いました。これまで夫にばかり苦労させてしまった、そのつけなのかもしれません。今後は私が何とかしなくちゃ。
だけど一度キャリアを離れてしまった主婦にとって、このプレッシャーの重いこと!
こんな時「私が働くから大丈夫よ!」と言える女性を尊敬します。私は何をどうして良いのか分からず、ため息ばかりついていました。
図書館司書の資格はある。まずはアルバイトかな……。でもそれじゃ、一家が生活するには全然足りないな……。
実を言うと、私もこの頃ちょっとだけ睡眠薬に頼りました。
だけどしばらくすると、私は開き直るようになりました。三人で思いっきり田舎に移住して、自給自足の生活をしたっていいじゃないか!
そんなことが可能か、ですって? いや、一家心中することを思えば、何とかなるでしょ。
だいたいジゾウだって、こんな都会で子育てをしているから人と違う部分が目立つわけです。大自然の中でのびのび遊ばせてあげた方が良いかもしれません。
夫にこの思い付きを話したら、返事なし(笑)。
あまりの実現性のなさにあきれたようです。
代わりに(休職させてくれている会社には内緒で)、夫はいくつかの会社の面接を受けていました。私としては正直、いずれも夫にはあまり入って欲しくない会社でした。
当時も「ブラック」な噂のある企業だったのです。そこに勤めても、余計に長続きしないんじゃないかと思いました。夫のような優等生タイプに向く会社ではありません。
それでも、夫が面接に出かける日は、笑顔で送り出しました。とにかく一人で出かけられるようになったことを喜ぶべきでした。あの激しい落ち込みようを思えば、何かをやろうと前向きになれただけでも、すごい進歩でしたから。
当該企業から「不合格」の通知が来ました。
この時、ほっとした自分がいたのは否めません。それ見ろ、カラーが違い過ぎるんだ、と思いましたが、自信があったらしい夫はドーンと落ち込んでいたので口にはできません。
代わりに私はこう言いました。
「ねえ、SPIのテストの時、自分を革新的に見せようとするあまり、自分に嘘をつかなかった?」
ひどい分析ですが、夫はパッと顔を上げました。
「そうか。オレ、それで落ちたのか!」
能力不足が理由ではないと分かった途端、夫は明るい表情を取り戻しました。
意外と単純だな。K君。
さて、このエピソードが「番外編」のみの短い記述で済んでいるのは、この休職期間が半年で済んだから。K君は無事、元の会社に復帰したのです。
でなければ、これも「章」立てにするほど重い人生の一部となっていたことでしょう……。
産業医の先生が慎重に手続きを進めて下さったのが良かったようです。また休職後のリハビリ的な部門がこの会社にはあり、夫はそこに配属されました。三か月の試験的な勤務(時短~フルタイム)を経て、現場に復帰。
現場とはいっても、それまでのIT部門とはガラッと変わって、今度はこの企業の基幹業務でした。となるとまた別の、いや前よりひどい苦労があるんじゃないかと心配しましたが、むしろ夫には合っていたようです。以前よりも生き生きとした表情で、夫は毎朝出社するようになりました。
今、夫はあんなことがあったとは信じられないぐらい元気に働いています。もはや少々のことでは驚かなくなったようです。自分の落ち度を指摘されるようなことがあっても、しゃあしゃあとやり過ごしています(在宅勤務が増えて、そういう声も全部聞こえるんですよね~)。
今や、すっかりおじさんになったK君。
時には人事部に協力して、リクルートスーツを着た学生たちの面接をすることもあります。
……もし正面に座る面接官が、ふてぶてしい中年男だったとしても。
どうか腹を立てないで下さいね。もしかしたらそのおじさんも、もう死ぬんじゃないかと思うぐらいの荒波をかいくぐって、その椅子に座っているかもしれませんから。若者の抱える苦悩を、誰よりよく分かっている人かもしれませんから。
「そっかー。大変だね……」
私はそう応じつつ、内心うるさいと思っていました。この頃のジゾウは一歳代。鼠経ヘルニアの術後の経過は問題ないものの、ちょうど発達障害の疑いが出てきたあたり。相変わらずひどい夜泣きだし、私は振り回されてクタクタでした。
私の方が大変なのに。あなたがもっと協力してくれたらいいのに。それが本音でした。口にせずとも滲み出ていたことでしょう。
少し前、K君の部署に、新しくやってきた上司がいました。パワハラでちょっと有名な方だったようです。
たぶんその頃、確執はすでに抜き差しならぬところまできていたんでしょう。夫は、一応はこの職場の厳しさを知る私に相談したかったんだと思います。帰宅後すぐに、何だかんだと話しかけてきました。
なのにこの頃の私には余裕なし。
自分が髪を振り乱しているような有様で、夫の顔色の悪さにも気づかなかったのです。
上司の要求レベルは、K君の能力を超えるものだったんだろうと思います。今のK君ならのらりくらりとかわすところですが、この頃はとにかく真面目でした。何とか応えねばならない。そうでなければ仕事を失うかもしれない。真剣にそう思い詰めていたんでしょう。
心身ともに疲れ切って、家に帰ってきたら今度は死に物狂いの妻と子を見るわけです。癒しになるどころか、むしろプレッシャーになっていたかもしれません。
自分がしっかりしなくては、と思う。そのたびに呼吸まで苦しくなる。そんな日々を送って、夫はかなり追い詰められていたんだと思います。
締め切りに間に合わないからと、休日返上で出社していく夫を、私は不満顔で見送りました。
「ねえ、ジゾウだってパパと遊びたいんだよ?」
「うん……わかってる」
夫に元気がないことには気づいていましたが、当時の夫はIT系部門(精神を病む人が本当に多い部署です)にいたので、締め切り前に忙しいのは当たり前。プロジェクトが終わると、同僚と派手に打ち上げをして、その後はしばらく落ち着いている、というのがいつものパターンでした。なのでこの時も「今はきついけど、もう少ししたら休めるんだろう」ぐらいに思っていたのです。
そのうち、夫は転職したいと漏らし始めました。
よほど今の職場が苦しいんだろうなとは思いましたが、実は以前も同じようなことがありました。その時は、しばらくすると落ち着いたのです。
今回も同じだろうと思った私は、はいはいと聞き流すのみ。一応は夫の肩もみをしてあげる時もありましたが、ジゾウが泣き出すとすぐにそちらを優先してしまいました。
「お腹が痛い」
とうとう、K君がそう訴え始めました。
ここまできて、私はようやく事態の深刻さに気付きました。今の会社にいられなくなるかもしれない。普段は忘れかけているそんな心配事が、急に現実味を帯びてきたような気がしたのです。
「……お、お腹かあ」
ドキドキしてきました。私までがパニック状態です。これからの生活、どうすればいいんでしょう?
こうなると、夫を心配するどころじゃありません。頼むから会社を辞めないで。その言葉を飲み込むのが精一杯です。
「胃腸薬、飲む?」
相手を心配しているふりをしつつ、自分を守るのが最優先。私はまだ粘ろうとしていました。何とかして、明日も夫を会社に送り出そうと思っていたのです。
ごめんね、K君。私はもっと早く「もう限界だ」の声に耳を傾けるべきだった。
K君が布団の中でぶるぶると震え、起き上がれなくなった時、とうとうこの日が来てしまったかと思いました。ここ数日、K君はすごく早起きし、始発に近い電車に飛び乗って会社へ行っていました。夜は遅いわけですから、睡眠不足は明らかです。
そのとき私の脳裏に鮮明な映像が浮かびました。
もしも今日、彼を無理矢理出社させたら。
当時はホームドアも未設置。正気を失ったK君が、フラフラと電車に近づく姿が見えたのです。
待って! 飛び込んじゃ駄目!
私はようやく決意を固めました。
布団の中のK君は、目覚めていました。昨夜も眠れなかったんでしょう。
「……休職、しよっか」
起き上がったK君にそう声を掛けた時。
夫は私の肩に頭をもたせかけ、静かに泣き始めました。いつも明るいK君。こんなことはかつてありませんでした。この人がここまで追い詰められるなんて、余程のことだったんでしょう。そして追い詰めてしまった側の一人に、私もいます。
当時、夫の会社にも「産業医」がいたのですが、私たちはその存在さえ知らず。
夫は同じ部署の同僚に「体調不良で休み」とだけ連絡したものの(この電話にパワハラ上司が出なくて良かった)、身近な人には事情を言えませんでした。
夫は、人事部に直接相談することにはかえって抵抗がなかったようです。「ここへ連絡しろ」と言われて産業医の先生に会う段取りとなりました。
産業医とは、労働者の健康を守るために事業主と業務契約している医師のこと。
「これ以後、部署に連絡してはなりません」
「仕事の引継ぎでも駄目です」
「まずは睡眠。とにかく体を休めるように」
先生は、ほとんど命令口調でK君を休ませました。
さて会社に行かなくて良いとなれば、とりあえず体力は回復します(ということは、うつは重症ではなかったのかもしれません)。一週間ぐらいで、いつもの明るいK君に戻りました。薬を処方されはしましたが、それに頼る必要はなし。
事情を知らないジゾウはパパが家にいてくれることに大喜びで(これは今のコロナ禍でもだいたい同じですが)、二人は毎日近所の公園に遊びに行きました。思えば、この時にも近所の公園に救われていたのです。公園、様、様です。
私は落ち着いて家事をすることができて大助かりでしたが、やっぱり胸の奥には不安がとどろいていました。まずは有給を消化し、その後は休職期間(まずは三か月。その後延長も)に入ります。夫の会社の場合、給付金が支給されるので何とか生活はできますが、その後はどうする?
うつと診断された夫に、まだこの先の話はできません。気が早すぎます。
だけど夫が働けなくなった時、今度は妻の私が稼がなくてはならないんだろうな、とは思いました。これまで夫にばかり苦労させてしまった、そのつけなのかもしれません。今後は私が何とかしなくちゃ。
だけど一度キャリアを離れてしまった主婦にとって、このプレッシャーの重いこと!
こんな時「私が働くから大丈夫よ!」と言える女性を尊敬します。私は何をどうして良いのか分からず、ため息ばかりついていました。
図書館司書の資格はある。まずはアルバイトかな……。でもそれじゃ、一家が生活するには全然足りないな……。
実を言うと、私もこの頃ちょっとだけ睡眠薬に頼りました。
だけどしばらくすると、私は開き直るようになりました。三人で思いっきり田舎に移住して、自給自足の生活をしたっていいじゃないか!
そんなことが可能か、ですって? いや、一家心中することを思えば、何とかなるでしょ。
だいたいジゾウだって、こんな都会で子育てをしているから人と違う部分が目立つわけです。大自然の中でのびのび遊ばせてあげた方が良いかもしれません。
夫にこの思い付きを話したら、返事なし(笑)。
あまりの実現性のなさにあきれたようです。
代わりに(休職させてくれている会社には内緒で)、夫はいくつかの会社の面接を受けていました。私としては正直、いずれも夫にはあまり入って欲しくない会社でした。
当時も「ブラック」な噂のある企業だったのです。そこに勤めても、余計に長続きしないんじゃないかと思いました。夫のような優等生タイプに向く会社ではありません。
それでも、夫が面接に出かける日は、笑顔で送り出しました。とにかく一人で出かけられるようになったことを喜ぶべきでした。あの激しい落ち込みようを思えば、何かをやろうと前向きになれただけでも、すごい進歩でしたから。
当該企業から「不合格」の通知が来ました。
この時、ほっとした自分がいたのは否めません。それ見ろ、カラーが違い過ぎるんだ、と思いましたが、自信があったらしい夫はドーンと落ち込んでいたので口にはできません。
代わりに私はこう言いました。
「ねえ、SPIのテストの時、自分を革新的に見せようとするあまり、自分に嘘をつかなかった?」
ひどい分析ですが、夫はパッと顔を上げました。
「そうか。オレ、それで落ちたのか!」
能力不足が理由ではないと分かった途端、夫は明るい表情を取り戻しました。
意外と単純だな。K君。
さて、このエピソードが「番外編」のみの短い記述で済んでいるのは、この休職期間が半年で済んだから。K君は無事、元の会社に復帰したのです。
でなければ、これも「章」立てにするほど重い人生の一部となっていたことでしょう……。
産業医の先生が慎重に手続きを進めて下さったのが良かったようです。また休職後のリハビリ的な部門がこの会社にはあり、夫はそこに配属されました。三か月の試験的な勤務(時短~フルタイム)を経て、現場に復帰。
現場とはいっても、それまでのIT部門とはガラッと変わって、今度はこの企業の基幹業務でした。となるとまた別の、いや前よりひどい苦労があるんじゃないかと心配しましたが、むしろ夫には合っていたようです。以前よりも生き生きとした表情で、夫は毎朝出社するようになりました。
今、夫はあんなことがあったとは信じられないぐらい元気に働いています。もはや少々のことでは驚かなくなったようです。自分の落ち度を指摘されるようなことがあっても、しゃあしゃあとやり過ごしています(在宅勤務が増えて、そういう声も全部聞こえるんですよね~)。
今や、すっかりおじさんになったK君。
時には人事部に協力して、リクルートスーツを着た学生たちの面接をすることもあります。
……もし正面に座る面接官が、ふてぶてしい中年男だったとしても。
どうか腹を立てないで下さいね。もしかしたらそのおじさんも、もう死ぬんじゃないかと思うぐらいの荒波をかいくぐって、その椅子に座っているかもしれませんから。若者の抱える苦悩を、誰よりよく分かっている人かもしれませんから。