第34話 告別の日に
文字数 3,683文字
告別式は、義父が信仰していたキリスト教形式で行いました。
祭壇は白い花でいっぱい。質素に暮らしてきた義父は、この豪華さにびっくりしているかもしれません。
式はうちの近くの斎場で行うことになり、遠くの県にある教会へ行くことは叶いませんでした。でも牧師の先生(プロテスタントです)が自ら車を運転し、駆け付けて下さることに。
番外編で触れた通り、子供世代に純粋な信者は一人もいません。赤ちゃんの頃に洗礼を受けたK家の子供たちも、今は教会に所属せず。
これについては、わざわざ来て下さる牧師の先生に申し訳ないな、という思いがありました。一人でも信者がいれば恰好が付くんですが、義母が葬儀に参加するのは難しいでしょう。
と思ったんですが。
何と義母は参加できることになりました!
言うまでもなく、義母は誰よりも熱心な信者です。宗教的な意味だけでなく、義母自身だって自分の夫の告別式には参列したかったでしょう。
入所している施設の方が配慮してくれ、車椅子を貸し出してくれた上に、介護タクシーなどもバッチリ手配してくれたのです。施設側はこれについて会議まで開いたそうですが、結果としてはOKに。よく許してくれたものです(もちろん付き添いのK君がコロナ陰性を証明しなければならない、などのハードルがありましたが)。
久々に会った義母は、すっかり健康的にスリムになっていました。
施設のケアマネさん、栄養士さんはさすがです。出してくれている糖尿病食は、目に見えて効果が出ているわけですから。
自宅だったらここまで食事の管理を厳しくできなかったことでしょう。
その昔、私が義母からミスタードーナツの袋を取り上げて、それで関係が悪化したこともあったっけ。そういうとき義父は、全力で義母をかばったものです。
「つばめさん、返してやって下さい。お願いします」
そんなに懇願されたら、私も逆らえないですよ。結局義母にドーナツを食べさせてしまいました。
そんな義母ですから、今も不満タラタラです。
「施設の食事、まずいのよ~。最悪よ~」
お義母さん、そこは逆です。感謝しなければなりませんって!
もちろん義母も、眠る義父を見つめて涙ぐんでいました。自分が先かと思っていたのに、お父さんが先に逝っちゃった。そんな万感の思いがあったようです。
「つばめさんが、ずっとお父さんのことを支えてくれていたんですってね。ありがとうね」
私にそう言ってくれたのは、夫のK君がそう言えと義母に言い含めておいてくれたのかもしれません。
「お義父さんも、本当に頑張ったんですよ」
差し出された義母の手をぎゅっと握り返した時、私はちょっと迷いました。あの抗がん剤での壮絶な戦い、お義母さんに話すべきかな? でもこの人の場合、どこまで理解できるだろう。
だけどそこで、あれっと思いました。
義母の手がやけに冷たいのです。
案の定というべきか、その直後に義母は顔を上げ、大声で会場スタッフを呼びつけました。
「ちょっとお~。ここ、寒いわよ~?」
駆け寄ってきた式場スタッフさんは、恐縮しまくり。
「申し訳ありません、すぐにエアコンの調整を致します」
こっちが申し訳ないぐらいだけど、私たちは笑ってしまいました。「お義母さん節」はこんな時にも健在なんですから。
納棺式のとき、義父が生前気に入っていた服を上からかけてあげよう、という段取りになっていました。なので義父愛用の介護服(介護服とはいえ、そこそこオシャレなやつ)を上下で持ってきていたんですが、こうして義母が冷え切ってしまったので、その介護服を喪服の上から着せてあげることに。
なので棺に収まった義父には、ズボンしか掛けてあげられませんでした(笑)。こんなことになっちゃうなんて、お義父さんごめんなさい。もう一枚、持って来れば良かった。
でも義母にだって、義父の形見の品が残されても良いはずです。この点を私たちはすっかり忘れていたので、これはこれで良かったのかもしれません。
牧師の先生が前に立ち、葬儀が始まります。
聖書の一節をみんなで読み、讃美歌をうたいます。パイプオルガン(もちろん斎場に設置されたシンセサイザーですが)の音が響き渡ると、一般的な斎場も急に宗教色を帯び、荘厳な雰囲気になります。
古い讃美歌は作者不明、題名も分からず、番号だけで分類されることも多いのだとか。それでも、少なくとも数百年に渡って歌い継がれてきたその旋律には強い霊力を感じます。
結婚式などで日本人が「なんちゃって」キリスト教徒になる時は、讃美歌は省略されてごく短くしてあることが多いものです。実際には讃美歌ってこんなに長いのね……楽譜を見てやっと1番を歌い終えたとき、「え、5番まであるの?」と気づいて、私は思わず気が遠くなりました(笑)。
先生はさすがと言うべきか、朗々としたよく通る大きな声で歌われていました。しかも最後までボリュームが落ちない。歌が上手でないと、そして歌い切る体力もないと、キリスト教の聖職者は務まらないなあなどと思ってしまいます。
不思議なことに、信仰心のない私でも、歌っているうちに自然に納得できてしまうようでした。みんなで真剣にうたい、お祈りすることが重要なんだと思えるのです。
浄化されるというのは、こういうことを指すのでしょうか。美しい旋律、そして物語を感じさせる文語体の歌詞を口に乗せることで、体に変化が起こってくるかのようです。
讃美歌の数曲をうたい、聖書の「みことば」を全員でいくつか唱えた後、先生は一層声に力を込めて、告別の辞を述べました。
「……今、兄弟の魂は肉体を離れ、主のみもと、一切の苦痛のない天国へ向かおうとしています。戦いを立派に戦い抜き、走るべき工程を走り尽くし……」
そうなんだよな、と思いました。義父は走り尽くしました。苦しくても苦しくても、抗がん剤を打ってくれと言い続けました。
生きられるだけ生きようとしていました。どんどん痩せ細って、こっちが見ていられないぐらいになっていくというのに。
もう一度みんなで讃美歌をうたい始めたとき、あれが義父の、無言のうちの覚悟だったんだと納得できました。
義父は、義母のわがままを全部認めてあげて、私の目にはいつも自分を押し殺しているように映ったものです。私の前でも遠慮して、あまり苦痛を訴えませんでした。そんな義父が気の毒で、放っておけなかったというのもあります。
だけど義父の人生はそれだけじゃなかったはず。ギラギラした時期もあったはず。それが最後の、あのエネルギーに置き換わったんじゃないでしょうか。
この讃美歌の中に、救われた義父の姿がありました。それはまた、
「よく頑張ったね」
という神様の声であるような気もしたのです。不遜かもしれないけど、伴走した私たちのことも神様はちゃんと見ていてくれたんじゃないか。そんな思いでいっぱいになりました。
気付いたら、私の頬にも滂沱の涙が流れていました。介護をした私たちはもう長いお別れを終えていて、今さら泣くことなんてないと思っていたのに。号泣するきょうだいたちを見て、冷めた気分にもなっていたのに。
心の中で叫びました。お義父さん、良かったですね。神様の下へ行けて良かったですね。
うつし世を離れて御国 の楽しみ
受くる身の幸い例 うものはなし
輝く御姿 愛のともしび
我は称えなん あした目覚むる迄
『昇天』より
私たち、本人が望むほどの延命はできなかったかもしれないけど、その最後の日々を、笑顔の多いものにしてあげられたとは思うのです。すべてK君と結婚したからこそ、できた体験でした。
結婚して良かった。
ひたすら、そう思います。結婚だけが人生の目標ではなくなった時代ではあるけれど、一緒に人生を歩む人がいること以上の喜びなんてありません。
この人と結婚して正解だった? と考える日は今後私にもあるかもしれないけど、その時は正解にしてしまえばいいじゃないですか。たぶん神様が決めた正解なんて存在しなくて、それは私たち自身が作っていくものなんです。ハッピーエンドのその先にある日々こそが、かけがえのない人生の本番なのです。
さて火葬を終え、遺骨遺影とともに、さあ帰ろうかとなった時。
K君がふと足を止めました。
「……そういえば、十字架は……?」
私を含め、全員が「あっ」と口を開けました。
棺の上に乗せて、一緒に火葬するはずだった花の十字架。
「やばい……忘れた」
葬儀屋さんがキリスト教式に慣れていなかったこともありますが、何ということでしょう。見事に全員が忘れ、斎場の荷物置き場に置いてきてしまったという、まさかの結末でした。
牧師の先生も苦笑い。
「ま……まあ、良いでしょう。こういうのは気持ちが大事ですから」
さすがは先生、K家の親戚なだけありますね(笑)。
こんなに間抜けなK家ですが、これからも幸せに暮らしていけますように。
了
祭壇は白い花でいっぱい。質素に暮らしてきた義父は、この豪華さにびっくりしているかもしれません。
式はうちの近くの斎場で行うことになり、遠くの県にある教会へ行くことは叶いませんでした。でも牧師の先生(プロテスタントです)が自ら車を運転し、駆け付けて下さることに。
番外編で触れた通り、子供世代に純粋な信者は一人もいません。赤ちゃんの頃に洗礼を受けたK家の子供たちも、今は教会に所属せず。
これについては、わざわざ来て下さる牧師の先生に申し訳ないな、という思いがありました。一人でも信者がいれば恰好が付くんですが、義母が葬儀に参加するのは難しいでしょう。
と思ったんですが。
何と義母は参加できることになりました!
言うまでもなく、義母は誰よりも熱心な信者です。宗教的な意味だけでなく、義母自身だって自分の夫の告別式には参列したかったでしょう。
入所している施設の方が配慮してくれ、車椅子を貸し出してくれた上に、介護タクシーなどもバッチリ手配してくれたのです。施設側はこれについて会議まで開いたそうですが、結果としてはOKに。よく許してくれたものです(もちろん付き添いのK君がコロナ陰性を証明しなければならない、などのハードルがありましたが)。
久々に会った義母は、すっかり健康的にスリムになっていました。
施設のケアマネさん、栄養士さんはさすがです。出してくれている糖尿病食は、目に見えて効果が出ているわけですから。
自宅だったらここまで食事の管理を厳しくできなかったことでしょう。
その昔、私が義母からミスタードーナツの袋を取り上げて、それで関係が悪化したこともあったっけ。そういうとき義父は、全力で義母をかばったものです。
「つばめさん、返してやって下さい。お願いします」
そんなに懇願されたら、私も逆らえないですよ。結局義母にドーナツを食べさせてしまいました。
そんな義母ですから、今も不満タラタラです。
「施設の食事、まずいのよ~。最悪よ~」
お義母さん、そこは逆です。感謝しなければなりませんって!
もちろん義母も、眠る義父を見つめて涙ぐんでいました。自分が先かと思っていたのに、お父さんが先に逝っちゃった。そんな万感の思いがあったようです。
「つばめさんが、ずっとお父さんのことを支えてくれていたんですってね。ありがとうね」
私にそう言ってくれたのは、夫のK君がそう言えと義母に言い含めておいてくれたのかもしれません。
「お義父さんも、本当に頑張ったんですよ」
差し出された義母の手をぎゅっと握り返した時、私はちょっと迷いました。あの抗がん剤での壮絶な戦い、お義母さんに話すべきかな? でもこの人の場合、どこまで理解できるだろう。
だけどそこで、あれっと思いました。
義母の手がやけに冷たいのです。
案の定というべきか、その直後に義母は顔を上げ、大声で会場スタッフを呼びつけました。
「ちょっとお~。ここ、寒いわよ~?」
駆け寄ってきた式場スタッフさんは、恐縮しまくり。
「申し訳ありません、すぐにエアコンの調整を致します」
こっちが申し訳ないぐらいだけど、私たちは笑ってしまいました。「お義母さん節」はこんな時にも健在なんですから。
納棺式のとき、義父が生前気に入っていた服を上からかけてあげよう、という段取りになっていました。なので義父愛用の介護服(介護服とはいえ、そこそこオシャレなやつ)を上下で持ってきていたんですが、こうして義母が冷え切ってしまったので、その介護服を喪服の上から着せてあげることに。
なので棺に収まった義父には、ズボンしか掛けてあげられませんでした(笑)。こんなことになっちゃうなんて、お義父さんごめんなさい。もう一枚、持って来れば良かった。
でも義母にだって、義父の形見の品が残されても良いはずです。この点を私たちはすっかり忘れていたので、これはこれで良かったのかもしれません。
牧師の先生が前に立ち、葬儀が始まります。
聖書の一節をみんなで読み、讃美歌をうたいます。パイプオルガン(もちろん斎場に設置されたシンセサイザーですが)の音が響き渡ると、一般的な斎場も急に宗教色を帯び、荘厳な雰囲気になります。
古い讃美歌は作者不明、題名も分からず、番号だけで分類されることも多いのだとか。それでも、少なくとも数百年に渡って歌い継がれてきたその旋律には強い霊力を感じます。
結婚式などで日本人が「なんちゃって」キリスト教徒になる時は、讃美歌は省略されてごく短くしてあることが多いものです。実際には讃美歌ってこんなに長いのね……楽譜を見てやっと1番を歌い終えたとき、「え、5番まであるの?」と気づいて、私は思わず気が遠くなりました(笑)。
先生はさすがと言うべきか、朗々としたよく通る大きな声で歌われていました。しかも最後までボリュームが落ちない。歌が上手でないと、そして歌い切る体力もないと、キリスト教の聖職者は務まらないなあなどと思ってしまいます。
不思議なことに、信仰心のない私でも、歌っているうちに自然に納得できてしまうようでした。みんなで真剣にうたい、お祈りすることが重要なんだと思えるのです。
浄化されるというのは、こういうことを指すのでしょうか。美しい旋律、そして物語を感じさせる文語体の歌詞を口に乗せることで、体に変化が起こってくるかのようです。
讃美歌の数曲をうたい、聖書の「みことば」を全員でいくつか唱えた後、先生は一層声に力を込めて、告別の辞を述べました。
「……今、兄弟の魂は肉体を離れ、主のみもと、一切の苦痛のない天国へ向かおうとしています。戦いを立派に戦い抜き、走るべき工程を走り尽くし……」
そうなんだよな、と思いました。義父は走り尽くしました。苦しくても苦しくても、抗がん剤を打ってくれと言い続けました。
生きられるだけ生きようとしていました。どんどん痩せ細って、こっちが見ていられないぐらいになっていくというのに。
もう一度みんなで讃美歌をうたい始めたとき、あれが義父の、無言のうちの覚悟だったんだと納得できました。
義父は、義母のわがままを全部認めてあげて、私の目にはいつも自分を押し殺しているように映ったものです。私の前でも遠慮して、あまり苦痛を訴えませんでした。そんな義父が気の毒で、放っておけなかったというのもあります。
だけど義父の人生はそれだけじゃなかったはず。ギラギラした時期もあったはず。それが最後の、あのエネルギーに置き換わったんじゃないでしょうか。
この讃美歌の中に、救われた義父の姿がありました。それはまた、
「よく頑張ったね」
という神様の声であるような気もしたのです。不遜かもしれないけど、伴走した私たちのことも神様はちゃんと見ていてくれたんじゃないか。そんな思いでいっぱいになりました。
気付いたら、私の頬にも滂沱の涙が流れていました。介護をした私たちはもう長いお別れを終えていて、今さら泣くことなんてないと思っていたのに。号泣するきょうだいたちを見て、冷めた気分にもなっていたのに。
心の中で叫びました。お義父さん、良かったですね。神様の下へ行けて良かったですね。
うつし世を離れて
受くる身の幸い
輝く
我は称えなん あした目覚むる
『昇天』より
私たち、本人が望むほどの延命はできなかったかもしれないけど、その最後の日々を、笑顔の多いものにしてあげられたとは思うのです。すべてK君と結婚したからこそ、できた体験でした。
結婚して良かった。
ひたすら、そう思います。結婚だけが人生の目標ではなくなった時代ではあるけれど、一緒に人生を歩む人がいること以上の喜びなんてありません。
この人と結婚して正解だった? と考える日は今後私にもあるかもしれないけど、その時は正解にしてしまえばいいじゃないですか。たぶん神様が決めた正解なんて存在しなくて、それは私たち自身が作っていくものなんです。ハッピーエンドのその先にある日々こそが、かけがえのない人生の本番なのです。
さて火葬を終え、遺骨遺影とともに、さあ帰ろうかとなった時。
K君がふと足を止めました。
「……そういえば、十字架は……?」
私を含め、全員が「あっ」と口を開けました。
棺の上に乗せて、一緒に火葬するはずだった花の十字架。
「やばい……忘れた」
葬儀屋さんがキリスト教式に慣れていなかったこともありますが、何ということでしょう。見事に全員が忘れ、斎場の荷物置き場に置いてきてしまったという、まさかの結末でした。
牧師の先生も苦笑い。
「ま……まあ、良いでしょう。こういうのは気持ちが大事ですから」
さすがは先生、K家の親戚なだけありますね(笑)。
こんなに間抜けなK家ですが、これからも幸せに暮らしていけますように。
了