第23話 ついに来ました。「ラスボス」が!

文字数 3,074文字

 つい先日、ゴールデンウイーク中の日曜日のこと。
 朝のジョギングから帰ってきた私は、夫のK君が硬い表情で義父の部屋から出てきたところに出くわしました。

「……様子がおかしいんだ。今、寝かせたところだけど……」
 意識がもうろうとした状態で、義父はベッドに腰かけたままぼんやりしていたそうです。横になりたくても、自力では動くこともできないような感じ。気づいた夫が抱きかかえて寝かせ、布団を掛けたとのことでした。

 おかしいな。私は首を傾げました。まさに今日の早朝5時頃、私は義父に声を掛けられて飛び起き、排せつの介助をしたのです。
(まったく、日曜日ぐらいゆっくり寝かせてよね……)
 という私の本音はさておき、その時の義父は至っていつも通りでした。
 私はその後二度寝をし、8時頃に再び起きて家族の朝ごはんの支度をし、これまたいつも通り自分だけ走りに出たのです。

 夫の話を聞いてふと食卓を見ると、確かに私がさっき置いた介護食が手つかずのまま。
「あれ、食べてないの?」
「食べるどころじゃないよ、とても」
 抗がん剤治療をしている人の体調は日々変わりますが、高齢者でしかも末期癌となると余計に管理が難しくなります。食欲が出ずに食べられないことはざらです。
 義父の部屋を覗き込むと、確かに昏々と眠っています。少し熱もあるようでした。

 実は昨日も義父は吐き気などの体調不良を訴え、病院にかかっていたのです。土曜日で通常の外来はお休みなので、やむなく救急外来へ。
 待合室で座っている元気もなかったので、頼み込んでベッドに横にならせてもらいました。

 だけど点滴で水分を補給する他は、吐き気止めを処方されたのみ。それ以上は手の施しようがなかったようです。
「抗がん剤の副作用でしょう。あとはご自宅で様子を見て下さいね」
 先生は親切に言って下さるけれど、私は正直なところ落胆しました。
(そうか。入院させてもらえないんだ)
 仕方ありません。ここはあくまで急性期の病院であって、「救える命を救う」場所なのですから。

 そう、私たちも分かっているのです。義父はもう積極治療をする段階にはなく、あとは自宅で残された人生をいかに全うするかを考えるべきだということを。
 だけどずいぶん前、余命宣告をされた段階で、義父は断言したのです。
「緩和療法なんて、絶対に嫌だね。ちょっとでも可能性が残っているなら、抗がん剤にチャレンジする」
 この問題は難しい。もちろん本人の意思が何より重要です。義父はリスクを冒してでも希望に賭けると言っているのですから、他人がその希望を打ち砕いたり、誘導したりすることがあってはなりません。

 だけどなあ。
 私は内心ため息です。それはすなわち、私が「介護嫁」として拘束される期間が長くなることを意味しています。こうやって病院に連れてくるだけでも一苦労。まして私には、三度三度の食事から掃除、洗濯といった生活支援の負担があります。義父は自分のことはなるべく自分で、という意志があるものの、どうしてもできない部分については身体介護も必要です。

 義父は昔から「いつだって死ぬ覚悟はできている」と言っていました。だけどいざ命の終わりを告げられると、そう簡単に受け入れられるものではないのでしょう。余命宣告をされたことのない私には、あれこれ言う資格はありません。

 そんなわけで昨日は大人しく自宅へ連れ帰ってきたわけですが、今日、またこうして具合が悪くなってしまいました。夫がいてくれる日で良かったというものです。
 しかも夫が体温計を差し入れたところ、熱が高くなっているようでした。
「39度以上あるぞ」

 本人に声を掛けると反応はしますが、これでは水を飲むこともできません。再び病院に電話をし、対応を相談すると、やっぱり「救急外来にいらして下さい」とのこと。
 
 本人を動かすのも大変ですが、仕方がありません。私がマンション正面に車を回し、夫が義父を抱きかかえてエレベーターに乗せることにしました。
 ところが車でエンジンをかけたまま待っていると、現れたのは夫のみ。私のスマホに連絡したそうですが、気づかなかった……。

「救急車、呼ぶことにしたから」
「ええ!?」
 夫一人ではどうにも義父を動かすことができないので、再び病院に電話したところ「先生の名前を出していいから救急車を呼べ」と言われたようです。普段ならこういう緊急性を伴わないケースでは、民間救急のコールセンターにかけるという選択肢が妥当なのかもしれませんが、この時は119の方を指示されました。コロナ禍の中で高熱を出しているという事情があったからかもしれません。

 とにかく我が家はまた救急車のお世話になりました。前回は赤ん坊のジゾウを、今回は末期癌の義父を。
 サイレンの音がマンションに近づき、私は両手を振って誘導します。

 今や十二歳になったジゾウは、自分から荷物運びを手伝ってくれました。こんな時なのに、私はちょっと感動。あんた、こういうことができるようになったのね!
「ありがとう、ジゾウ」
「……うん」
 ジゾウは無表情のまま頷きます。親が必死になっている様子を見て、自分も何かしようと思ったようです。介護ってそれだけで完結するものじゃなくて、子育てにも影響をもたらすものなのかもしれません。

 ストレッチャーに乗せられた義父は、骨と皮ばかりにやせ細り、衰弱が目に見えていました。

 人がどうやって老い、どうやって死んでいくのか。
 逃げることのできないその現実から、以前の私は目を背けてきました。たぶん「死」に対する耐性が弱いんでしょう。介護施設や病院の建物さえも、あまり視界に入れないようにしていたぐらいです。だから現実と向き合えない人々を責める資格はありません。彼らの姿は、鏡に映った自分ですから。

 介護に関わろうとそうでなかろうと、私にはいずれ訓練みたいなものが必要になったと思います。恐いと思うのは、たぶん「死」という相手の正体が不明だから。分かってしまえばそこまで怯えずに済むかもしれません。介護をすることの希望は、そういう点にあるのではないでしょうか。死にゆく過程を経験することは、自分を強くすると信じたいのです。

 しかし夫婦で乗り越える諸問題の中で、介護って「ラスボス」級だと思う。
 まさにこれを機に、離婚する夫婦もいることは知っています。

 だけどきっと、私たちは戦える。そう自分に言い聞かせています。今までだって、何があっても手をつないで乗り越えてきたんだから。
 後で振り返った時に「やれることはやった」と思えるよう、今は全力を尽くす時なのではないでしょうか。まだ道半ばだけど、行けるところまで行ってみようと思うのです。

 小説『のぼうの城』では、たった五百人の城兵で守る忍城に、豊臣勢は二万の軍勢を差し向けます。圧倒的に不利な状況で、それでも持ちこたえたという筋書きの物語。この手の小説の中でも傑作だと思います。

 彼らは玉砕を目指したわけじゃありません。勝つまでには至らずとも、少しでも有利な条件を得るよう、周到な準備をして籠城に臨んだわけです。
 私たちの介護も、かくありたい。

 まず、自分が無理をして倒れることは避けねばなりません。介護サービスという援軍については使えるところは使い(コロナ禍で利用も難しくなりましたが)、睡眠不足に陥らないよう生活のあれこれを調整しながら、厳しい時期を持ちこたえたいと思います。

 自分の健康管理のことは、これまた老いた親の姿から見えてくる重要なこと。次回はそこに触れてみたいと思います。

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