第7話 シンデレラじゃなかった⑤

文字数 3,675文字

 さてさてお金の話、第二弾。
 親の老後資金の不足にどう対処する? という問題です。
 たぶんこのエッセイで一番重い回になります。その手の話が苦手な方、すみません。だけどなるべく救いがあるよう、頑張ってみます(笑)。

 K家の両親の場合、老後は子供に頼る前提……というわけでは決してなかったんだと思います。多くの人が老後の心配をし、できる限りの対策をしていますが、K家も一応はそこを目指したはず。
 だけど実際には、貯金は少なく年金も少ないという人は結構いるはずなのです。いわゆる「下流老人」問題ですね。

 この時点で子世代にはドーンと重たい話になってきますが、貧しさはその人の罪というわけではありません。悪いのではなく、弱いと捉えるべきでしょう。

 ただ、そのツケはどうしても子供に回ってきてしまいます。そして親を支えることを人生の最優先事項にしてしまうと、犠牲が大きすぎるケースも少なくありません。

 だからなのか、最近はかなり強気の意見も見かけます。専門家の方(弁護士さんとかFPさんとか)でさえ、「無理をしてまで親の面倒を見る必要はない!」といったアドバイスを述べる方が少なくないようです。

 これはあくまで子世代の財産を守るという立場から出された意見です。
 正しいと言えば正しい。これで勇気づけられる人もいると思います。

 でもその困った親の面倒は誰が見るの? という肝心な部分が抜け落ちているのです。頭の良い先生方ですから、そこは批判を避けるため、わざとぼかしているのでしょう。

 要するにこういう先生方が何を仰っているのかというと……。
 親が「困ったちゃん」のケースでは、子世帯と親世帯は経済的に切り離し、親には生活保護を受けさせましょうということ(もちろんそこまではっきりと述べているケースは少ないですが)。
 確かに法的に問題はありませんが、かなりグレーがかっています。簡単には賛成も反対もできません。

 もちろんすでに受給している人は、権利ですから堂々としていていいんですよ! 恥ずかしいとか、申し訳ないなんて思う必要はありません。誰だってそういう立場になることはあり得ます。

 一方でそのお金の出どころは税金ですから、世の中には受け入れがたいという人もいるのが事実。子供が働いているなら、同居か仕送りのどちらかぐらいはやりなさいよ、というわけです。身内が助けないのに、みんなの税金で助けるってどういうこと!? みたいな感じですかね。

 正論ですが、正しいことってしばしば残酷なのです。子供に十分な収入があるならその通りですが、多くの場合はそうじゃないから問題になります。

 親への援助を強制するようなニュアンスになってくると、事は深刻。大げさに聞こえるかもしれませんが、これをきっかけに自殺や家族間殺人だって起こりかねません。
 いや、そこまでいかなくても、「毒親」育ちの若者が結婚を諦めてしまう、なんて話はざらにあるようです。真面目で誠実な人ほど、自分の配偶者にまで迷惑をかけるのが忍びなくて、そういう結論に至ってしまうのでしょう。その人の辛さが分かるだけに、とても切なく感じます。

 だけど忘れて欲しくないのが、同じ辛さを抱える仲間は全国にたくさんいるということ。
「私さえ我慢すれば……」の考え方では、彼らを救うことができません。みんなのためを思えばこそ、やっぱりまずはあなたが幸せにならなくちゃ駄目って言いたいです。

 自分の自由と、家族を支える大切さと。そこのバランスは難しいですが、やっぱりまずは自分の人生を生きるべし、と思うのです。
 その上で、親世代への援助をできる範囲で考えたら良いのではないでしょうか。迷ったら笑顔の多い方を選びなさい、という人生訓がありますが、まさにこれです。家族が笑っていなければ、自分も心の底からは笑えません。自分さえ良ければという選択は、かえって幸せを遠ざけてしまうような気がします。
 親に限らず、病気や重度の障がいを背負う家族がいる人も、同じ悩みを抱えているんじゃないかと想像します。苦しいけれど、「両立」の道を探っていきたいものです。

 必要な支援があるなら、それは受けた方が良い。いや、受けるべきではないでしょうか。家族が幸せになるために、ためらっている場合ではありません。有難く頂いて、いつの日か何らかの形で社会に恩返しすれば良いと思うのです。

 で、私たちがどうしたかという話に戻します。
 我が家の結論としては、とりあえず親の生活保護受給は回避。でも低所得者向けの支援策というのは他にもいろいろあります。義両親にはそうしたものをできる範囲で利用してもらって支出を抑えつつ、収入の方は、年金で足りない分は私たちが仕送りをするという道を選びました。

 うちの場合、月に6万円。年に72万円。

 もっと苦労している人から見れば、何だ、大したことないじゃんって言われるかもしれませんが、一時的ではなく、ずっと続くわけですからけっこう苦しいですよ(義父が病気に倒れ、同居を始めるまで18年ほど続きました)。私たちの場合、社宅住まいだったこともあり、若くても何とかなったという側面があります。

 これを貯金に回していれば今頃は……なんて考え出すとキリがないのでやめます(笑)。だけどある弁護士事務所のホームページによると、親に仕送りをしている人の割合は就労者の1.4%だとか。相続が発生した際に「寄与分」が認められるケースは少ないですよという文脈なので、どの程度信頼がおけるのかは分かりませんが、ああ私たちってそんなにも少数派なのね、と思ったことを覚えています。
 寄与分ね……そもそも財産のない家には関係ないし! (でも一応、振込の記録だけは保管してあります。未練がましいですが)

 私たちの背負った最大の痛みは、子供を持つことが遅れたということでしょう。
 やっぱり経済的な不安って大きいんですよね。夫のK君もなかなか子供を作りたいという気分にはなれなかったようです。もうちょっと落ち着いたら、を言い訳に、私たちは現実から逃げていました。私にも子供ができたら生活破綻するのでは、という恐怖感がありました。

 やれやれ、落ち着く日なんて永遠に来ませんよ。そして若さはあっという間に失われてしまう。子供のことは、お金のこととまったく別に考えるべきだった、というのが私自身の反省です。

 義きょうだいは、親を支えることに非協力的でした。
 三人きょうだいのうち、仕送りは次男のK君だけ。どうしてうちばっかり、という不公平感は簡単に拭えるものではありませんでした。
 義きょうだいは、それぞれ複数人の子供に恵まれています。彼らの方が正しかったのでしょうか。今もって結論が出ていません。

 もちろん経済的な支援は余裕がないとできませんが、行政側にどんな支援策があるかを調べるとか、書類の記入を手伝うとか、手続きに付き添うとか、支援の形もいろいろあります。気持ちさえあればだいぶ違うと思います。

 私の場合、夫のK君とは二人三脚で行動しているので、パートナーの非協力に悩むことはありませんが、それと引き換えと言っていいほど他の親族には悲しい思いをさせられました。恨みがないと言ってしまえば嘘になります。

 だけどK家の場合は、ここにも発達障害の問題がからんでいるように感じます。自分の人生にふりかかってきた難題とどれだけ向き合えるか。それは人柄ではなく、むしろ能力的な問題なのではないでしょうか。

「もう知らない!」
 K家の人々(夫のK君を除く)がこんな風に叫ぶことは、以前からよくありました。もちろん冷静に発せられる言葉ではありません。一種の思考停止状態に陥っているのです。
 パニックを起こしやすく、物事を冷静に受け止める力が弱いということ。私はこれを、先天的な脳の問題ではないかと思っています。
 発達障害の問題は、子育ての章でまた取り上げます。

 さて理由はどうあれ、孫世代にまで格差を作ってはなりません。親を助けた家と、そうでない家に差があってはならないはず。
 私たちも、息子の教育資金だけは死守しています。うちの息子にだけ惨めな思いをさせるという結果は避けるべきでしょうから。
 そして私たち自身も、自分たちの幸せを犠牲にすることのないよう、どうにか踏みとどまっているところです。

 最近は「毒親」の言葉も広く使われるようになりましたが、親との関係に苦しんできた人ほど、たとえば結婚や出産を和解のチャンスとして生かせる場合もあります。どんなに不利な条件の人でもやりようはあります。人生の岐路に立った時こそ、その人の真価が問われているんじゃないでしょうか。諦めずにやっていきたいものです。

 今回は本当に重~い話になってしまって、ごめんなさいね(笑)。
 だけどお金や、それに付随する理由で離婚するカップルもいるのです。若い人たちが知っておいて損はないと思う。

 まだまだ波乱万丈が続きますが、次回以降はもう少し軽い話題にします(笑)。懲りずにお付き合い頂けると幸いです。
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