第22話 どっちの神様問題

文字数 3,150文字

 夫との結婚生活において持ち上がったあれこれの中で、宗教もかなりの悩みの種でした。

 K家がキリスト教徒だと聞いたのは、結婚式の準備をしていた頃のこと。
 結婚式場のパンフレットをパラパラとめくり、美しく飾られたチャペル内部の写真を指さしながら、彼がふとつぶやいたのです。
「オレ、小さい頃から教会に通っていたから、こういうのに慣れてるよ」
「……そうなんだ」

 私は小さく息を呑みました。だったら私もキリスト教徒にならなくちゃいけないのかな? 夫婦で宗教が違うなんて、ありえないよね?
 急にどーんと重たいものを突き付けられました。実の両親にとって、私は長女。祖父母世代が故郷に建てたお墓と、お寺とのお付き合いを引き継がなくちゃいけないのはこの私なんじゃないの?

 実はこの問題、けっこう多くのカップルを悩ませるものなんじゃないでしょうか。宗教がからむと何事も厄介なものです。
 健全な宗教団体であっても異なる信仰を持つ者同士の結婚は大変ですが、いわゆる「カルト教団」がからむケースは、さらに複雑。恋愛結婚って条件面を無視してなされるものですから、後で事情が分かってくるなどして、トラブルが付き物です。

 結婚って、人と人とがするもののはずなのに、それぞれが背負う環境というものが必ずセットで付いてきちゃう。これが何とも面倒です。
「本体だけでいいです。オプションはいりません」
 とか言えたらいいのに(笑)!

 そのとき、黙り込んでしまった私を奮い立たせるように、K君は言いました。
「うちの兄貴たちもさ、教会からは距離を置くことにしてるんだよ。だから結婚式で揉めちゃったんだよ」

 どうもそういうことらしいのです。義両親はまず長男のお嫁さんに洗礼を受けることを勧めましたが、長男夫婦はそれを無視。ある意味、義兄は自分の妻を守り通したんですね。自分たちの結婚式も、披露宴会場のホテル内にあるチャペルで挙げたのです。

 だけどこれが、敬虔なキリスト教徒である義両親(特に義母)には許せなかった!
「ああいうのは偽物の教会なのよ? 大事なお式だからこそ、本物の教会でなくちゃならないの。ちゃんと洗礼を受けて、信者になってからお願いするのが筋ってもんでしょう」

 義母は沖縄出身。一家全員であの壮絶な沖縄戦をくぐり抜け、アメリカ軍の機銃掃射を受けながらも、一人の死者も出さずに生き延びた……というすさまじい経歴の持ち主です。
 義母の母(つまりK君の祖母)は戦後すぐにこの教団に入ったようです。家族の誰も弾に当たらなかったのは「神様のくれた奇跡」と信じ、子供たちのうち数人を牧師さんへと育て上げました。
 
 そう、K家の親戚には教団幹部がいるのです!
 言うまでもなく、義母の信仰の強さは筋金入り。

 私はK君に頼まれたら、信者になってもいいんじゃないかと思いました。実の両親を泣かせることになっても、K君との結婚を優先したかったのです。
 ところが、当のK君がこれに反対でした。
「やめておいた方がいい。オレも子供の頃には分からなかったけど、けっこう特殊な教団なんだよね」

 不安になって調べました。確かにサイトによっては「危険なカルト教団」のリストにこの教団を載せています。
「別に危険じゃないんだけどね。信者が少ない分、いったんそこに入っちゃうと大変だから」
 K君は自分も教会へ通う気はないと断言しました。ならば親を泣かせるまでもないかと、私は洗礼を受けないことにしたのです。

 宗教って難しい。
 憲法では一応自由が認められているけれど、赤ちゃんの頃に洗礼を受けた人は、自らの意志でそうしたわけじゃありません。いや、大人になってから結婚などを機に信仰を変えた人だって、本当の意味で入信したわけじゃないですよね。

 義父はまさに、結婚を機にこの教団に入った人。子供たちに信仰を強制することには消極的でした。私にもこう言ったものです。
「親戚付き合いは必要だけどね。洗礼を受けるかどうかは、つばめさんの自由だから」
 私は多くの日本人と同じく無宗教に近いのですが、自分が生まれ育った文化的背景を捨てることには多少の抵抗がありました。どうしても必要というわけでなければ、自分から洗礼を受けに行く理由はありません。

 というわけで、私たちは今も夫婦で異教徒(?)です。K君は私の実家のお墓に入ると言っていますが、本当にその時が来たらどうするでしょうね。「敷かれたレール」がない、どっちつかずの私たちには、いちいち自分たちで判断していかなくてはならないという難題があります。

 多くの宗教団体では、今は厳しいことを言わなくなっているようです。今の時代「信者同士でしか結婚を認めない」などと言い出したら、誰も結婚できませんよね。夫婦の愛情と信仰とは別ものと考えて良いのではないでしょうか。

 ちなみにジゾウが生まれた時は、私の実両親と共に神社へお宮参りに行きました。
 日本人が歴史上培ってきた、うやむやな宗教観。外国人の方は「八百万も神様がいて覚えられるの⁉」なんて驚くこともあるそうですが(もちろん「やおよろず」とはそんな意味じゃありません)、私には昔の日本人が決定的な対立を避けるために、あえてそうしてきたような気がします。
 また、そこに救われている私たち。ある意味日本人のDNAをそのまま受け継いでいるのかもしれませんね。

 一方で、結婚すると親戚付き合いはある程度避けられません。
 私も告別式等には参加しました。日本のプロテスタント教派にもいろいろあるようですが、この教団はK君の言った通り、かなり独特な信仰スタイルを持っていました(教団というより、教会ごとにやり方が違うようです)。
 讃美歌をうたう以外に、呪文のようにぶつぶつと祈りの言葉を唱えるなど(仏教徒の私にはどうしても「念仏」に聞こえちゃいます)。「霊を受ける」という意味があるのだとか。
 信者さんのすることに、いちいち面食らいます。
 
 だけど私の見た限り、反社会的な団体ではありません。田舎の教会に行くと周囲は見渡す限りの田圃。農家であるご近所さん達は、それぞれ昔からお寺とのつながりを持つ人々です。つまり教会側がいかに頑張って布教活動をしようとも、入信してくれるわけではありません(この点、牧師の先生は飛び込み営業のごとく、大変だっただろうなあと思います)。

 それでも円満にご近所付き合いはしてきたわけですね。信者以外の人にも開放されている教会で、牧師の先生やそのご家族は穏やかな方ばかりでした。
 宗教に関しては語るのも危険、近づいちゃいけないよ、と言う方もいますが、なかなかどうして、向こうもつらいのです。もちろん「入れません」というこちらの事情を理解してくれない人たちだったら距離を置かざるを得ませんが、他者共存が当たり前とされるようになった今、コミュニケーションは必要かと思います。
 ……本当に、教団には入れませんけどね!

 親戚の牧師さん家族は、私たち夫婦が背負っているものの重さも理解してくれています。義両親を納骨堂にお願いするその日がきたら、たぶん親身に応じてくれるはず。
 ……もちろん献金はそれなりに必要でしょうけどね!

 私の実家のお墓も、両親は「墓仕舞い」する気がないようなので、いつか私がやらねばならないのだと思います。今は遠い親戚しか住んでいない、地方のお寺。K君はなぜか気に入って「きれいな所だね~」などと言ってくれますが、普段はあまり行き来もなく、私たちは檀家としての務めを果たしているわけじゃありません。
 もちろんこっちも、維持するだけでお金がかかります(今のところ、私の実両親が負担)。

 はてさて、私たちが死ぬとき、どっちの神様(仏様)に頼る?
 これまた、結婚生活の難題です。
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