第28話 肝転移

文字数 2,616文字

 義父が胃がんの手術を受けて、約半年後。

 腹部CTの画像を見た先生の表情は、大変厳しいものだったようです。改まった姿勢で、本人と付き添いのK君に診たてを告げてきました。

 がんの肝臓への転移。それも肝臓全体に散在しているタイプのものでした。

 原発巣(最初にできたがん)が大きくなって血管やリンパ節に浸潤していた場合、がん細胞が血液やリンパ液に乗って全身に流れてしまうことがあります。そのうち、がんが肝臓で転移巣を作ってしまうと「肝転移」、リンパ節の場合が「リンパ節転移」となるそうです。
 ケースによっては、最初のがんと同時に転移が見つかることもあるとか。

 義父の場合も大きな胃がんになっていたので、このリスクがあることは承知していたのです。若い人なら予防の意味で抗がん剤治療をすることもあるそうですが、高齢者の場合は逆に体力を奪ってしまうことにもなりかねないため、無理をしなくて良いだろうという判断になっていました。

 結果から言うと、義父の場合はこうして転移してしまったので、もしかしたら早いうちに化学療法にチャレンジしていた方が良かった、と言えるのかもしれません。
 だけどこの後に起こった流れを考えると、たとえ手術直後から予防の手を打っていたとしても、同じ結果を招いていたかもしれないのです。抗がん剤も必ず効くとは限りません。がんの発見は早い方がいい、というのはそういうことなんですね。

 転移性肝がんは、原発巣の部位が、手術できるかどうかの分かれ目になることが多いそうです。もちろんケースバイケースなのでしょうが、先生が義父に対して仰ったのは、要約するとこんな感じ。
「原発が大腸だったら手術ができたけど、あなたの場合は胃だから駄目ですよ」
 こうなると治療の選択肢は、ほぼ化学療法のみ。
 それを行ったとしても、余命半年というところでしょう、というお話だったようです。

 夫と義父が帰ってきた時、二人とも表情が硬かったので、私も「何かあった?」とは思いました。でもまさかここまで厳しいとは。
 義父が部屋に引っ込んで、夫が小声で報告してくるのを聞いて、私は両手で口を覆いました。

 というのも、手術の日が遠ざかるにつれて義父はメキメキと元気になり、私たちと遊びに出かけることもできるようになっていたのです。緊急事態宣言が出る前は家族でパターゴルフをしたり、ドライブで遠出をしたりして盛り上がる、なんていう日もありました。

 義父は食欲も旺盛で、私の手料理(と、ジゾウの刺身)がおいしいおいしいと、すべて完食。ご飯だけは柔らかめに炊く必要がありますが、あとは何でも食べられます。病気の記憶が薄れ、もう完治したような気になりかけていました。
 でも一気に暗転する。こういうこともあるんですね。

 たぶん本人も、自分がもうすぐ死ぬとはとても信じられなかったんじゃないでしょうか。一旦はセカンドオピニオンを求め、別の病院に行くなどもしましたが、出てきたのはほぼ同じ結論。そこの病院の先生は、こう言ったそうです。
「もし私がこの状況だったら、化学療法を受けますね」

 義父もそれならばと思ったようです。効く人にはてきめんに効く、という先生の言葉にも心を動かされたんでしょう。義父は毅然として、主治医の元に戻りました。
「やります。先生、化学療法をお願いします」
 義父は自分でそう言いました。
 抗がん剤のお薬にも多くの種類がありますが、一番メジャーなものから挑戦します。

 だけど副作用の厳しさについても、先生から丁寧な説明がありました。この点、本人はもちろん、介護者も分かっていなくては駄目だという理由で、私も病院に呼ばれてお話を聞きます。
「これで一気に体力を奪われる可能性もあります。もしかしたら『やらなければ良かったのに』という結果になることも考えられます。そのリスクは、ご承知の上ですね?」
 この点は、何度も念を押されました。

 激しい吐き気と、倦怠感。その他にもいろいろつらい副作用があるとのことでした。義父と二人、イメージ図まで描かれた薬のパンフレットをじっと覗き込みます。
 確かに、抗がん剤のイメージってこんな感じ。
 しかもこれらの副作用、すぐに表れる人もいれば、かなり経ってから、という人もいるそうです。慌てて薬をやめても、つらさが残ってしまうことも多いのだとか。また体力の弱った高齢者の場合、副作用で命を落とす危険もあります。

 先生の話を隣で聞いている私の方が、不安で倒れそうでした。七転八倒して苦しむ義父の姿を想像すると、果たして私に支えられるか自信がありません。

 高齢者の場合、積極治療をするかどうかの判断は微妙なものになります。先述の通り強い薬を使う場合、かえって寿命を縮めてしまうことにもなりかねません。
 それでも義父は、やると言いました。自分が楽になるための治療よりも、とにかく一日でも長く生きる方を選択したのです。

 先生は私たちが本当に現実を分かっているのか、疑念を持ったのかもしれません。むしろ緩和ケアの方を強く勧めてきました。
「緩和療法専門の先生をご紹介しますよ」
 先生の立場からすると、その方が今の義父にふさわしいと感じたのかもしれません。

 病院によっては、がんの初期段階から緩和ケアを併用する所もあるのだとか。私も義父も、いわゆる死期の近い「ターミナルケア」と混同していたのですが、「緩和」とはあくまで生活の質を高めるためのものであって、治る可能性が高い人も積極的に受けて良いものなのだそうです。義父の場合はなおさら、受けるべきだったんでしょう。

 後に義父は、より私たちの居住地に近い別の病院に移ったのですが、そこの主治医の先生にも緩和ケアにはいつでも移行できると勧められました。
「負け、ではないんですよ。これもまた立派な選択なんですよ」
 とても優しく、本人の意思を尊重する、丁寧な口調だったと思います。しかも積極治療と平行して受けて良いのだと、先生は何度も仰いました。

 だけどまだ自覚症状のない義父には、いちいち「生きることを諦めなさい」と聞こえてしまうのです。先生の口から緩和ケアの言葉が出てくるたび、義父は目が覚めたように反発。毅然として「まだ戦う」と主張しました。

 ならば私も覚悟しなければなりません。
 確かにまだ負けが決まったわけではないのです。かなり劣勢に立たされた戦となりますが、逆転の可能性はまだまだあるのですから。

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