【お金】に重みをつけるもの

文字数 1,339文字


一握りの千円札に、果たしてどれ程の時間が宛てがわれて、
どれだけの【一部】がそこに置かれて来たのでしょう。


今この時って、「もうここには戻らない」時間でもあるんですね。
後にも先にも「もう無い」最初で最期の一秒間。



皆が全員、そんな1日24時間というタイムリミットの中で生きている。

そしてその内の一つに充足するのが、
【労働】という時間です。

食事にも趣味にも安全な部屋で眠るにも、
この世に生きている以上、
その命には常に【お金】が発生します。

例外はありません。


仕事って、そんな人生の幾分かに自分を充てる「やらなければ【行けない】時間」でもあるのだと思います。


自分が「やりたい事」を成す為に、
「やるべき時間」に自身を通して生きている。
【今生に一度】の時間を【自分以外】の誰かの為に生きている。

それは例えばクライアントやお客様、家族や教え子。
仕事を通じて誰かの豊かな時間に【時間】を充てて、
どこかの誰かが笑顔になる時間に自分を与えている。


【自分の時間】を与える事で、【誰かの時間】が活かされる。
【自分の時間】をそこに「充足」する事で、どこかの誰かが充足する。



そしてそうした時間を通した先で与えられるのが、
食であって住まいであって、衣服や電気や水道や、
自分が「安心して眠る事の出来る生活」であったりするんですよね。

一方でそれは、「欲しい物」や「やりたい事」といった、
「自分のやりたい時間」に自分を充てて行ける時間を与えられるという事でもあると思うんです。

その【時間】を自分が【自分】に許可出来るという事でもあると思うんです。



自分の時間を与える事で、
自分の時間を買っている。
それがお金です。


詰まる所【お金】とは、【時間】という一生に一度の「値の付けられない重み」に、
目に見える形としての重みを与えた「代弁者」の様な存在なのだと思うのです。

時間とは【お金】の事であり、
お金とは【その人が生きた時間】です。


一日24時間、いつ死ぬかも分からない【有限】の中で、
その人が削り充てて来た血肉の様な【時間】です。
その人の人生の内の【幾分】かです。

その時間を私達は貰っているんです。



自分の人生という時間の上に、
その人の時間を上乗せして生きているんです。
その人の時間に生かされて生きているんです。


お金を貰う。プレゼントを貰う。時には言葉を頂いて気持ちを頂く。
その方の時間を貰っていて、
その方の限りある人生を貰っている。


私達が日頃やり取りをしている「それ」って、そういう事なんです。

元来それだけの【重み】を常に伴うものなんです。


お金に価値は無い。
価値があるのは時間です。



見るべきなのは手物にあるお金の【金額】そのものでは無く、
その中にある人ひとりの【重み】ある時間なのだと私は思っています。

その人が削り出して来た【命】の一部がお金という【時間】として還元されて行くからこそ、
お金には価値が付随されて行くものなのだとも思うんです。



【時間】を贈るって、それだけの重みある行為なんです。


お金を渡す。贈り物を贈る。
それを差し出したいと思って下さる方の【想い】って、

それ程に痛み入るものの筈なんです。

もう無い時間を自分にくれる。
だからこそ【想い】の受け手には、


その【時間】に対して真摯で誠実でなければいけないのだと思うんです。



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