失敗や痛みを経験するという事は、その痛みを「ひとり」にさせずに済むという事。
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人は多分何でも出来る。
【自分に出来る事】をしてあげられる。
だから失敗する事だって出来る。
失敗を許してあげられる人でなければ、
【失敗する事】は出来ない。
【失敗を越えて行ける】人でなければ、
失敗する事は許されない。
「失敗出来る」という事は、
それに耐え、それを受け止められる「心の柔さ」を育ててあげられるということ。
そしてその「柔さ」こそが、
自分を含めた誰かが失敗した時に、叱咤と共に【許す】という次へのチャンスに繋いであげられる【続き】をつくってあげられる。
その人が立ち直れる為のクッション、或いは再び踏み切れる為のバネの一つに、
【許す】というステップはあるということ。
【許す】事が出来るのは、
その人の気持ちに寄り添えてこそ成し得られる業や行いでもあって、
選べる選択肢でもあると思う。
表面上の許しではなく、その人の中に入れる【許し】
そうして相手に寄り添えるのは、
自分もまた同じ気持ちや自責や後悔を知っていなければ、
感じ得られなければ、
歩みも努めもしなければ、
【通わせられない痛み】でもある。
「挑戦出来る」にしても「失敗出来る」にしても、
「出来る」ということは、
「出来る事を許せる」切っ掛けを同時に与えてもいるということ。
失敗や痛みを経験するという事は、
自分や相手を許せる術を手にする事が出来るということ。
その人の痛み、その人の後悔、
その人の感情を【ひとりにさせずに済む】ということ。
いつかの自分の失敗を、
決して孤立にはさせないということ。
器を広げ続ける為に【心の柔さ】は必要で、
それは裏を返すなら、人を受け入れてくれる人や信頼を置ける人、腹を割れる人にこそ【柔な心】はあるのだということ。
柔な心を持たなければ、「成れない事」でもあるということ。
その柔な心を「持ち続けていてくれる人」だからこそ、
「この人に寄り掛かりたい」とも、
「寄り添いたい」とも思えるのだと思います。
【自分】という人間が持つステータスに、
忍耐や許容や柔軟や、リスタートという【特典】を追加してあげられるのが「失敗」という一つのステージであり、育成期間でもある筈なんです。
挑戦する事が出来る。
辞める事が出来る。
掴む事が出来る。
諦める事も出来る。
進む事が出来て、逃げる事が出来る。
「辞める」や「逃げる」は【出来ない】という事ではありません。
「辞める事が出来る」という事であり、
「逃げる事が出来る」ということ。
「出来る」って、その先の道を拓く言葉であって、
可能性を広げも解放も出来る【解禁の言葉】でもあるんです。
それまでの風向きを動かして、
その先へ繋げられる入り口を作ってあげられるのが、
「出来る」という一つの節目であり風穴でもあり、
突破口でもあるのではなのではないかと思います。