心が持つ起爆力

文字数 1,524文字

相手の気持ちがどうこうと言うよりも、
要は自分の気持ちの【折り合い】なのだと思うのですよ。
妬みでも嫉みでも未練でも、
干渉されるにしてもマウントを確保されるにしても、

つまりは【自分に関心を抱いている】故の行為であるという事にその理由は一貫されるのだと思うんです。


自分に対して莫大なエネルギーを使ってくれているという事であり、
自分に【意識】を置いてくれていると言う事。
その人の世界の一部に【自分】が存在するスペースを割いてくれているという事。


【意識する】と言う事は、
自分という存在が認められているという事でもあるのだと思います。

「無視出来ない」という事で、「無関心」でも居られない。
「心を動かされずには居られない一人」という事でもあるんです。


意識される理由も、白羽の矢を立てる所以も、
一概に喜べるものでも無ければ悠長に構えられるものばかりで無い事もまた確かですが、

【関心を持たれた】というその一点に於いて言えば、
誇ってみても良いのではないかと思うんです。


自分がいつも着目をしていたいのは、
【心の景色の変え方】です。

「自分から見える現実」を、
わざわざ「相手から見える現実」に寄せる必要は無いんです。
大切なのは【自分から見える現実をどう動かすか】という事。

相手から見える自分がどう映っているのかはこの際、重要じゃない。
自分の気持ちを如何にハッピーエンドへ持って行くかが【肝】なんです。


理由の矛先が何であれ、相手が自分を意識するという事は、
【自分】という存在が相手にとって何かしらのエネルギー源に成っていると認識を改める事も出来るんですよね。

闘争心なり優越感なり、
その人がその人を【守り】も【高め】もする理由を自分が持っているという事なんです。


仮に見下されているとしても、
【見下される対象】である自分への関心や評価がある程度高い位置に振り分けられていなければ、
お相手も心の「張り合い」や「愉悦」を感じる事は叶いません。

それに、もしお相手から見る自分への評価が限りなく低いものだとして、
大きく引き離されたものだとして、


そんな【自分より遥かに劣っている相手】に対してしかマウントを取ったり張り合ったり、優越感に浸る事が叶わないのだとしたら、

それはお相手が自らの手で、
自身の「器の狭量さ」を露呈しているのと同じ事。
自らを【小者】と謳っているようなものであり、
お相手がお相手自身へ向ける【評価】を低く見積もっているのと同じなんです。



見下されるという事は、
お相手が【それ相応の品位や格付】を自分に下していると受け取る事も出来るのだと、私自身は解釈します。



妬みも嫉みも張り合いも、
羨みも依存も見下しも、

それらは【目に留まる物】を自分が持っているからこそなんです。
それを見出されたから、自分は【意識】をされるんです。


だから、自分の中の「輝くもの」に意識を留めてくれたお相手に、
自分という人物に心を掛けてくれた存在に、

将又、この思考に至る引き金を引いてくれたその人に、

「ありがとう」と、心の中で伝えてみても罰は当たらないと思うんです。
少しくらい感謝のお裾分けをしてみても、
減るものでは無いと思うんです。

敵意や傾倒は自分への「嘱望(しょくぼう)」であり「評価」でもあり「関心」なのだと腑に落とす事が出来た時、
納得を落とせる角度を身に付ける事が出来た時、

【向かい風】は【追い風】へとその風向きを変えるんです。


自分の心の景色が動いた時、
それまで自分の【逆風】とも【足を引っ張る障害】とも成っていたもの達は一転して、

自らの推進力へと変わります。


一秒前までは【敵】と認識していたものを【味方】にした瞬間の心強さと言うものは、

一秒先に在る自分から見える景色を動かす程の起爆力を持つんです。

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