愛される自分になる為の愛される努力を、誰が嗤うと言うのでしょう。

文字数 401文字


「人の為」と書いて「偽善」と読むなんてよく聞く言葉ではありますが、
その真意って詰まるところ、

「人の為」になりたい自分の為でもある訳で、
「誰かの為になりたい」という建前の後ろに「誰かに求められたい」自分も居るから【偽善】なんて皮肉られる事もあったりするのだと思いますが。


でもそれってつまり、

「誰かの為になりたい」自分の気持ちを【応援してあげられている】という事なんですよ。

だから思うんです。
偽善の何を憚る必要があるのだろうと。

何に劣等し何を後ろめる必要があるのだろうと。




自分だって【人】なのだから、
「人の為」の中には本来自分も居なきゃいけないんです。

誰かに必要とされたい。

誰かに求められたい。

誰かに「好き」と言って貰いたい。




その為の【努力】の何を恥じ、
何を責めると言うのだろう。

それは【愛される自分になる為の努力】をしているという事で、


【自分を愛する努力】をしているというところに通ずるのではないですか。






ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み