「倣う」、「倣わない」を「意見する」、「しない」の判断材料にはしていない。
文字数 477文字
基本的に相手に意見する時は、自分が相手に期待する時。
これは相手が自分の考え方を「許容してくれる」という意味での【期待】であって、
自分の発言に「倣ってくれる」という紙背を含んだ【期待】という意味では断じて無い。
そもそも「倣う」、「倣わない」を「意見する」、「しない」の判断材料にはしていない。
元より言葉の根に「直して欲しい」という趣旨が無い。
根本が違うし門(かど)が違う。
【矯正】は時に【強制】だ。
意見とは選択肢を増やす一翼にこそ成ろうとも
人ひとりの可能性を【強制する】権利は持っていない。
人は体感する事で、身を以て実感する事で、
初めて納得という【身】を腑に落とせる。
相手が納得を落とす為に芽吹いた【経験の芽】を、
こちらから摘み取る権限は無い。
だから自分が意見する時、
それは「互いから離れない」という前提での【意見】です。
こちらから投じる不安も不服も、
相手が向ける不平も不服も許容に含んだ上での意志の開示です。
話しても上滑り出来る相手なら
そうなる事が明らかなら
諦めが付いているのなら
初めから意見はしていない。
自分の【意思】は見せていない。