創世記25章 エサウとヤコブの誕生/長子の特権

文字数 2,901文字

リベカと結婚したとき、イサクは40歳だった。
創世記25章21節

イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。

イサクは「主に祈った」という言葉は、ヘブライ語では「熱心に祈る」という動詞が用いられている。
サラと同じように、リベカも不妊で悩んだのか…。
創世記25章22節

ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。

リベカは念願がかなって身ごもったけど、お腹の中で「子供たちが押し合う」のを感じて、不安でいっぱいになってしまう。
リベカは、実家の母親とも遠く離れているし、このお産に命の危険さえ感じていたのかも。
不安になったリベカはそのとき、「主の御心を尋ねるために出かけた」と書いてある。

家族に相談するのではなく、正式な礼拝の場に出かけて、神に祈ったのだ。

母と兄に結婚を引き止められても、リベカは自分で決断して、「はい、参ります」(創24:58)と答えた。

今回もリベカは、自分から主体的に行動していますね。

創世記25章23節

主は彼女に言われた。

「二つの国民があなたの胎内に宿っており

二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。

一つの民が他の民より強くなり

兄が弟に仕えるようになる。」

このとき初めて、リベカはお腹の子が双子であると知る。
この神の言葉は、次に何が起こるかの重要な伏線になっている。
リベカは、主なる神から受けた予告について、夫イサクに言わなかった。
創世記25章24節-26節

月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた。その後で弟が出てきたが、その手がエサウのかかとをつかんでいたので、ヤコブと名付けた。リベカが二人を産んだとき、イサクは六十歳であった。

ヤコブという名前は、①「かかとをつかむ者」という意味と、②「神に報いる者」という意味がある。
40歳で結婚したイサクが、エサウとヤコブが生まれたとき60歳になっていた。

リベカは、20年近くも不妊に苦しんでいたんだ!

ユダヤの伝承では、リベカが結婚したとき14歳で、出産したとき34歳であったと言われている。
エサウは「巧みな狩人で野の人」(創25:27)に成長し、父イサクから愛された
一方、ヤコブは「穏やかな人で天幕の周りで働く」(創25:28)のを常とし、母リベカから愛された
創世記25章29節-31節

ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。エサウはヤコブに言った。

「お願いだ、その赤いもの、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。ヤコブは言った。

「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」

エサウの別名エドムは、ヘブライ語の「赤」との語呂合わせである。

エサウは生まれたときに「赤毛」(創25:25)であったが、この形容詞も「エドム」と同語根だ。

のちにエサウの子孫はエドム人と呼ばれる。

「長子の権利」って、煮物と引き換えにするようなものなの…?
「長子権」とは、相続のとき2倍の分け前を得る権利だ。

申命記には、次のように書かれている。

申命記21章15節-17節

ある人に二人の妻があり、一方は愛され、他方は疎んじられた。愛された妻も疎んじられた妻も彼の子を産み、疎んじられた妻の子が長子であるならば、その人が息子たちに財産を継がせるとき、その長子である疎んじられた妻の子を差し置いて、愛している妻の子を長子として扱うことはできない。疎んじられた妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から二倍の分け前を与えねばならない。この子が父の力の初穂であり、長子権はこの子のものだからである。

「長子」が得るのは、金銀や家畜などの目に見える財産だけではない。

目に見えない財産も2倍の分け前を得るのだ。

列王記では、預言者エリヤに弟子のエリシャが次のように願い出る。

列王記下2章9節

渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「わたしがあなたのもとから取り去られる前に、あなたのために何をしようか。何なりと願いなさい。」エリシャは、「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と言った。

弟子エリシャは、預言者エリヤの信仰を受け継ぐ後継者、すなわち精神的な長子であろうとしたのだ。
「長子」は、正式な礼拝の場で祭司として務め、家族や人々を祝福する重要な役割を持っていたんですね。
そんな大事な「長子権」と煮物を引き換えにするなんて、ヤコブの要求はとんでもないね!?
創世記25章32節-34節

「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。

「では、今すぐ誓ってください。」

エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげくに立ち、去って行った。

こうしてエサウは長子の権利を軽んじた。

空腹に耐えかねたエサウは、目先の食べ物を得るために、ヤコブに「長子の権利」を譲ってしまった。
エサウは、自分が生まれながらに与えられていた特権の価値を理解しようとせず、「どうでもよい」と考えていた。
ヤコブは、「長子権」の価値を正しく理解していて、自分には決して与えられない特権であることも分かっていたから、姑息な知恵で兄から奪おうとしたんですね。
新約聖書では、エサウのように一時的な満足を得るために、もっと大切なものを失ってはならない、と戒めている。
ヘブライ人への手紙12章16節-17節

また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。

創世記25章で、エサウはパンとレンズ豆の煮物を食べて、そのまま立ち去った。

まだエサウは、自分が何を失ったのか気づいていないんだ…。

フランスの画家、ジェームズ・ティソが "The Mess of Pottage"(1896年-1902年)という題で、このエサウとヤコブの場面を描いている。
この絵のエサウは、聖書の記述通りに赤毛で毛深く、「野の人」らしい、たくましい狩人として描かれていますね。
このエサウの失敗談から転じて、英語では mess of pottage は「つまらないもの、無価値なもの、一時的な利益」の意味で使われる。

長子の権利を売り渡すほどおいしいレンズ豆のスープって、どんな味だったんだろう…。

ちょっと食べてみたいね!

引用

新共同訳『旧約聖書』『新約聖書』


参考

『創世記2 ヘブライ語聖書対訳シリーズ』ミルトス・ヘブライ文化研究所編、2013年

一色義子『エバからマリアまで 聖書の歴史を担った女性たち』キリスト新聞社、2010年

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