「生まれて八日目の割礼」は児童虐待なの?

文字数 2,983文字

割礼を受けたとき、アブラハムは99歳イシュマエルは13歳だった。

創世記17章9節-12節

神はまた、アブラハムに言われた。

「だからあなたも、わたしの契約を守りなさい、あなたも後に続く子孫も。あなたたち、およびあなたの後につづく子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちとの間の契約のしるしとなる。いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない。」

割礼、食べ物、安息日などの戒律が非常に重要視されるようになったのは、バビロン捕囚時代からだと考えられている。

バビロンで暮らす捕囚の民たちは、神殿で祭儀を献げることができない。
だから自分たちのアイデンティティを守るために、民族の純血性や戒律の遵守が新たに強調されるようになったんですね。
マカバイ戦争を引き起こしたアンティオコス4世エピファネスは、ユダヤ人に対するヘレニズム化政策を行った。
エルサレムにギリシャ風の闘技場を建て、ギリシャの神々の祭壇を崇めるようユダヤ人に強要した。
ヘレニズムに傾倒するユダヤ人の中には、割礼を受けた事実を消すために再縫合手術をする者もいた。
ヘレニズム化を受け入れない信仰篤いユダヤ人たちは拷問され、虐殺された。
旧約聖書外典の『マカバイ記』にはユダヤ人たちの抵抗の歴史が記されていますね。
『新約聖書』では、幼子イエスが生まれて八日目に割礼を受けた(ルカ2:21)と記されている。
異邦人の間にキリスト教が広がった時代、大事なのは信仰であり、戒律の遵守ではないと考えられるようになった。

コロサイの信徒への手紙 3章11節

そこには、もはや、ギリシア人とユダヤ人、割礼を受けた者と受けていない者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。
パウロ自身は生まれて八日目に割礼を受けた(フィリピ3:5)けど、イエス・キリストの御言葉を伝道するとき、割礼を受けたユダヤ人と無割礼の異邦人を差別しなかった
ガラテヤの信徒への手紙』でも、パウロは「信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子」(ガラテヤ3:7)と書いてるね。

初期キリスト教会の教父たちは、パウロに倣って、キリスト教徒はアブラハムの精神的な意味の子孫であると考えたのだ。

現代でもユダヤ教とイスラム教では男児に対する割礼を伝統的な儀礼として行っている
男児が割礼を受ける年齢

 ユダヤ教徒:生まれて8日目

 イスラム教徒(中東在住):2歳から12歳の間

 イスラム教徒(欧米在住):誕生直後

2012年にドイツで伝統的な割礼をめぐって裁判となり、割礼は子供の身体を傷つける「傷害」に当たるという司法判断が出されたのだ。

2010年、ケルンでイスラム教徒の親の同意で4歳の男児の割礼を医師が施した。

割礼を施した医師が起訴され、2011年にケルン裁判所は無罪判決を出した。身体を傷つけるものの、子供の福祉に寄与し、親の同意もあるとして割礼の実施を認めた。

2012年、ケルン高等裁判所は検察の控訴を棄却したが、割礼は「傷害」に当たり、たとえ親の同意があっても正当化されないという司法判断を出した。

ケルン高等裁判所の司法判断はユダヤ教徒とイスラム教徒から猛反発されたわけですね。
ユダヤ教徒やイスラム教徒は、神と結んだ「契約のしるし」と信じて割礼を受ける。

ユダヤ教徒やイスラム教徒にとって、割礼の非合法化は宗教の自由の侵害だ。

自分たちの伝統を否定されたと感じるよね

この事件はイスラエルのラビ長がベルリンを訪問し、ドイツ政府代表者と会談したことで、政治的解決が図られた。
2012年12月にドイツ民法1631条d「男児の割礼」が議会で可決された。

この法律は宗教上の割礼を認めるだけでなく、医師でなくとも伝統的に割礼を執り行ってきた専門家が、生後6か月までの割礼を実施できることにした。

割礼の違法性が消えたことで、ドイツ国内に暮らす多くのユダヤ教徒とイスラム教徒が伝統的な割礼を続けることができるようになった。

男児に対する割礼が合法化されたが、割礼を禁止すべきと考える立場が消えたわけではない。

アフリカやアジアの一部で行われている、女性性器切除(FGM)は人権侵害として厳しく批判されていますよね。

そう、ドイツでは女児に対する割礼は刑法223条「傷害」に当たるとして処罰の対象だった。

もともと懲役10年だったが、2013年に懲役15年に改正された。

女児の割礼は非合法で懲役15年なのに、男児の割礼は合法なんて、男女差別が極端すぎでは?
男児の割礼容認は、親の宗教の自由に基づいている。

だが、子供は同意能力のない新生児のうちに割礼を受けさせられるのだ。

たしかに、大人が自らの意志で行う宗教実践と同じに考えちゃだめですよね。
そう、子供の理解と同意を得ないままに親の宗教を押しつける行いなのだ。
男児の割礼だけでなく、カトリックの幼児洗礼も親の宗教の押しつけですよね。
幼児洗礼は身体に一生消せない傷をつけるわけではないから、後から本人が宗教選択する自由の妨げにはならないよ。

現代社会においても、親の宗教を子供が受け継ぐのは当然とされがちだ。

だが、親と子は別の人格である以上、子供の宗教選択の自由を奪ってはならない

じゃあ、やっぱり男児の割礼は禁止すべきなんですか?
欧米諸国で男児の割礼を禁止すれば、ユダヤ教徒とイスラム教徒の反発と社会的緊張を呼ぶよ。
中絶禁止法の下で「闇の中絶」が後を絶たないように、「闇の割礼」が増えるかも。
哲学者のハノック・ベン=ヤミは、原則としては割礼を禁止すべきだとしながらも、現実的には条件付きで容認すべきだと主張している。

ベン=ヤミの考えでは、割礼は親の権利ではないが、「共同体の権利」に位置づけられる。

その子供が選択の余地なく属する共同体が、何らかの風習をその子に執り行うことは「子供の福祉」に適っていると言える。

部外者から見れば、有害で子供の自由を損なう風習だとしても、共同体の一員となるために不可欠であるならば、その風習は認めるべきだ。

割礼を不可欠と信じる共同体の中でその子供は育ち、その共同体の一員になるのならば、割礼はその子の不利益にならない


イスラエルやイラン、サウジアラビアに生まれた子であれば、共同体の宗教をそのまま受け継ぐだろうから、割礼はその子の利益になるはず。
実は、イスラエルで生まれた男児の1~2%は割礼を受けていないと言われている。

共同体の構成員すべてが割礼に賛成しているわけではないのだ。

割礼に反対する親にとっては、割礼は「共同体の権利」ではなく「同調圧力」なのかも…。
部外者からの批判は逆効果だけど、共同体内部から議論が活発になれば、宗教的に不可欠だと信じられてきた儀式も見直されるときが来るかもしれない。

引用

新共同訳『旧約聖書』『新約聖書』


参考

柴嵜雅子「開かれた未来に対する子どもの権利と宗教」国際研究論叢、大阪国際大学、2014年

ジョン・ドレイン『総説・図説 旧約聖書大全』講談社、2003年

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