創世記19章 ソドムの滅亡/ソドムの罪は同性愛なの?

文字数 3,554文字

御使いたちがソドムの町へやって来たとき、ロトは門の前に座っていた。
当時、門の前では人々の集まりや裁判が行われていたのだ。
ロトは立ち上がって、御使いたちを出迎え、客人として招いた
創世記19章2節-3節

「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊りください。そして明日の朝早く起きて出立なさってください。」彼らは言った。「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。」しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。

アブラハムを見習って、ロトも外国人には親切だね。
アブラハムの招きを受けたとき、客人たちは「はい」と答えていた。

ロトには「いや、結構です」と招きを辞退している。

「酵母を入れないパン」は急いで作る即席のパンだ。

アブラハムの場合と違って、ロトは家族の協力がなく、一人でもてなしている

創世記19章4節-5節

彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。

「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い、なぶりものにしてやるから。」

ロトは客人たちの代わりに「自分の娘たちを差し出すから、好きにしてください」(創19:8)と言った。
戸口の前にたむろしている男たちは、「よそ者のくせに、指図などして」(創19:9)とロトを罵り、先にロトを暴行しようとした。
客人たちはそのとき、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、男たちに目つぶしを食らわせ、戸口を見つけられないようにした。

創世記19章12節

二人の客はロトに言った。

「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」

ロトは娘たちの許嫁者たちのところへ行き、「さあ、早くここから逃げるのだ」(創19:14)と告げたが、許嫁者たちはロトの話を信じなかった。
夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたて、妻と二人の娘を連れて町から逃げるように言った。
創世記19章16節-17節

ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。彼らがロトを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。

「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」

アブラハムの執り成しによって、ソドムの町に10人の「正しい者」がいれば、その者たちのために、町全部を赦すことを神は約束した。

しかし、ソドムの町にいた正しい善良な人々は、ロトとその妻と娘たちだけだった。

ソドムの罪の重さが、神に届いた「叫び」のとおりであると、御使いたちは自分の目で確かめたわけですね。
神はソドムに残された4人の「正しい者」たちを見捨てなかった

御使いたちに手をとらせて、ロトとその家族をソドムの町の外へと脱出させた

神は「悪い者」たちに公正な裁きを下すと同時に、残された少数の「正しい者」たちを救い出したんですね。
ロトはこのとき、とても山までは逃げ延びることができないため、ふもとの小さな町(ツォアル)まで逃げさせてください、と願った。
神はロトの願いを聞き届け、「あなたの言うその町は滅ぼさないことにしよう」(創19:21)と約束した。
創世記19章23節-26節

太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。

アブラハムは、その朝早く起きて、主なる神と対話した場所へ行くと、ソドムとゴモラ、および低地一帯から煙が立ち上がっているのを見た。
キリスト教会では、伝統的に「ソドムは同性愛の罪ゆえに滅ぼされた」と解釈されてきた歴史がある。
「ソドム」は男性同性愛、「ゴモラ」は女性同性愛の代名詞として用いられてきました。

英語で「ソドミー」(sodomy)は「男性同性愛」を意味します。

プルーストの『失われた時を求めて』の第4篇「ソドムとゴモラ」では、19世紀末から20世紀初頭における男性同性愛者たちの葛藤が描かれています。
でも、ここまで注意深く読んできた『創世記』18章と19章では、「ソドムは同性愛の罪ゆえに滅ぼされた」とは書いていないですね。
そう、18章と19章を読めば明らかに、ソドムの罪は「異人歓待の掟」を破ったことなのだ。
旅人に扮した御使いたちを、アブラハムとロトは客人として厚くもてなしたけど、ソドムの住民たちは襲って殺そうとした。
来訪者を歓待する者は幸運を得て、来訪者を冷遇する者は不幸を招くというパターンにあてはまりますね。

創世記13章13節

ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。

13章でも、ソドムの住民が犯した「多くの罪」の例として、同性愛が挙げられているわけではないですね。

『創世記』で「ソドムの滅亡」について書かれているのは、13章と18章と19章だけだ。

はっきり言って、『創世記』から「ソドムの罪は同性愛」と読み取るのは無理がある

したがって、『創世記』を読んで、「ソドムは同性愛の罪ゆえに滅ぼされた」と読み解くのは、意図的な誤読である。

『新約聖書』では、イエス・キリストが弟子たちを福音宣教の旅に送り出すとき、「あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようとしない者」の例として、ソドムとゴモラの名を挙げています。

マタイによる福音書10章14節-15節

あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落しなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰ですむ。

「異人歓待の掟」を守らない者や福音に耳を傾けない者は、ソドムとゴモラよりも重い裁きを受ける、とイエスは告げていますね。
イエス・キリストが語ったように、実際にソドムやゴモラの人々は、アブラハムが信じる神とは異なる神々を拝んでいました。

そのため、ソドムの滅亡と偶像崇拝を結びつける考え方は、『旧約聖書』の中で広く見られる。

『申命記』では、他の神々のもとに行って仕える者は、ソドムやゴモラと同じ裁きを受ける(申29:24)と記されています。

『イザヤ書』では、ソドムやゴモラとバビロンを結びつけて、バビロンの滅亡を予告しています。

このとおり、古代においてソドムの滅亡と同性愛を結びつける考え方は一般的ではなかった。

じゃあ、なぜ「ソドム」の名が同性愛の代名詞になったのですか?
それは、4世紀から5世紀のアウグスティヌスの影響が大きいと言われている。

アウグスティヌスは『神の国』の中で、ソドムの邪悪さの例として、男性同性愛だけを挙げているのだ。

紀元1世紀後半に書かれた『ユダの手紙』では、ソドムとゴモラは「みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めた」(7節)と記されています。

アウグスティヌスの考え方に基づいて、ユダ7節は全ての性的不道徳ではなく、特に男性同性愛と結びつけて解釈されるようになった。

そもそも、『旧約聖書』と『新約聖書』で性的不道徳が問題とされていたのは、偶像崇拝と結びついていたからだ。

カナンの神話では男神と女神の性的交わりが重要であり、毎年の新年祭において神殿娼婦たちが性的な祭儀を務めていた。

ソドムの滅亡は「異人歓待の掟」を破ったことへの裁きだった。

捕囚時代になると、「ソドムは偶像崇拝ゆえに滅ぼされた」という考え方になる。

さらに5世紀から現代まで「ソドムは同性愛ゆえに滅ぼされた」と誤読されてしまった。

意図的な誤読による同性愛嫌悪の聖書解釈が、長い歴史の中で世界中に広がっているから、現代でも誤読が再生産されていると思う。
自分たちの差別感情とどう向き合うかによって、「ソドムの滅亡」をめぐる解釈も変わるのだろう。

引用

新共同訳『旧約聖書』『新約聖書』


参考

『創世記1 ヘブライ語聖書対訳シリーズ』ミルトス・ヘブライ文化研究所編、2007年

辻 学「「ソドムの罪」は同性愛か : 「他の肉を追い求める」(ユダ7節)をめぐって」関西学院大学キリスト教学研究、1999年

堀江有里「キリスト教における「家族主義」:クィア神学からの批判的考察」宗教研究、2019年

ジョン・ドレイン『総説・図説 旧約聖書大全』講談社、2003年

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