創世記21章 イサクの誕生/ハガルとイシュマエルの追放

文字数 3,214文字

主なる神は、創世記17章で約束されたとおりサラを顧みたので、サラは身ごもり、男の子を産んだ
男の子が生まれたのは、神が約束していた時期だった。
創世記21章3節-6節

アブラハムは、サラが産んだ自分の子をイサクと名付け、神が命じられたとおり、八日目に、息子イサクに割礼を施した。息子イサクが生まれたとき、アブラハムは百歳であった。サラは言った。

「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑いを共にしてくれるでしょう。」

創世記17章で神から与えられた「イサク」という名前は、「笑う」という意味だ。
「神はわたしに笑いをお与えになった」というサラの言葉は、「神はわたしに息子イサクをお与えになった」という意味の語呂合わせなんですね。
創世記18章で御使いから息子の誕生を予告されたサラは、「まさかこんなに年をとってから、赤ちゃんを産めるだろうか」と笑ってしまった。
そう、イサクという名前は、17章と18章では「まさか、ありえない」という笑いであったが、21章では喜びの笑いに変わるのだ。
「神はわたしに笑いをお与えになった」という言葉には、不妊に悩み苦しんだサラの感謝と喜びが込められているんですね。
最初はとんでもない名前だと思ったけど、喜びの笑いが常に共にあると考えれば、とっても良い名前だね!
アブラハムは、イサクの乳離れの日に盛大な祝宴を開いた。
ユダヤの掟では、生後24か月で乳離れさせる。
ハガルが産んだ長男イシュマエルが、「イサクをからかっている」(創21:9)のを見て、サラはアブラハムに訴えた。
創世記21章10節-11節

「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」

このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。

「イサクをからかっている(創21:9)という表現は、ヘブライ語では単なる遊びではなく、「偶像崇拝」や「姦淫」、「殺害」の意味も含むのだ。
『旧約聖書』では同じ言葉が、「民は座って飲み食いし、立っては戯れた(出エジプト32:6)や「わたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです」(創39:17)という表現で用いられている。
イシュマエルは当時17歳で、イサクは乳離れしたばかりです。
サラは、イシュマエルの性的な成熟を見てとり、イシュマエルの「長子の権利」を奪うには、追放するしかないと思ったのかも。
サラが、イシュマエルのことを「あなたの子」と言わず、「彼女の子」(創21:10)と言っているのに注意しよう。

サラは、イシュマエルを「アブラハムの子」とは認めたくないから、「ハガルの子」と言っているんですね。
跡継ぎとなるべきではありません」(創21:10)という表現では、ヘブライ語で「(単独で)継承する」という言葉が用いられている。
サラは、「わたしの子、イサクと共に」(創21:10)と強調しながら、「(他の人と共に分かち合って)相続する」という意味の言葉を使わないのだ。
サラは、アブラハムの財産を兄弟で分割相続するのではなく、イサクだけが単独相続することを望んでいたわけですね。
創世記21章12節-13節

神はアブラハムに言われた。

「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」

神の助言に従って、アブラハムは次の朝早く起き、パンと水の革袋をもたせてハガルとイシュマエルを家から追い出した
革袋の水が尽きたとき、ハガルはイシュマエルを灌木の下に寝かせ、「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」(創21:15)と言って、少し離れたところに座り込んだ。
創世記21章16節-18節

彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。

「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」

創世紀21章17節では、「神はその若者の声を聞いた」という表現が2回繰り返されている
イシュマエルという名前は「神が聞く」という意味です。

つまり17節では、イシュマエルの名前が2回繰り返されているわけですね。

16章で、アブラハムの子を身ごもったハガルが、サラからのいじめに耐えかねて逃げ出したとき、神はお腹の子に「イシュマエル」という名前を与えた
主なる神はたしかにイシュマエルの声を聞いて、泣いていた二人を助けた!
創世記21章19節-21節

神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。

イシュマエルは成長して荒れ野に住む人となり、母の生まれ故郷であるエジプトから妻を迎えた。
こうして、イシュマエルの子孫はアラブ人となった。
『コーラン』ではアブラハムはイブラーヒーム、イシュマエルはイスマーイール、イサクはイスハークとして登場する。
主よ、私は子孫の一部を耕地もない窪地、汝の聖なるお住居の傍に住ませることにいたしました。主よ、願わくば彼らが礼拝の務めを正しく守り、人々に好感を抱かれるような人間になりますよう。なにとぞ、十分な実りをもって彼らを養い給え。そうすればきっと彼らも感謝の心を抱くようになりましょう。

主よ、まことに汝は、私どもがそっと隠していることでも、外にさらけ出すことでも、全部(同じように)御存知でいらせられます。そう、地にあることでも天にあることでも、何一つアッラーの御目を逃れることはできませぬ。ああ有難いことでござります。アッラーはこんな老人の私にイスマーイールとイスハークをお授け下さいました。まことに、主は祈りをよく聴きとどけて下さるお方でいらせられまする。

(『コーラン』メッカ啓示14章「イブラーヒーム」40節-41節)

イスラム教の伝承では、アブラハムがイシュマエルを連れて砂漠を旅し、アラビア半島にたどり着いたとされる。
『コーラン』では、イシュマエルの子孫が現在のメッカのある場所に定住したと書いてありますね。
そう、メッカの神殿はアブラハムがイシュマエルとともに建てたものとされている。

建築中にアブラハムが立っていた場所は「イブラーヒーム御立処」と呼ばれ、今日までアブラハムの足跡を残しているのだ。

アラブの人々は、自分たちの先祖であるイシュマエルを、アブラハムの信仰を継承した正統な跡継ぎとみなしていたんですね。
ミレーやギュスターブ・ドレ、ヤン・フィクトルスなど、ハガルとイシュマエルの追放を描いた名画は数多くある。
これはイタリアの画家、グエルチーノ『ハガルを追放するアブラハム』(1657年)だ。
ターバンを巻いたアブラハムが、ハガルとイシュマエルの追放を告げていて、背を向けたサラが様子をうかがっている。
三人の複雑な関係が見事に描かれているね。

右方向へ指差す動きだけで、二人の追放を分かりやすく示しているのだ。

アブラハムの苦悩を、わずかに寄せた眉間のしわで表現している。

ハガルはアブラハムを見ているのか、背を向けたサラを見つめているようでもある…。

でも、画家はイシュマエルを17歳ではなく、もっと幼く描いているね。

引用

新共同訳『旧約聖書』

『コーラン 中』井筒俊彦訳、岩波文庫、2014年


参考

『創世記1 ヘブライ語聖書対訳シリーズ』ミルトス・ヘブライ文化研究所編、2007年

『コーラン 上』井筒俊彦訳、岩波文庫、2014年

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