「創世記」の元ネタは古代バビロニアの創造物語なの?

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紀元前7世紀のアッシリアのアッシュルバニパル王が建てた図書館が、19世紀に考古学者たちによって発見された。

『旧約聖書』の世界を知る大きな手がかりになりますね!
アッシュルバニパルの図書館の発見によって、旧約聖書が書かれるはるか以前から、古代バビロニアには天地創造や大洪水の物語があったことが明らかになった。
じゃあ、『創世記』は古代バビロニアの物語が元ネタなんですか?
そう、アッシュルバニパルの図書館が発見された当時、学者たちは『旧約聖書』はここから取られたと考えた。

そして、『旧約聖書』の価値はほとんどないと結論づけてしまった。

え、イエス・キリストご自身が生きておられたころにも、パウロたちが「手紙」を書いている時にも、まだ『福音書』は存在していないですよね。

『新約聖書』の中で「聖書」と言われているのは、『旧約聖書』のことですよね。

『旧約聖書』を無視して、「キリスト教は新約だけでOK!」と言ってしまったら、イエスや弟子たちや新約の時代の人々が読んでいた「聖書」を無視することになると思う。
歴史上では、早くも2世紀の半ばにマルキオンというキリスト教徒が、『旧約聖書』を捨ててしまおうと考えたのだ。

マルキオンは、『新約聖書』の福音書さえ、ルカだけを残して、あとはマタイもマルコもヨハネも捨ててしまうべきだと主張した。

現代の読者が『旧約聖書』を読めば、マルキオンと同じように思うかも。

古代のイスラエルの民に起きた出来事が、自分たちの信仰や日々の生活にどう関係するのか分からないから…。

近世の宗教改革において、ルターやカルヴァンは歴史的・社会的な背景の中で『旧約聖書』を理解する必要があると言った。

ルターとカルヴァンの考え方は、現代のキリスト教徒からも支持されている。

『旧約聖書』を古代の書物の集合体として、それが書かれた時代の文脈にそって読むべきだと考えたんですね。
今では、古代バビロニアの物語と『旧約聖書』の『創世記』との直接のつながりを認める学者はいない。

カナン人の都市ウガリットから宗教について書かれた古文書が発見されたからだ。

バアル神とそのほかの神々について記された古文書が解読され、カナンの宗教とバビロニアの宗教は全く違っていたことが分かったのだ。
それで現在では、『旧約聖書』の信仰は、カナンの人々の信仰を背景に発展したものだと分かり始めてきたんですね。
古代アッカド人の創造物語『エヌマ・エリシュ』は、マルドゥク神をたたえる賛歌で、バビロンの神殿で新年祭が祝われる時に読み上げられた。

『エヌマ・エリシュ』では、アプスー(深淵の淡水)とティアマト(海の塩水)以外には何もないところから世界は始まる。

アプスーとティアマトはほかの神々を生み出すが、若い神々によってアプスーは殺され、ティアマトは二つに引き裂かれた。マルドゥクは引き裂かれたティアマトの半身で空を造り、もう半身で大地を造った。

それから神々は、大地で神々の召使として卑しい仕事をさせるために人間を造った。

バビロニアの創造物語では、人間はあらゆるものの最後に造られた卑しい存在とされている。

『創世記』の創造物語を比べると、「人間」についての考え方が全く違う

創世記1章27節

神は御自分にかたどって人を創造された。

神にかたどって創造された。

男と女に創造された。

人は小さく弱い存在だけど、主なる神が人を「御自分にかたどって」造られたのだというメッセージは、ぼくら一人一人に人間としての尊厳があることを教えてくれる。

アッシュルバニパルの図書館から発見された『ギルガメシュ叙事詩』は、『創世記』の洪水物語とよく似ている。

ウルクのギルガメシュ王は、友であるエンキドゥの死に衝撃を受け、永遠のいのちを追い求めるようになる。不死のいのちを得たウトナピシュティムは、ギルガメシュに自分がどのように大洪水から逃れたかを語る。

嵐の神エンリルが大洪水を起こすのを決めたと、知恵の神エアから警告され、ウトナピシュティムは天然アスファルトで防水加工を施した大きなサイコロ状の舟に、家族全員とすべての財産、動物と熟練した職人を乗せた。嵐が七日間吹き荒れ、12日後に舟は山にたどり着き、鳩と燕を外に放ったが、両方とも戻ってきた。その後、大烏を放つと、今度は戻ってこなかった。水が引いたことが分かり、一行は舟から出た。神々にいけにえを献げると、神々は二度と洪水を起こさないと約束し、ウトナピシュティムとその妻に不死のいのちを与えた。

アッシュルバニパルの図書館から発見されたアッカド人の『アトラ・ハシース叙事詩』にも、同じような洪水物語が記されている。

メソポタミアは地形がすごく平たんなんですよね。

古都バビロンは、バグダードから南方約9キロに位置します。

バグダードからペルシャ湾頭まで約480キロの高低差は、わずか35メートル。

そんな緩やかな勾配をチグリス川とユーフラテス川が流れています。

春には上流域で降った雨と雪解け水で増水する。そこに記録的な大雨が中流域で降れば、川は氾濫し、何百キロもの広大な流域が洪水に襲われる

それで、何もかも呑みこんでしまう洪水物語が生まれたのかもしれませんね。

一方、「エジプトはナイルの賜物」と言われるように、エジプトには人々を深淵の大水に呑みこむ恐怖の洪水物語はない。

一年周期のナイル川の氾濫は、上流域から下流域に肥沃な土壌をもたらす「恵み」だったわけだ。

『ギルガメシュ叙事詩』や『アトラ・ハシース叙事詩』は、たしかに『創世記』の洪水物語とよく似ているけど、「神」の描き方が全く違う

洪水が起こる理由だけど、『ギルガメシュ叙事詩』には神々の気まぐれ以外に何も説明がない。

『アトラ・ハシース叙事詩』では、人間があまりに騒がしいので滅ぼそうと神々が決意した、と記されている。

創世記6章5節-6節

主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。

『創世記』では、人間の「悪」や「不法」に対する裁きとして神が洪水を起こしたと記されている。

でも、神はすべてを破壊しつくすのではなく、ノアを救った。

ノアが救われたのは「神に従う無垢な人」(創6:9)だったから。

契約のしるしに現れた虹は、主なる神が人間の悪をゆるし、神の愛と恵みが永遠に続いていくことを示している。

『創世記』が描く「神」は、バビロニアの神々と異なり、神の愛と正義に基づいて人と接する倫理の神なのだ。

引用

新共同訳『旧約聖書』『新約聖書』


参考

ジョン・ドレイン『総説・図説 旧約聖書大全』講談社、2003年

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