創世記15章 神の約束

文字数 2,239文字

ロトを救出したアブラムが、すべての捕虜と略奪された財産をソドム人の王に返したことは、主なる神の御心にかなった
創世紀15章1節

これらの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。

「恐れるな、アブラムよ。

わたしはあなたの盾である。

あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」

ヘブライ語の「幻、ビジョン」「霊的現象を見る」ことを意味する。
しかし、アブラムはわたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです」(創15:2)と答えた。
アブラムは「あなたはわたしに子孫を与えてくださいません」(創15:3)と、不満を爆発させちゃった。
思い出してみよう。アブラムには子供が一人もいない。

ハランを発つ前から、「サライは不妊の女で、子供ができなかった」(創11:30)と記されているのだ。

ハランを発つとき、主なる神は「あなたを大いなる国民に」(創12:2)するとアブラムに約束し、シケムに入ったときも「あなたの子孫にこの土地を与える」(創12:7)と約束している。
ロトと別れたときにも、アブラムに「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする」(創13:16)と約束した。

ハランを旅立ってからかなりの月日が経ち、神が三度も約束したにもかかわらず、アブラムとサライにはまったく子供が生まれなかった。

アブラムは神の約束を信じられなくなっていたから、「家を継ぐのはダマスコのエリエゼル」と言ったのか…。
ダマスコ人のエリエゼルは、ヘブライ語で「私の家の子」(創15:3)と記されている。

エリエゼルは買われた奴隷ではなく、自分の家で生まれた者で、アブラムが信頼していた奴隷だった。

創世紀15章4節-5節

見よ、主の言葉があった。

「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」

主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」

主なる神はアブラムに満天の夜空を見上げさせて「あなたの子孫はこのようになる」と四度目の約束をした。
創世紀15章6節

アブラムは主を信じた。主はそれを神の義と認められた。

満天の夜空を仰ぎ見て、アブラムは神を信頼した

アブラムは、ひとすじに神の言葉を支えとする生き方に立ち返ったんだ。
「神の義と認められた」という表現は、ヘブライ語では二通りの解釈ができる。

神がアブラムの信仰を義と認めた

アブラムが神の約束を施しと思った

②の解釈に立てば、「あなたはわたしに子孫を与えてくださいません」と神の不義を叫んでいたアブラムが神の正義を信じた、と読み解くこともできるんですね。
主なる神は「わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる」(創15:7)と約束を繰り返した。

アブラムは「この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか」(創15:8)と尋ねた。
創世記15章9節-10節

主は言われた。

「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」

アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせに置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。

ヘブライ語で「二つに切る」という言葉は、契約を結ぶときにのみ使われる。
日が入りかけた頃、アブラムは突如として深い眠りに襲われ、恐ろしい大いなる暗闇が彼の上に落ちた(創15:12)。
創世記15章13節-14節

主はアブラムに言われた。

「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。」

日が沈む前に「恐ろしい大いなる暗闇」が落ちたのは、アブラムの子孫がエジプトで虐げられる未来が約束されたからなのか…。

アブラムにまだ子供が生まれていない段階で、早くも『出エジプト記』までの伏線が張られている
創世記15章17節-18節

日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」

火と煙は神の顕現の象徴なのだ。

二つに裂いたものの間を通ることは、契約違反の際にはそれと同じになることを意味している。

もしアブラムの子孫を苦しみから救い出さなければ、神は切り裂かれたものと同じになる、と決意表明しているんですね。

ヘブライ語で「切る」という動詞は「契約を結ぶ」という熟語でよく使われる。

そもそも、なんのために家畜が献げられるのですか?

当時、犠牲を献げることは世界中で当然のこととして行われていましたね。

多くの多神教において、犠牲祭儀は「神々に食べ物を与える」方法として見なされていた。

ここでアブラムが犠牲を献げたのは、神の約束の正しさを確かめるためである。
主なる神は、アブラムとの契約が確かであることを目に見える手段で保証したわけですね。
現代の読者は犠牲祭儀を残酷に感じるだろう。

しかし、古代の人々にとっては人間と目に見えない神とを結ぶ重要な祭儀だったのだ。

引用

新共同訳『旧約聖書』


参考

『創世記1 ヘブライ語聖書対訳シリーズ』ミルトス・ヘブライ文化研究所編、2007年

ジョン・ドレイン『総説・図説 旧約聖書大全』講談社、2003年

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