創世記18章 ソドムのための執り成し

文字数 2,255文字

アブラハムのもてなしを受けたあと、客人たちはソドムを見下ろすところまで来た。
客人たちを見送るために、アブラハムも一緒に行った。
そこで主なる神は「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか」(創18:17)と打ち明けた。
創世記18章20節-21節

主は言われた。

「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

神に届いた「叫び」は、ヘブライ語では「虐げによる叫び」を意味する。
ソドムとゴモラで虐げられている人々の「叫び」が神に届いたから、主なる神は真実を確かめるために、御使いを遣わされたわけですね。
客人たちはソドムの方へ向かったが、アブラハムは主の御前にいた。
創世記18章23節-24節

アブラハムは進み出て言った。

「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。」

アブラハムは主なる神に対して、邪悪な者とともに正しい善良な人々までも滅ぼしたりしないように願った。
アブラハムはソドムに暮らす甥のロトとその家族を思い浮かべていたのでは…。
創世記18章26節

主は言われた。

「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」

アブラハムは「もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか」(創18:28)と問いかけた。
神は「もし、四十五人いれば滅ぼさない」(創18:28)と答えた。
アブラハムは「もしかすると、四十人しかいないかもしれません」(創18:29)と重ねて言った。
神は「その四十人のためにわたしはそれをしない」(創18:29)と答えた。
ここからアブラハムは神に何度も問いかけ、ソドムの町を滅ぼすための基準となる「正しい者」の人数を50人から45人、40人、30人、20人と減らしていく。
アブラハム、食い下がるね…。

しつこすぎて神が怒り出さないか、ひやひやするよ。

主なる神の憐れみ深さを心から信頼していたから、アブラハムはこれほど大胆にお願いできたんだろうね。
創世記18章32節

アブラハムは言った。

「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」

主は言われた。

「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」

最終的に、正しい者がたとえ10人しかいなかったとしても、ソドムを滅ぼさない、と神は約束した。
アブラハムはロトのためだけに、神に祈ったのではない。

ソドムの町に住むすべての人々を救うために、執り成しの祈りをしたのだ。

執り成しの祈りとは、自分のためではなく、他人の罪の赦しのための祈りなんですね。

ソドムに住まう人々のほとんどは、異教の神々を信じていた。

じゃあ、アブラハムは大勢の異教徒たちを救うために、主なる神に執り成したわけですね。
執り成し手は、まだ神を信じていない人々や神を忘れてしまった人々のために、神と人々との間に立っているんですね。
そう、『出エジプト記』のモーセの執り成しの祈りが非常に有名だ。
シナイ山で神から十戒を受け取って、モーセが下山すると、エジプトから救い出されたイスラエルの人々は金の子牛を拝んでいた。

モーセは執り成しの祈りを献げて、神の怒りをなだめた。

『新約聖書』では、イエス・キリストが執り成し手として、主なる神とすべての人々との間に立っていることを伝えていますね。
ヘブライ人への手紙7章25節

この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。

アブラハムと語り終えた神は去って、アブラハムは自分の住まいに戻った。
もしソドムの町にいる正しい善良な人々が10人未満だったら、ソドムは滅ぼされてしまう…。
たった1人でも正しい者がいれば、その1人のためにソドムを滅ぼさないでください、とアブラハムは願うべきだったのでは?
いや、ソドムの町に1000人の住民がいたとして、1人の「正しい者」のために、999人の「悪い者」の罪を赦すことは、はたして「正義」なのだろうか?

ここで言う「悪い者」とは、通りがかりの旅人を襲って財産を奪う殺人者だとする。

先を読むと、ソドムの住民たちは旅人に扮した御使いたちを襲って殺そうとしていますね!
これまでも多くの罪のない旅人たちが、御使いと同じ目に遭い、殺されていたはずだ。
ソドムの住民たちに虐げられた人々の「叫び」が、神に届くほど大きいことを忘れてはいけないのだ。
虐げられた人々は公正な裁きを求めて、神に訴えていたわけですね。
現実社会で正義が果たされないからこそ、虐げられた人々は「神の正義」を求めるのだ。
神の裁きの前では、主人も奴隷も金持ちも貧乏人も出身地も関係ないからか。
「神の正義」には裁きを通じた救いがあるのですね。
もしソドムの町に9人の「正しい者」たちがいたら、その者たちはどうなのですか?
たとえ10人に満たないとしても、神は「正しい者」たちを見捨てることはない
「正しい者」たちがどうなるのかは、次のロトとその家族の物語で明かされる。

引用

新共同訳『旧約聖書』『新約聖書』


参考

『創世記1 ヘブライ語聖書対訳シリーズ』ミルトス・ヘブライ文化研究所編、2007年

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