創世記20章 アブラハム、ゲラルへ行く

文字数 4,521文字

アブラハムがヘブロンにあるマムレの樫の木のところに住んでいる間、たくさんの出来事があったね。
ソドムとゴモラの町が戦争に敗れて、捕虜になったロトを救出した出来事が、遠い昔のように感じるよ。

女奴隷ハガルとの間に長男イシュマエルが生まれたり。
主なる神からアブラハムとサラという名前を与えられて、契約のしるしに割礼を受けたり。
イシュマエルは13歳で割礼を受けたと書いてあるから、アブラハムはヘブロンに14年以上住んでいたわけだね。

アブラハムは旅人に扮した御使いをもてなしたけど、御使いを襲ったソドムの町の人々は滅ぼされた。

アブラハムの執り成しの祈りで、ロトと妻と二人の娘がソドムから助け出された。

でも、最後まで生き残ったのはロトと娘だけだった。

生き延びたロトは、どうしてアブラハムおじさんを頼らなかったんだろうね…?
アブラハムから独立するとき、ロトは自分の判断で緑ゆたかなソドムの町を選んだ

今さらおじさんを頼ることができなかったのかもしれない…。

アブラハムと別れて、自分のためにソドムの町を選らんだことが、ロトのターニングポイントだったのか…。

ソドムが滅ぼされた後、アブラハムはヘブロンからネゲブ地方へ移り、カデシュとシュルの間に住んだ。

創世記20章1節-3節

ゲラルに滞在していたとき、アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた。その夜、夢の中でアビメレクに神が現われて言われた。

「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は夫のある身だ。」

アブラハムが自分の妻を「妹」だと偽って、神がサラを助け出すモチーフは、創世記12章とまったく同じ!
創世記12章ではエジプトのファラオが相手で、創世記20章ではゲラル、相手の王はアビメレクとなっている。
ゲラルヘブロンの南西に位置する、ペリシテ人の地である。
創世記20章4節-7節

アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかったので、「主よ、あなたは正しい者でも殺されるのですか。彼女が妹だと言ったのは彼ではありませんか。また彼女自身も、「あの人はわたしの兄です」と言いました。わたしは、全くやましい考えも不正な手段でもなくこの事をしたのです」と言った。神は夢の中でアビメレクに言われた。

「わたしも、あなたが全くやましい考えでなしにこの事をしたことは知っている。だからわたしも、あなたがわたしに対して罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかったのだ。直ちに、あの人の妻を返しなさい。」

次の朝早く、アビメレクは夢に現れた神の言葉を語り聞かせたため、家来たちは非常に恐れた
アビメレクは夢に現れた神の言葉を信じたのだ。
アビメレクはアブラハムを呼んで、「どういうつもりでこんなことをしたのか」(創20:10)と問いただした。
創世記20章11節-13節

アブラハムは答えた。

「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。事実、彼女は、わたしの妹でもあるのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではないのです。それで、わたしの妻となったのです。かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄ですと言ってくれないか』と頼んだのです。」

アビメレクは羊、牛、男女の奴隷などをアブラハムに与え、妻サラを返して、「この辺りはすべてわたしの領土です。好きな所にお住まいください」(創20:15)と言った。
その上、アビメレクはアブラハムに銀一千シュケルを贈って、サラに「あなたの名誉は取り戻されるでしょう」(創20:16)と言った。
アブラハムが受け取った「銀千枚」は当時の大金である。

創世記37章でヤコブの子ヨセフが売られた時は、「銀二十枚」(創37:28)だった。

エジプトとゲラルでよく似たお話だけど、贈りものを受け取るタイミングが違うね。
エジプトではサライを宮廷に差し出した代価として家畜や奴隷を受け取っている。

一方、ゲラルではサラを返してもらう時に、和解の贈りものとして受けとっている。

「この土地には、神を畏れることが全くない」と言われた人々を治めるアビメレクに対して、夢に現れることで、神は試したのだ。

サラを返したのは、アビメレクが神の言葉を信じ、神を畏れたからである。

もしアビメレクが神の言葉を信じなかったら、神の言葉通りに、アビメレク自身も家来たちも皆、死んでいたかもしれないですね。
創世記20章17節-18節

アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。

創世記17章でサラがアブラハムの息子、イサクを生むと予告されていて、次の21章でイサクが誕生する。

サラが宮廷に召し入れられたせいで、イサクの血統に万が一にも疑念が生じないように、神は宮廷のすべての女性たちを一時的に不妊にさせたのではないか。

アブラハムは一度ならず二度までも同じことを繰り返している。
創世記26章では、アブラハムの息子イサクも自分の妻リベカを「妹」だと偽るのだ。
『創世記』では、妻を「妹」だと偽る物語が三回も出てくる(12章、20章、26章)のは、どうしてですか?
三つの物語とも、ヘブライ語で「寄留する」という言葉が用いられている。

牧草を求めて移動する半遊牧民たちは、文化や宗教の全く異なる土地に入って、羊を飼う許可を得なければいけなかった。

ヘブロンでは、アブラハムはマムレと「同盟」を結び、「良き隣人」として住んでいました。

一方、エジプトやゲラルでは「寄留者」というきわめて弱い立場で滞在しています。

アブラハムはこの土地には、神を畏れることが全くない」(創20:11)と言っている。

これは、外国人に対する「歓待の掟」が守られない、自分たちの人権が尊重されない社会であることを意味しているのだ。

ソドムの町を訪れた御使いたちが、どんな目に遭ったか思い出してみよう。
ゲラルの男たちから集団で襲われ、殺されて財産を奪われるかもしれない、とアブラハムは恐れていたんですね!
ソドムの町と同じように、外国人を襲って殺すことを「罪」と思わない人々が住んでいる土地だと考えれば、アブラハムたちがどんなに危険だったか分かります。
寄留者として命の危機に直面した状況で、先祖たちがいかに生き抜いたかという体験を、妻を「妹」と偽る物語として語り伝えているのだ。
妻を「妹」と偽る物語では、他の民族との関係が重要なテーマとして描かれていますね。

何世代もの間、この物語が子や孫へ語り継がれてきたのは、定住化した後のイスラエルの民にとっても、他の民族との関係は切実な問題だったからだろう。

捕囚時代を生き延びた人々は、姑息とも思える弱者の知恵で権力者を出し抜いた先祖たちの物語に共感したにちがいない。
「寄留者」として暮らしたアブラハムと同じように、捕囚時代の人々は他の民族に殺されるかもしれない不安と恐怖の中で生きることを余儀なくされていたわけですね。
捕囚時代を生き抜いて、『旧約聖書』を編纂した人々は、この物語を「神の試練」として読み解いたはずだ。
創世記12章で、主なる神はアブラムの子孫にカナンの土地を与えることを約束したが、その約束が実現される前に、飢饉という試練にあわせた。

飢饉にあって、アブラムは自分の判断でゆたかなエジプトへ移ってしまった。

しかも、自分の命を守るため、主なる神が約束された「子孫」を産んでくれる、大切な妻サライを権力者に差し出した。

アブラムは神を信じず、「土地」と「子孫」という二重の祝福を失ってしまったわけですね。

しかし、神はアブラムを見捨てず、サライを救い出してくれた。

捕囚時代の人々は、自分たちとアブラムを重ねて、神から離れてしまったがゆえに自国が滅ぼされたのだと考えたことだろう。

それと同時に、異国で捕虜となった自分たちとサライを重ねて、いつか必ず神が救い出してくれると信じていたのかもしれない。

妻を「妹」だと偽る物語は、アブラハムの失敗から学ぶ物語でもあったわけですね。
アブラハムはサラと異母兄妹だと弁明していましたが、これは本当なんですか、うそなんですか?
言うまでもなく、アブラハムとサラが異母兄妹であることを史実として裏付ける証拠は存在しない
じゃあ、アブラハムがうそをついて、アビメレクをだましたということになりますね。
「信仰の祖」であるアブラハムがうそをついたとは受け入れがたい読者もいるだろう。

しかし、異母兄妹が本当だとすれば、アブラハムとサラが近親婚のタブーを犯していることになる。

創世記19章で、ロトと娘たちとの間に生まれた息子はモアブ人とアンモン人の祖と記され、近親婚が非常にネガティブに描かれています。
古代エジプトなどでは、同母か異母かを問わず、兄弟姉妹婚が実際に行われていたが、『創世記』において近親婚はタブーとして描かれている。

アブラハムとサラの息子イサクは、神から祝福されたイスラエル民族の祖です。

約束の子であるイサクが、近親婚によって生まれながらに「罪」を背負っていると考えるのは、無理がありますね。

ヌジ文書に見られるような、結婚と同時に兄妹としての縁組を結んでいたとすれば、アブラハムの言葉がうそではなく、それでいて近親婚のタブーにも触れないだろう。

考古学の成果を用いた読み解きとは、まったく別のアプローチもある。

「私の父の娘」(創20:12)という表現は、ヘブライ語では「子、娘」だけでなく「孫」を意味することもある。

「孫」だとすれば、サラはアブラハムの姪に当たるのだ。

おじと姪、おばと甥の結婚は、明治以前の日本では認められていましたね。

現在の民法では禁止されています。

サラがアブラハムの姪だとすれば、サラの父は誰なんですか?
創世記11章を読み返してみよう!

テラには三人の息子、アブラハムナホルハランがいた。

ハランには息子のロト、娘のミルカとイスカがいた、と記されています。
あ、ナホルの妻はミルカと書いてある!

これは明らかに、伯父と姪の結婚です。

『創世記』ではおじと姪の結婚は近親婚扱いではなく、認められているんですね。

ユダヤの伝承では、ハランのもう一人の娘イスカとサラは同一人物だと言われている。

サラがハランの娘で、テラの孫だとすれば、アブラハムとサラは伯父と姪の結婚と考えられる。

自分たちのご先祖、アブラハムがうそをついてだましたとは思いたくないだろうし、かと言って、近親婚によって生まれた民族だとは受け入れがたいはず。

だから、後の時代のユダヤの人々は、イスカとサラを同一人物と見なす伝承を語り伝えたのかもしれないね。

引用

新共同訳『旧約聖書』


参考

『創世記1 ヘブライ語聖書対訳シリーズ』ミルトス・ヘブライ文化研究所編、2007年

野本真也「アブラハム伝説の成立と展開 : 「族長夫妻の危機」物語の場合」基督教研究、1974年

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

考えるカエル

本を読むウサギ

歴史学に強いネコ

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色