創世記26章-27章 エサウの妻/リベカの計略 ♪朗読音声付き
文字数 3,923文字
イサクの長男エサウは、40歳のときに結婚した。(創26:34)
父イサクが母リベカと結婚したのと同じ年齢で、エサウは結婚したんだね。
エサウはヘト人の娘二人を妻にしたけど、「彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種」(創26:35)となってしまう。
ヘト人とはヒッタイト人のことで、「ハッティの嵐神」や「アリンナの太陽女神」など「千の神々」を崇めていたのだ。
エサウが娶ったのが、異教の神々を信じる娘たちだったから、イサクとリベカは悩んだのかな…?
『ユダヤ古代誌』では、エサウの結婚について次のように説明している。
この結婚は、父とは相談せずに、エサウが自分の責任で行ったものだった。というのも、イサクは、相談を受ければ、土地の者との婚姻関係を結ぶ意志がなかったため、彼らの結婚を許さなかったからである。しかし、イサクは息子に女たちと別れるよう命令して彼の恨みを買うことを望まなかった。彼はそのとき、ただ沈黙を守っていた。
(フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌1』より)
エサウは、レンズ豆のスープと引き換えに「長子の権利」をヤコブへ譲り渡し、父イサクと母リベカを悩ませるヘト人の娘たちを妻に迎えた。
こうした伏線の後、年老いて目が見えなくなったイサクは、エサウを呼び寄せて「わたしはいつ死ぬか分からない。今すぐに、弓と矢筒など、狩りの道具を持って野に行き、獲物を取って来て、わたしの好きなおいしい料理を作り、ここへ持って来てほしい。死ぬ前にそれを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えたい」(創27:1-4)と言った。
リベカは、イサクがエサウに話すのを聞いて、エサウが獲物を狩りに行っている間に、ヤコブを呼び寄せて、自分の計画を話した。
創世記27章8節-10節
「わたしの子よ。今、わたしが言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、 それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」
リベカは、エサウになりすましてイサクを騙すよう、ヤコブに命じた!
創世記27章11節-13節
しかし、ヤコブは母リベカに言った。「でも、エサウ兄さんはとても毛深いのに、わたしの肌は滑らかです。 お父さんがわたしに触れば、だましているのが分かります。そうしたら、わたしは祝福どころか、反対に呪いを受けてしまいます。」
母は言った。「わたしの子よ。そのときにはお母さんがその呪いを引き受けます。ただ、わたしの言うとおりに、行って取って来なさい。」
リベカは、「ヤコブが受ける呪い」を自分の身に引き受けるとまで決意して、計画を進めた。
リベカは「家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着」をヤコブに着せ、「子山羊の毛皮を彼の腕や滑らかな首に巻きつけて」、料理とパンをヤコブを手渡した。(創27:14-17)
創世記27章18節-19節
ヤコブは、父のもとへ行き、「わたしのお父さん」と呼びかけた。父が、「ここにいる。わたしの子よ。誰だ、お前は」と尋ねると、 ヤコブは言った。「長男のエサウです。お父さんの言われたとおりにしてきました。さあ、どうぞ起きて、座ってわたしの獲物を召し上がり、お父さん自身の祝福をわたしに与えてください。」
イサクは「どうしてまた、こんなに早くしとめられたのか」と尋ね、「本当にお前が息子のエサウかどうか、確かめたい」と疑いを持つ。(創27:20-21)
目が見えないイサクは、エサウを名乗る男に触りながら、「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ」と言った。(創27:22)
ヤコブの腕がエサウの腕のように毛深くなっていたから、「見破ることができなかった」(創27:23)。
創世記27章24節-25節
「お前は本当にわたしの子エサウなのだな。」ヤコブは、「もちろんです」と答えた。イサクは言った。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えよう。
こうして確かめてから、イサクはようやく、ヤコブの差し出した料理を食べ、ぶどう酒を飲んだ。
ヤコブがイサクに近寄って口づけすると、イサクはヤコブの着物の匂いをかいで祝福した。
創世記27章27節-29節
「ああ、わたしの子の香りは
主が祝福された野の香りのようだ。
どうか、神が
天の露と地の産み出す豊かなもの
穀物とぶどう酒を
お前に与えてくださるように。
多くの民がお前に仕え
多くの国民がお前にひれ伏す。
お前は兄弟たちの主人となり
母の子らもお前にひれ伏す。
お前を呪う者は呪われ
お前を祝福する者は
祝福されるように。」
「ヤコブを祝福するイサク」は、17世紀のオランダで人気のモチーフだった。
レンブラントの工房では、数多くの弟子たちが同じ主題の絵を描いている。
この絵は、レンブラントの弟子フリンクの「ヤコブを祝福するイサク」(1638年頃)だ。
イサクの白い手と、子山羊の毛皮でエサウになりすましたヤコブの黒い手が対比するように描かれていますね。
イサクがヤコブを祝福し終えて、ヤコブがイサクの前から立ち去るとすぐ、エサウが狩りから帰って来た。 (創27:30)
エサウは父に命じられたとおりに料理を作り、同じように「息子の獲物を食べてください。そして、あなた自身の祝福をわたしに与えてください」(創27:31)と言った。
創世記27章32節-34節
父イサクが、「お前は誰なのか」と聞くと、「わたしです。あなたの息子、長男のエサウです」と答えが返ってきた。イサクは激しく体を震わせて言った。「では、あれは、一体誰だったのだ。さっき獲物を取ってわたしのところに持って来たのは。実は、お前が来る前にわたしはみんな食べて、彼を祝福してしまった。だから、彼が祝福されたものになっている。」
エサウはこの父の言葉を聞くと、悲痛な叫びをあげて激しく泣き、父に向かって言った。「わたしのお父さん。わたしも、このわたしも祝福してください。」
エサウはヤコブに激怒し、「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」(創27:41)と心の中で言った。
エサウがヤコブを憎むようになったことを耳にして、リベカはすぐにヤコブを呼び、彼女の兄ラバンのところへ逃げるようすすめた。
リベカの計略によって、ヤコブが祝福をだまし取り、エサウが悔しがる場面の聖書朗読を耳で聴いてみよう!
なぜリベカは、エサウに祝福を与えたいというイサクの意図を無視しして、ヤコブに祝福を受けさせたんだろう?
エサウとヤコブは双子の兄弟だから、どちらもリベカ自身が産んだ息子なのに…。
これまで読んできた伏線をよく思い出してみよう!
エサウとヤコブは双子の兄弟だが、性格や特性はそれぞれ違う。
エサウは「巧みな狩人で野の人」で、ヤコブは「穏やかな人で天幕の周りで働く」と記されています。
エサウが、たった一杯のレンズ豆のスープと引き換えに「長子の権利」をヤコブに譲ってしまったことが、リベカの判断ポイントだったのかもしれないね。
エサウがすでにヘト人の娘を二人も妻にしていたことも、リベカの判断の重要な要素だと思う。
もう一つ忘れてはならないのが、妊娠中にリベカが告げられた、「兄が弟に仕えるようになる」(創25:23)という神の言葉だ。
リベカは、エサウとヤコブの性質をよく見て判断していたと同時に、神の言葉に従っていたわけですね!
リベカはもともと、兄や母から結婚を引き止められても、自分で判断して「はい、参ります」(創24:58)と答える、自立心の強い女性ですよね。
リベカは現代だったら、速やかに状況判断して、イニシアチブをとるリーダーとなっていたかも。
このリベカの主体性は、結婚を決意したときには正の方向に働いたが、イサクをだます決意をしたときには負の方向に働いたと言える。
リベカが、祝福を受けるにふさわしい息子を自分で選んだのは、間違いだったんですか?
「兄が弟に仕えるようになる」という神の予告は、リベカが自分で手を下さなくても、いずれ必ず成就するのだ。
リベカは、「兄が弟に仕えるようになる」という神の言葉が成就するのを待たずに、自分の計略によって成就させようとしたわけですね。
それじゃあ、リベカは主なる神の言葉に従っているように見えて、実は神の言葉が成就するのを信じていないことになる。
新約聖書では、神の計画について次のように記されている。
ローマの信徒への手紙 9章11節-12節
その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄が弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。
どんなご計画があって「兄が弟に仕えるようになる」と告げたのかは、主なる神だけがご存知なのだから、祝福を受けるにふさわしい息子かどうか、リベカが勝手に判断しちゃいけないのだなぁ。
自分の判断で行動することは大切だと思う。
でも、その判断が絶対に正しいわけじゃないよね。
引用
新共同訳『旧約聖書』『新約聖書』
参考
『創世記2 ヘブライ語聖書対訳シリーズ』ミルトス・ヘブライ文化研究所編、2013年
一色義子『エバからマリアまで 聖書の歴史を担った女性たち』キリスト新聞社、2010年
フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌1』筑摩書房、1999年
עבי קלדרון,
"רבקה - מבט אישי נועז", בתוך: ד"ר לאה מזור: על מקרא הוראה וחינוך
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