第116話

文字数 4,218文字

まさか、この私が、非常勤の取締役として、FK興産に出社するとは?

考えれば、考えるほど、笑える…

自分でも、爆笑してしまう…

私は、ただの秘書…

社長である、ナオキの秘書に過ぎない…

そんな社長秘書に過ぎない私が、臨時の取締役会に、取締役として、出席するなんて(苦笑)…

まさに、夢…

悪夢かも、しれない夢…

なぜ、悪夢かも、しれないのか?

それは、一見、いいことのように、思えるが、実は、なにが、あるか、わからないからだ…

人間万事塞翁が馬…

いいことも、悪いことも、長くは、続かない…

私は、それを、この一年で、学んだ…

嫌というほど、実感した(苦笑)…

癌にかかり、内心、どうしていいか、悩んだ…

誰にも、打ち明けずに、悩んだ…

なぜ、誰にも、打ち明けなかったのか?

それは、ちょうど、その時期に、私が、五井家の人間と接したから…

五井家の当主、諏訪野建造や、その息子、伸明と接して、母が、遺言した、本物の寿綾乃と勘違いした、大金持ちの人間と接したからだ…

だから、誰にも、打ち明けることは、できなかった…

なにより、ナオキ自身、私が、寿綾乃だと、信じていた…

だから、私にそんな裏があるとは、夢にも、思っていなかったに違いない…

寿綾乃を名乗る偽者だとは、考えもしなかったに違いない…

また、私自身、気持ちが昂っていた…

…来た!…

…いよいよ、来た!…

と、内心、ドキドキした…

母の遺言した、来るべきものが、来たのだ…

だから、癌で、悩んでは、いられなかった…

また、癌では、あったが、最初は、それほどとは、思わなかった…

それほど、悪いとは、思わなかった…

それも、大きい…

現実に、日常生活で、支障がなかった…

不便がなかった…

だから、周囲の人間にバレることは、なかった…

正直、痛みが、激しければ、それどころではない…

五井家と知り合ったからと、いって、どうのこうの言っていられない…

痛くて、仕方がないからだ…

でも、私は、そうではなかった…

幸運にも、違った…

痛みは、それほどでも、なかった…

だから、自分の病状を甘く見ていた…

だから、旗から見れば、普段通り、行動していた…

だから、これは、幸運…

実に、幸運だった…

それが、一転して、ジュン君の運転するクルマにはねられてた…

これは、不幸…

不幸に、決まっている…

しかしながら、奇跡的に、助かった…

五井記念病院に入院して、回復した…

だから、幸運…

幸運だ…

そして、オーストラリアに癌の治療に行った…

日本では、まだ認可されていない、放射線治療を行うためだ…

カラダの中に、放射能を取り込んで、その放射能で、癌を撲滅する…

しかしながら、それは、癌の種類による…

癌の種類によって、効果がある場合と、ない場合がある…

私の場合は、微妙…

実に、微妙だった…

 だから、幸運かと、言われれば、幸運ではない…

 癌が、完治しなかったからだ…

 ならば、不幸なのかと、問われれば、それも、違う…

 オーストラリアに治療に行った結果、以前と比べれば、大分良くなったからだ…

 だから、不幸でもない…

 要するに中途半端…

 良くも、悪くもない…

 言ってみれば、微妙…

 実に、微妙だった…

 そして、そんなことを、考えれば、考えるほど、人間万事塞翁が馬という言葉を実感する…

 良いことは、長く続かないし、悪いことも、また、長くは、続かない…

 普通は、そういうものだ…

 ごく稀に、生まれたときから、死ぬまで、一生たいした苦労もしない、人間もいるし、また真逆に、生まれたときから、死ぬときまで、苦労の連続の人生を歩むものもいる…

 しかしながら、それは、少数…

 ごく少数の人間だ…

 生まれたときから、お金持ちの家に生まれ、本人もまた、能力もあり、会社で出世したり、あるいは、実家の会社を継いで、結婚し、子供にも恵まれ、人並み以上の生活を一生続ける…

 そんな人間が、この世の中にいるだろうことは、誰にも、想像が、つくが、普通はそんな人間に、滅多にお目にかかったことはない…

 それぐらい、稀だ…

 ただ、以前、そんな事例をネットで見た…

 そのひとは、物腰も丁寧で、穏やかな紳士だったという…

 いわゆる、深夜のホテルの受付をバイトでしていて、いかにも、そんな仕事には、不釣り合いな人間だったという…

 なぜなら、ホテルといっても、そのホテルは、男女が、セックスをするために利用するいかがわしいホテルだったからだ…

 そして、そのネットの記事を書いたひとは、同じバイトをしていて、偶然、その紳士の履歴書を見て、驚いたそうだ…

 いわゆる有名大学を出て、誰もが、憧れる立派な経歴を持っていたそうだ…

 だから、二人きりになったとき、

 「…なぜ、こんなことをしているんですか?…」

 と、直球で、聞いたそうだ…

 すると、その紳士は、

 「…自分は、生まれてこのかた、たいした苦労はしていない…生まれた家は、お金持ちだったし、大学も、いい大学に入れ、今は、実家の家業を継いで、子供にも恵まれ、誰もが、羨む人生を歩んでいる…だから、生涯一度くらい、こんな仕事をしてみたかった…人の裏といっては、なんだけれど、見てみたかった…」

 と、言ったそうだ…

 真逆に、貧乏な家に生まれ、本人もまた、性格が悪く、どこに行っても、嫌われ、他人とうまく折り合えない…

 そんな人間もまた存在する…

 しかしながら、そんな人間も稀…

 ごく稀だ…

 が、

 そうはいいながらも、後者の方は、お目にかかったことがある…

 いや、

 誰でも、そうだが、後者の方が、会ったことがある人間の方が、多い…

 前者の方は、もっと少ない…

 だから、余計に会ったことがない…

 そういうことだ…

 しかしながら、こんな例は、稀…

 実に稀な例であって、大抵の人間は、人間万事塞翁が馬…

 良いことがあったり、次に、悪いことがあったり…

 そんな人生を歩んでゆく…

 そして、それは、私も例外ではない…

 私、寿綾乃もまた例外ではない…

 矢代綾子もまた例外ではないということだ…

 私は、思った…

 私は、考えた…


 そして、そんなことを、考えながら、ほぼ一年振りに、FK興産に向かった…

 FK興産に出社した…

 臨時の取締役会が、行われるのは、FK興産の本社だからだ…

 そして、取締役会が、行われるのは、FK興産の会議室に決まっている…

 株主総会ではないのだから、FK興産の本社ではなく、どこか、別の大きな会場を借りて、開催する必要もないからだ…

 取締役会議なのだから、出席するのは、数名…

 おそらく、十人に満たない…

 いや、

 ひょっとすると、片手の指の数で、足りるかも、しれない…

 以前は、事実、5人だった…

 FK興産は、社員千人の企業…

 取締役の人数が、5人というのは、ちょうど、良いのかも、しれない…

 社長のナオキを筆頭に、5人…

 といっても、FK興産が、金を借りた銀行から、二人の人間が、社外取締役として、招かれていて、純粋に、FK興産の人間は、社長のナオキを除けば、二人だけ…

 つまりは、社員千人で、取締役の肩書を持つ者は、社員では、わずか3人に過ぎないということだ…

 私は、取締役会議が、行われるたびに、秘書として、接客したというか…

 ぶっちゃけ、お茶を出したり、食事の手配をしたりした…

 それが、取締役会議の思い出…

 正直、面倒臭いというか…

 疲れる(苦笑)…

 FK興産出身の取締役は、いい…

 しかしながら、外部の人間は、疲れる…

 正直、緊張する…

 一年に何度か、顔を会わせるに過ぎない関係だからだ…

 その点、FK興産出身の取締役は、楽…

 普段から、接しているから、楽だ…

 なにしろ、ナオキを含めて、FK興産出身の取締役は、入社以来の顔なじみ…

 歳も若い…

 四十代前半のナオキを筆頭に、皆、大差ない年齢だからだ…

 だから、取締役会議が、開かれ、社外の取締役が、やって来ると、緊張する…

 なにしろ、普段、お目にかかれない、顔なじみのない人間だし、おまけに、年齢も、50代になっている…

 だから、緊張する…

 FK興産出身の取締役は、取締役といっても、皆、入社以来の顔なじみ…

 だから、ハッキリ言えば、大学のサークルのノリというか…

 若いときからの顔なじみ…

 ずっと、いっしょにやって来た仲間だからだ…

 だから、取締役会議を開くといっても、正直、肩書だけ…

 メンバーは、皆、創業メンバーだからだ…

 しかしながら、社外の取締役は、銀行から派遣された者たち…

 ハッキリ言って、銀行からのお目付け役だ…

 金を貸した会社が、しっかりやっているのか?

 それを、調べるためにやって来た者たちだからだ…

 だから、私も緊張した…

 それが、わかっているから、緊張した…

 が、

 それが、今は、立場が、逆…

 まさか、接待する側の秘書だった私が、接待される側の取締役になるとは、思わなかった…

 夢にも、思わなかった…

 まさに、人生は、わからない…

 どうなるか、わからない…

 その典型だった(爆笑)…

 そして、それを、思うと、数年前に、日産で、レースクイーン出身の女性が、取締役になったと言って、世間の話題になったことを、思い出した…

 なにしろ、レースクイーンだ…

 正直、見た目は、派手…

 が、

 それは、若いときだけ…

 長身で、スタイルが良く、顔も良ければ、レースクイーンになれるだろう…

 しかしながら、それは、外見…

 見た目の優秀さに過ぎない…

 大企業の社外取締役になるには、中身…

 なにより、中身…

 頭の良さが、必要になるからだ…

 だから、驚いた…

 私のみならず、世間が驚いた…

 レースクイーンと大企業の取締役では、求められる能力が、真逆…

 真逆だからだ…

 だから、驚いた…

 そして、そんなことを、考えたとき、この私…

 私、寿綾乃が、取締役になったことは、たいしたことがないのでは?

 と、思った…

 なにしろ、かくゆう、私…

 私、寿綾乃もまたFK興産の古参社員の一人…

 創業メンバーに近い社歴を持っている…

 だから、社歴だけで、判断した場合は、私も十分取締役の資格がある(笑)…
 
 社歴=その会社に勤務してからの年数だからだ…

 それゆえ、古参社員の私は、資格がある…

 取締役になる資格がある…

 私は、そう思った…

 もはや、こじつけ…

 無理やり、こじつけたに過ぎない(爆笑)…

 だが、資格はある…

 そういうことだ…

 そして、そんなことを、考えながら、FK興産の入っている高層ビルに入った…

               
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