第58話

文字数 4,665文字

 結局、その後、長谷川センセイと、会った…

 長井さんも、同席した…

 いや、
 
 同席という言葉は、おかしいかも、しれない…

 長谷川センセイの背後に、控えているだけだったからだ…

 長谷川センセイは、私を見て、驚いた様子だった…

 「…寿さん…今日は、どうされました?…」

 と、驚いた口調で、開口一番、聞いた…

 私は、

 「…あまり、体調が、良くなくて…」

 と、言った…

 すでに、用意した言葉だ…

 「…それは、癌…それとも…」

 ジュン君にクルマで、轢かれたときの後遺症かどうか、長谷川センセイが、尋ねた…

 だから、即座に、

 「…わかりません…」

 と、答えた…

 「…わからない? だったら、なぜ、ここへ?…」

 「…センセイのお顔を拝見すると、安心して…」

 「…ボクの顔を見ると、安心するというのは…」

 長谷川センセイは、明らかに戸惑った様子だった…

 「…いえ、センセイに、治療して、もらった期間が、長いので、どうしても、つい、長谷川センセイに、診てもらいたくて…」

 私が、言うと、センセイも、

 「…なんだ、そうだったんですか?…」

 と、簡単に納得した…

 「…よくあることですよ…」

 「…よくあることって?…」

 「…内科でも、外科でも、なんでも、まずは、かかりつけの医者に診てもらう…そうすれば、安心する…」

 「…」

 「…誰でも、同じです…」

 長谷川センセイが、明るく言う…

 私は、それを、聞いて、もっともだと、思う反面、ある意味、社交辞令だと、感じた…

 なぜなら、長谷川センセイが、明るく笑ったのが、不自然というか…

 作った笑いに思えたからだ…

 お医者様だからだろう…

 患者の不安を鎮めるために、少しでも、明るく振る舞う…

 演技と言えば、演技なのだが、これも、必要悪というか…

 医師という職業を続ける以上、仕方ないことかも、しれない…

 患者の不安を鎮めるのが、なにより、大切だからだ…

 だが、話は、これで、終わるわけには、いかなかった…

 今日、この長谷川センセイに、会うために、やって来た目的は、諏訪野伸明に会うこと…

 この五井記念病院のどこかの病室に、身を潜めている伸明に会うことだった…

 だから、このまま、終わるわけには、いかなかった…

 このまま、この診察室で、長谷川センセイに、診察だけ、してもらって、終わるわけには、いかなかった…

 当たり前のことだ…

 だから、

 「…センセイ…」

 と、話しかけた…

 「…なんですか? …寿さん?…」

 「…センセイは、この前も、お聞きしたんですけれども、五井家の一族ですよね…」

 私が、言うと、途端に、長谷川センセイが、真顔になった…

 それまでの医師として、患者を安心させるための、ニコニコした表情から、一瞬にして、真顔になった…

 真剣な表情になった…

 「…それは、前回、申し上げました…」

 長谷川センセイが、真面目な表情で言う…

 いや、

 真面目というより、むしろ、不機嫌そうな表情だった…

 「…たしかに、ボクは、五井西家の血を引いています…ですが、この前も言ったように、五井西家の血筋は、爺さんの爺さんぐらいの遠い昔のことです。だから、今、現在のボクとは…」

 長谷川センセイが、顔を真っ赤にして、説明するので、思わず、

 「…プッ…」

 と、吹き出してしまった…

 「…なにが、おかしいんですか? …寿さん?…」
 
 長谷川センセイが、まるで、子供のように、口を尖らせて、言う…

 「…だって、センセイ…私、センセイが、五井家の人間ですか? って、聞いただけですよ…それが、まるで、そんな子供のように、口を尖らせて…」

 私が笑いながら指摘すると、長谷川センセイが、顔を真っ赤にしたまま、黙ってしまった…

 きっと、恥ずかしかったのだろう…

 が、

 ここは、長谷川センセイを責めるのが、目的ではない…

 だから、

 「…いえ、気になったのは、伸明さん…諏訪野伸明さんのことです…」

 と、言った…

 「…伸明さん…五井家の当主の…」

 「…ハイ…私が、諏訪野伸明さんと、面識があるのは、センセイも、ご存知ですわね…」

 「…ええ…知ってます…」

 「…その伸明さんと、最近、連絡が取れなくて…」

 私が、言うと、長谷川センセイも、ピンときたようだ…

 「…そういうことですか?…」

 長谷川センセイが、呟いた…

 「…そういうことって、どういうことですか?…」

 「…診察は、二の次…ボクに会って、諏訪野さんのことを、聞きたい…それが、今日、ここにやって来た、目的でしょ?…」

 …その通り…

 …実に、その通りだった…

 が、

 さすがに、それを、口にするのは、はばかれた…

 だが、その通りなのだから、真っ向から、否定するわけには、いかない…

 だから、

 「…それも、あります…」

 と、笑いながら、言った…

 目的の第一は、伸明の居場所だが、検査も大切…

 検査=診察も、大事…

 それを、言いたかった…

 現実に、体調は決して、良いわけではない…

 先週、この五井記念病院から、帰ってきたときは、疲れてベッドに横になったつもりだったのに、つい、ウトウトして、そのまま、寝込んでしまい、目が覚めたのは、夜だった…

 帰って来たのは、午後の一時過ぎだから、六時間は、優に、寝込んでしまっていた…

 体調の良い人間が、そんなことは、普通ありえない…

 だから、今さらながら、私は病気持ち…

 癌患者なのだと、悟った…

 が、

 しかしながら、今、すぐ、死ぬとか、どうとか、そんな深刻な状況ではない…

 普通に生活している、癌患者も、この世の中には、多い…

 だから、私も、その一人というべきか(苦笑)…

 現に、今も、一人で暮らしている…

 誰の世話にもならずに、一人で暮らしている…

 それが、実例…

 普通に生活している、癌患者の実例だ…

 私が、そんなことを、考えていると、長谷川センセイが、

 「…寿さんの気持ちは、わかります…」

 と、神妙な表情で、言った…

 「…わかる? …なにが、わかるんですか?…」

 「…藤原さんのことでしょ?…」

 長谷川センセイが、したり顔で、言う…

 「…藤原さん…藤原ナオキ氏…テレビのキャスターをやられている、会社経営者…たしか、寿さんは、藤原さんの会社の社員でしたよね?…」

 「…ええ…」

 曖昧に返答した…

 同時に、この長谷川センセイが、そこまで、知っていることに、驚いた…

 たしかに、半年前まで、この五井記念病院に、私が、入院していたときに、ナオキも、見舞いに来た…

 諏訪野伸明も、見舞いに来た…

 が、

 それを、この長谷川センセイが、知っているか、どうかは、忘れた(苦笑)…

 彼らが、やって来たときに、この長谷川センセイが、いたかどうかは、忘れた(苦笑)…

 どうしても、見舞いに来てくれた伸明やナオキに、意識が集中したからだ…

 だから、二人が、やって来たときに、この長谷川センセイが、同席していたか、どうかは、忘れた…

 覚えていない…

 そういうことだ…

 「…その様子では、ボクが、藤原さんを知っているのを、覚えていない、様子ですね?…」

 「…」

 「…いえ、藤原さん、うんぬんではなく、単純に、諏訪野さんが、気になるんですよ…」

 「…気になる? …どうして、ですか?…」

 「…やはり、ボクも五井家の血を引いているからでしょう…諏訪野伸明さんが、気になる…なんといっても、五井家の当主です…だから、気になる…」

 「…」

 「…といっても、諏訪野さんは、ボクのことなんて、全然知らない…だから、一方的な片思いというか…」

 「…片思い?…」

 「…ほら、ちょうど、アイドルとファンの関係といっしょですよ…」

 「…どういうことですか?…」

 「…アイドルは、基本、誰が、自分のファンか、わからない…乃木坂なんて、いまどきのアイドルは、劇場で、歌っているから、ファンの顔も、少しは、知っているかも、しれないけれど、テレビやネットで、彼女たちを応援しているファンの顔は、当然、知らない…それと、同じです…」

 「…同じ?…」

 「…諏訪野さんは、五井家当主…だから、ボクから見れば、殿上人というか、仰ぎ見る存在です…ですが、諏訪野さんから、見れば、ボクは、かつて、五井の血を引いていた一族の一人に過ぎない…面識もない…だから、乃木坂のメンバーと、ファンの関係と、同じです…」

 …うまいことを、言う…

 …実に、うまいことを、言う…

 実に、言い得て妙…

 言い得て妙な例えだった…

 たしかに、この長谷川センセイの立場から、すれば、伸明のことは、気になるだろう…

 ずばり、気になる存在だろう…

 きっと、この長谷川センセイは、子供の頃から、両親や祖父母から、

 「…うちの先祖は、五井一族…」

 「…あの五井の血を引いているんだ…」

 と、言われたのだろう…

 言われ続けたのだろう…

 なんといっても、五井だ…

 日本のみならず、世界に知られた五井だ…

 その一族というのは、誇り…

 自慢のタネだからだ…

 だから、幼いときから、そう言われて、育った長谷川センセイが、この病院で、伸明に会った…

 あるいは、直接、伸明に会わずとも、伸明が、私に面会に来た…

 私、寿綾乃の見舞いに来た…

 と、聞けば、気になる…

 気になるに、決まっている…

 それに、なんといっても、ここは、五井記念病院…

 五井系列の病院だ…

 その五井系列の病院に、五井の当主が、やって来たのだから、この病院で、話題にならないはずは、ない…

 そして、この長谷川センセイは、この五井記念病院の勤務医…

 当然、その話は、聞くだろう…

 だから、余計に気になる…

 それまで、会ったことのない、五井家の当主だ…

 気にならないはずは、ない…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 すると、

 「…藤原さんのことは、今回、テレビやネットで、報道されて、知りました…そして、その中で、諏訪野さんの名前が出てきた…これで、ボクが、気にならないはずはない…」

 と、言った…

 「…でしょ?…」

 長谷川センセイが、茶目っ気たっぷりに、言う…

 私は、どう答えて、いいか、わからなかった…

 どう、返答していいいか、わからなかった…

 だから、黙った…

 「…」

 と、黙ったままだった…

 「…そして、今、諏訪野さんは、雲隠れしている…」

 長谷川センセイが、続ける…

 「…金を借りた方の藤原さんは、逮捕され、金を貸した方の諏訪野さんは、追徴課税だけで、お咎めなし…こんな不公平なことは、ない…」

 「…」

 「…だから、諏訪野さんは、どこかに、雲隠れした…マスコミの追及を逃れるために雲隠れした…なんといっても、藤原さんが、釈放された…だから、余計に、マズくなる…雲隠れしないと、マスコミが、大勢、諏訪野さんの元に、やって来るかも、しれない…だから、雲隠れした…」

 長谷川センセイが、解説する…

 事実、その通り…

 その通りだった…

 私が、思っている通りだった…

 が、

 しかしながら、この長谷川センセイが、そこまで、知っているのには、恐れ入った…

 実に、恐れ入った…

 まさに、まさか、だ…

 この長谷川センセイが、そこまで、詳しいとは、思わなかった…

 思わなかったのだ…

 そして、そして、だ…

 「…寿さんが、今、もっとも、気になるのは、諏訪野さんのこと…どうしたら、諏訪野さんに連絡できるのか、知りたい…おそらく、その様子では、釈放された藤原さんとも、連絡が、取れないんじゃ、ないんですか?…」

 長谷川センセイが、喝破する…

 すべて、お見通し…

 お見通しだった…

               
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