第38話

文字数 4,722文字

 私が、そんなことを、考えていると、マミさんが、いきなり、

 「…ゴメンね…寿さん…」

 と、言った…

 私は、驚いた…

 どうして、マミさんが、

 「…ゴメンね…寿さん…」

 と、詫びるのか、わからなかったからだ…

 が、

 マミさんが、続けて、

 「…寿さんが、なんだか、気まずそうにしているから、悪いことを聞いちゃったと、思って…」

 と、言ったから、わかった…

 私が、居心地が、悪そうに、しているのを、見て、さっき、

「…藤原さんと、伸明さんのどっちが、好き?…」

と、直球で聞いたから、居心地が悪そうに、しているんだと、誤解したのだ…

 それが、わかると、内心、ホッとした…

 私が、どうして、居心地が悪そうに、しているか、わからなかったから、ホッとした…

 そう、思った…

 まさか、私が、偽者の寿綾乃だと、バレては、いないと、わかって、ホッとしたとは、言えないからだ(苦笑)…

 だから、

 「…そんなことは、ありませんよ…」

 と、言った…

 すると、マミさんが、心配そうに、

 「…ホント?…」

 と、聞いた…

 「…ホントです…」

 「…でも、寿さん…顔色が?…」

 「…病気のせいです…まだ全快は、していませんので…」

 と、努めて、明るく言った…

 すると、

 「…そうだったんだ…」

 と、マミさんが、言い、パッと、表情が、明るくなった…

 それを、見て、安心したのと、同時に、また、ウソをついた…

 また、マミさんに、ウソをついた…

 と、思った…

 それゆえ、マミさんに、悪いことをしたと、良心の呵責に苦しんだ…

 だから、これ以上、マミさんと、ここにいるのは、マズいと判断した…

 マミさんといると、自分が、ウソをつき続けるようで、悪いと、気が引けたのだ…

 なにより、自分でも、居心地が悪い…

 ここで、マミさんと、二人きりでいると、自分が、ウソをつき続けるようで、嫌だった…

 自分で、自分が、嫌だった…

 ウソをつき続ける自分が、嫌だった…

 だから、

 「…」

 と、無言で、コーヒーを飲んだ…

 コーヒーを飲むことで、しゃべらなくて、すむからだ…

 ウソをつき続ける自分が、良心の呵責に苦しむことが、なくなるからだ…

 そして、そんな私の心の葛藤が、伝わったわけでも、あるまいに、マミさんも、それ以上は、なにも、言わなかった…

 あるいは、話すことが、なくなったのかも、しれない…

 私は、マミさんと、知り合ったのは、半年以上前だが、決して、深い付き合いでも、なんでもない…

 ただ、ウマがあっただけだ…

 そして、それは、おそらく、マミさんに、とっても、同じ…

 同じに、違いない…

 幸か不幸か、知り合い、交友を深めた…

 が、

 互いに、互いを、どれほど、知っているわけではない…

 だから、多少なりとも、警戒する…

 そういうことだ…

 なにより、共通の話題がない…

 たいした知り合いでも、ないのだから、当たり前のことだ(苦笑)…

 また、本当は、知り合うなら、できるだけ、早い方が、いい…

 誰でも、そうだが、学生時代に知り合った人間の方が、安心できる…

 それは、互いに、素(す)の姿を知っているからかも、しれない…

 歳を取れば、演じるとでも、いえば、言いすぎだが、やはり、会社と、家庭で、全然、別人とまでも、言わないが、多少は、違う人間は、多い…

 例えば、会社では、いつも、率先して、仕事に取組み、他人が、嫌がることも、なんでも、する人間が、家では、いつも、ゴロゴロ寝転がっているばかり…

極端な話、右のものを、左に、動かすのも、億劫に、して、嫌がる…

 そういう人間も、いる…

 そして、そういう人間に、

 「…どうして、会社では、あんなに、テキパキ動くのに、家では、いつも、ゴロゴロしているの?…」

 と、聞くと、

 「…やっぱり、会社では、いい顔をしたいから…よく見せたいからかな…」

 と、答えるのが、本音だと、思う…

 少しでも、自分を良く見せたい…

 仕事の成績でも、人間性でも、よく見せたい…

 だから、極端な話、会社では、いいひとを、演じているに、過ぎない…

 それゆえ、そんな人間とは、知らずに、結婚した女は、後悔する…

 おおげさに、言えば、会社で見た男と、家では、別人の男が、そこにいるからだ…

 だから、驚く…

 だから、驚愕する…

 そういう話も、ちらほら、聞いたことがある(爆笑)…

 が、

 普通は、そこまで、いかなくても、会社で、出会って、結婚した男女双方が、

 …エlッ…こんなひとだったんだ!…

 と、いう話は、よくある話だ…

 大抵は、会社で見たときと、プライベートの顔が、100%は、一致しない…

 どこか、意外な面が、ある…

 そういうことだ…

 そして、それを、互いに、どこまで、許容できるか?

 どこまで、受け入れることが、できるか?

 どうしても、無理だと、思えば、早々に、離婚するだろう…

 そういうことだ…

 そして、それは、昔からある話だが、もしかしたら、今の時代の方が、より多いのかも、しれない…

 それゆえ、離婚が、以前より、多いのかも、しれない…

 もちろん、経済のせいもある…

 景気がいいときは、離婚が、少なく、景気が悪くなれば、離婚が増える…

 これは、単純に、家庭にお金が、ないからだ…

 お金が、なければ、どうしても、ケンカが増える…

 それゆえ、夫婦間のケンカが、離婚に直結する…

 そういうことだ…

 極端な話、夫が、会社をリストラされれば、妻は、

 「…これから、どうするの?…」

 と、聞く…

 夫は、当然、

「…次の仕事先を、探すさ…」

と、返答するが、それが、なかなか、決まらない…

すると、当たり前だが、妻が、愚痴る…

そして、そのうちに、

「…こんな男と結婚するんじゃ、なかった…」

とか、言い出す…

それで、口論になり、しまいには、別れる…

当たり前のことだ…

私は、思った…

私は、考えた…

すると、マミさんが、

「…寿さん…」

と、私に話しかけてきた…

「…なんですか?…」

「…もしかしたら、寿さんは、これ以上、五井に関わらない方が、いいかもしれない…」

意外なことを、言った…

「…どうしてですか?…」

「…寿さんが、傷つく…」

「…私が、傷つく?…」

「…いえ、寿さんだけじゃない…もしかしたら、藤原さんも…」

「…ナオキも? …それは、どういう…」

私が、言い終わらないうちに、マミさんが、立ち上がった…

「…ゴメン…寿さん…もう時間だから…」

と、言って、慌ただしく、立ち上がった…

「…時間って?…」

「…私も、藤原さんじゃないけれども、経営者だから、色々忙しいの…」

マミさんが、笑いながら、言った…

それを、聞いて、あらためて、このマミさんが、経営者だと、気付いた…

会社の社長だと、気付いた…

「…ホント、ゴメンね…」

と、言いながら、マミさんは、請求書を掴んだ…

「…マミさん…そんなことしなくても、自分の分は、自分で、払います…」

私が、席から、立ち上がって抗議すると、

「…大丈夫…会社の経費で、落とすから…」

と、マミさんが、笑った…

「…経費って?…」

「…必要経費…これも、会社で、他社の人間との打ち合わせって、ことで、落とすから…」

マミさんは、笑って、言って、すぐに、歩き出した…

私は、急いで、マミさんの後を追おうと思ったが、止めた…

周囲の目がある…

まさか、子供ではないのだから、マミさんを追いかけて、請求書を奪い取ることは、できない…

だから、止めた…

私は、歩き出したマミさんの後ろ姿を、目で、追いながら、再び、席に座った…

すると、なんだか、温かい気持ちになった…

やはり、マミさんと話したからだろう…

何度も言うが、私は、マミさんと、ウマが合う…

だからだろう…

マミさんと話して、すっかり、気分が、良くなった…

そう、思った…

私は、癌患者…

だから、当たり前だが、体調が、良くない…

今日は、それほどでもないが、正直、体調が良くないと、気分が、滅入るときもある…

気分が、滅入って、なにもかも、嫌な気持ちになることがある…

そして、そんなとき、つい、自分の人生を振り返る…

この先ではなく、これまでの人生を振り返る…

正直、この先、何年、生きるか、わからないからだ…

だから、これから先ではなく、これまでの人生を振り返る…

これまで、生きてきた32年の人生を、振り返る…

…私の人生は、幸せだった?…

それとも、

…不幸だった?

そう聞かれても、おそらく、答えは出ない…

そのときの気分によって、

…幸せだった…

と、答えるし、

…不幸だった…

と、答えるだろう…

つまりは、平凡…

まさに、平凡な人生を送ってきたと、自分で、思う…

平凡だから、ブレる(笑)…

幸せか、幸せでなかったのか、突然、聞かれて、はっきりとした答えが出せない…

だから、平凡なのだろう…

平凡でない場合は、すぐに、答えが出せる…

そういうことだ…

母親と二人暮らしだった矢代綾子が、田舎から、都会に出て、寿綾乃になりすます…

そして、バイト先で、知り合った、藤原ナオキと、男女の仲になり、その後、成功したナオキの事実上の妻になり、億ションに住むまでになった…

傍から、見れば、誰が見ても、成功者…

成功者に、私は、見える…

だが、私自身は、成功者だと、一度も、自分を思ったことはない…

たしかに、物質的には、成功した…

しかしながら、それと、幸せとは、違う…

お金があれば、幸せなわけでは、まるでない…

たしかに、お金がなければ、生きてゆけないから、不幸…

だったら、お金があれば、必ず、幸せなのか?

と、問われれば、それは、違う…

現にお金がある人間…

つい、さっきまで、いっしょにいたマミさんは、幸せなのか?

と、直球で、聞けば、返事に窮するだろう…

マミさんは、五井家先代当主、諏訪野建造の愛人の子供…

それゆえ、五井家では、日陰者だった…

だから、決して、お金に困った生活は、していないだろうが、それでも、幸せではなかかったろう…

五井家内で、居場所がないからだ…

それゆえ、それに、気付いた建造が、マミさんに、お金を与え、会社を作らせた…

自分で、会社を作って、好きな仕事をした方が、マミさんには、合っていると、父の建造は、思ったのだ…

そして、それは、間違いでは、なかったろう…

私から、見ても、マミさんは、誰かの下について、働くより、自分で、会社を興した方が、似合う女性だ…

その方が、似合う女性だ…

だから、お金があるから、決して、幸せなわけでは、ない…

お金があっても、不幸せな人間は、いるだろう…

現に、五井家当主、諏訪野伸明も、決して、幸せとは、いえない…

父の建造の実子ではなかったから、かもしれないが、伸明には、どこか、陰があった…

だからかも、しれない…

同じような陰がある、私は、伸明に惹かれた…

そして、それは、伸明も同じ…

寿綾乃を名乗る、私、矢代綾子に惹かれた…

寿綾野を名乗ることで、私に陰ができたからだ…

正体を偽ることで、陰ができ、それが、おそらく、伸明の共感を呼んだ…

いわば、似た者同士だからだ…

だから、惹かれた…

それが、伸明が、私を好きな理由だろう…

そして、それは、私も同じ…

矢代綾子も、同じだ…

が、

私には、ナオキがいる…

伸明には、惹かれるが、ナオキを見捨てることは、できない…

そして、そんなことを、考えたとき、さっき、マミさんが、言った…

「…これ以上、五井に関わらない方がいい…」

と、言った言葉は、どういう意味なんだろ?

と、考えた…

さらには、マミさんは、私もナオキも傷付くとも、言った…

これは、一体、どういう意味なんだろ?

意味がわからない…

どうして、私とナオキが、五井に関われば、傷つくのだろう?

考えた…

が、

それは、まもなく、知ることになる…

まったくの予想外の出来事で、知ることになる…
       
              

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