第91話
文字数 4,533文字
そして、それが、私の顔に現れたのだろう…
「…あら…なんか、綾乃さん、凄い顔をしていますね?…」
と、彼女が言った…
「…一体、どうしたんですか? …私が、今、なにか、綾乃さんの気に障るようなことを、言いました?…」
と、彼女、菊池リンが、私をからかう…
私は、頭に来たが、かといって、ここで、怒鳴れば、彼女の思うつぼ…
彼女の仕掛けた罠にかかったことになる…
だから、悩んだ…
どう対応しおうか、悩んだ…
そして、とっさに、
「…だったら、菊池さん…菊池さんは、社長の居場所を知っているの?…」
と、聞いた…
我ながら、うまい手だった…
「…知っているのなら、ぜひ、教えて…私も社長に会いたいわ…そして、どうして、私にFK興産の株を売却する相談をして、くれなかったのか、聞きたいわ…」
私は、言った…
わざと、言った…
当然、この菊池リンが、答えられるわけがなかった…
そう思ったからだ…
が、
その私の考えは、浅かった…
「…それは、知ってますよ…」
と、目の前の菊池リンが、あっさりと、言ったからだ…
私は、思わず、
「…ウソ?…」
と、言ってしまった…
すると、すかさず、
「…ホントです…」
と、菊池リンが、応じた…
そして、それを、聞いて、
…だからか?…
と、内心、納得した…
なぜ、この菊池リンが、ここにやって来たか?
納得した…
なぜ、私に会いに来たか?
納得した…
おそらく、その事実を、これまで、持ち出さなかったのは、彼女の最後の手段だから…
最初は、
「…私とお茶しませんか?…」
と、誘い、粘る…
そして、いくら言っても、私が、応じないものだから、ナオキの居所を、言い出した…
そういうことだろう…
そうでなければ、なにを言っても、私は彼女の誘いに乗らないからだ…
そして、私が、そんなことを、考えていると、
「…会いたいですか?…」
と、菊池リンが、聞いてきた…
当たり前だった…
私は、
…それは、会いたいわ…
と、言いたかったが、彼女の思い通りの返事をするのは、癪に障った…
だから、一瞬、考えて、
「…それは、会いたいわ…」
と、言ってから、いったん間を置いて、
「…でも、この体調だから…」
と、続けた…
要するに、
…ホントは、会いたいが、この体調だから、会えない…
と、遠回しに言ったのだ…
自分でも、天邪鬼(あまのじゃく)と思ったが、彼女の思い通りになるのは、嫌だった…
どうしても、嫌だった…
が、
その返答ですら、彼女は、予想していたかのようだった…
「…それは、残念ですね…」
と、彼女は、言った…
それから、
「…でも、綾乃さん…」
と、続けた…
「…なに、菊池さん?…」
「…今、社長に会わなければ、また会えなくなっちゃいますよ…」
「…エッ? …なに? …どういうこと?…」
「…社長は、今、定期的に、居場所を変えているんですよ…」
「…どういうこと?…」
「…社長は、借金の返済で、一時、その筋のひとから、お金を借りようとしたんです…それで、その筋のひとから、恨みを買っているかも、と、思って、記者会見後も、姿を現さないんです…」
菊池リンが、したり顔で、言う…
私は、驚いた…
実に、驚いた…
そんな話は、聞いたことがなかった…
これまで、そんな話は、見たことも、聞いたことも、なかった…
が、
それが、ウソだとも、思えない…
なにより、話に信ぴょう性がある…
それが、事実なら、なにより納得する…
もし、その筋のひとから、恨まれて、身を隠しているとしたら、私に連絡をよこさないのも、納得できる…
私をトラブルに巻き込ませないために、連絡をよこさないなら、納得できる…
私は、思った…
私は、考えた…
なにより、その発言の主が、菊池リン…
五井一族の菊池リンだ…
だから、余計に、今の話は、納得できた…
そして、その話に納得できた私は、
「…どこにいるの?…」
と、菊池リンに聞いた…
これまでとは、打って変わって、強い口調で、聞いた…
すると、菊池リンは、待ってましたと、ばかりに、
「…知りたいですか?…」
と、聞いた…
にやりと、意地の悪い笑みを浮かべながら、聞いた…
「…ええ、知りたいわ…」
「…ホテルですよ…」
「…ホテル?…」
「…ホテルを転々としています…その方が、居所を掴めないでしょ?…」
言われてみれば、もっともなことだった…
言われてみれば、当たり前…
誰もが、考えつくことだった…
が、
誰もが、考えつくことだが、肝心のホテルの名前がわからない…
また、わかったとしても、そのホテルに問い合わせても、答えるわけがない…
守秘義務があるからだ…
まして、ナオキは、公人…
公人=有名人だ…
だから、余計に、答えるわけがない…
拘置所から出て、FK興産の株を売った…
その件で、世間を賑わせている…
それは、ホテルも承知…
十分承知している…
だから、余計に、ナオキが、滞在しようと、教えるわけがなかった…
これは、どこのホテルでも、同じ…
世間に名の知れた著名なホテルなら、どこも、同じだろう…
マスコミにでも、探られ、簡単にベラベラしゃべっては、信用されない…
そんなホテルは、著名人のみならず、一般人も敬遠する…
その結果、ホテルの信用が、失墜し、下手をすれば、経営危機に陥りかねない…
当たり前のことだ…
そして、そこまで、考えたとき、思った…
と、いうことは、どうだ?
今の菊池リンの口調では、
…今、現在、彼女は、ナオキが、どこのホテルに滞在しているか、知っている…
が、
その後は、わからないと、いうことだ…
あくまで、彼女の言葉を信じれば、だが、そういうことだ…
そして、なぜ、私が、彼女の言葉を信じないか?
それは、彼女、菊池リンが、五井家を代表して、私に接触してきたとは、どうしても、思えないからだ…
彼女、菊池リンは、和子の孫…
あの五井の女帝、諏訪野和子の孫だ…
だから、和子の命に従って、行動しているか?
と、問われれば、違うと、思うからだ…
だから、彼女の目的がわからない…
なにを、考えているか、わからない…
だから、なおさら、彼女の誘いに乗っていいか、どうか、わからない…
いくら、考えても、わからない…
だから、私は、悩んだ…
目の前の菊池リンを見ながら、悩んだ…
が、
結局、彼女の言う通りにした…
彼女に、従った…
彼女を疑うより、私の好奇心の方が、勝ったということだ…
ナオキに会いたい気持ちが勝ったということだ…
また、思ったより、体調が、良かったことも、大きい…
私は、癌患者…
どうしても、自分の体調を優先する…
自分の体調を優先して、行動を考える…
どこかに行こうとして、その途中で、カラダが、いうことを、きかなくなっては、目も当てられないからだ…
だから、なにより、体調が、いいことが、大きい…
そういうことだ…
私は、菊池リンと、タクシーに乗って、ナオキのいる、ホテルに向かった…
菊池リンは、タクシーに乗って、私の住むマンションにやって来ていたからだ…
だから、私は、菊池リンと、タクシーに乗りながら、
「…菊池さん…アナタ、クルマの免許を持ってないの?…」
と、聞いた…
聞かずには、いられなかった…
すると、
「…エッ? …どうして、そんなことを、聞くんですか? …綾乃さん?…」
と、真逆に、菊池リンが、驚いた表情をした…
「…いえ、どうしてといっても、菊池さんぐらいの年齢なら、免許は、持っていると、思って…」
私が、遠慮がちに言うと、彼女が、
「…綾乃さん…古いですよ…」
と、私を笑った…
「…古い?…」
「…そう…古いです…私の周りの友人、知人で、クルマの免許を持っているのは、少数です…」
「…エッ? …少数?…」
「…そうです…」
「…でも、それは、菊池さんの友人や、知人だから、皆、お金持ちだからじゃ…」
「…違いますよ…」
菊池リンが、怒った表情で、言う…
「…金持ちと、免許があるなしは、関係ありません…」
菊池リンが、憮然とした表情で、続ける…
私は、こんな彼女を見るのは、初めてだった…
これまで、私が見てきた彼女は、FK興産で、
「…綾乃さん…綾乃さん…」
と、まるで、私を姉のように慕う、可愛らしく、頼りない彼女の姿だった…
それが、彼女の演じた仮面の姿であることは、すでに、気付いていたが、それでも、今の不機嫌な姿は、想像もできなかった…
が、
彼女の不機嫌な理由は、なんとなく、想像がついた…
だから、
「…もしかして、菊池さん?…」
と、聞いた…
「…なんですか? …綾乃さん?…」
「…菊池さん…お金持ちの家に生まれたのが、嫌だったの?…」
直球で聞いた…
これまで、思っても、みないことを、直球で、聞いた…
この質問に彼女のカラダが、こわばるのが、わかった…
私は、思いがけず、彼女の痛いところを、突いたのだ…
彼女の弱点を突いたのだ…
「…それは、嫌ですよ…」
と、彼女は、口を尖らせて、言った…
ふてくされたように、言った…
「…どうして、嫌なの?…」
「…それは、周囲の目ですよ…」
「…周囲の目?…」
「…私が、五井家の人間だと知ると、周囲の目も変わります…」
「…どう、変わるの?…」
「…お金持ちの通う学校の中でも、いわゆるスーパーお金持ちだから、周囲の目も変わります…私を持ち上げたり、私を、真逆に、いじめたり…」
菊池リンが、憤懣やる方のない口調で、言う…
私は、そんな彼女を見て、以前、伸明が、同じことを、言ったことを、思い出した…
このタクシーで、隣に座る菊池リンと同じことを、言ったことを、思い出した…
伸明もまた同じ…
学生時代、同級生の輪に入れず、苦悩したことを、告白した…
五井家の御曹司というスーパー金持ちゆえに、周囲から、羨望と嫉妬で、孤立したことを、私に告白した…
つまり、同じ…
今、菊池リンが、告白した悩みと同じ悩みだった…
それを、聞いて、つくづく、金持ちに生まれても、決して、幸福ではないな、と、思った…
真逆に、私は、幸せだったと、思った…
お金もなく、母と二人暮らしの母子家庭…
が、
それが、不幸だと、思ったことは、一度もない…
たしかに、お金はなかったが、日々の生活に困るほど、貧しくはなかった…
なにより、母は、私を愛していた…
私を溺愛していた…
いかに、自分の母親とて、娘を愛しているかと、問われれば、正直、それほど、愛していない母親もいる…
それが、わかるのは、母親が、離婚したとき…
大半は、母親が子供の面倒を見るものだが、稀に父親が見るものもいる…
養育費など、いろいろな問題があるが、極論すれば、自分の産んだ子供より、男を取ったということだろう…
これから、自分が再婚する男を優先する…
そんな実例も少なからずある…
私は、そんなことを、考えた…
同時に、いかに、お金持ちの家に生まれても、決して、幸福な人生を歩んできたわけじゃないんだと、あらためて、思った…
この菊池リンを見て、思った…
「…あら…なんか、綾乃さん、凄い顔をしていますね?…」
と、彼女が言った…
「…一体、どうしたんですか? …私が、今、なにか、綾乃さんの気に障るようなことを、言いました?…」
と、彼女、菊池リンが、私をからかう…
私は、頭に来たが、かといって、ここで、怒鳴れば、彼女の思うつぼ…
彼女の仕掛けた罠にかかったことになる…
だから、悩んだ…
どう対応しおうか、悩んだ…
そして、とっさに、
「…だったら、菊池さん…菊池さんは、社長の居場所を知っているの?…」
と、聞いた…
我ながら、うまい手だった…
「…知っているのなら、ぜひ、教えて…私も社長に会いたいわ…そして、どうして、私にFK興産の株を売却する相談をして、くれなかったのか、聞きたいわ…」
私は、言った…
わざと、言った…
当然、この菊池リンが、答えられるわけがなかった…
そう思ったからだ…
が、
その私の考えは、浅かった…
「…それは、知ってますよ…」
と、目の前の菊池リンが、あっさりと、言ったからだ…
私は、思わず、
「…ウソ?…」
と、言ってしまった…
すると、すかさず、
「…ホントです…」
と、菊池リンが、応じた…
そして、それを、聞いて、
…だからか?…
と、内心、納得した…
なぜ、この菊池リンが、ここにやって来たか?
納得した…
なぜ、私に会いに来たか?
納得した…
おそらく、その事実を、これまで、持ち出さなかったのは、彼女の最後の手段だから…
最初は、
「…私とお茶しませんか?…」
と、誘い、粘る…
そして、いくら言っても、私が、応じないものだから、ナオキの居所を、言い出した…
そういうことだろう…
そうでなければ、なにを言っても、私は彼女の誘いに乗らないからだ…
そして、私が、そんなことを、考えていると、
「…会いたいですか?…」
と、菊池リンが、聞いてきた…
当たり前だった…
私は、
…それは、会いたいわ…
と、言いたかったが、彼女の思い通りの返事をするのは、癪に障った…
だから、一瞬、考えて、
「…それは、会いたいわ…」
と、言ってから、いったん間を置いて、
「…でも、この体調だから…」
と、続けた…
要するに、
…ホントは、会いたいが、この体調だから、会えない…
と、遠回しに言ったのだ…
自分でも、天邪鬼(あまのじゃく)と思ったが、彼女の思い通りになるのは、嫌だった…
どうしても、嫌だった…
が、
その返答ですら、彼女は、予想していたかのようだった…
「…それは、残念ですね…」
と、彼女は、言った…
それから、
「…でも、綾乃さん…」
と、続けた…
「…なに、菊池さん?…」
「…今、社長に会わなければ、また会えなくなっちゃいますよ…」
「…エッ? …なに? …どういうこと?…」
「…社長は、今、定期的に、居場所を変えているんですよ…」
「…どういうこと?…」
「…社長は、借金の返済で、一時、その筋のひとから、お金を借りようとしたんです…それで、その筋のひとから、恨みを買っているかも、と、思って、記者会見後も、姿を現さないんです…」
菊池リンが、したり顔で、言う…
私は、驚いた…
実に、驚いた…
そんな話は、聞いたことがなかった…
これまで、そんな話は、見たことも、聞いたことも、なかった…
が、
それが、ウソだとも、思えない…
なにより、話に信ぴょう性がある…
それが、事実なら、なにより納得する…
もし、その筋のひとから、恨まれて、身を隠しているとしたら、私に連絡をよこさないのも、納得できる…
私をトラブルに巻き込ませないために、連絡をよこさないなら、納得できる…
私は、思った…
私は、考えた…
なにより、その発言の主が、菊池リン…
五井一族の菊池リンだ…
だから、余計に、今の話は、納得できた…
そして、その話に納得できた私は、
「…どこにいるの?…」
と、菊池リンに聞いた…
これまでとは、打って変わって、強い口調で、聞いた…
すると、菊池リンは、待ってましたと、ばかりに、
「…知りたいですか?…」
と、聞いた…
にやりと、意地の悪い笑みを浮かべながら、聞いた…
「…ええ、知りたいわ…」
「…ホテルですよ…」
「…ホテル?…」
「…ホテルを転々としています…その方が、居所を掴めないでしょ?…」
言われてみれば、もっともなことだった…
言われてみれば、当たり前…
誰もが、考えつくことだった…
が、
誰もが、考えつくことだが、肝心のホテルの名前がわからない…
また、わかったとしても、そのホテルに問い合わせても、答えるわけがない…
守秘義務があるからだ…
まして、ナオキは、公人…
公人=有名人だ…
だから、余計に、答えるわけがない…
拘置所から出て、FK興産の株を売った…
その件で、世間を賑わせている…
それは、ホテルも承知…
十分承知している…
だから、余計に、ナオキが、滞在しようと、教えるわけがなかった…
これは、どこのホテルでも、同じ…
世間に名の知れた著名なホテルなら、どこも、同じだろう…
マスコミにでも、探られ、簡単にベラベラしゃべっては、信用されない…
そんなホテルは、著名人のみならず、一般人も敬遠する…
その結果、ホテルの信用が、失墜し、下手をすれば、経営危機に陥りかねない…
当たり前のことだ…
そして、そこまで、考えたとき、思った…
と、いうことは、どうだ?
今の菊池リンの口調では、
…今、現在、彼女は、ナオキが、どこのホテルに滞在しているか、知っている…
が、
その後は、わからないと、いうことだ…
あくまで、彼女の言葉を信じれば、だが、そういうことだ…
そして、なぜ、私が、彼女の言葉を信じないか?
それは、彼女、菊池リンが、五井家を代表して、私に接触してきたとは、どうしても、思えないからだ…
彼女、菊池リンは、和子の孫…
あの五井の女帝、諏訪野和子の孫だ…
だから、和子の命に従って、行動しているか?
と、問われれば、違うと、思うからだ…
だから、彼女の目的がわからない…
なにを、考えているか、わからない…
だから、なおさら、彼女の誘いに乗っていいか、どうか、わからない…
いくら、考えても、わからない…
だから、私は、悩んだ…
目の前の菊池リンを見ながら、悩んだ…
が、
結局、彼女の言う通りにした…
彼女に、従った…
彼女を疑うより、私の好奇心の方が、勝ったということだ…
ナオキに会いたい気持ちが勝ったということだ…
また、思ったより、体調が、良かったことも、大きい…
私は、癌患者…
どうしても、自分の体調を優先する…
自分の体調を優先して、行動を考える…
どこかに行こうとして、その途中で、カラダが、いうことを、きかなくなっては、目も当てられないからだ…
だから、なにより、体調が、いいことが、大きい…
そういうことだ…
私は、菊池リンと、タクシーに乗って、ナオキのいる、ホテルに向かった…
菊池リンは、タクシーに乗って、私の住むマンションにやって来ていたからだ…
だから、私は、菊池リンと、タクシーに乗りながら、
「…菊池さん…アナタ、クルマの免許を持ってないの?…」
と、聞いた…
聞かずには、いられなかった…
すると、
「…エッ? …どうして、そんなことを、聞くんですか? …綾乃さん?…」
と、真逆に、菊池リンが、驚いた表情をした…
「…いえ、どうしてといっても、菊池さんぐらいの年齢なら、免許は、持っていると、思って…」
私が、遠慮がちに言うと、彼女が、
「…綾乃さん…古いですよ…」
と、私を笑った…
「…古い?…」
「…そう…古いです…私の周りの友人、知人で、クルマの免許を持っているのは、少数です…」
「…エッ? …少数?…」
「…そうです…」
「…でも、それは、菊池さんの友人や、知人だから、皆、お金持ちだからじゃ…」
「…違いますよ…」
菊池リンが、怒った表情で、言う…
「…金持ちと、免許があるなしは、関係ありません…」
菊池リンが、憮然とした表情で、続ける…
私は、こんな彼女を見るのは、初めてだった…
これまで、私が見てきた彼女は、FK興産で、
「…綾乃さん…綾乃さん…」
と、まるで、私を姉のように慕う、可愛らしく、頼りない彼女の姿だった…
それが、彼女の演じた仮面の姿であることは、すでに、気付いていたが、それでも、今の不機嫌な姿は、想像もできなかった…
が、
彼女の不機嫌な理由は、なんとなく、想像がついた…
だから、
「…もしかして、菊池さん?…」
と、聞いた…
「…なんですか? …綾乃さん?…」
「…菊池さん…お金持ちの家に生まれたのが、嫌だったの?…」
直球で聞いた…
これまで、思っても、みないことを、直球で、聞いた…
この質問に彼女のカラダが、こわばるのが、わかった…
私は、思いがけず、彼女の痛いところを、突いたのだ…
彼女の弱点を突いたのだ…
「…それは、嫌ですよ…」
と、彼女は、口を尖らせて、言った…
ふてくされたように、言った…
「…どうして、嫌なの?…」
「…それは、周囲の目ですよ…」
「…周囲の目?…」
「…私が、五井家の人間だと知ると、周囲の目も変わります…」
「…どう、変わるの?…」
「…お金持ちの通う学校の中でも、いわゆるスーパーお金持ちだから、周囲の目も変わります…私を持ち上げたり、私を、真逆に、いじめたり…」
菊池リンが、憤懣やる方のない口調で、言う…
私は、そんな彼女を見て、以前、伸明が、同じことを、言ったことを、思い出した…
このタクシーで、隣に座る菊池リンと同じことを、言ったことを、思い出した…
伸明もまた同じ…
学生時代、同級生の輪に入れず、苦悩したことを、告白した…
五井家の御曹司というスーパー金持ちゆえに、周囲から、羨望と嫉妬で、孤立したことを、私に告白した…
つまり、同じ…
今、菊池リンが、告白した悩みと同じ悩みだった…
それを、聞いて、つくづく、金持ちに生まれても、決して、幸福ではないな、と、思った…
真逆に、私は、幸せだったと、思った…
お金もなく、母と二人暮らしの母子家庭…
が、
それが、不幸だと、思ったことは、一度もない…
たしかに、お金はなかったが、日々の生活に困るほど、貧しくはなかった…
なにより、母は、私を愛していた…
私を溺愛していた…
いかに、自分の母親とて、娘を愛しているかと、問われれば、正直、それほど、愛していない母親もいる…
それが、わかるのは、母親が、離婚したとき…
大半は、母親が子供の面倒を見るものだが、稀に父親が見るものもいる…
養育費など、いろいろな問題があるが、極論すれば、自分の産んだ子供より、男を取ったということだろう…
これから、自分が再婚する男を優先する…
そんな実例も少なからずある…
私は、そんなことを、考えた…
同時に、いかに、お金持ちの家に生まれても、決して、幸福な人生を歩んできたわけじゃないんだと、あらためて、思った…
この菊池リンを見て、思った…