第43話

文字数 4,038文字

すっかり、気が滅入ってしまった…

それが、偽らざる気持ちだった…

それが、偽らざる本音だった…

私は、コーヒーを、飲み干すと、スタバを出た…

一刻も早く、自宅に帰りたい…

そんな気分だった…

実に、憂鬱…

憂鬱な気分だった…

生きているのは、正直、辛いことが、多い…

とりわけ、自分が、信じていた人間に、裏切られるのは、その一つかも、しれない…

私は、まだ、伸明とは、一度キスをしただけだが、こんなにも、落ち込んだ…

これが、結婚でも、していたら、どうなんだろ?

突然、思った…

ありがちなのが、夫が、自分を裏切って、他の女と不倫している…

それは、大きなショックに違いない…

が、

本当に、そうか?

天邪鬼な私は、つい、考えてしまう…

不倫もなにも縁のない男なら、わかる…

が、

大抵は、いっしょに暮してみれば、そのうちに、どんな男だかは、わかるものだ…

だから、突然、不倫が、バレても、

…ああ、やっぱり!…

と、思うのが、大半なのではないか?

だから、不倫がわかっても、心の底から、驚く女は、ごく少ないのではないか?

ふと、そう、思う…

むしろ、不倫をしているのが、わかって、ショックなのは、夫が、絶対、不倫をしないと、思っていた場合…

盲目的に、夫を信じていた場合だ…

それが、裏切られたら、ショック…

実に、ショックだ…

これは、妻の場合も、同じ…

夫が、自分の妻は、決して、不倫はしないと、思っていたにも、関わらず、不倫をしていたなら、ショックに決まっているからだ…

要するに、話が長くなったが、ここで、言いたいのは、相手を心の底から、信じているか、否か…

それに尽きる…

心の底から、信じていなければ、夫や妻が、不倫をしても、

「…アイツだから、やっぱり…」

だとか、

「…昔から、そういうヤツだった…」

と、思って、落胆はない…

そういうことだ…

信じていたのに、裏切られれば、そのショックは、計り知れない…

私は、伸明のことを、盲目的に信じていたわけでは、決してないが、そこまで、ズルい男だと、思ったこともない…

これが、私の伸明の評価…

ウソ偽りのない評価だ…

そして、もし、伸明が、私の思っていた人間と違っていた場合…

これは、正直、落胆する…

同時に、自分自身にも、また落胆する…

32歳にもなって、そんなにも、ひとを見抜けないのかと、自分自身にも、落胆する…

他人の性格や能力を見抜けない、自分の能力の低さを知って、落胆する…

そういうことだ…

私は、そんなことを、考えながら、家路に着いた…

ひどく、心細い気持ちだった…

不覚にも、つい涙が出てしまいかねないほど、心細かった…

こんなとき…

こんなとき、これまで、自分は、どうして、いただろう?

ふと、思った…

ナオキだった…

これまで、私の近くには、ナオキが、いた…

藤原ナオキがいた…

ナオキとは、高校時代に男女の関係になったが、その関係は、長く続かなかった…

ナオキが、無類の女好きだったからだ…

だから、ナオキの妻だったユリコが、失踪して、その後釜として、私が、ナオキとジュン君といっしょに暮した…

大人のナオキは、ともかく、まだ幼いジュン君は、誰かが、面倒を見る必要があったからだ…

だから、三人で、暮らした…

が、

それから、数年して、ナオキは、家を出て、私やジュン君とは、別に暮らした…

無類の女好きだったナオキは、家を別に、持っていた方が、なにかと、都合がいいと、考えたからだ…

なにより、躊躇なく、自宅に女を呼べる(笑)…

私や、ジュン君がいれば、それができないからだ…

それゆえ、別に暮らした…

が、

ナオキと私は、職場は、いっしょ…

会社が、創業当時から、格段に大きくなっても、いっしょだった…

ナオキは、社長…

私は、秘書として、ナオキに仕えた…

だから、プライベートでは、いっしょでは、なくなったが、会社では、いつも、いっしょだった…

ずっと、いっしょだった…

だから、ナオキとは、なんでも、言い合える仲だった…

もはや、私とナオキは、夫婦ではないのだけれども、元夫婦というか…

他人だけれども、まったくの他人というわけではない…

言葉にすると、難しいが、とにかく、そういう関係だった…

だが、そのナオキは、今、いない…

留置所の中…

それを、思うと、急に寂しくなった…

これまで、考えたことのないくらい、寂しくなった…

普通ならば、今、ユリコが言ったことを、そのまま、ナオキにぶつけるだろう…

そして、ナオキの意見を聞くだろう…

ナオキが、どういうことを、言うかは、わからない…

が、

ナオキが、なにを言うかが、問題ではなく、ナオキに聞いて、もらえるのが、嬉しいのだ…

いわば、自分の味方…

信頼できる味方…

心の底から、信頼できる味方…

そんな数少ない味方が、私にとってのナオキだった…

それが、今、あらためて、わかった…

たった今、ユリコと話した内容を告げ、相談できる相手…

それは、私にとって、ナオキしか、いなかった…

諏訪野伸明では、決してない…

藤原ナオキしか、いなかった…

私は、今、あらためて、その現実に、気付いた…

気付いたのだ…

そして、ジュン君…

ユリコの実の息子のジュン君…

私をクルマで、ひき殺そうとした、ジュン君だ…

私は、ジュン君を、子供の頃から、面倒を見た…

母親のユリコが、突然、失踪したからだ…

だから、ユリコの代わりに、ナオキの家庭に入って、ジュン君の面倒を見た…

そして、これは、後で、知ったことだが、ジュン君は、ナオキの子供では、なかった…

ユリコが、ナオキと出会う前に、男女の関係だった男の子供…

その男が、ナオキと、ルックスが、似ているから、ユリコは、ナオキの子供と、偽った…

これが、後で、知った事実…

事実だった…

私は、当時、事実上、ユリコの後釜として、ナオキの家庭に入って、ナオキと、ジュン君と共に、暮らした…

そのとき、これは、疑似家族だと、思った…

ナオキとは、結婚もしていないからだ…

が、

ジュン君がいる…

私の子供ではないが、子供のようだ…

だから、疑似家族…

他人から、見れば、家族のようだが、実際は、家族ではない…

だから、疑似家族と、私は、心のどこかで、思っていた…

が、

それは、間違いだった…

正真正銘の疑似家族だった…

なぜなら、ジュン君は、ナオキの子供では、なかったからだ…

だから、3人いっしょに、暮らしていても、誰も、血が繋がっていない…

家族だが、誰も、血が繋がっていない…

だから、疑似家族だった…

私は、今、振り返れば、そう、思う…

そして、ここで、私が、言いたいのは、ジュン君の存在だ…

ジュン君は、私をひき殺そうとしたが、どうしても、心の底から、憎めない…

それは、ジュン君を子供の頃から、知っているから…

血は繋がってないが、ナオキに似た長身のイケメン…

なにより、ジュン君は、気が弱い…

だから、自分が、ナオキの息子でないと、わかって、頭が、混乱した…

そして、偶然、私を見て、ひき殺そうとした…

気の弱いジュン君は、自分が、藤原ナオキの息子ではないと、わかって、どうしていいか、わからなかったのだ…

そして、今、思ったのは、こんなとき、ジュン君がいれば?

と、思った…

ジュン君は、頼りない…

だから、相談事など、ジュン君には、できない…

が、

ジュン君は、あったかい…

だから、ジュン君が、身近にいれば、ホッとする…

ホッとして、心が安らぐ…

そういうことだ…

例えは、悪いかも、しれないが、これは、自分の家のペットでも、同じ…

犬でも、ネコでも、同じだ…

話すことは、できないが、いっしょにいると、ホッとする…

それと、同じだ…

自分より、十二歳も、年下で、頼りないジュン君が、身近にいたところで、相談事など、とても、できない…

が、

身近にいれば、あったかく、気持ちがやすらぐ…

そういうことだ…

だから、ナオキか、ジュン君が、今、身近にいれば?

と、心の底から、思った…

こんなに落ち込んだときに、身近に、いれば、私の心が、安らぐのに、と、心の底から、思った…

そして、そんなことを、考えながら、あらためて、私にとって、ナオキとジュン君は、家族…

疑似家族だと、思った…

 そして、この二人が、いかに、自分にとって、大切な存在かと、実感した…


 家に帰ると、私は、まず、ベッドに横たわった…

 正直、なにもしたくなかった…

 カラダも心も限界だった…

 疲労の極限に達していた…

 よく、病は気から、という表現があるが、この言葉をものすごく実感した…

 多少、カラダの具合が、悪い程度なら、気力でカバーできる…

 自分の体調の悪さをカバーできる…

 が、

 今は、その気力も萎えていた…

 その気力も失っていた…

 カラダは、ボロボロ…

 気力も、ない…

 すでに、詰んでいた…

 私の人生が、詰んでいた…

 そんな予感がした…

 ベッドに横になり、ひとりぼっちで、いると、つくづく、自分が、惨めになった…

 つくづく、自分が、ひとりぼっちだと、実感した…

 いや、

 そうではない…

 元々、私は、ひとりぼっちだったのだ…

 東京に出る前…

 田舎では、ずっと母と二人暮らし…

 とりたてて、仲の良い友人もできなかった…

 だから、従妹の寿綾乃になりすまして、東京に出ることが、簡単にできた…

 自分にとって、田舎が、居心地が、良ければ、簡単に田舎を捨てることは、できない…

 当たり前のことだ…

 居心地が悪いから、簡単に捨てられる…

 そういうことだ…

 そして、上京して、寿綾乃として、過ごした日々が、心地よかった…

 今となっては、実に心地よかった…

 そういうことだ…

 これは、僥倖…

 寿綾乃として、生きた僥倖…

 本名の矢代綾子では、ありえなかった僥倖…

 もしかしたら、そういうことかも、しれない…

 あのまま、田舎で、矢代綾子として、過ごせば、ナオキとジュン君と出会うことも、なかった…

 そういうことだ…

 そして、三人で過ごした日々が、楽しかった…

 まだ生まれて、33年にも、満たない女が、自分の人生を総括するようなことを、言うのは、おかしいかも、しれないが、これが、事実…

 偽らざる自分の気持ちだった…


               
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