第33話

文字数 4,660文字

 結局、その後、検診のため、長谷川センセイと対面したが、お互いに、気まずかった…

 だからだろう…

 長谷川センセイの口調は、ひどく事務的だった…

 私のカラダを一通り検査した後、

 「…特に、異常はありません…」

 と、短く言った…

 私のカラダを検査するときも、ひどく事務的だった…

 事務的というのは、感情を入れずに、淡々と、仕事をこなしている感じだった…

 が、

 もしかしたら、この表現は、おかしいかも、しれない…

 男の医師が、女のカラダを検査するのに、感情を昂らせていては、仕事にならないからだ(笑)…

 男の医師の感情が昂れば、当然、女の患者も、それに、気付く…

 セックスをするのではないのだから、医師と患者のどちらかが、感情を昂らせては、たまったものではない…

 それでは、まともな診察など、できるはずがない…

 そういうことだ…

 そして、そんなことを、考えると、自然に頬が緩んだというか…

 口元にうっすらと、笑みが浮かんだ…

 そして、目の前の長谷川センセイは、すぐさま、それに、気付いた…

 「…どうしました? …寿さん?…」

 「…どうかしたと、おっしゃいますと?…」

 「…いえ、なんだか、寿さんが、今、笑っているような気がして…」

 長谷川センセイが、ひどく事務的に、言う…

 私は、言おうか、言うまいか、少し悩んだが、やはり、言うことにした…

 「…いえ、センセイのお仕事は、大変だなと、思って…」

 「…大変? …なにが、大変なんですか?…」

 「…男のひとが、女性のカラダを見るのは、やはり、感情を抑えるのが、大変だと、思って…」

 私が、言うと、長谷川センセイが、唖然とした表情になった…

 「…とりわけ、若くキレイな方ならば、ご自分の感情を抑えるのが、大変だと、思って…」

 私が、言うと、背後に、いた、女性の看護師二人が、笑いを抑えられない表情になった…

 もう少しで、笑い出す瞬間だった…

 そして、それは、目の前の長谷川センセイも、同じだった…

 どう返答していいか、わからなかったのだろう…

 「…克己心です…」

 と、ひどく真面目な表情で、言った…

 「…克己心ですか?…」

 「…そうです…己に勝つ…己の欲望に勝つ…それだけです…」

 長谷川センセイが、言うと、背後の若い女性看護師二人が、もう無理とばかりに、爆笑した…

 声を出して、笑った…

 そして、

 「…センセイったら、ウソばかり…」

 と、声に出して、言った…

 「…ウソばかりって?…」

 私は、彼女に聞く…

 「…たしかに、長谷川センセイは、口にこそ、出さないけれども、患者さんが、若くて、キレイな女のひとだと、口元が緩むというか…嬉しそうな表情になるんですよ…ただ、それが、診察のときだけは、一転して、真面目な表情になるから、それを、近くで、見ている私たちも、おかしくて…」

 女性看護師が、暴露する…

 そして、それは、本当のことなのだろう…

 目の前の長谷川センセイの顔が、真っ赤になった…

 そして、恥ずかしそうに、私を見た…

 なんて、答えて、いいか、わからない様子だった…

 それは、ちょうど、自分の好きな女の前で、自分が、秘密にしておきたい話を暴露されたような表情だった…

 それを、見て、思わず、私も吹き出す寸前になった…

 長谷川センセイは、真っ赤の顔のまま、

 「…なにが、おかしいんですか?…」

 と、まるで、子供がすねたような表情で、言った…

 「…ボクだって、男です…普通の男です…だから、当たり前です…」

 「…当たり前?…」

 私は、わざと、笑いながら、言った…

 「…そうです…だから、克己…己の欲望を抑える…己の欲望に打ち勝つ…そう、願ってます…」

 長谷川センセイが、真っ赤の顔のまま、言うと、背後の若い女性看護師二人が、笑い転げた…

 実に、おかしかったのだろう…

 私もおかしかったが、さすがに、彼女たちのようには、笑えなかった…

 もちろん、立場の違いもある…

 が、

 年齢の問題の方が、大きい…

 若い女性看護師二人は、二十代前半…

 四十代前半の長谷川センセイから比べると、親子ほど年が離れている…

 だから、長谷川センセイから、見たら、子供…

 まるで、自分の子供だ…

 だから、そんな子供が笑っても、目くじらを立てて、怒るのも、大人げないというか…

 が、

 さすがに、私は同じ対応は、取れなかった…

 私は、もうすぐ33歳になる…

 十歳以上、年下の彼女たちと同じ行動は、とれなかった…

 だから、ただ、微笑むだけだった…

 うっすらと、微笑むだけだった…

 そして、そんな私を見て、

 「…では、今日の検診は、これで、終了です…」

 と、長谷川センセイが、真っ赤の顔のまま、告げた…

 私も、それに、応じて、

 「…わかりました…本日は、ありがとうございました…」

 と、頭を下げて、席を立とうとした…

 その私に、

 「…寿さん…」

 と、再び、長谷川センセイが、声をかけた…

 「…ハイ…なんでしょうか?…」
 
 「…頭が切れますね?…」

 突然、言った…

 正直、意味がわからなかった…

 なんで、いきなり、そんなことを、言うのか?

 意味がわからなかった…

 だから、

 「…おっしゃる意味がわかりませんが?…」

 と、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 「…場を和ますのが、うまい…」

 「…どういう意味ですか?…」

 「…さっき、あんなことがあった後ですから…」

 長谷川センセイが、言った…

 そして、その言葉がすべてだった…

 私と長谷川センセイにだけ、わかる言葉…

 長谷川センセイの背後にいた若い女性看護師二人は、意味がわからず、互いに顔を見合わせていた…

 そして、それ以上は、長谷川センセイは、なにも、言わなかった…

 言うべき言葉が、見つからなかっただろう…

 唯一、

 「…お大事に…」

 と、私に声をかけた…

 私は、

 「…ありがとうございます…」

 と、言って、この場を後にした…

 ある意味、面白い展開だった…

 実は、私は、それほど、場を盛り上げようとしたわけではなかった…

 が、

 深刻なのは、嫌だった…

 さっき長谷川センセイとあんなやり取りをした後だ…

 どうしても、場が、緊張する…

 場が、気まずくなる…

 だから、軽い冗談を言ったつもりだったが、それが、予想外にウケた…

 ウケた原因は、わかっている…

 若い女性看護師二人が、笑ったからだ…

 そのおかげで、私と長谷川センセイの間にあった、緊張感が、一気に和らいだ…

 それは、まさに、彼女たちのおかげだった…

 彼女たちが、あんなにも、笑い転げなければ、あんなにも、場が和まなかった…

 私と長谷川センセイだけでは、同じことを言っても、あれほど、場が盛り上がらなかったに違いない…

 そして、それを、思えば、彼女たちに、感謝しなければ、ならない…

 診療室を、出ながら、つくづく、そう、思った…

 そう、思ったのだ…

 
 そして、診察室を出た私は、一階のロビーに、向かった…

 会計を済ませるためだ…

 どこの病院も、そうだが、会計は、皆、一階のロビーで、行うのが、多い…

 この五井記念病院も、例外では、なかった…

 だから、私も、会計を済ませるために、一階のロビーの会計に向かうと、思いがけず、

 「…寿さん?…」

 と、いう声がした…

 私は、反射的に、声のする方を振り返った…

 と、そこには、諏訪野マミが、いた…

 さきほど、腹違いの兄の伸明といた、諏訪野マミが、いた…

 ひどく、驚いた表情のマミが、いた…

 「…偶然…ホント、偶然ね…」

 と、マミが、ビックリした様子で言う…

 「…寿さん…この病院に、なにか、用事があったの?…」

 「…ええ…」

 と、曖昧に、言葉を濁したが、すぐに、

 「…定期健診です…」

 と、言葉を、続けた…

 「…定期健診?…」

 「…ほら、私、以前、クルマにはねられて、この五井記念病院に運ばれたでしょ? それで、退院した今も、定期的に、この病院を訪れて、定期健診を続けているんです…」

 私が、説明すると、

 「…そう…」

 と、マミさんが、納得した表情になった…

 「…だから、寿さん、ここにいるんだ?…」

 「…そういうマミさんは、今日は、どうして、ここへ? どこか、悪いところが、あるんですか?…」

 「…別に、悪いところは、ないわ…」

 マミが、答える…

 「…だったら、どうして?…」

 「…お見舞いよ…お見舞い…」

 マミが、そう、言って、笑った…

 「…お見舞いって、誰か、知っているひとが、入院しているんですか?…」

 「…ええ…まあ…」

 マミが、曖昧に、言葉を濁す…

 私は、そんなマミを見て、

 …ウソが、つけない性格だな…

 と、内心、思った…

 そして、

 …もっと、ウソをうまくつけば、いいのに…

 とも、思った…

 同時に、安心した…

 このマミが、私が、以前から、思っていた通り、裏表が、ない性格だと、思ったからだ…

 だから、安心した…

 こちらが、信頼できると、思っていた人物が、実は、裏表のある人物だったと、いうことは、世間には、よくあることだ…

 これは、学校でも、会社でも、同じ…

 同じだ…

 仲が良くなり、つい、あまり学校や職場では、知られては困る、クラスの人間や、職場の同僚の悪口を言ったとする…

 それが、数日後、いつのまにか、クラスや職場で、話題になっている…

 自分が、つい、気を許した、クラスの友人や、会社の同僚が、漏らしたからだ…

 こんな経験は、誰にでも、一度や二度は、あるものだ…

 そして、そんな経験から、ひとは、学んでゆく…

 少し、おおげさに、言えば、

 …その人間が、信頼できる人物か否か…

 見極める必要を学んでゆく…

 私は、そこまで、言わなくても、マミさんは、信頼できる人物だと、思っていた…

 たいした詮索をせずとも、信頼できる人物だと、判断していた…

 これは、別に深い理由はない…

 単純に直観…

 直観だった…

 誰が、見ても、信頼できない人間は、普通、一目見て、わかるものだ(笑)…

 おそらく、自分が、他人から、信頼できない人物だと、考えていない人間は、自分だけ(笑)…

 自分だけ、自分は、信頼できると、思っている(爆笑)…

 そういうものだ…

 が、

 そんな人間には、誰も、近づかない…

 近づくのは、同じように、性格に難のある人間たちだけ…

 そして、そんな人間たちが、皆、徒党を組む…

 だから、余計に、学校でも、職場でも、煙たがれる…

 が、

 これは、安心…

 安心だ…

 誰も、彼ら、彼女らに、気を許さないからだ…
 
 だから、安心…

 困るのは、一見、信頼できる人物のように、見えて、実は、そうでない人物…

 こういう人間が、一番、厄介だ…

 そういう人間には、ついペラペラと、しゃべっては、いけない話をつい、しかねないからだ…

 だから、困る…

 信頼できる人物だと、思って、つい、油断する…

 警戒心が、おろそかになる…

 だから、困る…

 困るのだ…

 それゆえ、もしかしたら、マミさんも、そういう人間かも?

 と、考えた…

 が、

 今の表情で、それは、杞憂に過ぎないと、考えた…

 明らかに、私にウソは、ついたが、それが、下手だったからだ…

 だから、信頼できる…

 だから、信用できる…

 そう、思った…

 ウソをついたにも、関わらず、そのウソが下手だから、信用できるなんて?

 ある意味、笑える…

 が、

 これは、真実…

 真実だった…

 ウソが下手だから、信頼できる…

 これは、ある意味、マミらしい…

 マミの人柄を現している…

 実に、そう思った…

 そう思ったのだ…

              
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