第73話

文字数 4,140文字

 結局、そんな諸々のことが、わかると、途端に居心地が悪くなってきたというか…

 目の前の伸明には、すまないが、一刻も早く、この場から、立ち去りたくなった…

 伸明に対する愛情も薄れたとまでは、言わないが、伸明に対する、私の気持ちに変化が、現れたのは、確か…

 確かだった…

 それは、どんな変化か?

 これは、自分で、言うのも恥ずかしいが、これまでは、もしかしたら、私は、伸明と結婚できるかも、しれない…

 明らかに、身分が天と地ほども身分が違うにも、かかわらず、そんな夢を持っていた…

 それは、大げさに、言えば、宝くじで、一億円が当たるような夢だが、それでも、心のどこかで、

 …もしかしたら?…

 と、気持ちがあった…

 それが、事実…

 偽りのない事実だった…

 が、

 それが、今、夢だと、わかった…

 私が、心の片隅で抱いた、小さな夢に過ぎないと、わかった…

 すると、どうだ?

 自分で、自分に笑ってしまうが、途端に、伸明のことなど、どうでも、よくなってきた…

 所詮は、結婚できない…

 結婚なんて、ありえない相手だと、気付いたのだ…

 そう、思えると、伸明のことなど、どうでも、よくなってきた…

 所詮は、身分違いの恋…

 身分違いの相手だ…

 私が、どう背伸びしても、届かない相手…

 そう、考えれば、興味も失せる…

 若い、中学生や高校生が、手の届かないアイドルに夢中になるのと、同じ…

 若いから、決して、手の届かないアイドルに夢中になるが、私のように、32歳にも、なれば、手の届かないアイドルに夢中になって、追っかけをしたり、グッズを買ったりする、バカバカしさに、気付く…

 それと、同じだ…

 要するに、いつまでも、夢見る少女では、いられないということだ…

 と、

 そこまで、考えて、自分という人間は、いかに、自分勝手か?

 と、思った…

 手に入るかも、しれないと、思っていたときは、夢中になり、真逆に、手に入らないと、わかると、途端に、手のひらを返して、冷たくなる…

 まるで、子供だ…

 ベクトルは、変換したが、絶対値は、変わらなかった…

 つまりは、同じ強さで、真逆にブレる…

 これまでは、好き…

 そして、これからは、好きじゃない…

 これを、例えば、数値に置き換えれば、80や90が、好きとすると、今度は、真逆に、マイナス80やマイナス90になるとでも、いうべきか?

 つまり、同じぐらいの気持ちで、伸明に興味を失ったとでも、いうべきか?

 私は、思った…

 そして、そんな私の気持ちが、表情に現れたのだろう…

 目の前の伸明の態度も、また、変わった…

 どう変わったと言えば、難しいが、必要以上に、私に接しなくなったとでも、いえば、いいのだろうか?

 これまでは、

 「…寿さん…大丈夫ですか?…」

 とか、

 「…寿さん…カラダに気をつけて下さい…」

 と、頻繁に声をかけてきたが、違ってきた…

 声をかけてこなくなった…

 これは、思い過ごし?

 私の思い過ごしかもしれない…

 が、

 なんだか、私と伸明の間に、急に冷たい空気が、流れ出したというべきか…

 途端に、よそよそしくなった気がした…

 これは、私でも、伸明でも、同じ…

 同じだった…

 これまでとは、一転して、他人に近くなったといえば、言い過ぎだが、どこか、距離を感じた…

 私は、伸明に…

 伸明は、私に…

 距離を感じた…

 これは、私の思い過ごしでは、決してない…

 互いに、どこか、よそよそしくなったのだ…

 だから、口を利かなくなった…

 私も伸明に…

 伸明も私に…

 口を利かなくなった…

 だから、いたたまれなくなった…

 互いに、この場にいるのが、苦痛になった…

 そして、気が付くと、

 「…帰ります…」

 と、言っていた…

 私の口から、出ていた…

 が、

 当然のことながら、それを、伸明は、止めることは、なかった…

 だから、私も、

 「…では、失礼します…」

 と、軽く、伸明に頭を下げて、病室を出た…

 また、病室を出るときには、不思議と体調が、回復していたというか…

 この病室を出るのに、たいして、体力を必要としなかった…

 これが、仮に、伸明に、

 「…では、失礼します…」

 と、言って、この病室を出ようとして、そこで、カラダが、満足に動かず、その場に倒れでもしたら、目も当てらない…

 それでは、ギャグ…

 まるで、お笑いだ…

 だから、それに、気付くと、

 …カラダが、動けてよかった…

 と、心の底から、安心した…

 そして、私が、この諏訪野伸明のいる病室から出ようとすると、出入り口にいた、見るからに、屈強なボディーガードの男二人が、まだ、立っていた…

 私は、彼らに、

 「…帰ります…お仕事、ご苦労様です…」

 と、軽く頭を下げて、二人の前を歩いた…

 そして、当たり前だが、彼らは、私には、なにも、しなかった…

 ただ、私が、彼らに頭を下げたから、彼らもまた、反射的に、頭を下げた…

 それだけだった…

 私は、足早に歩いた…

 一刻も早く、自宅に帰りたい…

 思うのは、それだけだった…

 正直、伸明のことは、どうでもいい…

 ナオキのことも、心配だが、今は、ナオキには、悪いが、それどころではない…

 一刻も早く、家に帰って休みたかった…

 そして、そんなことを、言えば、ついさっきまで、本来伸明の寝るベッドに、寝ていたではないか?

 と、突っ込みが入るかも、しれない…

 が、

 自宅と、伸明のいた病室では、違う…

 なにが、違うかと、問われれば、安心感が、違う…

 やはり、自宅は、病院と違って、安心できる…

 それは、私のように、病気持ちの女が、言うのは、おかしいのかも、しれない…

 なぜなら、私のように、病気持ちの身では、病院の方が安心できるからだ…

 いつ、自分が、倒れても、病院にいれば、医師が、すぐに、対応できるからだ…

 が、

 しかしながら、仮に私が、余命いくばくもない身だとしたら、どうだろう?…

 最後は、自宅で、死にたいと、願うかも、しれない…

 私には、家族も、なにもない…

 たった一人の身内である、母は、すでにない…

 あるのは、疑似家族…

 疑似の夫のナオキと、疑似の息子のジュン君だ…

 だから、ホントは、彼ら二人に、見守られて、死にたい…

 それが、私の本望…

 本望だ…

 だから、今もそれと、同じ…

 同じだ…

 いくら、焦ったところで、病気が、どうにかなるものではない…

 だから、それを、思えば、自宅で、死にたい…

 自分が、もっとも、心安らぐ場所で、死にたい…

 そう、思った…

 そして、そんなことを、考えながら、五井記念病院を出て、家路に向かった…

 
 家に着くと、私は、まず、着替えようとした…

 必死になって、歩いてきたからか、体中汗ばんだ気がした…

 実に、自分が、汗臭く感じた…

 それが、嫌だったのだ…

 これは、当たり前…

 なんといっても、私は、病気持ち…

 癌持ちの身だ…

 いくら、体調の良いときでも、普通の人より、体調が、悪いのが、当たり前…

 そんな人間が、遠く離れた病院に通うだけでも、大騒動…

 だから、普通のひとよりも、大量に汗をかく…

 当たり前のことだった…

 だから、着替えようと思ったが、着替えるとなると、今度は、お風呂に入りたくなった…

 ホントは、軽くシャワーを浴びるだけでも、良かったが、やはり、きちんと、浴槽に浸かりたい…

 そう、思った…

 我ながら、我がままというか…

 ドンドン、希望が、増える(笑)…

 案外、私は、欲張りな女?…

 常に、自分を主張する女?…

 そう、気付いた…

 なにしろ、次々と自分の希望が増える…

 そして、そんな女は、会社でも、学校でも、家庭でも、常に、自分の主張を次々と、言い、それを、通そうとするものだからだ…

 いわゆる、我がまま女…

 もしかしたら、自分も、そう…

 同じだと、気付いた…

 会社や、学校で、嫌われる女の典型だと、気付いた…

 これは、マズい!

 と、思った…

 自分では、気付かなかったが、もしかしたら、自分は、他人に嫌われる人間の典型を持ち合わせているのかも、しれない…

 ただ、これまでは、それを、抑えていただけ…

 生まれた家庭は、母子家庭…

 決して、裕福ではない…

 だから、もしかしたら、本来わがまま放題の性格だったものを、無意識に抑えていたのかも、しれない…

 家が、貧乏なのに、我がままは、できないからだ…

 そして、それが、いつのまにか、ナオキの事実上の妻として、成功し、生活の質も、向上した…

 が、

 生来の貧乏性のせいか、我がままには、なれなかった…

 と、そこまでは、よかったが、癌にかかり、己を抑えられなくなった…

 これまで、無意識に自分にブレーキをかけていたのが、歯止めがきかなくなった…

 そう、思った…

 自分でも、それまで、気付かなかった自分の我がままさが、出てきている…

 そう、気付いた…

 これは、マズい!

 実に、マズい!

 これでは、誰にも、嫌われる…

 それは、困る…

 困るのだ…

 なぜ、困るのか?

 それは、私が、病人だから…

 病人は、誰かに、面倒を見て、もらわなければ、ならない…

 一人では、なにもできないからだ…

 だから、誰かに、助けてもらわなければ、ならない…

 例えば、病院に入院すれば、医師や看護師に助けてもらわなければ、ならない…

 が、

 いかに、医師や看護師とて、人間…

 当たり前だが、好き嫌いはある…

 仕事だから、患者の面倒は、見るが、やはり好きになれない人間を、積極的に、面倒を見る気には、なれない…

 必要最小限の面倒を見るだけだろう…

 そう、思った…

 が、

 それでは、患者が困る…

 できれば、医師にでも、看護師にでも、できる限り、面倒を見て、もらいたいと、思うのが、人情だ…

 それが、患者の願いだ…

 が、

 当たり前だが、嫌われていては、無理…

 できない…

 私は、なぜか、今、お風呂に入ろうか、どうしようか、悩んでいたのが、いつのまにか、いかにひとに愛されるのかについて、考えていた…

 これは、自分でも、意味不明…

 なぜ、こんな展開になってきたのか?

 理解に苦しんだ…

 が、

 これも、病のせいだと、思えば、納得する…

 病のせいで、頭がおかしくなったと、思えば、納得する…

 そういうことだった(笑)…

               
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