第55話

文字数 3,983文字

 これは、都合がいい…

 実に、都合がいい…

 私は、思った…

 私は、考えた…

 目の前の彼女が若いとは、思っていたが、まさか、研修生とは、思わなかった…

 思わなかったのだ…

 だから、とっさに、

 「…その若さで、看護師をなさるなんて、凄いですね…立派ですね…」

 と、彼女を褒めた…

 すると、

 「…とんでもないです…」

 と、彼女が、恐縮した…

 「…私が、看護師を志望したのは、潰しが、利くから…」

 と、呟いた…

 「…潰しが利くから?…」

 私は、つい、おうむ返しに、彼女の言葉を繰り返す…

 「…だって、そうでしょ? 看護師になって、資格を取れば、どこの病院でも、使ってもらえるから、将来、食いっぱぐれないし…」

 彼女が、早口で言う…

 そして、言った後から、言い過ぎたと、思ったのか、顔が真っ赤になった…

 自分でも、恥ずかしいと、思ったのだろう…

 が、

 そんな仕草さが、実に愛らしかった…

 実に、可愛らしかった…

 だから、
 
 「…その歳で、将来のことを、考えるなんて、ご立派ね…」

 と、褒めた…

 「…私なんて、あなたの年齢ぐらいのときは、なにも、考えなかった…なにも、考えずに、生きていた…」

 これは、事実…

 事実だった…

 彼女と同じくらいの年齢のときは、私は、すでにナオキとジュン君と暮らしていた…

 ジュン君の面倒を見ていた…

 ジュン君の母親である、ユリコが、突然、失踪したからだ…

 だから、ジュン君の母親代わりで、ジュン君の面倒を見ていた…

 そして、ナオキ…

 藤原ナオキの創業した会社は、急速に成長した…

 時代の波に乗って、大きくなりつつあった…

 それは、同時に、ナオキが、猛烈に忙しくなったということ…

 私も、ときどき、会社に顔を出し、ナオキの仕事を手伝ったり、家に帰れば、ジュン君の面倒を見ることで、精一杯…

 とてもではないが、将来のことなんて、考える時間もなかった…

 そんなこと、考える余裕もなかった…

 自分自身の時間が、まるで、なかった…

 ただ、毎日を精一杯生きる…

 それだけだった…

 それだけで、十分だった…

 だから、今、彼女が、

 「…だって、そうでしょ? 看護師になって、資格を取れば、どこの病院でも、使ってもらえるから、将来食いっぱぐれないし…」

 なんて、セリフをさらっと、口にしたのは、実に羨ましい…

 お世辞でなく、実に羨ましい…

 私には、そんな余裕はなかった…

 将来のことを、考える時間もなかった…

 すでに、二十代前半にして、私は、主婦だった(苦笑)…

 自分の夫でもないナオキと、自分の子供でもないジュン君の面倒を見ていた…

 ナオキと、ジュン君のいる家庭に入って、二人の面倒を見ていた…

 だから、主婦…

 実質、主婦だった…

 が、

 しかしながら、それを後悔したことは、一度もない…

 なぜなら、充実していたから…

 私の生活が、充実していたから…

 それが、理由…

 なにより私が、ナオキとジュン君から、求められていたのが、大きい…

 なぜなら、誰も、私の代わりは、できないから…

 それが、大きい…

 会社でも、家庭でも、なんでも、同じ…

 自分しか、できない…

 代わりは、いない…

 できるのは、自分だけ…

 そういう環境に置かれれば、やる気が出る…

 嫌でも、やる気が出る…

 誰もが、そういうものだ…

 もちろん、全然、自分に合わない…

 あるいは、どうしても、嫌だという場合は、別かも、しれない…

 が、

 しかしながら、私には、それが、適性だった…

 その役割が、合っていた

 そして、ナオキとも、ジュン君とも、うまくやれた…

 それが、大きい…

 だからだろう…

 今、振り返ってみても、若さを犠牲にした感覚は、まるでない…

 私の二十代を犠牲にした感覚は、まるでない…

 十年前に、まだ若くキレイだった自分が、自分の夫でもない、ナオキと、自分の産んだ子供でもない、ジュン君の面倒を見るだけに自分の二十代を費やしたことに、後悔は、まるでない…

 いや、

 それは、ナオキが、成功したから…

 結果的にナオキが、成功したから…

 それも、大きいかも、しれない…

 いや、

 それが、一番かも、しれない(笑)…

 事実、ナオキの成功のおかげで、今、私は、億ション住まい…

 お金に苦労は、ない…

 ナオキが、成功したからだ…

 事実上の自分の夫が成功したからだ…

 だから、金銭に恵まれた…

 それが、大きい…

 実に、大きい…

 変な話、まだ若くキレイな自分の顔やカラダを武器にして、いい男をゲットしようとする…

 私には、その必要がなかった…

 なぜなら、すでに、藤原ナオキがいたからだ…

 ナオキは、長身のイケメン…

 おまけに、お金持ちだった…

 いや、

 イケメンは生まれつきだが、結果的に、成功して、お金持ちになった…

 だから、いわば、私は、婚活等、なにも、しなくても、お金持ちが、手に入った…

 あくまで、結果論だが、そういうことだった…

 だから、自分の若さをナオキとジュン君の面倒を見ることに、費やしたことに、後悔はない…

 そして、これは、誰しも、同じ…

 同じだと思う…

 なにが、同じかといえば、成功するということ…

 成功して、お金持ちになるということ…

 つまりは、ナオキのことだ…

 ナオキは、コンピュータおたくだから、コンピュータを使った企業を創業して、成功した…

 いわば、自分の好きなことを、仕事にしたわけだ…

 それが、結果的に、成功して、お金持ちになった…

 これが、逆というのは、普通は、ない…

 逆というのは、お金持ちになりたいから、会社を興した…

 会社を創業したということ…

 いくらお金持ちになりたくても、好きでもないことに、力は、注ぐことは、できない…

 やる気が起きないからだ…

 また、好きでもないことを、お金目当てにやる場合は、適性がない場合が、多い…

 そもそも、その仕事が自分に合ってない場合が、多い…

 だから、余計に、成功できない…

 自分に合ってない仕事で、成功することは、大抵、難しいからだ…

 そして、仮に、本人に、適性があっても、成功するか、否かは、別…

 別の問題だ…

 適性があれば…

 あるいは、

 仕事があっていれば、必ずしも、成功するか、否かは、誰にも、わからないからだ…

 だから、ナオキが、成功したのは、あくまで、結果…

 結果に過ぎない…

 そして、私が、ナオキとジュン君に出会ったのも、結果というか…

 偶然に過ぎない…

 偶然、ナオキやジュン君と出会って、生活を共にした…

 それは、今振り返っても、充実した日々だった…

 傍から見れば、二十代で、主婦になって、結婚もしていない男と、その息子の面倒を見ている、バカな女と、思うかもしれないが、私は、充実していた…

 充実した時間だった…

 それは、なにより、私が、二人に必要とされていたから…

 同時に、居心地が良かったから…

 それが、大きい…

 実に、大きい…

 どんなにやりがいがあったり、自分が、必要とされても、居心地が悪い場所は、誰もが、嫌…

 当たり前だ…

 これは、学校でも、職場でも、家庭でも、同じ…

 同じだ…

 そもそも、居心地が悪い場所で、適性もなにも、あったものじゃない(爆笑)…

 居心地が悪いというのは、大抵は、その職場や、クラスの雰囲気が悪いから、そこにいるのが、嫌ということだ…

 そんな環境で、仕事が自分に合っていたり、勉強ができたりしても、誰もが、早く、そこから逃げ出したいと、思うものだ…

 それが、当たり前だ…

 私が、そんなことを、考えていると、目の前の彼女が、

 「…ホント、キレイ…」

 と、ぽつりと、呟いた…

 …エッ?…

 内心、驚いた…

 まさか、目の前の、十歳近く、歳が若い彼女に、そんなことを、言われるとは、夢にも、思わなかったからだ…

 が、

 キレイと言われているのは、馴れている…

 これまでも、初対面の人間から、男女を問わず、言われてきた…

 だから、とっさに、

 「…ありがとうございます…」

 と、返した…

 いつものことだったからだ…

 すると、目の前の彼女が、

 「…きっと、今日、長谷川センセイ、喜びますよ…」

 と、笑った…

 …エッ?…

 …喜ぶ?…

 …どういうこと?…

 私が、戸惑っていると、

 「…長谷川センセイ…寿さんのファンですから…」

 と、笑った…

 「…エッ? …私のファン?…」

 思わず、声に出した…

 「…長谷川センセイ…女のひとが、好きなんです…」

 と、笑った…

 「…特に、寿さんのような美人が…」

 と、付け加えて、笑った…

 私は、なんと、答えていいか、わからなかった…

 なんと、返答して、いいか、わからなかった…

 だから、黙った…

 「…」

 と、黙った…

 「…でも、長谷川センセイが、おかしいわけじゃない…」

 「…おかしいわけじゃないって?…」

 思わず、口を挟んだ…

 「…大抵の男のひとは、美人が好き…女のひとも、イケメンが好き…だから、別に長谷川センセイがおかしいわけじゃない…」

 彼女が、笑いながら、言う…

 実に、もっとも…

 もっともな言い分だった…

 そして、それから、

 「…でも、最近、長谷川センセイ…女の好みが変わったのか、小柄で、派手な女性と、親密にしているんですよね…」

 と、突然、言った…

 …小柄な派手な女性って?…

 …それって、まさか?…

 私は、驚いたが、それを、態度に出すことは、なかった…

 いや、

 態度を出さないように、注意したというか…

 私は、それを、聞いて、わざと、ゆっくりと、落ち着いた態度で、

 「…それって、いくつぐらいの年齢の方…」

 と、だけ、聞いた…

 聞かずには、いられなかった…

 目の前の彼女は、少し考えて、

 「…たぶん、三十代半ばくらいかな…寿さんより、少し年上だと、思う…」

 と、呟いた…

 私は、すぐに、諏訪野マミさんのことだと、気付いた…

 気付いたのだ…

               
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み