第74話

文字数 3,703文字

 ようやく、お風呂に入って、浴槽に浸かった…

 すると、途端に安心した…

 私は、昔から、お風呂好き…

 小さなときから、お風呂が好きだ…

 それは、一体、なぜか?

 考える…

 すると、たぶん、自分一人になれるから?

 そういうことかも、しれない…

 もちろん、家にいても、ひとりだった…

 母は、今でいうシングルマザ―…

 だから、母は、昼間、働きにいっているから、学校から帰って来ても、ひとりでいることが、多かった…

 が、

 しかし、だ…

 部屋で、ゴロゴロしているのと、お風呂は、違う…

 それは、なぜかと、言えば、まずは、小さな密室だからだろう…

 お風呂場は、狭い…

 おまけに、裸で、そこにいる…

 だから、解放感というか…

 小さな浴室にいるのに、なぜか、ホッとする…

 言葉にするのは、難しいが、とにかく、ホッとする…

 そういうことだ…

 私は、浴槽にゆったりと、浸かり、様々なことを、考えた…

 が、

 様々なことと、いっても、考えるのは、やはり、伸明のことだった…

 数時間前まで、いっしょにいた五井家当主、諏訪野伸明のことだった…

 なぜ、伸明のことなのか?

 それは、やはり、私が、伸明に憧れているからだろう…

 五井家の当主…

 その地位に憧れているからだろう…

 おまけに、長身のイケメン…

 ルックスも悪くない…

 いや、

 いい(笑)…

 これでは、伸明に憧れない女はいない…

 当たり前だ…

 しかしながら、憧れたとて、どうにか、なる話ではない…

 最初から、身分違い…

 片思いの恋だった…

 冷静に振り返れば、そう思う…

 が、

 どうしても、自分では、冷静になれない…

 自分のことを、誰もが、冷静に見れない…

 冷静=客観的に見れない…

 そういうことだろう…

 そして、それが、あまりにも、できない恋を、本気で、実行しているとなると、周囲の人間が、辟易する…

 辟易=うんざりする…

 いや、

 これは、恋だけでは、ない…

 学校なら、到底、合格できない有名大学だったり…

 会社なら、昇進だったり…

 つまりは、誰が見ても、絶対できないことを、できると、周囲に公言する…

 それでは、お笑い…

 まさに、お笑いだ…

 私は、ずっと、以前、会社で、いつも大言壮語していた女性と、後年、偶然、街中で、再会したことがある…

 その女性は、いつも、大言壮語していた…

 大ぼらを、吹いていた…

 自分が、まったくの平凡なルックスで、学歴もたいしたことがない…

にも関わらず、いつも、他人を見下し、自分が凄い人間のように、振る舞っていた…

だから、当然のことながら、周囲の人間に嫌われていた…

 が、

 やはりというか…

 彼女のお仲間はいた…

 当然ながら、そんな彼女を相手にする人間は、同じような人間だけ…

 男女を問わず、性格に難があり、同じように、上昇志向の強い人間たちだけだった…

 つまりは、学歴も低く、人間としても、明らかに、劣っている人間たちだけだった…

 当時は、気付かなかったが、彼ら、彼女らは、コンプレックスの塊(かたまり)なのだろう…

 コンプレックス=劣等感の塊(かたまり)なのだろう…

 少しでも、自分より、高学歴だったり、ルックスの良い人間の弱点を見つけ、上げ足を取ったり、悪口を言ったり…

 それで、うっぷんを晴らしているのだろう…

 当時は、気付かなかったが、本人たちが、意識すると、意識しないと、コンプレックスが、心の底にあるのかも、しれない

 今、考えれば、その気持ちも、わからないではない…

 ただ、彼らを擁護すると、すれば、仕事はできた…

 仕事はできたといっても、末端の仕事…

 いわゆるマネジメントではない…

 要するに、物覚えが早く、手が早ければ、できる仕事…

 つまりは、ひとの上に立つことができない…

 だから、歳を取れば、女は、退職すれば、いいが、男は、皆、彼らよりは、頭が、いい後輩たちが、入って来るから、その職場にいても、地位の上昇はない…

 つまりは、出世できないということだ…

 そして、そんなことは、誰もが、時間の経過と共にわかる…

 会社では、出世できないことが、わかるし、結婚では、自分たちと同じ程度の人間でなければ、自分と結婚してくれないことが、わかる…

 だから、以前、会社で大言壮語していた女性は、街中で、私に気付くと、とっさに、頭を下げて、自分の顔を、見られないように、した…

 いっしょにいる、自分の結婚した相手が、当時、自分が、言っていた理想と真逆だったからだろう…

 医者や、弁護士やキャリア官僚など、この国のトップレベルの男と自分なら、余裕で結婚できると、大言壮語していたのが、どう見ても、相手は、ガテン系の男…

 傍から見れば、彼女にお似合いなのだが、自分では、恥ずかしいのだろう…

 誰が、見ても、お似合いなのだが、それが、彼女には、嫌なのだろう…

 当時、彼女と偶然街中で、再会したとき、そう思ったものだ…

 そして、そんな経験は、誰にでも、あるものだろう…

 かくいう私も同じ…

 同じだ…

 諏訪野伸明に憧れる気持ちは、同じ…

 同じだからだ…

 だから、それを、思えば、私は、彼女を笑えない…

 同じだからだ…

 まったくの平凡な女にも、かかわらず、日本有数のお金持ちのボンボンと結婚することを、夢見ているバカな女…

 それが、私だ…

 私、寿綾乃…

 私、矢代綾子だ…

 今さらながら、気付いた…

 が、

 自分が、弁解できる…

 あるいは、

 自分を擁護できるとすれば、私が、少しばかり、他人様より、美人に生まれた…

 だからだろう…

 どうしても、調子に乗る…

 これは、当たり前だ…

 美人だから、子供の頃から、周囲から、チヤホヤされて生きてきた…

 だから、調子に乗る…

 つまりは、子供の頃から、調子に乗りやすい環境で、育ったというべきだろう…

 が、

 しかしながら、自分で、自分を弁解するのも、嫌だが、私は、おそらく、同じ環境にいる、美人よりも、調子に乗らなかった…

 そんな自負がある…

 そんな自信がある…

 それは、なぜか?

 それは、家が、貧乏だったからだ…

 だから、調子に乗れなかったというのが、正しい…

 どうしても、調子に乗れば、周囲の鼻に付く…

 反感を買う…

 が、

 私には、それが、できなかった…

 私が、調子に乗れば、

 「…家が、貧乏なくせに…」

 と、でも、陰で言われるのが、わかっていたからだ…

 だから、美人でも、調子に乗れなかった…

 と、いうのが、正しい…

 そして、中学を出て、田舎から、都会に引っ越した…

 矢代綾子ではなく、寿綾乃として、人生を送り出した…

 すると、どうだ?

 やはり、都会は、田舎とは、違う…

 なにが、違うかと、問われれば、ひとの数が違う…

 だから、街を歩けば、当然、美人に遭遇する確率が、上がる…

 それが、私が、田舎から、都会に出て、一番、驚いたことの一つだった…

 当然、自分のルックスには、自信があった…

 が、

 街を歩けば、稀にでは、あるが、私とは、違うタイプの美人だったり、あるいは、同じタイプの美人も、それなりに、見た…

 田舎とは違って、都会だから、ひとが、多い…

 だから、そんなさまざまな美人を目の当たりにして、私も変わってきたというか…

 要するに、希少価値…

 イケメンも、美人も、数が、少ないから、モテる…

 そして、田舎より、都会に出れば、ひとが、多いから、イケメンや美人に会える確率が高くなる…

 そんな当たり前のことに、気付いた…

 もちろん、自分のルックスに自信が、ないわけではない…

 が、

 田舎で、自分が、思っていたほどの、自信は、なくなった…

 自信=希少価値だからだ…

 その希少価値が、都会では、田舎ほどでは、なくなる…

 ひとが多いからだ…

 そして、それは、また、伸明も同じ…

 五井家当主の諏訪野伸明も同じだ…

 金持ちという、希少価値がある…

 だから、同じ…

 同じだ…

 私は、ルックス…

 伸明は、金持ち…

 それだけの違いだ…

 そして、それを、除けば、街の中を大勢歩く、一般のひとと、たぶん、大差はない…

 ただ、ルックスが、良かったり、お金を、持っているから、優れている…

 ただ、それだけだからだ…

 が、

 ただ、それだけでも、優れているのは、少数…

 ごくわずかしか、いない…

 そういうことだ…

 そして、そんなことを、考えると、歳を取れば、誰でも、現実を受け入れて行く…

 あるいは、

 現実を受け入れざるを得なくなると、言うことかも、しれない…

 さきほど、挙げた、ずっと以前、会社で、大言壮語を繰り返していた女性ではないが、いかに、自分が、優れているようにいっても、誰も、彼女を優れているとは、思わない…

 ルックスも平凡、性格も悪く、学歴もない…

 そんな女と結婚する男は、限られてくる…

 おそらく、似た者同士なのだろう…

 が、

 それを、私は、笑えない…

 私が、伸明に憧れる気持ちもまた、彼女と大差ないからだ…

 だから、笑えない…

 私は、お風呂で、湯船に浸かりながら、そんなことを、考えていた…

 32歳になる女が、考えることだろうか?

 ふと、思った…

 いや、

 32歳だから、考える…

 そう、思い直した…

               

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