introduction(1/2)

文字数 15,715文字

 とても疲れている。
 かなり限界ですぅ。
 具体的に言うと、眠いのです。
 今、この文章を打ち込むだけで15分かかった!
 眠気で吐きそうになってて、文章を書ける状態にいない。
 が、書いている。
 わたしは間違いなく阿呆だ。
 意味のない雑記ならいくらでも書ける、と豪語するわたしだが、コンディションの不調ではどうしようもないよ、書くことは困難だ。
 その、困難を、今表現しているというわけなのです。
 いや、表現なんぞと言ってないで、即刻眠るのが良いだろう。
 だが、あと数時間は理由があって眠るわけにはいかないのである。
 ……この無駄な雑記、下手くそな純文学っぽくて書いていて、ちょっとばかり気に入った。が、ボツ!!

 ボツに決まっていますぅ〜!



   ☆



「メダカちゃん! 起きるのだぁー!」
 わたしのかけ布団を強引にはぎ取って、横っ腹に蹴りを容赦なく入れてきたこのひとは、ここ、朽葉珈琲店の店主の娘、朽葉コノコ姉さんだ。
「ぐへぇうぅッッッ!」
 蹴りを入れられ息を漏らして悶絶するわたし、佐原メダカはこの朽葉珈琲店の二階の一室を間借りして絶賛居候中の身。
 コノコ姉さんが叫ぶ。
「学園に行くのが遅れるのだ! 急いでトーストを口にくわえて学園へ走っていくのだ!」
「え〜? なんですぅ、その漫画みたいな奴は〜?」
 目をこするわたし。
「わたしは先に向かうのだ。あと、全裸で眠らない方がいいのだ!」
「はい? え? きゃっ! 見ないでください、コノコ姉さん! このえっちぃ!」
 どうやらわたしは全裸で眠っていたらしい。
 思わず手で胸を隠す。
「そういうところが遥か古代の洞窟の壁画に描かれている日本の漫画みたいだ、と言っているのだぁ!」
「そ、そんな昔から日本には漫画文化がッッッ?」
「嘘なのだ!」
「なんだぁ、いつもの姉さんの嘘かぁ! てへっ」
「舌を出しててへっ、と言っているのがもう漫画だし、全裸だから丸見えなのだ! ちょっとは恥じらいを持つのだぁ!」
「きゃー! っていうか、ヘンタイさんの姉さんに言われたくないですぅ!」
「いいから服を着て学園へ向かうのだ」
「もう、わかりましたよぉ」
 そこまで言うと、階段をダッシュして降りて、コノコ姉さんは家である珈琲店を出ていった。
 わたしはのそのそと起き上がってあくびをしてから、下着をつけて制服を着た。
 階段を降りて、洗面所で顔を洗って、支度を始める。
「あー、そう言えばわたし、ウェブ日記を書いていたんだっけ……。そのまま寝ちゃって」
 わたしは成瀬川るるせというペンネームで小説を書いているウェブ作家だ。
 男性ということになっているが、本当は女子高生だ。
 成瀬川るるせの正体が女子高生だとは誰も気付くまい、ふっふっふっ。
 わたしは、私立空美野学園高等部一年、佐原メダカ。
 この空美野市の北に位置する空美坂をのぼる途中に点在する珈琲店のひとつ、朽葉珈琲店で間借りして住む、普通の女子高校生。
「んん〜。さぁ、今日も一日頑張りますかぁ!」
 コノコ姉さんに言われた通り、トーストを齧りながら、学園へと向かう。
 いつもの風景。
 いざ、坂を下って西にある、空美野学園に、この佐原メダカ、今日も元気に行ってきますぅ!



   ☆



「早くしないと校門が閉まりますわよ!」
「肛門が締まるッッッ?」
「この佐原メダカ! あんたのボーイズラブ変換されるポンコツののーみそを締めた方がいいらしいわね!」
「ひぃー!」
 ポリコレ棒のようなチョップが学園高等部の校門前でわたしの脳天に振り落とされる。
「痛いですぅ〜」
「痛いようにチョップしたのですから当然でしてよ!」
「この、阿呆のラズリぃ!」
「阿呆に阿呆と言われたくはありませんわ! 佐原メダカ!」
「コノコ姉さんに言いつけてやるぅ!」
 うろたえる高等部二年、風紀委員の金糸雀(かなりあ)ラズリちゃん。
「ちょっ、このバカ娘! コノコお姉さまに言いつけるですって! あなた、コノコお姉さまの家に住んでるからって調子に乗っていると容赦しませんわよっ」
「ひぃー! 金糸雀ラズリちゃんが怒ったぁ!」
「あったりまえですわぁー! トースト齧りながら登校してる時代錯誤の漫画娘ぇー!」
「漫画は悪くない!」
「この文脈で漫画は悪くないって紋切り型の言葉を間違った用法で言うとまたポリコレチョップをお見舞いしますわよ!」
「おっと、わりぃ、ここ通るぜー」
「あ。涙子さま! どうぞお通りくださいませ」
 するっと校門を通るのは、空美野涙子さん。
 涙子さんは、今日も目の下にクマが出来ていて、目つき悪く、ちょっと猫背ですたすた歩いていた。
 だが。
「ちょっと、ラズリちゃん〜! なんで涙子さんはよくてわたしはここを通れないのかなぁ?」
「涙子さまは凛々しいので、わたし的にグッドなのですわ!」
「はぁ?」
 凛々しくないし、それに。
「ズルいですぅ」
 そんなわたしたちのやりとりを無視して校内に入って消えていく涙子さん。
「涙子さまはおっけー。あなたはダメ。でも漫画みたいな展開だなんて言わないでくださいまし」
「あのねぇ、ラズリちゃん。漫画は古代の壁画にも描かれている重要な日本の文化で!」
「阿呆に付き合っているとこっちまで阿呆になりますわ! 風紀委員のわたしがダメと言ったらダメです!」
「えぇ〜」

 チャイムが鳴る。
 非情にもわたしは遅刻ということで教室の外で水を入れたバケツを持って立っていることになったのであった。



   ☆



 うぇーん。
 泣きたくなるわたし。
 乙女の花園であるこの女学園、ウワサになると厄介なのですぅ。
 両手に水を入れたバケツを持って廊下で立っていると、ぎゃはははは、と大笑いする声が聞こえてきた。
 振り向くと、高等部三年生のバッジをつけた長髪の子が、こっちに向かって歩いてきた。
 その子は腰ベルトに大きめのテディベアのぬいぐるみを留めている。
 その子はわたしのそばに来ると、わたしの頭をなでなでした。
「なっ! なんですかぁ、もぅ! わたしの頭を撫でていいのはコノコ姉さんだけですぅ〜!」
「いや、わりぃな、うっしっし。あたしゃー、姫路ぜぶら。ぜぶらちゃんって呼んでもいいぜ?」
「そうですか。ぜぶらちゃん。見たところ三年生のようですが、一年生の教室のある階に、なんの用で?」
 うちの学園高等部は、学年ごとに、階が違う。
 三年生がいるのはおかしいし、今は授業中だ。
「いや、御陵(みささぎ)がおまえを気にしていたみたいだからよぉ」
「御陵って、生徒会長さんですよね。なぜ、わたしを?」
「あっは。わからねぇならいいよ、知らんでも。ただ、ぜぶらちゃんはおまえ、佐原メダカを気に入ったって話だ」
「はぁ?」
「さぁて。佐原メダカの〈(ディスオーダー)〉は、なにかな?」
「ディスオーダー?」
「いや、わからねぇならいいよ。この世界の理なんて、知らねぇ方がいい」
 ぜぶらちゃんは、自分の頭の後ろに両手を回して、ひゅー、と口笛を吹いた。
「でも、どうやらおまえの〈ディスオーダー〉は、闇が深いな。いや、〈病みが不快〉の言い間違いか。錯乱系の異能か? いや、わからねぇ」
「はぁ? もしかしてイカレたひとです? ぜぶらちゃん。漫画と現実の区別がついていない系のひとですか? 漫画は古代の洞窟の壁画にも描かれていた、日本の貴重な文化でして」
「おまえ、狂ってんな、ずいぶん。いやしかし、だ」
「なんですか、次は」
 ぞくっと悪寒がした。
 ぜぶらちゃんの背後に近づいて来るひとの、その瞳と目を合わせた途端、わたしは、身動きが取れなくなった。
「ぐっ、ぐぎぎ……」
 口も動かない。
 身体も、完全にコントロール不可能になっている。
 自分の背後を見ないで、その人物に、ぜぶらちゃんは、声をかける。
「おい。一年生にやめてやれよ、御陵。おまえ、このぜぶらちゃんと佐原メダカが接触するのを嫌っていたみてーだがよー。そう言ってもいられねーだろーがよっ!」
 と、言い終えるか否かで、回し蹴りを自分の背後に向けて繰り出す。
 その蹴りの脚を、片手で受け止めて、握った脚を背負い投げの要領でぶん投げた。
ぶん投げたそのひとは生徒会長だ。
 吹き飛ばされ、わたしの教室の壁に激突するぜぶらちゃん。
「痛っぇ……」
「当然よ。痛いように投げたのだから」
 ふっと、全身の力が抜けて、わたしもその場に倒れる。
 バケツの水が廊下にぶちまけられ、その水の中にわたしは落ちる。
制服も水でびしょびしょになった。
 現れた会長は、わたしとぜぶらちゃんを見下ろし、そしてわたしの身体を脚で踏みつけた。
「わたくしの〈ディスオーダー〉は空間・心を取り扱う〈ディペンデンシー・アディクト〉の一種で、〈石化〉の能力なの。覚えておかなくてもいいけど……」
 踏みつけていた脚で今度はわたしを蹴り上げた。
 横に転げるわたし。
「わたくしの大切な姫路へ、勝手にちょっかいをださないでくれないかしら」
「はい?」
 発音できるようになったわたしは、横で転げて「いてててて」と唸っているぜぶらちゃんを横目に、疑問系の声を上げてしまった。
「行くわよ、姫路」
「クッソ! わかったよ、御陵」
 起き上がる姫路ぜぶらちゃん。
「あー、あー、制服がびしょびしょだよ、どーすんだ、これ」
「さぁ? 知らないわ」
 二人の会話を聞きながら、頭を振って気を奮い立たせると、わたしは立ち上がる。
 廊下は転がったバケツからの水が床に広がって、水浸し状態だ。
「ぜぶらちゃんと御陵会長は、どういうご関係で?」
 御陵生徒会長に尋ねるわたし。
「姉妹の契りを結んでいるわ。……それだけよ」
「それだけって……」
 うっ、重い。
 近寄りがたいひとだ、会長さん。
 姉妹の契りって……。
 教室がざわめき出した頃には、ぜぶらちゃんと御陵会長さんは、姿を消してしまっていた。
「まぁ! なんザマスか! 佐原さん! これはどういうことザマス!」
「さぁ? わからない……ザマス?」
「口が減らないようザマスね、佐原さん」
 廊下を水浸しにしたわたしは、担任の先生からその後、みっちりと説教を喰らったのでした。
 こっちこそ、なんなんですかぁ、もう!



   ☆



 御陵会長さんに踏みつけられ、蹴られたおなかを押さえるわたし。
 午前の授業中も、ずっとずきずきと痛みが残っている。
 今は、三時限目の休み時間。
「メダカちゃんは生理の日はそんなに重かったのだ?」
「デリカシーがないなー、コノコ」
 コノコ姉さんにツッコミを入れるのは、今朝、チャイム直前の校門を悠々と突破した空美野涙子さんだ。
「保健室に行きたいですぅ……」
「行ってこいよ。なんか顔、真っ青だぞ、メダカ」
「涙子さん、ありがとうございます……。佐原メダカ、保健室に行ってきますぅ」
「お昼休みまでには帰ってくるのだー」
「はい、了解です、姉さん」
 よろよろと席から立ち上がるわたし。
「ああ……。美人薄命って本当ですねぇ」
「バカ言ってないで、早く保健室へ行け」
「てへっ」
 舌を出してウィンクするわたし。
 昭和かっ! というツッコミは来なかった。
「しっしっ」
 代わりに、あっちへ行けという風に手を振る涙子さんのジェスチャー。
そのジェスチャーを見てから、わたしは保健室へと向かったのでした。
「ああ、終劇(カーテンフォール)!」
「まだ終わってねーよ!」
 ツッコミをまた入れられるわたし。
 幸薄いですねぇ。



「たのもー!」
 バン! と保健室のドアを勢いつけて開けるわたし。
 ため息を吐く保険医のサトミ先生。
「こりゃまた顔が真っ青ね」
「顔は青くてもお尻は青くなくてよ!」
「なくてよ、じゃないわよ。それにどうやって自分でわかるのかしらね? 自分じゃ見えないでしょう、お尻は。誰か、恋人に見せたのかしら」
「いやん」
「あらあら、異性交友はダメよ」
「オンナ同士が汗だくで抱き合うことはいいのですぅ?」
「同性でもダメよ。あとなに、汗だくって」
「いやん」
「のーみその方は元気みたいね。でも、繰り返すけど、顔が真っ青よ」
「おなか痛いです」
「生理かしら」
「デリカシーないですね!」
「誰かに言われたことを反復したかのようなとってつけた口調ね」
「デリカシー! デリカシーはいずこへ! 傷つきましたよぉ、わたし!」
「はいはい。じゃ、椅子に座って痛い箇所を見せなさい」
「それでは、は、は、は、裸にィ……? わたし、これからまずは先生の前でスカートをたくしあげてぱんつを見せるのですか……?」
「はい。脳内は元気みたいね」
「え? じゃあ、やっぱりスカートをたくしあげなきゃダメですか?」
「あー、もう。椅子に座って!」
「裸と着衣、どちらがお好みの方で?」
「あなた、保険医といちゃらぶなティーンズラブコミックの読者のような妄想はやめて。座って、それから」
「椅子に座って……。それから、開脚しながらスカートをたくしあげるのですね」
「開脚しなくていいし、たくしあげなくていいから! 大人しくして! ベッドで寝てる子もいるんだから!」
「ベッドに? 先生の愛の餌食に?」
「妄想銀行の貯蓄はいっぱいみたいね、あなた。いや、だから椅子に座ったはいいけど開脚し出さないで! ああ、だから流し目をしながらスカートをたくしあげないでッッッ! 大人しく診察を受けてね、阿呆なの、あなたは!」
「先生も」
「なに?」
「お互い、たくしあげながら……お互いの行為を見ながら」
「帰れ!」
「嘘ですよぉ! おなか蹴られて痛いんですぅ〜」
「最初から正直に言いなさい! 誰に蹴られたの?」
「生徒会長ですぅ」
「はい?」
「だーかーらー。御陵さんですよぉ。御陵生徒会長ですぅ」
「わたしが頭痛くなってきたわ……」
「痛くなった頭を慰めるため、わたしは開脚してスカートをたくしあげ」
「帰れ!」
「お互いの痛みを慰めるべく、スカートをたくしあげ、指を自らに這わせて互いの行為を見せ合いっこしながら」
「帰れ。この場から消えなさい」
「嘘ですよぉ。先生、サトミ先生。蹴られたおなかを見てくださいよぉ」
「大人しくして。ね?」
「大人しく先生に食べられ」
「帰れ!」
「冗談ですよぉ」
 そんなやりとりをしつつ、診察を受けることになったわたし。
 生徒会長さんに蹴られたということはここだけの秘密で、ということいになったのでした。
 きゃっ。
 保険医と秘密を共有ってことですよぉ?
 ティーンズラブコミックみたい!
 やったぁ!



   ☆



「事情はわかったのだ」
「説明したの、わかっていただけましたか、コノコ姉さん!」
「メダカちゃんの地雷系女子っぷりだけが理解できたのだ」
「じ、地雷系……」
「間違っても自撮りを送信してはイケナイのだ」
「なんですかぁ、自撮りってぇ! ぷんすか!」
 お昼休み、わたしはクラスに戻って、保険医のサトミ先生との一件を話した。
 もちろん、生徒会長さんとぜぶらちゃんのことも。
 コノコ姉さんから下されたのは、地雷系という嬉しくない称号だった。
 ひどいですぅ。
「で、姉さん。〈ディスオーダー〉ってなんなんですかぁ?」
「病のことなのだ」
「病?」
 頭にクエスチョンマークが出て、首をかしげていると、二年生である金糸雀ラズリちゃんがわたしたちのクラスに入って来て、まっすぐコノコ姉さんの席の横まで来た。
 コノコ姉さんは、わたしの席のひとつ前の席なので、わたしの斜め前にやって来た、とも形容出来る。
 姉さんの隣の席が空いていたので、ためらいなく座るラズリちゃん。
「佐原メダカ! あなた、廊下に水を撒いたでしょ。校内のウワサになってますわよ。なにがあったのかしら」
 ふぅ、とため息を吐いてから、姉さんは言う。
「地雷系女子のすることなのだ。ムラムラして水で濡れた制服姿で自撮りしてしまったのだ」
「そーんなことだろうと思っていましたわ。世も末ですわね」
「えー? そこ、納得しちゃうんですかぁ!」
「如何にもしそうだもの、あなたなら」
「わたしがどういう風に、ラズリちゃんには見えているのかなっ?」
「地雷系女子……でしょ?」
「ちっがーう! 地雷系じゃないですぅ〜」
 わたしは、生徒会長の件を、今度はラズリちゃんに話す。
 すると、ため息を吐くのは、今度はラズリちゃんの番だった。
「〈サファイアの誓い〉に文字通り、〈水を差した〉のですわ、水浸しにして、ね。佐原メダカさん?」
 変な単語が出てきた。
「サファイアの誓い、とは?」
 またも首をかしげるわたし。
「姉妹の契りのことを、この学園では〈サファイアの誓い〉と呼ぶのでしてよ」
 ぐいっと顔をわたしの眼前に近づけて、ラズリちゃんは、人さし指を立てる。
「いい? 〈サファイアの誓い〉は、お互いが身も心も相手に捧げる契りのことを指すのですわ。とーっても尊いものなの。会長は嫉妬に狂ってしまい、佐原メダカを蹴り飛ばしたのですわ。不可避です。地雷系女子の魔の手に堕ちる前に、姫路さんを助け出したのですわ。ああ、尊いッッッ」
「え、えぇ……」
 思わず引いてしまうわたし。
 顔を離して席につくと、ラズリちゃんは、言う。
「この学園への入学条件は覚えていて? 佐原メダカさん?」
「入学条件?」
 そこに口を挟むコノコ姉さん。
「ここは空美野研究所の〈コールドスリープ病棟〉から開放されると同時に編入させられる学園でもあるのは、知っているのだ?」
「わたしは、知らないですぅ〜」
 そこにラズリちゃん。
「知らないじゃなくてよ。……いや、半眠半覚の状態でモルモットにされていたから、のーみそが記憶をシャットアウトしていても、おかしくない……ですわね」
 コノコ姉さんが、続ける。
「病棟では全身の穴という穴を全てほじくり回され、科学の名のもとに人体実験を……つまり実験動物にされるのだ。それは人権侵害だから外部には秘匿されているのだぁ。そこで研究されているものは異能力。〈ディスオーダー〉と呼ばれる〈病〉こそが、それなのだ」
「へぇ……そーなんだぁー」
「棒読みになっていますわよ、佐原メダカ」
 ラズリちゃんがツッコミを入れるが、その語勢は弱い。
「中等部卒業の年齢まで、メダカちゃんはコールドスリープ病棟にいたのだ。で、戻ってきたときは完全に親族から切り離されたから、メダカちゃんはうちの朽葉珈琲店に間借りして居候をしているのだ」
「そうでしたっけ。すっかり忘れていましたぁ」
「つまり」
 と、ラズリちゃん。
「この学園は異能力者の集まりなのですわ。異能の力が強いか弱いかは、別として。全国から異能の素養がある者が集められて、病棟に送られ、異能に覚醒した後、今度は学園に送られる。この学園の卒業生は、みんな、異能を活かした職業に就くか、異能を隠しながら生きていくことになる。……どこにでもあるような話に過ぎませんけれども」
「どこにでもあるような話なのですかぁ」
「そうですわよ。そう……思わないと、つら過ぎるじゃありませんこと?」
 あはは、と笑うコノコ姉さん。
「希望的観測、ということなのだ」
「希望的……観測」
 言葉を反芻するわたし。
 そこに、ハンドクラップして深入りした話題を打ち消すようにするラズリちゃん。
「はい、この話はここで終わりでしてよ! 購買部で総菜パンを買ってきましょう。涙子さまも今日はここにいないみたいですし。コノコお姉さま、さ、買いに出かけましょう」
「のだぁー!」
 うやむやにされた気がするけど、それでいいや、とわたしは考えた。
 笑顔ひとつ忘れてしまっても、それは大きな損失だ。
 難しい顔をするヒマなんて学園生活にはない。
暗いのは好きじゃないです、わたしは。
 わたし、姉さん、ラズリちゃんの三人で、ともかく購買部へ向かうことにしたのでした。
 お昼休み、終わっちゃうもん。
 楽しい休憩時間と食事にしたいのですぅ。



   ☆



 購買部で焼きそばパンと珈琲牛乳を買ったわたしは、コノコ姉さんと教室に戻る。
 ラズリちゃんは、校内放送で招集され、風紀委員として、集合場所へ向かって行ってしまった。
 コノコ姉さんは言う。
「さっきの、ラズリちゃんと一緒にした会話、涙子ちゃんがいないときでよかったのだ」
「よかった、とは?」
「もちろん、コールドスリープ病棟の話、なのだ」
「病棟が、涙子さんと関係あるのです?」
「あるのだ」
「どういうことなのですぅ?」
「ここは空美野市。その空美野市にある空美野研究所が〈コールドスリープ病棟〉を所持して、人権を無視したようなことを政府に言われて請け負っているのだ」
「政府が指示してやっているのですか!」
「しっ! 声が大きいのだ」
「すみません」
「涙子ちゃんの名字は?」
「空美野……って。あ! もしかして」
「そう。ここは空美野家の領地だったところで、空美野財団を持っている。研究所も、コールドスリープ病棟も、涙子ちゃんの家がやっているのだ。涙子ちゃんは、空美野家の本家筋の〈お姫さま〉なのだ」
「それはそれは。事態は複雑ですね」
「ふぅ。まあ、それはいいのだ」
「いいんですか?」
「さっき、放送でラズリちゃんが呼ばれたけど、あれはうちの朽葉珈琲店がある空美坂の天辺にある、空美野天満宮で毎年開かれる『天神祭』の風紀の仕事をするためのミーティングなのだ」
「はぁ。それがなにか」
「御陵生徒会長や涙子ちゃんも、権力の中にいるから、たぶん、天神祭に関係あるのだ」
「説明台詞で一気に点と点が線に結ばれましたね」
「放課後、珈琲店の仕事が終わったら、坂の上の異人館街の、その天辺にある、空美野天満宮に行こうなのだ」
「デートのお誘いですか、姉さん」
 そこで、ウィンクをして見せるコノコ姉さん。
「そう思ってもらって構わないのだ、メダカちゃん」
「嬉しいですぅ〜」
「でも、仕事はきっちりこなすのだ。こなしてから、夜、出かけるのだ!」
「はぁーい」

 そんなわけで、わたしたちは、午後の授業を受けてから、坂をのぼって帰宅することにする。



   ☆



 今はもう、七月中旬だ。
 天神祭は、日本各地の天満宮で催される祭り。
祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日。
 天神祭は天満宮が鎮座した頃から始まった。
菅原道真は学問の神様で親しまれているひとで、禁裡守護・鬼門鎮護の神として、京都の北野天満宮を勧請して祀られたことが、空美野天満宮の始まりなのである。

 ……って、インターネットには書いてあったけど、わたしにはさっぱり意味がわからない。
 もう過ぎちゃったけど、六月下旬には、夏越大祓式・茅の輪神事と呼ばれるものがあるそうだ。
 知らなかった。
 そしてまた、七月には、夏祭りである天神祭が大々的に行われる。
 市の権力の中枢にいるひとたちには、そこらへんでポジション争いがあるんじゃないかな、とわたしは思う。

 それはともかく、わたしは放課後、そそくさと教室を出ると、学園から東にある空美坂をのぼっていく。
 わたしの横では、コンビニで買った抹茶ラテを飲みながら、コノコ姉さんが鼻歌交じりで歩いている。
「あー、わたしも良いところのお嬢様ならよかったなー」
「お嬢様になってもろくなことなさそうなのだ」
「悪徳令嬢っていうのが昔、ウェブ小説で流行っていた頃があるのですよぉ〜」
「ああ、そう言えばメダカちゃんはウェブ作家だったのだ。どうなのだ、人気の方は?」
「ぼちぼち、ですよぉ〜。でも、文章を書けるって、ハッピーかな、って」
「そんなものなのだ?」
「そんなものですよぉ」
 紙ストローから抹茶ラテをおいしそうに飲むコノコ姉さんは、にっこりと笑うと、それ以上はウェブ小説に関しては訊いてこなかった。
 ちょっと寂しくもあるけど、その距離感が、心地良い。
「わたしもお嬢様だったらよかったなぁ〜」
「今の生活に不満があるのだ?」
「ふふっ」
「な。なんなのだ、その、首をかしげながらの笑みは」
「今の生活に、意外と不満がないんですよ、わたし」
「そ、それはよかったのだ」
「やだ、姉さん、照れてますねぇ?」
「照れてないのだ」
「え〜。絶対に、照れてる。それに」
「それに?」
「照れていなければ、わたしが許しません!」
「どういう意味なのだ?」
「もぅ。不満がないのは、いろいろあっても、コノコ姉さんのことが好きだから、ってことですよ」
「そういうのは口にしないでいいのだぁ!」
「あはは。怒ったフリしちゃって。コノコ姉さん、可愛いんだからぁ」
「ひとをからかうのはやめるのだー」
「溺愛しちゃってるんですよぉ、これでも」
「この地雷系女子」
「この地雷は、コノコ姉さんにしか発動しません」
「なにいきなり口説き出しているのだ、メダカちゃん」
「縁日が、近いってことですよね」
「天満宮の天神祭。もうすぐなのだ」
「ふたりでハッピーデートしましょう!」
「そうなのだ。そうするのだ」
「今日は、その下見に行くのですよぉ」
「なんか、もう絵に描いたようなラブラブ展開に、どうしていいか、わからないのだ」
「こうすればいいんですよ」
 コノコ姉さんの横顔にキスをするわたし。
「悪徳令嬢みたくがっついているのだ、今日のメダカちゃんは」
「うふふ。ウェブ作家サマですよぉ〜、わたしは。妄想爆発してるんですからぁ」
「はいはい。わかったのだ。今日も働くのだ」
「うぇ〜い!」
 二人であがる坂道。
 今日も珈琲店のお仕事の時間が始まるのです〜。



   ☆



「空美野天満宮の天神祭には、ほかの多くの祭りと同じく、宵宮と本宮があるのだ。太鼓、獅子舞などの宵宮と、映る篝火や提灯灯り、花火などを行う本宮があるのだぁ。宵宮は、街の要人が集まって無病息災を祝う」
「詳しいですね、コノコ姉さん」
「家のある同じ坂道の天辺の天満宮で行うのだ、知らない方がおかしいのだ」
「なるほど」
「宵宮は、年に一度選ばれる子供が素木の神鉾を天満宮に捧げることから、宵宮祭が斎行されるのだ」
「へぇ。知らなかったですぅ」
「祭りは、もうすぐなのだぁ!」
「ヒャッハー!」
「東風吹かば、にほひおこせよ梅の花。主なしとて春を忘るな」
「誰の和歌ですかぁ?」
「菅原道真、拾遺和歌集より、なのだ」
「よくすらすら出てきましたねぇ―」
「たまには格好つけたいのだ」
「わたしの前だからってことですかぁ。いやん」
「と、いうことで、仕事なのだ! さぁ、ビール瓶ケース運ぶのだー」
「うひー」

 今日も朽葉珈琲店は大にぎわい。
 それはこの店がある空美坂が喫茶店の有名店がひしめく場所であり、そして、その坂をのぼると、観光地になっている異人館街があるからだ。
 観光客も、常連さんも、朽葉珈琲店に訪れる。
 毎日大忙しだ。
 うーむ、それにしてもコールドスリープ病棟……空美野研究所、に〈ディスオーダー〉。
 考えないとならないことがたくさん出来た。
「ほら、ビールケース運んだら次はシンクの洗い物して、時間が出来たらトレンチを持って接客なのだー」
「はいー! 佐原メダカ、頑張りますっ!」
 夜八時まで働いて、店はクローズした。
 クローズ作業は店主であるコノコ姉さんのお母さんがやるので、わたしたちに自由時間が訪れる。
「抹茶ラテを買いにコンビニ行くついでに、空美野天満宮へ行ってみるのだ」
「そうしましょう、姉さん!」



   ☆



 星降る夜だった。
 星々が空でキラキラしていて、空気までもが綺麗に感じるほどだった。
 そのきらめきの中、コノコ姉さんは、わたしに手を差し出す。
 わたしは頷いてから、コノコ姉さんの手を取って、強く握る。
 コノコ姉さんの手はあたたかった。
 二人で坂をのぼる。
 ここは空美坂。
 洒脱なレンガつくりの建物が並ぶ、そのアスファルトの坂道を、少し息を切らせながら、歩いていく。
 坂の上の、空美野異人館街に着く。
 観光スポットだ。
 異国情緒溢れるいくつもの館にライトアップがされている。
 わたしが見たコノコ姉さんの横顔も、どこかうっとりしている。
「お、雰囲気に呑まれちゃってますぅ?」
「抹茶ラテは飲んでも飲まれるな、なのだ」
「なんですぅ、それ。お酒の話じゃないんですね。ふふ」
「そういうメダカちゃんも、顔が真っ赤なのだ」
「……だって」
「だって、なんなのだ?」
「コノコ姉さんの手には」
「ん? コンビニ袋を持っているのだ」
「もぅ! 反対の方の手ですよぉ。わたしと手を繋いでいるでしょ。これじゃまるでわたしがコンビニ袋みたいな物言いですよぉ」
「で。わたしと手を繋ぐとなんなのだ」
「顔が真っ赤になります」
「それはよかったのだ」
「感想はそれだけですかぁ!」
「天満宮の階段をのぼるのだ。きっと天満宮からは、ここ異人館街のベンチで眺めるより、もっと市街地がよく見渡せるはずなのだ」
「はい! 姉さんについていきますよ、わたし!」

 そして、少し立ち止まって会話をしたわたしたちは、再び坂をのぼる。
 天辺の天満宮まではもうちょっとだ。

「コノコ姉さん」
 わたしたちは、歩きながら話す。
 手は繋いだままだ。
「今度、岩盤浴に行きましょうよ!」
「突然、どうしたのだ、メダカちゃん」
「最近、コノコねえさんは疲れているはずです」
「疲れてはいるけど、そんなに疲れて見えるのだ?」
「いえ、学園から帰ってきてからバイトが待ってるじゃないですか」
「ふーむ」
「自律神経、わたしはやられていますね、そろそろ」
「ウェブ作家として、仕事終わったら小説を書いてるメダカちゃんは、そりゃぁ自律神経を失調しそうなのだ」
「そこで岩盤浴ですよ!」
「岩盤浴、なのだ?」
「自律神経が乱れると倦怠感や疲労感が出てきて、心身ともにボロボロになるんですよぉ。わたしなんか、ボロボロです。コノコ姉さんも、日々の勉強と家の手伝いのバイトでボロボロになってます。そこで岩盤浴です! 岩盤浴に入って体を温めることで血行を促進することができるのですよー。血行が促進するから、自律神経が整えられて様々な効果をゲットできるんですよぉ〜。ちなみに自律神経は内臓の働きや代謝、体温などの機能をコントロールする役割を持ってます。大切ですね、自律神経は」
「ふ〜む、力説された気分なのだ」
「夏祭りにも行くし、岩盤浴にも行く」
「どうしたのだ、いきなり」
「二人でたくさん、いろんなところに行きましょう。二人でたくさん、いろんなおいしいものを食べましょう」
 そこまでわたしは一気に話して、立ち止まるとぜーぜー息を吐いた。
「一気に喋りすぎなのだ」
「どうやらそのようですぅ〜」
「ほら、その階段が、空美野天満宮への石段なのだ」
「じゃ。行きましょうか」
「エスコートは必要なのだ?」
「ふふ。わたしたちは淑女にはまだ早いですよ。息切れなら、心配ありません。いつものノリで、石段のぼりましょう」
「じゃ、そうするのだ」
 そして、空美野天満宮の石段をのぼるわたしとコノコ姉さん。
 星と月がわたしたちを照らしていて、ステージに上がったみたいな気分だ。
 いや、わたしたちの二人舞台です、これは、きっと、そうなのです。



   ☆



 空美野天満宮に着いたわたしとコノコ姉さん。
「こっちへ行くのだ」
 手を引かれるわたし、佐原メダカ。
「どこに行くのですぅ?」
「庭園があるのだ」
「庭園?」
「結婚式とかに使うので、なんと庭園があったりするのだ、ここ」
 ぐいぐい引っ張られて行くと、そこにはブーゲンビリアやマリゴールドなどが咲いている、美しい庭園があった。
 庭園はライトアップされていて、
「綺麗……」
 と、わたしは声を漏らした。
 ここからは空美野の市街地もよく見えた。
 夜景もまた綺麗だ。
 波止場の点滅するあかりも素敵だった。
「もっと早くここに来ればよかったなぁ。コノコ姉さんとふたりで」
「しっ! ちょっと隠れるのだ」
「な、なんですかぁ、姉さん」
「庭園のベンチに先客がいたのだ」
「え? そりゃあ、いてもおかしくないでしょう。なんで隠れて……あっ」
 ライトアップされているブーゲンビリアが咲いてるなか、ベンチでくちづけを交わしている女性ふたりがいた。
ひとりはわたしのおなかに蹴りを入れた気丈な目つきのひと、もうひとりは腰のベルトに大きめのぬいぐるみを留めている、長髪の女性だった。
 姉さんは言う。
「御陵生徒会長と、その愛人なのだ」
 愛人、と姉さんに呼ばれたのは、姫路ぜぶらちゃんだ。
 わたしと姉さんは、物陰に隠れる。
 くちづけしているところに顔を合わせると非常に気まずいのは、わたしにもわかった。
「確か、〈サファイアの誓い〉を交わしたふたり、なんですよね」
「そうなのだ。通常は上級生と下級生が結ぶ誓いだけど、この場合、……身分違いの恋、なのだ」
「身分違い?」
「生徒会長は、異人館街のご令嬢なのだ」
「うひゃぁ、リアル悪徳令嬢ですねぇ!」
「いいところに嫁がないとならないはずなのだ、御陵生徒会長は。でも、こういうわけなのだ」
「なるほど」

 わたしたちに気付かず、くちづけは長く続いた。
 くちびるをふたりが離すと、唾液が糸を引いた。
 それから生徒会長さんはあの石化する瞳でぜぶらちゃんを射すくめて、それから、ぜぶらちゃんの左手を自分のくちもとに運んでくると、まずは小指を舐め、湿ったところで、その小指を口でくわえ込んだ。
 くわえ込んだ指を、深く口中で出し入れする。
 口の動きから察するに、舌で指を舐め転がしている。
 うっとりとした表情のぜぶらちゃんの顔を確認すると生徒会長さんはいたずらな目で微笑み、今度は薬指を同じように舐め転がす。
 そうして、五本の指をすべて唾液まみれにすると、ぜぶらちゃんは恍惚の表情を浮かべて、ベンチに倒れ込んだ。
 そこに覆いかぶさる生徒会長さん。
「そこは、ダメ」
「もう耐え切れないで糸を引いてるわよ」
「バカっ。もう、……んん。だから、ダメだって、ひゃっ。ん。あっ」
 御陵会長は右手でスカートの中をまさぐっていて、ぜぶらちゃんの身体からびちゃびちゃ音を立てさせている。
 もう片方の手でぜぶらちゃんの髪の毛をかき上げ、あらわになった首筋に舌を這わせる。
「『穢れ流し』、今年は御陵なんだろ……」
「そうよ、神鉾(かみほこ)を流す、〈(みそぎ)〉」
「異人館街の代表者に、なるんだろ。あたしとは、遊び……になる。遠くへ、御陵が行っちまう。……ひゃぁっ、んぅ、くっ、そんなに強くしないで……よ、いつも強引なまま、遠くへ、行っちまうんだ。わたしはこんなに恋しくてよだれを垂れ流しているのに、この垂れ流された愛は、もう御陵がいないと維持できない身体になってるのに」
「その口を塞ぐわ。もう、逆らわないように。従順でいて。必ず迎えに行くから。きっと、いつか」
「卒業したら、離れ離れになって……きっと御陵はあたしを、姫路ぜぶらちゃんを、忘れてしまう」
「こんなに溺愛してるのに、忘れるわけないでしょ」
「ひあっ! 強くすんな……よな。んくぅっ」

 邪魔しちゃ悪い気がしたけど、凝視していたわたしと姉さんは興味津々、一時間ほどその行為を見続けてしまっていたのでした。
「……抹茶ラテ買って帰ろうなのだ」
「はい」
 我を失うほどディープな肢体を眺めていて、コノコ姉さんがそう言ってくれなければ、わたしたちも大変なことになる寸前のメンタルだったのでした。
 心臓がばくばくしているまま、わたしたちは庭園から抜け出し、天満宮の石段を降りた。
 ふたりで黙ったまま、コンビニまで向かい、飲み物を買って飲むと、火照った身体がちょっとは鎮まった、ように思う。
 その夜は布団にうずくまって、むずむずをどうにかしながら、眠りに就くわたし、佐原メダカなのでしたぁー。
 いやん。



   ☆



「メダカちゃん! 起きるのだぁー! 学園に行くのが遅れるのだ! 急いでトーストを口にくわえて学園へ走っていくのだ!」
「え〜? なんですぅ、その漫画みたいな奴は〜?」
「わたしは先に向かうのだ。あと、全裸で眠らない方がいいのだ!」
「はい? え? きゃっ! 見ないでください、コノコ姉さん! このえっちぃ!」
「いいから服を着て学園へ向かうのだ」
「もう、わかりましたよぉ」
 そこまで言うと、階段をダッシュして降りて、コノコ姉さんは家である珈琲店を出ていった。
 いつもの朝がやってきましたぁ〜。
 上半身をお越し、裸で背伸びするわたし。
 佐原メダカ、再起動ですぅ。


 コノコ姉さんに言われた通り、トーストを齧りながら、学園へと向かう。
 いつもの風景。
 坂を下って西にある、空美野学園に着くと、校門を抜けたグラウンドに、ひとがたくさん集まっている。
「一体、なんなのでしょうか?」
 風紀委員の校門でのチェック、今日はなかったなぁ、と思ったら、グラウンドでひとが押し寄せないように、風紀委員が総出になって、人垣の整理をしていた。
「これは……なにごとかありますねぇ」
 独り言を漏らしていると、後ろから肩を叩かれた。
 振り返って見たら、空美野涙子さんだった。
「あ。涙子さん、おはようございますぅ」
「おう。今日も元気そうだな、メダカ」
「そりゃもう、こころがぴょんぴょんというか、こころがビクッビクンッ、ていうか、ビンビン物語なのです」
「全然意味がわからないが、元気そうなのはわかるぜ」
「ありがとうございます」
「あー、なんていうか、この人垣、どうすんだろうなぁ、うちの生徒会は。警察を介入させないでやろうとする気なんだろうけど、そりゃぁ悪手かもしれないぜ」
「この人垣がなんだかわかってる風な口ぶりですね、涙子さん」
「友達からメールが入ってきてさ。一応、わかる」
「なんなのですかぁ?」
「事件だよ」
「事件? 殺人事件とか、起こっちゃいましたかぁ」
「惜しい」
「惜しいって、わたしは冗談で言ってるのに、惜しいとは、まるでひとが死んだかのようなこと言うじゃありませんか。不謹慎ですよぉ?」
「いや、……本当に死んだんだよ。ま、人間じゃなくて、犬、らしいんだがな」
「犬?」
「ここからはわたしが説明するのだ」
「あ。コノコ姉さん」
 コノコ姉さんがどこからともなくやってきた。
「メダカちゃん、探していたのだ」
 と、コノコ姉さん。
「どういうことなのですか〜、これ」
 と、訊くわたし。
「〈犬神博士〉の術式なのだ」
「犬神……博士?」
「牝犬を一週間飲まず食わずにしたあと、首から上だけを地上に出して生き埋めにするのだ。で、空腹のその犬の目の前に食べ物をたくさん並べる。すると、目も舌もつり上がって、神々しい姿になる、とされているのだ。そして、その神々しさが最高潮に達したときに、後ろから忍び寄って、背後から首を斬るのだ。それからその首を素焼きの壺に入れて黒焼きにする。その壺をご神体にして占いに使う術式、それが〈犬神博士〉なのだ」
「え? まさか首を刎ねられた犬が、グラウンドに埋められている、ということですか?」
「そういうことなのだ」
 そこに涙子さん。
「犬神博士の神通力で自分の〈ディスオーダー〉能力にバフをかけりゃ、だいぶ〈使える能力者〉になれるしな」
「バフ、とは?」
「バフってのは、この場合は自分の能力を神通力で底上げする、って意味合いだ。異能力者が集まってるここ、空美野学園だからこそ起こった事件だな、こりゃ」

 えぐいことになってしまいましたぁ。
 平穏はこうして破られるのですね!
 ……なーんて期待をちょっとしていたわたしだけど、授業は普通に始まったのでした。
 学校という奴は、得てしてそういう非情なところ、ありますよねぇ、全くもう。



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