セーフ・アズ・ミルク【第七話】
文字数 1,480文字
☆
事件は起こったばかり。
大勢の犠牲者が出た。
それはまだ数日前の話で。
わたしのまわりのみんなは、事後の対応に追われている。
つまり、……誰もかまってくれないんですよぉ〜!
ぐすん、寂しい。
わたし、グレちゃいますよ〜、グレッチ弾き始めますよぉ〜?
いいんですか、ねぇ?
昼食をひとりでとっていると、かなしい気持ちでいっぱいになる。
お昼の音楽放送では、キャプテン・ビーフハートの『セーフ・アズ・ミルク』が流れている。
ブルースシンガーのハウリン・ウルフ直系の歌声が、カウンターカルチャー剥き出しの音楽に乗っている。
「うぅむ、わたし、キャプテン・ビーフハート、好きですよぅ〜」
音楽に慰められているのでした。
うぅ、寂しくても泣かないもん。
ラズリちゃんは、新生徒会長の斎藤めあさんが生徒会を一からつくり直すのを手伝って、代わりに会長さんはラズリちゃんしかいなくなってしまった風紀委員会を建て直すことに尽力しているみたい。
コノコ姉さんは、ラズリちゃんを手伝いつつ、ふらふらどこかへいつも出かけていて、でも、バイトがある日は、時間になれば朽葉珈琲店に戻ってくる。
涙子さんは、親族のいざこざに巻き込まれているらしく、〈異人館街の悲劇〉からずっと学校を休んでいた。
隻腕の少女である姫路ぜぶらちゃんと自動販売機の前で会ったことを、わたしは誰かに言わなくてはならないが、今となっては言い出すタイミングが全くなかった。
わたしは黒蜥蜴のあ先生の課外授業を受けることになって、どうにかヒマは潰せそうだけども。
それでも、気がかりなことだらけだ。
なにも起こっていないけれども、なにかが起こりそうな予感だけある。
一般的に『洞窟の比喩』と呼ばれているものがある。
哲学者のプラトンが『国家』第七巻で語った比喩だ。
地下の洞窟に住んでいる人々がいる。
人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。
入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。
洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。
「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。
同じように、わたしたちが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。
この例えを進めて社会学者のマックス・ウェーバーは、もしも鎖から放たれたことがある者がこの人々のなかにいて、イデアの「影」ではなく、実際に入り口の方を見たのならば、その見たイデアを、なにがあったかを、ほかの繋がれた人々に教えないとならない、と考えていた。
例え、鎖に繋がれた人々がなにひとつとして信じてくれないとしても、つまり偏見の塊になってしまっていても、鎖から解かれて実際の物……炎、を見た経験があるものはその炎のこと、イデアのことを伝えなくてはならないのだ、と。
それが、〈学問〉を知る者の使命と同じことなのだ、とした。
つまり、ですよぉ?
この〈ディスオーダー〉能力の学園にいる者として、そして〈実際の戦いを経験した〉わたしにも、伝えるべきものが、かすかかもしれないけど、存在する、って話です。
「でも、疲れたし今日は早く眠りますぅ〜!」
良いことを思いつきました!
「保健室のベッドで横になりましょう。ついでだから保険医のサトミ先生の白衣姿を愛でましょう、そうしましょうっ!」
午後の授業はキャンセルして、保健室に向かうわたし。
多少、疲れましたし、これでいいのです。
事件は起こったばかり。
大勢の犠牲者が出た。
それはまだ数日前の話で。
わたしのまわりのみんなは、事後の対応に追われている。
つまり、……誰もかまってくれないんですよぉ〜!
ぐすん、寂しい。
わたし、グレちゃいますよ〜、グレッチ弾き始めますよぉ〜?
いいんですか、ねぇ?
昼食をひとりでとっていると、かなしい気持ちでいっぱいになる。
お昼の音楽放送では、キャプテン・ビーフハートの『セーフ・アズ・ミルク』が流れている。
ブルースシンガーのハウリン・ウルフ直系の歌声が、カウンターカルチャー剥き出しの音楽に乗っている。
「うぅむ、わたし、キャプテン・ビーフハート、好きですよぅ〜」
音楽に慰められているのでした。
うぅ、寂しくても泣かないもん。
ラズリちゃんは、新生徒会長の斎藤めあさんが生徒会を一からつくり直すのを手伝って、代わりに会長さんはラズリちゃんしかいなくなってしまった風紀委員会を建て直すことに尽力しているみたい。
コノコ姉さんは、ラズリちゃんを手伝いつつ、ふらふらどこかへいつも出かけていて、でも、バイトがある日は、時間になれば朽葉珈琲店に戻ってくる。
涙子さんは、親族のいざこざに巻き込まれているらしく、〈異人館街の悲劇〉からずっと学校を休んでいた。
隻腕の少女である姫路ぜぶらちゃんと自動販売機の前で会ったことを、わたしは誰かに言わなくてはならないが、今となっては言い出すタイミングが全くなかった。
わたしは黒蜥蜴のあ先生の課外授業を受けることになって、どうにかヒマは潰せそうだけども。
それでも、気がかりなことだらけだ。
なにも起こっていないけれども、なにかが起こりそうな予感だけある。
一般的に『洞窟の比喩』と呼ばれているものがある。
哲学者のプラトンが『国家』第七巻で語った比喩だ。
地下の洞窟に住んでいる人々がいる。
人々は、子どもの頃から手足も首も縛られていて動くことができず、ずっと洞窟の奥を見ながら、振り返ることもできない。
入口のはるか上方に火が燃えていて、人々をうしろから照らしている。
洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる。
「実体」を運んで行く人々の声が洞窟の奥に反響して、この思い込みは確信に変わる。
同じように、わたしたちが現実に見ているものは、イデアの「影」に過ぎないとプラトンは考える。
この例えを進めて社会学者のマックス・ウェーバーは、もしも鎖から放たれたことがある者がこの人々のなかにいて、イデアの「影」ではなく、実際に入り口の方を見たのならば、その見たイデアを、なにがあったかを、ほかの繋がれた人々に教えないとならない、と考えていた。
例え、鎖に繋がれた人々がなにひとつとして信じてくれないとしても、つまり偏見の塊になってしまっていても、鎖から解かれて実際の物……炎、を見た経験があるものはその炎のこと、イデアのことを伝えなくてはならないのだ、と。
それが、〈学問〉を知る者の使命と同じことなのだ、とした。
つまり、ですよぉ?
この〈ディスオーダー〉能力の学園にいる者として、そして〈実際の戦いを経験した〉わたしにも、伝えるべきものが、かすかかもしれないけど、存在する、って話です。
「でも、疲れたし今日は早く眠りますぅ〜!」
良いことを思いつきました!
「保健室のベッドで横になりましょう。ついでだから保険医のサトミ先生の白衣姿を愛でましょう、そうしましょうっ!」
午後の授業はキャンセルして、保健室に向かうわたし。
多少、疲れましたし、これでいいのです。