ストリクトリー・パーソナル【第六話】

文字数 1,677文字





 まわりにいない、誰か知らないひとの声が聞こえてくる。
 笑い声、それも嘲笑。
 こころに直接語りかけてくるわけではないので耳を塞げば声は小さくなる。
 だから耐えられないこともない。
 けど、笑われるのには慣れない。
 わたしには嘲笑への耐性がない。
 黒蜥蜴先生がわたしに寄ってくる。
 緋縅氷雨ちゃんは、刀を構えて、周囲を探っている。

 わたしがこのヒアリングヴォイシズについに耐え切れずうつぶせに倒れると、なに喰わぬ顔で黒蜥蜴のあ先生は、わたしの襟首を掴み、仰向けにさせ、わたしの頬をひっぱたいた。
「この阿呆!」
 びたーん、と頬をはたく音がした。
「痛い!」
 右の頬を叩かれたと思ったら、今度は左の頬を叩く。
 弾けるような音。
「目を覚ませ、メダカ」
「うぅ。笑い声に耐えられませんよぅ」
「不快音でもこれは低レベルだ」
「はい?」
「ディスオーダーは『二者間』、『個人』、『全体』にかける三つがあるが、このディスオーダーは『全体』にかけているのは理解したか?」
「ええ。先生も氷雨ちゃんも顔をしかめていたし、ディスオーダーの名前を当てました。この〈声〉が聴こえているのがわかりますよぅ」
「これは通常、『二者間』で使うもので、相手を熟知していないと、たいした効力がないディスオーダーだ」
「うぅ」
 また笑い声がわたしを攻撃してくる。
 わたしは目をつむる。
 すると、またすぐに黒蜥蜴先生の平手打ちが飛んできた。
 わたしは仰向けに倒れて、「あー!」と奇声を発してわめいた。
「メダカ。軍隊では〈不快音〉で思考を乱した状態にさせられ、そのなかで射撃訓練を行うことがある。それはきつい訓練だ。だが、だ。今ここで行われている笑い声は、……誰の声だ?」
「さぁ? 知りません! 知らないひとの声がわたしを嘲笑するんですよぉ! 怖いですよぉ!」
 びたーん、とまた平手打ち。
「阿呆! まだわからないのか? 知らない奴の声? そんなのは〈幻聴〉じゃないんだよ! ヒアリングヴォイスシズとしては低レベルだ。『全体』にかけているから、誰の声にするかの焦点を定めないで使っている低レベルの異能だ。ヤバい幻聴ってのは、な。心が非常に傷つくような出来事を経験した、その経験がよみがえるようにして〈その当時、その経験を引き起こさせたような当事者〉だった〈特定の人物たち〉の声が聞こえてくるんだよ。虐待だったら虐待の加害者だった奴、とかの、な。幻聴が短い言葉のときであれ、酷い経験をしたときに攻撃してきた〈特定の人物〉の攻撃を受ければ、その奴らの声を受けた側は怒りと憎しみと恐怖で自分をコントロール不可能にさせられるほどだ。そして、自分では、昔のことがよみがえるという感覚は必ずしもないから、過去を見て乗り越えることが出来るかというと謎だし、そんな悠長な乗り越えなんて出来るヒマは与えられないじゃんよ。四六時中ヒアリングヴォイシズは襲ってくる。〈幻聴〉が酷いと、返事や会話をしてしまったり、声の指示に従ってしまったりなどをしてしまう」
「うぅ、なにが言いたいのですかぁ、先生」
 びたーん、とまた一発、頬を叩かれる。
「誰だかわからない奴の声なんて、幻聴としてはレベルが低いって言ってんだろうが! こんな〈知らない外野〉の、それも〈内容がない〉声なんぞに負けるなっつってんだこのバカ!」
 ドガッと、蹴りがわたしの胴体に入れられ、わたしは倒れたまま身体を折り曲げ「うひー」と唸ったのです。

 一方。
「それでは斬りましょう。我が太刀筋の一切は空」
 氷雨ちゃんは目をつむり、そう言ってから薄く目を開ける。
「……秘義・トンボ斬りッ!」
 なにもない〈空間〉に、氷雨ちゃんは刀を振りかぶった。
 いや、斬ったのだった。
 斬った先の、なにもなかった空間から血が吹き出た。
 そして、相手は不在のまま、その〈なにか〉から吹き出た〈血液〉で、視聴覚室は真っ赤に染まったのでした。
「後片づけ、どうするじゃんよ?」
 鼻で笑った黒蜥蜴のあ先生を見上げながら、わたしはまたわたしの無力さを知るのです。
 わたしは鼻水を流しながら、泣くしかないのでした。


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