3 メロスよ、どこへ?

文字数 3,469文字

ディオニスからそっと離れ、メロスはしばらく全力で走った。

走って走って走り続け、息が切れて地面に座り込んだ。

はぁっ、はぁっ……。

はぁ……。

後ろを振り返ってもディオニスの姿は見えなかった。


這うようにして近くに生えていた木の陰に行くと、街道から見えないように寄りかかって座り、呼吸を整えながらしばらく待ってみたがディオニスは現れなかった。

はぁ……
あのペースだと日没までにシラクスにたどり着かないと思ったメロスはディオニスを置いてきた。
(……追いかけてきてくれるよね?)
ディオさんと一緒じゃないと、間に合った時、お兄ちゃんが殺されちゃうからね。
妹に言われたことを思い出した。
(ディオがいなかったら、ボクは磔刑になるかもしれない)


ぼんやりと、そう思った。
(でも、間に合わなかったらせっちゃんが磔刑になるんだ)
メロスは唇をかみしめる。


磔刑は手足を十字架に打ちつけられ、そのまま放置され、時間をかけて死ぬことになる。最も重い罪を犯した者が受ける刑だった。


メロスはどうでもよかったので見に行ったことがなかったが、悪事を行うとこうなるのだという見せしめでもあり、刑場に人が集められて執行される。


王を殺そうとすれば、そうなるのは当然だった。

(でも、ディオはホントはそんなことじゃ磔刑になんかする人じゃない)
山賊だと偽ってディオニスを暗殺しようとした集団を、メロスの指摘に従い助けてくれた。そして、彼らを困っている人たちの手助けに向かわせた。


メロスはそれを確認して、こっそりここまで走ってきた。

(ボクがディオを殺そうとするなんてありえない)
命がけで守ることはあっても、その逆はありえない。

何がどうすればそうなるのかもわからなかった。

(あれ?)

けれど、なぜか涙があふれてきた。

(ディオは、ボクを殺したりしない……)
メロスはそう信じていた。
……
涙をグイっとぬぐい、立ち上がる。

(ボクは行かなきゃ! 日没までにシラクスに!)

自分が磔刑になるのを想像すると、恐ろしくてたまらなくなる。

けれど、自分の代わりにセリヌンティウスが磔刑になると考える方が恐ろしかった。

そんなの、絶対にダメだ!
メロスは叫び、走り出す。

唯一無二の友を助けるために。


メロスは走った。







そして、しばらく行くと

ん?

来る時に通った道ではない細い道が目に入った。

方角は、シラクスにまっすぐ向かっている。


メロスはそこで立ち止った。

(……こっち行った方が、早いんじゃないか?)

村からひたすら走り続け、そろそろ疲労も感じていた。

細い道だったが、人が使っている形跡もあり、ちゃんとした道に見えた。

……

シラクスまでのいつも通る道はぐるっと回っていて、無駄な距離を走らなければいけない気がする。

その道は、ものすごい近道のような気がした。

こっち、行ってみるか。
メロスは細い道に入った。

(けっこう余計な体力使っちゃったし、行けるんなら早く行きたい)

寄り道も

しちゃダメだよ。

妹の言葉を思い出す。
寄り道じゃないし。
シラクスへまっすぐに行こうとしていた。
(心配してると思うから、せっちゃんを早く安心させたげたいし)
少しくらいなら、遅れてもいいからな。
(あんなことを言ってたせっちゃんを、驚かせてやろっと)
セリヌンティウスはメロスの身代わりになるためにそう言ったのだが、メロスはわかっていなかった。
(せっちゃん、どんな顔するかな?)
(なげ)くであろう。
(よ~し、シラクスまで、まっすぐに行くぞ!)
メロスは皆の意図(いと)を微妙に間違えて(とら)える、まっすぐな男だった。




     ◇◇◇




メロスは細い道をしばらく黙々と走っていた。
(細くて近道っぽいな)
予定よりも早く着けそうな気がした。
(でも、ディオが間に合わなかったら……?)
細い道に入り、そんなことを考えながら走っていた。
(それに、ディオに見捨てられる可能性もゼロじゃない……)
そう考えると、辛くてたまらなかった。

本音のディオニスにはメロスも愛されていると思えた。

(ディオは、ボクを助けてくれた……)
何も考えずに濁流に飛び込んだメロスを、ディオニスは救った。

メロスが能天気でいられたのも、彼の温もりを感じていたからだった。


いつも感じている温もり。

冷たい人間だと思われがちだが、本当はとても深い愛情がある人間であることを、メロスは感じていた。


それに、ディオニスはメロスを生かすために動いてくれていた。

けれど、それはメロスの望む形ではなかった。


セリヌンティウスを犠牲にするなど、メロスには耐えがたいことだった。

(ディオのことは大好き……。これ以上ないくらい)

でも、シラクスの王としてのディオニスは、男の恋人がいることを良しとしない。

(命よりも大事なものなんて、それほどないんだ。ディオが守ろうとしている『王の威厳』なんて、命の前では比べ物にならないくらい軽いんだ)
メロスは走る。
(生きているから、嬉しいことも悲しいこともわかるんだ。死んだら何も残らない)
ボクは今

生きている。

その言葉を口にすると、一歩一歩メロスの走る足に力が入る。
(日没までにシラクスに着けば、ボクが磔刑になるかもしれない……)
それでもメロスの足は止まらなかった。

(シラクスに近づくってことは、ボクの死も近づくのかもしれない)

(それでも、せっちゃんは助かる。それに……)
メロスは(くら)い目をした。

(ディオだって、気づくだろう。愛しい者が死ぬってことの辛さを……。ボクが死んで、気づけばいいんだ。死が何を奪っていくのかを……)

(ディオがボクの命を犠牲にして守ろうとしているものなんて、ボクには大事だと思えない)

ディオニスは、シラクスを犯罪のない街にしようと、規則を厳しくして罰を重くした。

そのことで犯罪はなくなったが、活気は失われ、ギスギスした空気が辺りに立ちこめるようになった。


その違和感を、メロスは良く思っていなかった。

はっきりと言うことはできなかったが、もやもやしていた。


村に帰り、その違和感は増した。

村長は、なあなあではあるが、悪いことは悪いと皆に伝えられる。


村は明るく、犯罪も多少は起こるが、罪を犯した者は、村長の寛大な処分に涙を流し、もう悪事は働くまいと心に誓う。


幼いメロスもそうだった。

ただ、それはあの村長だからで、他の人間に同じことをされてもそう思うとは限らなかった。


小さな村だったから、村長のやり方でもよかったのかもしれない。

村よりもずっと人が多いシラクスの街では、ダメなのかもしれない。


メロスも何が正しいのか、よくわからなかった。

悪いことをした人間を処刑してしまえば、本当に平和な世界になるのだろうか?


けれど、赦すだけでもいいのだろうか?

(悪いことをした人を罰するのは当然で、そうすることによって、それを見ていた人は悪いことをしないようになる)
理屈ではわかっていた。
(でも、それだと罰が怖いから悪いことをしないってことになって、それでいいのかな? ホントに)
(それに、悪いことをしたからって、その人が全部丸ごと隅から隅まで悪い人ってわけでもないと思うんだけどな……)

メロスにはわからなかった。

でも、ディオニスなら、村長とは違うやり方かもしれないが、なんとかできるのではないかと思っていた。


メロスには無実の者を処刑してまで守らなければいけないものがあるとは思えない。

(ボクはしかたがない。ディオとしたくて王城に入り込んだんだから。でも、せっちゃんは何も悪いことをしていないんだ)
(それなのに、ボクを生かすためにせっちゃんを磔刑にするなんて……)
そのことに少し、メロスは怒っていた。
………………
足元に横たわる樹木を乗り越える。
(失ってから、気づけばいい……)

冷たい気持ちで、メロスはそう考えていた。

自分がどんなにひどいことをしようとしているのか、わかっていなかった。

(でも、それに気づいたら、それからなら、きっとディオは皆から好かれる王様になれる)

メロスは進んでいた。

どこに続くのかわからない道を……。

(だけどディオ、思ってたより足、遅いんだよね……)

ぜぇ……、ぜぇ……
と、メロスにペースを乱され、ヘロヘロになっていたディオニスを思い出す。
(あれだけやりまくる体力あるくせに、なんで走るのはダメなんだ?)
メロスはそんなことを思いながら、手で(つた)を掴み、細い木の枝を渡る。
(あれ……? おかしいな、道、どこいった?)
考え事をしていたので、気づくと知らない場所にいた。

地図に載っていない、道なき道。


というか、すでに道はなくなっていた。






あれれ?
まともな判断は、元々できない男だったのかもしれない。
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登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

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