8 フィロストラトス

文字数 2,613文字

(何なんだ……?)
ディオニスは走り去るメロスを目で追う。
(メロスの足はあんなに速かったのか……?)
恋人はみるみる小さくなっていった。
(さっきは私に合わせてゆっくりと走っていたのか?)
追いつける気がしなかった。
(さすがにここから先は、迷わないだろう……)

道なりに行けば着いてしまう。

今度こそシラクスのまちまで迷いようがない。


けれど油断はできない。

これまでもメロスはディオニスの想像の斜め上を行っていた。

はぁ……

ディオニスは深いため息をつく。

そして、何気なくメロスがいた場所を見つめる。

むっ?

そこには、例の神秘の泉の水が入った水筒が落ちている。

(こぼれて私を怒鳴(どな)りつけるくらい大切にしていたはずなのに、なぜ忘れる……?)

やっぱり理解ができないとディオニスは思った。
これはきっと、ニンフさんがくれたんだ!
キラキラとした目でそう言ったメロスを思い出した。
(何が『ニンフさん』だ……。あいつは無駄が多いのだ)

ディオニスは物事をシンプルに進めたかった。


内に怒りを秘めながらも水筒を拾う。

メロスが口をつけていた物を、この場に置いて行くわけがない。

ふっ
これまでもディオニスは麻のキトンや手作りのナイフ袋など、メロスに関わる物は全て集めていた。この水筒もそのコレクションに加わる。
…………
水筒は先ほどこぼれた水で()れ、ひんやりとしていた。

わずかだが清水が肌に触れた。


すると、少しだけ怒りが収まる。

というか、メロスコレクションが増えたので、無表情だったが喜んでいた。

ニンフの水か……
飲むと疲れが取れるんだよ。

とメロスが言っていたことを思い出す。

そして、ディオニスは水筒のふたを開けてひとくち飲む。


ひたすら走っていたせいか、体内に水がすーっと吸収される感じがした。

たしかに疲れがなくなるかもしれない。


そして、暗い気分だったのに、光が見えてくるような気がした。

ディオはもっと

自分を甘やかしていいんだよ。

優しく微笑みながら言う、恋人の顔を思い出す。

(私は自分を甘やかしたりなどしない。王とは自分に厳しくなければならぬのだ)

(言いたいことを、言うだけ言って去るとは……)

けれど、耳が痛い言葉だった。

気づいてはいたが、見て見ぬふりをしていた。


陰鬱(いんうつ)としてしまったシラクスのまちのことを。

楽しみもなく、冷めた目で生活する市民のことを。


(あいつは私をどうしたいのだ?)
ディオニスは、メロスが走って行ったシラクスに続く街道を見つめる。

(私は自分を甘やかさぬ。ただ、あそこまで言われて、黙って引き下がるわけにもいかん)

水筒(すいとう)のふたを閉めて(ふところ)に入れると、ディオニスは走り出した。




      ◇◇◇




メロスも走っていた。
……

(みち)行く人を()退()け、()ね飛ばし、メロスは風のように走った。

(ひど)いと言えばひどいのだが、しかたがない。メロスは急いでいた。


小川を飛び越え、少しずつ沈んでいく太陽を横目に走った。

太陽と競争しなければならなかったので、しかたがないのか?


太陽はみるみる沈んでいく。

(時間があったら、ちょっと寄り道でもしようと思ってたんだけど、もう無理かな)

走りながらメロスは思った。

さすがに空が茜色になっていたので、そんな時間はなさそうだ。

(ここまで来て間に合わなかったらシャレんなんないし、まっすぐ刑場に行こう)
早く到着できなかったので、まっすぐに刑場に行くことにした。
(あともう少しだ)

そして、ようやくシラクスの塔楼(とうろう)が見えてきた。

夕陽を受けて、キラキラと光っている。

待っててね、せっちゃん。
友を想い、メロスは走る。

けれど、そこであることに気が付いた。

あれ?
シラクスのまちに入り、メロスは速度をゆるめる。
刑場って、どこだ……?

これまでも刑の執行は行われていたが、興味がなかったのでメロスは行ったことがなかった。

途方に暮れながらゆるゆると走っていると、見覚えのある人影が目に入る。

……

セリヌンティウスの弟子のフィロストラトス。

どことなくメロスに近い雰囲気の少年だった。


彼は諸悪の根源メロスがシラクスのまちに現れるのを待っていた。

それを知らないメロスは、これ(さいわ)いと走り寄る。

フィー君
メロスはフィロストラトスも勝手な呼び方をしていた。

メロス様……

やっと来たんですね?

フィロストラトスはものすごく不機嫌な顔で淡々と言う。

セリヌンティウスを敬愛しているため、普段からメロスへの当たりがキツい。

せっちゃんは?
のん気な感じで聞く。

いちおう、焦ってはいる。

さっき刑場に連れてかれましたよ。
それを聞いて、メロスは青ざめる。
あんた、ほんっとにいっつもいっつもウチの師匠(ししょう)に迷惑かけてばかりで、たまにどっか行ったと思ったら暴君殺人未遂って何やってるんすか? マジで意味わかんないっすよ。
ここぞとばかりにメロスを非難する。

もう刑場に?

まだ陽は沈んでないぞ!

メロスはどうでもいいことは耳に入らない。

そんなところもフィロストラトスがメロスを嫌う理由だった。


けれど、たしかに夕陽は地平線の上で、まだ沈んでいなかった。

そんなのオレに言われても……
未熟な弟子のフィロストラトスごときに何かできるはずがないとメロスも思い直す。
(腕のいいせっちゃんならともかく、フィー君じゃな……)

メロスもフィロストラトスのことをあまり好きではない。

なんだかんだとメロスにつっかかってくるのでムカついている。

みんな、あんたみたいに時間にルーズじゃないんすよ。陽が落ちたと同時に刑が執行される感じじゃないんすか?
フィロストラトスに文句を言っている場合ではなかった。
刑場ってどっち?
あっちですよ。

フィロストラトスは早く行けとばかりに指し示す。

メロスなんぞに教えたくもないが、セリヌンティウスの命がかかっているので、嫌々ながらも口を利くという感じだった。

ありがとう。
自分の行くべき方向がわかったのでニコニコと礼を言い、メロスは刑場に向かって全速で走り出す。

フィロストラトスはその様子を見て

(よかった。これで師匠が助かる)
と、安堵した。
(その上、師匠に迷惑をかけっぱなしのメロス様が処刑されるなんて、とてつもなくラッキーだよね。いままで嫌なヤツって思ってたけど、暴君には感謝しなきゃ)

そんなことを思っていた。

そして、彼もメロスの走る速さを見て追うのは断念した。 


フィロストラトスはメロスを見送り「やれやれ」と伸びをする。

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登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

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