1 メロスの妹
文字数 2,998文字
日は沈み、村人たちも仕事を終え、それぞれの家に帰って家族と団らんをしている頃、メロスは懐かしい我が家についた。
ディオニスに持たされた重い荷物を背負い、10里の道のりを自分の足で歩いてボロボロになっていた。
急いだつもりだったが、やはり半日以上かかってしまった。
疲労困憊で足も上がらず、もう一歩も歩けない。
しかし、久しぶりに見る家には、明かりが灯っていた。
メロスは涙が出そうになった。
この明かりは、大切な妹、フレイアが灯したもの。
そう思うだけでなんとも言えない感情がこみあげてきた。
ただ、メロスは家に入るのをためらってしまった。
2年前までずっと暮らしてきた家。
目を閉じれば、中の様子をはっきりと思い出せる。
でも、戸口から入ることができなかった。
手紙には『結婚式に出席してください』と書いてあったが、その相手はメロスの元カレ。2年前も執拗に迫られた。どうして二人が結婚することになったのかもわからない。
フレイアは、メロスにまっすぐに走ってきて抱きついた。
小さい頃と同じだった。
ぎゅっとしがみついてきて、メロスも思わず抱きしめる。
2年前よりも少し背が伸び、ふっくらとしていた。
でも、大事な大事なメロスの妹だった。
妹は可愛らしくそう言った。
メロスは信じられないという顔をした。
以前と変わらない妹の態度に、夢なら覚めなければいいと思った。
メロスの声が裏返る。
アレクとは、メロスの元カレで妹の婚約者のアレクサンドロスのことだった。
抹消したい記憶だった。
メロスは燃え尽きたような無表情になった。
するいよ。アレクは。
お兄ちゃんのあの姿を、いつも拝んでたんだから。
服着てるお兄ちゃんもアンニュイな感じがして、それが耽美でいいんだけど、無理やり脱がされて、上気した顔で涙を浮かべて「嫌だ!」って叫びながら犯されそうになってて……。
ああでもしないと、お兄ちゃん、ウチ、出て行かないでしょ?
お兄ちゃん、ウチにいたら、私に気を遣って、やりたいことしないし。
お兄ちゃん、ずっとシラクスに行きたがってたじゃない?
フレイアはうっすらと涙を浮かべ、ニコニコと言った。
2年ぶりに会う妹にふんわりと抱きしめられ、メロスは泣きそうになった。
フレイアは嬉しそうに笑った。
本当に嬉しそうで、メロスは涙が出てきた。
メロスは泣き笑いをしながら言う。
フレイアは兄を促し、家に向かって歩き出した。
そして、兄に笑いかける。
来年の今頃は、お兄ちゃん伯父さんになるんだからね。
お兄ちゃんがいなくなっちゃって、それでアレクとお兄ちゃん談義をしているうちに、仲良くなっちゃったの。
………………………………………………………………………………ぇ?
(い……嫌だあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!)
叫びたかったができなかった。
妹の幸せに、水を差すことはできない……。
(うん。結婚ってことは、そうだよね。でも、まだ早いっていうか、お嫁入り前は清いままでいてほしいっていうか……。うん。無理なのはわかってるけどさ……。それに、なんだかんだ言って、結婚って、そういうことだし……。)
(それでも嫌だあああああああああああああああああああああああああああ!!!)
10里を歩いてヘトヘトになって、妹の言葉で壊滅的なダメージを受けた。
と、メロスは笑顔で言って、家に入った。
メロスは妹の結婚式がどうして今で、なぜ急に決まったのかを、うっすらと理解した。
長いこと足を踏み入れることができなかった家に、メロスは帰ってきた。
ああ……、フレイアの結婚式のために、知り合いがくれたんだ。
歯切れも悪くメロスは言い、ディオニスがくれた物をようやく降ろすことができた。嬉しいと言えば嬉しいのだが、とにかく重くて辛かった。
メロスは入口に入ってすぐにすべての荷物を置いた。
降ろすととたんに身が軽くなる。
精神的にもけっこうキツかった。
すぐに荷物の中から真っ白い女性用のキトンとヒマティオンを出して妹に見せた。
そう言って妹に渡す。フレイアは喜々としてそれを自分に当てて見る。
目をキラキラさせて言う妹に、メロスも嬉しそうにうなずいた。
受け取った服の手触りを確かめ、ぱーっと花よりも愛らしくフレイアは言った。
妹の喜ぶ姿を見て、重い物を持ってきた甲斐があったとメロスは改めて思った。
(ディオは、こうなることがわかって持たせてくれたんだ……)
妹のはしゃぐ姿を見て、メロスは改めてそう思ったが、ディオニスはただ単にメロスの歩みを遅らせようと重そうな服を持たせただけだった。
笑顔ではちきれんばかりの妹の言葉に、メロスは違和感を覚えた。以前もらった手紙には、明後日の日付が書いてあったはずだった。
フレイアは目をぱちくりさせ、不思議そうな顔でメロスを見た。
お兄ちゃんにお客さんが来て、その人が言ったんだよ。「明日にしたほうがいいって」それで、明日になったのよ。
意味がわからなかった。
わかっていたけれど、信じられなかった。
思い当たるのはひとりしかいない。
メロスは速足でリビングに向かう。
そこには、ワインを飲んで、やや出来上がったディオニスがいた。
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