5 ディオニスの不満

文字数 4,863文字

メロスは脱ぎ散らかされた服を拾いに行っていた。

部屋の隅でキトンを着て、長椅子に座るディオニスの元に戻ってくると、ディオニスは手紙を読んでいた。

あ……。
それは懐に入れていた妹からの手紙だった。
ディオ、ボクの手紙、勝手に読まないでよ。
すねたように言い、暴君の隣に座る。
ふん
と鼻で笑い、メロスの言葉を無視するように手紙を読みながら、メロスの肩を抱いて自分の方に寄せる。
もうっ
メロスは怒りながらもその胸に抱かれたので嬉しそうに笑った。
妹が結婚をするのか?
苦々しい表情でディオニスは言った。
うん……、そうみたい。
メロスはそれを思い出し、沈んだ顔で言うと、ディオニスにまとわりつくように抱きついた。
日にちは決まってないみたいだけど、来月、式を挙げるから来てくれって……。
ついでにそのこともディオニスに言うつもりだった。

手紙を読まれて手間が省けたとメロスは思った。

とっても

かわいい子なんだよ。

その部分は強調したいのか、喜々として起き上がると、ディオニスを見つめ、メロスは言った。
ほぉ……
手紙を見ていたその瞳に、暗闇が広がる。
ダメだよ。

妹は結婚するんだからね。

嫌な予感がしたメロスは慌てて言った。
おまえは何を言っている?
ディオニスはかなり不満そうに恋人を見下ろす。
いま、『どうやって手に入れよう』って顔してなかった?
そんなことは考えておらん、バカ者めが。
ディオニスはメロスの頭の後ろの髪を掴んで自分の方に引き寄せる。
っ……
顔をしかめるメロスの唇にキスをする。
顔が同じだとしても、おまえがいい。
にこりともしなかった。
えっと……。

頬を赤らめ、口ごもる。


妹を褒めちぎりたいメロスとしてはいささか不満が残るが、それ以上にディオニスの行為がキライではなかった。


ただ、ディオニスの眉間のシワは消えなかった。

そして、メロスはハッとした。

……ごめん。
自分の至らなさに、メロスはうつむいた。
なぜ謝る?
だって……。

メロスは自分の浅はかさを嘆いた。


ディオニスは妹夫婦を処刑していた。

王位を狙った男がディオニスの妹と結婚し、ディオニスを亡き者にしようとしたが失敗した。


身内ですら情け容赦なく処刑したことにより、ますます暴君と呼ばれるようになった。

誰が王であろうと、その者に国をよくしようという意思があれば、それでいいのだ。

そう言って、ディオニスはメロスを抱き寄せた。

…………。
あやつらがまともな施政を行うのなら譲ってもよかったが、私利私欲のために市民を苦しめることしか考えておらなんだ。

ディオニスは市民のための施政を考えていた。

ただ、いかに早く効率的に行うかを考えていたので、かなりキツめな政策になっていたが……。


それに、贅沢をしていた者を処罰していたのではなく、その資金を不正な方法で得ていたからであり、人質という名の猶予期間を与えても考えを改めそうになかったために処刑していた。


そして、メロスのように小さくて弱い人間が被害に遭わないように、犯罪者は厳しく取り締まった。夜間外出禁止令は外を出歩かなければ犯罪にも会わない。また犯罪者も出歩けないために犯罪も起きない。手っ取り早い防犯だった。


それが市民に湾曲して伝わっていた。

(ホントはめちゃめちゃ世のため人のためを考えている人なのにな……)

メロスにはそれがわかっていた。


ただ、ディオニスを直接知らない人間には知る由もなかった。

メロスもディオニスに会っていなければ、王を批判していたかもしれない。


役人は王を畏れ、市民は役人を畏れ、いびつな安全がシラクスにはあった。

ところで、このおまえの義弟になる男は、おまえの何なのだ?
手紙をひらひらさせ、暴君が恋人に問うた。

メロスの背中を嫌な汗が伝って落ちる。


      ◇◇◇


沈黙が恐ろしかった。

顔立ちが整っている分、恐怖もひとしおだった。

(でも、めちゃめちゃカッコいい……)
という気分だったが、そういう空気では全くなかった。
おまえの身体を弄んだ男が、おまえの妹の夫になるのか?
メロスはそんなことを考えている場合ではないことを思い出した。
言い方、ヘンだから……。
改めて恋人から言われると、特にキツかった。
だが、付き合っていたのであろう?
メロスは下を向いて目をそらした。

正直者のメロスは『違う』と言えなかった。


逃げることを赦さないディオニスは、メロスの顎を持って自分の方に向ける。

どうなんだ?
メロスの間近にあるディオニスの瞳は据わっていた。
あー、えっと……。
どう言えばいいのかわからない。
おい……。
静かな、しかし地の底から響くような声に、メロスは腹をくくった。
そいつとは付き合ってた。でも、なんか違う気がして、別れたんだ。でも、妹は……、ずっと好きだったみたいで……。
どんどん声が小さくなっていく。
(フレイア、あんなのが好きだったなんて、お兄ちゃん、ショックなんだけどな……)

それがメロスの一番の気持ちだった。


おまけに妹に近づいたのは、メロスともう一度よりを戻すためだったと言われて襲われかけた。あられもない姿にされていたところで妹に見つかった……。


だから追い出された。

そして、申し訳なくて戻ることもできなかった。

どのようなヤツだったのだ?
ディオニスの言葉で我に返る。
金持ちで……、気前が良くて、爽やか系で……はじめは好きだと思ったんだ。好きにならなきゃって……。でも、なんか違ってた。
何が違っていたのだ?
ディオニスからの恐怖が増す。
考え方が、好きになれなかった……。
Hもつまらなかったし……は黙っていた。火に油を注ぐような気がした。
おまえは相手の欠点をひとつ見つけたくらいで、嫌うことはしない。
ディオニスはいきなり言い切った。
え? はい?
メロスは買いかぶりすぎだと思った。
(ボク、そんなにいいヤツじゃないんだけど……)

メロスは好き嫌いが激しい。


自分勝手だしわがままだ。

それはディオニスも知っているはずだった。


メロスはたまに、ディオニスが自分のことを天使か妖精のように思っているような気がしていた。

(もっとドロドロしてて、汚い人間なのに……)
けれど、その誤解を解いたら、嫌われてしまうような気がした。

だから、強くは言わなかった。

(でも、ディオとは求めているものが同じような気がする……)
そう思っていたから、メロスはディオニスのことが好きだった。
譲ったのか?
ディオニスの恐ろしい声が届く。
おまえの妹が好きな相手だと知って、譲ったのではないか?
厳めしい顔で彼は言った。
(……そっち?)
メロスはディオニスの言っていることを理解して呆れた。
ボクがアイツのこと、まだ好きだとか思ってるわけ?
ディオニスはムッとした顔で目をそらした。
(拗ねてただけ?)
意味はわからなかったが、メロスは嬉しくなった。
ボクが好きなのは、ディオだけだよ。考え方も顔も好きだし、ディオの悪いところなんて見つけられないよ。
メロスはディオニスに抱きつき、彼の素肌に触れて口づけをする。
口では何とでも言える。
ディオニスはメロスを離させた。


彼は王城で耳障りのよい言葉しか聞いてこなかった。

口ではいいことを言うのに、実際はそうではない人間を山ほど見てきた。


メロスを残し、ディオニスは荷物のところに向かった。

メロスは自分が持っていたディオニスのキトンを見つめ、不安そうに待っていた。

(機嫌、悪そう……)

元カレのことを知られたのだから、しかたがないのかもしれない。


しかもそれがメロスの妹と結婚をするのだ。

メロスもあまり嬉しくはない。


そして、戻って来たディオニスを見て、メロスはぎょっとした。

ディオニスは短剣を持っていた。鞘に入った物だったが、それを持って長椅子に座っていたメロスの前に立った。

(え? 刺されるわけ? 浮気したわけじゃないのに……)
メロスはそんなことを思った。
(過去までさかのぼってディオを好きでいないとダメってこと?)

身を隠す場所などなかった。


しかも短剣を持っているのは歴戦の王、ディオニスだ。

短剣の扱いも堂に入っている。


けれど、メロスに怯えや戸惑いは見られなかった。

何?
と言って、短剣を持っているディオニスの腰に手を回し、抱きついた。
(刺されてもいい。ディオに、それくらい好きって思ってもらえたってことだから……)

そして、愛する男をただ抱きしめた。

ディオニスは短剣を傍に置くと、我慢ができないという感じで貪るようなキスをした。

(殺す前の……、最後のキス?)
メロスはそっと目を開け、短剣を気にしながらも目を閉じ、ディオニスを抱きしめる。

(ディオに殺されるなら構わない。ただ、最期の一瞬まで、彼を求め続けたい……)

けれど、ディオニスはメロスに刃を突き立てなかった。

まったく……、おまえというヤツは……。

メロスを離し、怒ったように言うが、頬を染めているのでどことなく愛らしい。

私以外の者に、こういうことは絶対にするな!

逆切れ気味にディオニスは怒鳴った。

わかってるよ。

当たり前のことを言われただけで、どうしてディオニスが怒っているのかもわからない。


メロスは長椅子に座って待っていた。

キスなのか刃なのか。


すると、ディオニスはメロスの前で短剣を抜いた。

鈍い輝きがメロスの目に入ってくる。


飾りはなかったが、実用的な短剣だった。

これは、私が戦場に行く時は常に持っている物だ。
へ~。
メロスは淡々と答えた。
けっこう高価な品なのだぞ。
……。
メロスはきょとんとして首を傾げる。
興味ないのか……。

ディオニスはため息をついて短剣を鞘にしまい、メロスの手を上に向かせてそれを置く。そして、短剣と共にその手を握りしめる。

これを渡しておく。
メロスにはよくわからなかった。
いくら鍛えても、おまえは小柄だし、筋力もない。少し強い者が現れたら、抵抗できないであろう。
それを聞いて、メロスはムッとした。
……さっきのこと言ってんの?
たしかに手も足も出ない状態だった。

ディオニスでなかったらと考えると、身の毛もよだつ。

(でも、ディオだったわけだし……)
嫌ではまったくなかった。
逃げられなかったではないか。
勝ち誇ったように言われ、地味にメロスはムッとした。ふつうの相手なら、そうなる前に倒せる自信はあった。
ディオ、自分がどれだけ強いか、知ってる?
よっぽどなことがなければ、あのようなことにはならない。ディオニスよりも強い男など、メロスには想像もできなかった。
私よりも強い男など、この世にはごまんといる。
(いないと思う……)

伝え聞いた話だと、ディオニスは悪魔のように強く、ひとりで大隊を壊滅させたらしい。メロスも一緒に訓練をして、彼がかなり強いことを身をもって知っていた。


メロスはそう思ったが、とりあえず言わなかった。自分が知らないことの方が多いのかもしれないと思い直す。

私がいない時、この短剣で己が身を守れ。
ディオニスがメロスから手を離す。

メロスの手には短剣が残された。


飾り気のない、しかし手入れがきちんとされていて、使い込まれている短剣をじっと見つめる。


メロスは武器など持ったことはなかった。

少し違和感がある。


だが、嫌ではなかった。

(ディオみたいな感じがする)

メロスは嬉しそうに笑った。


その様子を見ていたディオニスは、メロスの顎を持ち、じっとその瞳を見つめる。

疑うことを知らない、綺麗でまっすぐな瞳をしていた。

見せるだけでも威嚇にはなる。

相手が怯んだところで逃げるのだぞ。

これは

使わなくていいの?

使い方は

次に会った時に教える。

そっか……。
メロスは次に会えると聞き、微笑んだ。
だが、少し厄介なことが起きてな、しばらく会えぬやもしれぬ。
え……?
メロスは泣きそうな顔をした。
そのような顔をするな。
ディオニスはメロスの頬に触れ、愛おしそうに見つめた。
うん……
メロスは名残惜しそうにディオニスの手に触れた。
ディオ……
なんだ?
さっきから気になってたんだけど。
なんでも言うがよい。
キトン、着ないわけ?
先ほどからディオニスが裸体であることが、メロスは気になっていた。
………………。
暴君はしばし、沈黙した。







まだ着ぬ。
そう言って、ディオニスはメロスを抱きしめ、首筋にキスをした。
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登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

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