5 ディオニスの不満
文字数 4,863文字
部屋の隅でキトンを着て、長椅子に座るディオニスの元に戻ってくると、ディオニスは手紙を読んでいた。
手紙を読まれて手間が省けたとメロスは思った。
頬を赤らめ、口ごもる。
妹を褒めちぎりたいメロスとしてはいささか不満が残るが、それ以上にディオニスの行為がキライではなかった。
ただ、ディオニスの眉間のシワは消えなかった。
そして、メロスはハッとした。
メロスは自分の浅はかさを嘆いた。
ディオニスは妹夫婦を処刑していた。
王位を狙った男がディオニスの妹と結婚し、ディオニスを亡き者にしようとしたが失敗した。
身内ですら情け容赦なく処刑したことにより、ますます暴君と呼ばれるようになった。
そう言って、ディオニスはメロスを抱き寄せた。
ディオニスは市民のための施政を考えていた。
ただ、いかに早く効率的に行うかを考えていたので、かなりキツめな政策になっていたが……。
それに、贅沢をしていた者を処罰していたのではなく、その資金を不正な方法で得ていたからであり、人質という名の猶予期間を与えても考えを改めそうになかったために処刑していた。
そして、メロスのように小さくて弱い人間が被害に遭わないように、犯罪者は厳しく取り締まった。夜間外出禁止令は外を出歩かなければ犯罪にも会わない。また犯罪者も出歩けないために犯罪も起きない。手っ取り早い防犯だった。
それが市民に湾曲して伝わっていた。
メロスにはそれがわかっていた。
ただ、ディオニスを直接知らない人間には知る由もなかった。
メロスもディオニスに会っていなければ、王を批判していたかもしれない。
役人は王を畏れ、市民は役人を畏れ、いびつな安全がシラクスにはあった。
メロスの背中を嫌な汗が伝って落ちる。
顔立ちが整っている分、恐怖もひとしおだった。
正直者のメロスは『違う』と言えなかった。
逃げることを赦さないディオニスは、メロスの顎を持って自分の方に向ける。
それがメロスの一番の気持ちだった。
おまけに妹に近づいたのは、メロスともう一度よりを戻すためだったと言われて襲われかけた。あられもない姿にされていたところで妹に見つかった……。
だから追い出された。
そして、申し訳なくて戻ることもできなかった。
メロスは好き嫌いが激しい。
自分勝手だしわがままだ。
それはディオニスも知っているはずだった。
メロスはたまに、ディオニスが自分のことを天使か妖精のように思っているような気がしていた。
だから、強くは言わなかった。
彼は王城で耳障りのよい言葉しか聞いてこなかった。
口ではいいことを言うのに、実際はそうではない人間を山ほど見てきた。
メロスを残し、ディオニスは荷物のところに向かった。
メロスは自分が持っていたディオニスのキトンを見つめ、不安そうに待っていた。
元カレのことを知られたのだから、しかたがないのかもしれない。
しかもそれがメロスの妹と結婚をするのだ。
メロスもあまり嬉しくはない。
そして、戻って来たディオニスを見て、メロスはぎょっとした。
ディオニスは短剣を持っていた。鞘に入った物だったが、それを持って長椅子に座っていたメロスの前に立った。
身を隠す場所などなかった。
しかも短剣を持っているのは歴戦の王、ディオニスだ。
短剣の扱いも堂に入っている。
けれど、メロスに怯えや戸惑いは見られなかった。
そして、愛する男をただ抱きしめた。
ディオニスは短剣を傍に置くと、我慢ができないという感じで貪るようなキスをした。
けれど、ディオニスはメロスに刃を突き立てなかった。
メロスを離し、怒ったように言うが、頬を染めているのでどことなく愛らしい。
逆切れ気味にディオニスは怒鳴った。
当たり前のことを言われただけで、どうしてディオニスが怒っているのかもわからない。
メロスは長椅子に座って待っていた。
キスなのか刃なのか。
すると、ディオニスはメロスの前で短剣を抜いた。
鈍い輝きがメロスの目に入ってくる。
飾りはなかったが、実用的な短剣だった。
ディオニスはため息をついて短剣を鞘にしまい、メロスの手を上に向かせてそれを置く。そして、短剣と共にその手を握りしめる。
ディオニスでなかったらと考えると、身の毛もよだつ。
伝え聞いた話だと、ディオニスは悪魔のように強く、ひとりで大隊を壊滅させたらしい。メロスも一緒に訓練をして、彼がかなり強いことを身をもって知っていた。
メロスはそう思ったが、とりあえず言わなかった。自分が知らないことの方が多いのかもしれないと思い直す。
メロスの手には短剣が残された。
飾り気のない、しかし手入れがきちんとされていて、使い込まれている短剣をじっと見つめる。
メロスは武器など持ったことはなかった。
少し違和感がある。
だが、嫌ではなかった。
メロスは嬉しそうに笑った。
その様子を見ていたディオニスは、メロスの顎を持ち、じっとその瞳を見つめる。
疑うことを知らない、綺麗でまっすぐな瞳をしていた。