ディオニスは地下に来ていた。
先ほどもいた若いリーダー格の警吏が、セリヌンティウスのいる牢屋の外に立っている。
ディオニスはそこに向かって行く。
警吏はディオニスに気づくと、先ほどのことはなかったかのように敬礼をする。
短く言い、警吏はすぐに従う。
気持ちよい程キビキビしていた。
その警吏が階段に向かうのをチラッと見る。
階段を上がっていく警吏を見て思った。
そして、誰もいなくなったことを確認し、改めてディオニスは鉄格子からセリヌンティウスを睨む。
鎖につながれたセリヌンティウスは、背を向けて床に寝そべっている。
いつもならとっくに起きてメロスのために朝ごはんを作っている時間だった。
メロスを逃がすことができて安心したのか、すやすやと寝息を立てていた。
ディオニスは自分よりも若い男に、嫉妬のような感情をいだいた。
セリヌンティウスは年相応の青年だった。
メロスよりもはるかに落ち着いていて、物静かなインテリに見えなくもない。
それだけのことでイラつく。
筋肉質の体で長髪の美男子。
ディオニスはセリヌンティウスの顔を初めて見た。それまでは見たいと思わなかった。情報としては知っていたし、メロスの話にも度々出ていた。
メロスと一緒に暮らしている男。
なぜ、そのような者が存在しているのか。
ディオニスはセリヌンティウスを睨み付ける。
苦虫をかみつぶしたような顔で。
それまでも、そういう気持ちを押し殺していた。もやもやする気持ちを、
と、自分に言い聞かせてきた。
しかし、地べたに頭をこすりつけ、ただの友の命乞いをするのだろうか。
自分の命と引き換えに、ただの友を逃がすのだろうか。
ただの友が、あんなに熱い瞳でメロスを見つめるのだろうか。
セリヌンティウスはメロスのことを愛している。
ディオニスにはそうとしか思えなかった。
メロスはどうなのだろうか。
自分よりも長く過ごしているセリヌンティウスを、愛していないと本当に言えるのか。
(本当はしたくはないのではないか? 逃げられぬからしているだけなのではないか。私が恐ろしいから拒否ができぬだけではないか?)
疑心暗鬼な王は、恋人の気持ちまで信じられなくなっていた。
ディオニスは静かに言った。自分の気持ちを、言葉に込めないかのように。
ピリっと張り詰めた空気に、セリヌンティウスは目を開けた。
声がした方に顔を向け、そこにディオニスの姿がある。
王みずからこんなところへお出ましとは……。わたくしなどに、どんなご用がおありですか?
慌てた様子もなく起き上がって床に胡坐をかくと、挑戦的な目でディオニスを見る。
ディオニスはその目を睨み返す。
仕事ができる男の余裕とでもいうのだろうか。
セリヌンティウスは丁寧な言葉遣いで、身のこなしも優雅に見えた。
それはあっさりと認める。その潔さは、見ていて悪くない。
メロスが関わっていなければ、大きな仕事を任せていたかもしれない。
ディオニスは少なからず興味を持った。
メロスもそうだが、セリヌンティウスも奇妙な感じがした。
恐ろしいからと言って眠らないのはおかしいでしょう? 死に対する恐怖と、眠るか眠らないかというのは別の問題です。
残った僅かの時間を、一刻一刻大切にしようとは思わんのか?
ディオニスは淡々と言う。
暗に、お前が死ぬのだと宣言している。
セリヌンティウスはディオニスを挑発するように睨んだ。
まだ、私が死ぬとは決まっておりません。帰ってくるなと言っても、メロスは必ず帰ってきてしまうでしょう。
吐き捨てるように言った。ディオニスの知っている人間は皆そうだった。
自分のことしか考えない奴らばかり。地位に左右され、金に群がる。
メロスならばもしかして、という思いもあった。しかし、そうだとしても時間通りに来させるつもりはなかった。
ウソを言う子ではないが、気になることがあるとそこに留まってしまうところがある。
人が殺せそうな目でディオニスはセリヌンティウスを睨んだ。
ディオニスはセリヌンティウスを生かすつもりが微塵もなかった。
決意を瞳にやどし、セリヌンティウスは言う。
そして、うっとりと微笑んだ。
喜びを隠しきれないかのように。
俺が身代わりになって死ぬのを悔むメロス。きっとあいつは泣き叫んで、手も付けられなくなる。
セリヌンティウスに、狂気の色が見えた。
そして、勝ち誇ったような顔でディオニスを見上げた。
バカバカしい。
貴様ごときが死んだところで、大したことではない。
心に棘を感じながらも、それを隠すようにディオニスは言った。
それまで取り繕った態度を取っていたが、あからさまな敵意を見せる。
ディオニスは笑みを浮かべた。
敵をあぶり出し、これからどう倒すのかを楽しむかのように。
虎視眈々とメロスを狙う男を、効果的に殺害することができる。満足そうな笑みを浮かべ、ディオニスは言った。
残忍な笑みだった。愛する者以外は、どうなってもいいという。
けれど、セリヌンティウスは幸せそうに笑う。
それを聞いて、安心した。
俺の命を使って、あいつを生かせ。
だが、あいつはそんなことで喜ぶようなヤツではない。
あいつの愛情は、どんなものにも注がれる。わかるだろ? あんたのようなヤツと付き合えるくらいなんだからな。
いつもメロスに穏やかな笑みを向けているセリヌンティウスとは別人のようだった。なにかとても邪悪な物に魅入られてしまったかのような、けれど美しい顔をしていた。
ディオニスの顔色が変わった。
そして、唇を噛みしめる。
(これは負け惜しみだ。こいつが喉から手が出るほど欲しているもの。それを私は手にしているのだ)
……そうだ。
あいつは私を『愛している』と言う。『どうにでもしてくれ』と、その身体を差し出すのだ。
セリヌンティウスはそれを聞いて目を見張る。
ディオニスはそれを見て、満足げに笑みを浮かべ、さらに続けた。
愛らしいぞ。
あの顔で『してくれ』と懇願するのだからな。恥じらいながら、その美しい身体を私にさらし、淫らに私を求めるのだ。苦しみながら、涙を流しながら。
セリヌンティウスはディオニスを睨み付ける。
この世で最も憎むべき相手が、目の前にいた。
もしもメロスがこれを聞いたら、
ディオニスはそう思うことにした。
事実、似たようなことは言っている。
ただし、こんなあからさまには言わない。暴君の願望が入ったのかもしれない。
そして、笑いかけてくるのだ。
自分は私のものだと、あの口で言うのだ。
憎しみの目を向け、自分を睨んでいるセリヌンティウスを蔑むように見る。
狂気の目をしていた。
けれど、セリヌンティウスはそれに負けていない。
あいつが生きるのなら、俺は命を惜しいと思わない。だが、あいつはお前のものではない。あいつは自由だ。誰のものとか、そういうことはない。
あんたは俺とメロスがそういう関係ではないのかと探りに来たのだ!
セリヌンティウスはディオニスを睨みつけ、怒りをぶつける。
メロスと離れている時、あんたは気が気じゃないんだ。だから、こういうことが言えるんだ。あんたがいない時、あいつが俺を求めているんじゃないかと、そんな心配をしているんだろう?
セリヌンティウスの言葉に、ディオニスが唇を噛みしめる。
あいつは……、俺にそういうものを求めてこない。純粋に、友としての俺を欲しているんだ……。
そんなことを言って……、おまえは……、あいつを犯したいのであろう? 泣き叫ぶ姿が見たいと欲するのであろう? 美しくなめらかな肌に触れたいのであろう?
ディオニスは笑みをこぼし、セリヌンティウスは眉をしかめた。
勝ち誇ったように、ディオニスはセリヌンティウスを見下ろす。
キサマの命がかかっているというのに、つい先ほどまで、あいつは私に身を任せていた。一分一秒、無駄にできないというのに、私の要求にうなずいた。
満面の笑みを浮かべ、ディオニスは言った。
他に勝てそうなものが思い浮かばなかっただけかもしれないが、これは相当な強みに思えた。
キサマがここで囚われ、ひとりで眠っていた間、私はあいつを好きにしていた。心行くまであいつの身体を愛おしんだ。
自分が大切に想っている者が、他の男にいたぶられるのは、さぞかし辛かろう。
おまえは……、あいつを慰み者にする連中と、何も変わらない……
セリヌンティウスは苦しそうだった。
ディオニスに困惑が広がる。
だが、俺は違う。
俺はメロスの友だ。永遠に、それは変わることはない。
俺は……、あいつの幸せを望んでいる。
お前にはとうていできないだろうがな。
ディオニスは静かに言う。
腹立たしくはあったが、それはセリヌンティウスと同じだった。
無理だろう。現に今も、あいつの命一つ助けることができないではないか。あんたは王であるのに、その力で、あいつを助けることをしない。
それは、セリヌンティウスが最も腹を立てていることだった。
ディオニスは王の力を使って、メロスのために何かしようとしていなかった。
使える力があるにも関わらず。
まるで、王の力をメロスに使うのは間違っていると言わんばかりだ。
キサマの命を犠牲にすれば、そのようなものを使わなくてもあいつを助けることはできるのだ。
俺を利用せねばできぬではないか! あんたの力などしょせんその程度だ。そんなやつに、メロスを幸せにすることなどできん!!
あんたはあいつのことを何もわかっちゃいない。あいつは俺を犠牲に生き延びて喜ぶようなヤツじゃない!
俺を失って、あいつの嘆く姿を見ればいい。あいつはおまえのことを愛していると言うだろう。身体もいくらでも差し出すであろう。
だが、その気持ちに楔を穿つことができるのだ。おまえの顔を見るたびに、自分の命を生かすために殺された俺のことを思い出すのだ。
そのことを悔やんで悔んで、俺のことしか考えられなくなるのだ。
殺せばいい。俺はあいつのいない世界なんて想像もできない。俺の命でメロスを救えるのなら、こんなに喜ばしいことはない。あんたは俺を殺して、あいつに恨まれればいい。俺を失って嘆く姿を見続ければいい。
ディオニスに負けじとも劣らない狂気の瞳でセリヌンティウスは言った。
俺はメロスの友だ。俺の命が尽きようとも、お前があいつと別れることになっても、俺はあいつの友であり続けるのだ!
セリヌンティウスの言葉は呪いのようにディオニスに届いた。
ディオニスは踵を返し、悔しそうに地下牢を後にする。
そして、階段を上り、警吏がいる部屋に向かう。
(もしかして、ディオ、これが目的だったとか……?)
メロスの予想通り、ディオニスは重い荷物を持たせ、帰りを遅らせようとしていた。
(そんなことないよね。だって、こんなに高そうなものばかりフレイアのためにくれたんだし)
妹が喜ぶ顔を想像し、嬉しそうな顔をして、よたよたと街道を歩く。
運動神経は悪くないが、重い物を持ち続ける筋力は持っていなかった。
地味にゆっくりとメロスは村を目指していた。
自分の彼氏と幼馴染が、自分を取り合って盛り上がっていたことは、まったく知らなかった。
あの二人の会話を聞いていたら、頭を抱えていたことだろう。