5 お兄ちゃんよりも好きだよ
文字数 4,832文字
メロスはどんよりと曇ったグレーの空をじっと見つめる。
ディオニスは長椅子で眠っていた。
メロスは恋人を起こさないように腕の間からすり抜け、ヨレヨレになりながら水を飲みに台所に来ていた。
水瓶に手をつき、コップで水を飲んで一息つく。
と、かわいくおねだりもしてみたが、逆の効果をもたらしてしまった感が否めない。
休む間もなかった。
しかもこの後、フレイアとアレクサンドロスの結婚式がある。
花嫁の家であるここで式をするのだが、準備をするのは兄であるメロスの役目だった。
妹の結婚式に兄弟が力を貸すのは当たり前のことで、しかもメロスはフレイアを目の中に入れても痛くないほどの可愛がりようだ。それを他人に任すなど、絶対にありえない。
親友を身代わりにしてでも村に来たのは、たとえ妹にののしられようとも、それだけはとメロスは思っていたのだ。メロスが祭壇を整え、祝宴の席を設けなければならない。
そのため、メロスはディオニスが寝るのを待ち、自分も休みたいのを我慢して起きてきた。
寝過ごして昼に行われる結婚式に間に合わないなどあってはならない。
(支度、昼までにできるのか? 一休みするにしても、祭壇を作ってからにした方がいいし、風呂に入って10里を歩いた汚れも落としたい……)
妹の晴れの日に、さっぱりとした姿で祝福をしてやりたかった。その他にもいろいろやっていたので。
メロスが額に手を当てる仕草は、この上なく悩ましかった。
兄妹ふたりで暮らすには狭くないが、一般的に小さな家だった。
雪のように白い肌、すらっと伸びた手足、綺麗な腰のラインに、引きしまったお尻……
ディオさんは精悍な感じでカッコいいし……
(眼福ってなんだああああああああああああああ……)
※ 眼福:珍しいもの、貴重なもの、美しいものなどを見る幸せ。目の保養。
(フレイアの笑顔はとっても素敵だけど、なんか嫌だ…………………………)
パチパチとまばたきをしてメロスは言った。セリヌンティウスについて、今朝方もディオニスに責められたばかりである。メロスにとってディオニスは愛すべき人だし、セリヌンティウスは気の合う友人だった。
お兄ちゃん、細く見えるけど
がっちりしてる人が好きなんだろうなって。
遠目にせっちゃんを見た時、
チラっと見えた筋肉がとっても綺麗だったもん。
フレイアはセリヌンティウスと会えはあいさつをする程度で大して話したことはなかった。でも、兄が言うので「せっちゃん」と親しみを込めて呼んでいた。
だから、お兄ちゃんは
ああいう体つきが好きなんだろうなって思ったんだよ。
わざとらしく驚いたように言い、明るく兄を非難した。フレイアに言われ、ほんのわずかだけそれがまずいことだったかのように思えてしまうが、慌てて首を振る。
お兄ちゃんがシラクスに行くって聞いた時、てっきりせっちゃんのところに行くんだと思ってたのに。だから私、邪魔しちゃいけないって、引き止めるのを我慢してたのよ。
と、微妙に思った。
引き止められても居づらかっただろうが、それでも気分は少しだけ違ったかもしれない。
せっちゃんちには行ったけど
そういう関係じゃないよ。
それからずっとセリヌンティウスの家に住んでいたが、妹が喜ぶような関係にはなっていない。
でもお兄ちゃん、
せっちゃんのこと好きだったんじゃない?
せっちゃんのことは好きだよ。
フレイアが言っているような意味じゃないけどな。
せっちゃんに会って、いろいろあってお別れして
ディオさんと出会ったんじゃないの?
ディオさんに愛され、
それでもせっちゃんを想い続けるお兄ちゃん。
服を脱がされ長椅子に寝かされ、辛そうなのに、起こされているお兄ちゃん。
そう言って服を脱ぐディオさん。均整の取れたプロポーションも素晴らしいけど、怒りを露に、無造作に投げ捨てる感じがカッコいい。
ここまではまだフレイアとしての話し方が残っていた。
嫌だ……、やめてよ。もう、こんなこと、しないで……
必死に抵抗するが、その手はあっさりと退けられ、身体が密着した。
メロスは懸命に言うが、ディオニスはお構いなしだった。彼は獰猛にメロスをいたぶりだした。
メロスは止められない悲鳴を上げる。
ディオニスの様子は、飢えた獣が獲物を見つけ、欲望のままに貪るようだった。
メロスは別の男のことを考え、自分を蹂躙する相手が、その男だと思い込もうとしていた……。
フレイア、何、想像してくれちゃってるの? 違うだろ? 全然……
(お兄ちゃん、ディオさんのこと、ホントに大好きだよねえ……。だとすると、本当にせっちゃんは入ってこないのかな?)
(そんなことはない。せっちゃんが、どこかに影響を及ぼしているはず……)
かわいい妹に言われ、メロスは少しほっこりした気持ちになった。
「もう無理だよ……」って言いながら、上目遣いで誘う上級テク、絶品だったよ。アレ、お兄ちゃんにしかできないよ。
私も見習いたいけどあれは無理と、キラキラした目でボソっと付け加える。
やっぱりそっちに行くのか? と、またもや気力を奪われる。
今だって本当は立っているのがやっとだった。
小さい頃と同じように、おませさんな表情で妹は言う。
……嫌なわけないだろ?
ただ、ちょっとしつこかったから。
と、小さく付け足す。
内心では自信がなかった。自分では違うと思っていても、ディオニスはそう思わないことがあるかもしれない。ここ最近、ディオニスの様子はおかしかった。特に、昨日と今日は、いつもと違うどころの話ではない。
(……ボクが磔刑にされるっていうのは大変な出来事かな?)
メロスは他人事のように思っていた。
ディオニスがなんとかしてくれるとは思っていたが……。
(もし磔刑になったとしても、ディオがそうしたいって思ったんなら……)
メロスには実感できていなかったのかもしれない。自分が死ぬかもしれないということを。セリヌンティウスは、そんなメロスを自分の命に代えても救いたいと思っていた。
兄に磔刑が下されていることを知らないフレイア。いくら想像力が豊かでも、そこまではわからなかった。
そんなわけないだろ。
おまえは自分の中で勝手に想像するんだから。
ニコニコと妹は言った。
2年前、もう二度と許してはもらえないと思った妹。
それが、笑顔で見送ってくれる。
メロスは悦びを噛みしめながら背を向け、公衆浴場に行こうとした。
しかし、いつまでたっても足を踏み出さない。
もう一度振り返って、大切な妹の顔をじっと見つめる。
その笑顔はとても素敵だった。
メロスも(なんて可愛いんだ)と改めて思える愛らしさだった。
でも、アレクは私よりもお兄ちゃんが好きって言うんだもの。不公平じゃない? だから、お兄ちゃんが1番、アレクが2番って言ったのよ。
ニコニコとフレイアは言った。
メロスは、ものすごいショックを受けた。想像以上の衝撃だった。
好きでもないのに結婚するならやめさせなければと思っていたが、そんな心配はいらないようだった。
小さい頃から「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言って、常に後ろをついてまわっていた、大切な大切な妹に、そんなことを言われる日が来るとは、思ったこともなかった。
否、いつか来るであろうことはわかっていた。
しかし、それが今、この瞬間であった。
もちろん、お兄ちゃんのことは、いままでと同じくらい好き。
手を振る妹に手を振り返す。
しかし、向きを変えると、とたんに険悪な表情になった。
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