5 お兄ちゃんよりも好きだよ

文字数 4,832文字

夜が明けていた。
(天気、もてばいいんだけど……)
メロスはどんよりと曇ったグレーの空をじっと見つめる。
(それにしても、なんなんだ? あの体力は……)
ディオニスは長椅子で眠っていた。

メロスは恋人を起こさないように腕の間からすり抜け、ヨレヨレになりながら水を飲みに台所に来ていた。

(ウトウトすると、無理やり起こすし……)
水瓶(みずがめ)に手をつき、コップで水を飲んで一息つく。
お願い、やめて……

もう無理だよ……

と、かわいくおねだりもしてみたが、逆の効果をもたらしてしまった感が否めない。
……。
怒ったような顔をした恋人に、必要以上にやられた。
はぁ……。
休む間もなかった。


しかもこの後、フレイアとアレクサンドロスの結婚式がある。

花嫁の家であるここで式をするのだが、準備をするのは兄であるメロスの役目だった。


妹の結婚式に兄弟が力を貸すのは当たり前のことで、しかもメロスはフレイアを目の中に入れても痛くないほどの可愛がりようだ。それを他人に任すなど、絶対にありえない。


親友(とも)を身代わりにしてでも村に来たのは、たとえ妹にののしられようとも、それだけはとメロスは思っていたのだ。メロスが祭壇を整え、祝宴の席を設けなければならない。


そのため、メロスはディオニスが寝るのを待ち、自分も休みたいのを我慢して起きてきた。

寝過ごして昼に行われる結婚式に間に合わないなどあってはならない。

(支度、昼までにできるのか? 一休みするにしても、祭壇を作ってからにした方がいいし、風呂に入って10里を歩いた汚れも落としたい……)
妹の晴れの日に、さっぱりとした姿で祝福をしてやりたかった。その他にもいろいろやっていたので。
(疲れた……)
メロスが額に手を当てる仕草は、この上なく悩ましかった。
……お兄ちゃん。
わっ!
びっくりして振り向くと、その声に驚いた妹がいた。
もう起きたのか?
取り繕いつつ言う。
うん
じっとメロスを見上げる妹の目が赤い。
まさかとは思うけど……
嫌な予感がした。
この家、小さいでしょ?
フレイアは頬を染め、恥ずかしそうにうつむく。
うん……
兄妹ふたりで暮らすには狭くないが、一般的に小さな家だった。
よく

聞こえるの。

かわいい妹の言葉を聞き、メロスは
(逃げたい……)
と思った。
雪のように白い肌、すらっと伸びた手足、綺麗な腰のラインに、引きしまったお尻……
何、言ってんだ?
 
メロスには理解ができなかった。
お兄ちゃん、

前より綺麗になったんじゃない?

…………え?
嫌な予感しかしない。
ディオさんは精悍(せいかん)な感じでカッコいいし……
フレイアはうっとりしてため息をつく。
その二人が、()んず()ぐれつする姿……
(フレイアが……難しい言葉を言い出した……?)
メロスはあまり、理解ができなかった。
眼福(がんぷく)にあずからせていただきました。
そう言って、メロスに向かって深々と頭を下げる。
(眼福ってなんだああああああああああああああ……)
叫ぶのはギリで止めた。
※ 眼福:珍しいもの、貴重なもの、美しいものなどを見る幸せ。目の保養。
そんなの見てないで

休みなさい……

貼りつけたような笑顔でメロスは言う。
大丈夫だよ。

休み休み見てたから。

妹は幸せそうに微笑んだ。
(フレイアの笑顔はとっても素敵だけど、なんか嫌だ…………………………)
メロスは泣きたかった。

でも泣けなかった。

ディオさんって

なんとなくせっちゃんに似てるよね。

ヨレヨレの兄に向かって妹は言う。
そんなことないだろ?
パチパチとまばたきをしてメロスは言った。セリヌンティウスについて、今朝方もディオニスに責められたばかりである。メロスにとってディオニスは愛すべき人だし、セリヌンティウスは気の合う友人だった。
なんかこう、

筋肉の付き方とか?

筋肉?
お兄ちゃん、細く見えるけど

がっちりしてる人が好きなんだろうなって。

……。
遠目にせっちゃんを見た時、

チラっと見えた筋肉がとっても綺麗だったもん。

フレイアはセリヌンティウスと会えはあいさつをする程度で大して話したことはなかった。でも、兄が言うので「せっちゃん」と親しみを込めて呼んでいた。
それは

おまえの趣味だろ?

いやいや、

ディオさんの筋肉、似てる感じしたよ。

……。
だから、お兄ちゃんは

ああいう体つきが好きなんだろうなって思ったんだよ。

せっちゃんとは

してないぞ。

もう何度、言った言葉かわからない。
ここではね。
シラクスでもしてない。
え~? そうなの?
わざとらしく驚いたように言い、明るく兄を非難した。フレイアに言われ、ほんのわずかだけそれがまずいことだったかのように思えてしまうが、慌てて首を振る。
(落ち着け。流されるな……)
メロスは自身に言い聞かせる。
お兄ちゃんがシラクスに行くって聞いた時、てっきりせっちゃんのところに行くんだと思ってたのに。だから私、邪魔しちゃいけないって、引き止めるのを我慢してたのよ。
(我慢しなくてもよかったのに……………)
と、微妙に思った。

引き止められても居づらかっただろうが、それでも気分は少しだけ違ったかもしれない。

せっちゃんちには行ったけど

そういう関係じゃないよ。

それからずっとセリヌンティウスの家に住んでいたが、妹が喜ぶような関係にはなっていない。
でもお兄ちゃん、

せっちゃんのこと好きだったんじゃない?

……なんで過去形なんだ?
え? 現在進行形?
わざとらしく驚く。
せっちゃんのことは好きだよ。

フレイアが言っているような意味じゃないけどな。

せっちゃんに会って、いろいろあってお別れして

ディオさんと出会ったんじゃないの?

おまえの頭ん中では

どんなことになってんだよ……。

今、ちょっと修正してる。
うっとりと、自分の世界に入り込んだ妹は言った。
修正?
ディオさんに愛され、

それでもせっちゃんを想い続けるお兄ちゃん。

その三角形に

せっちゃんは入らないからな。

いやぁ、組み込まれてるよ。

がっちりしっかり。

そう言い、意味ありげな含み笑いを浮かべる。
私が二人を見て思ったのはね……
妹は自分が想像していたことを兄に語り出した。



ディオ……

服を脱がされ長椅子に寝かされ、辛そうなのに、起こされているお兄ちゃん。


今宵は覚悟しておけ。

そう言って服を脱ぐディオさん。均整の取れたプロポーションも素晴らしいけど、怒りを露に、無造作に投げ捨てる感じがカッコいい。

ここまではまだフレイアとしての話し方が残っていた。
……
メロスは困った顔で聞いていた。

嫌だ……、やめてよ。もう、こんなこと、しないで……

必死に抵抗するが、その手はあっさりと退けられ、身体が密着した。

ディオ……、やめて……

メロスは懸命に言うが、ディオニスはお構いなしだった。彼は獰猛(どうもう)にメロスをいたぶりだした。


あっ! 嫌……、何を……あんっ

メロスは止められない悲鳴を上げる。

ディオニスの様子は、飢えた獣が獲物を見つけ、欲望のままに貪るようだった。

(せっちゃん……)

メロスは別の男のことを考え、自分を蹂躙(じゅうりん)する相手が、その男だと思い込もうとしていた……。


フレイア、

何、想像してくれちゃってるの? 違うだろ? 全然……

こんな感じに見えたよ。
声はそんなに出してない……。
……お兄ちゃん。
墓穴を掘った兄を、憐みのこもった瞳で見る妹。
(お兄ちゃん、ディオさんのこと、ホントに大好きだよねえ……。だとすると、本当にせっちゃんは入ってこないのかな?)
ちょっとの間、フレイアは考える。
(そんなことはない。せっちゃんが、どこかに影響を及ぼしているはず……)
妹の妄想は、的外れでもなかった。
適当な妄想するんじゃありません。
適当じゃないよ。
そう言って、フレイアは口をとがらせる。
……。
そんな妹を見て、メロスは微笑んだ。
……
フレイアは、そんな兄にちょっと見惚(みと)れる。
お兄ちゃん

なんか幸せそうで、よかった。

…………
かわいい妹に言われ、メロスは少しほっこりした気持ちになった。
「もう無理だよ……」って言いながら、上目遣いで誘う上級テク、絶品だったよ。アレ、お兄ちゃんにしかできないよ。
私も見習いたいけどあれは無理と、キラキラした目でボソっと付け加える。
誘ってないから。

まじで限界だから……

やっぱりそっちに行くのか? と、またもや気力を奪われる。

今だって本当は立っているのがやっとだった。

お兄ちゃん、

素直じゃないよね。

小さい頃と同じように、おませさんな表情で妹は言う。
素直だから。

思ってないこと言わないから。

ディオさんとするの、嫌なの?
……
まっすぐに見つめられ、メロスは言葉を詰まらせる。
……嫌なわけないだろ?

ただ、ちょっとしつこかったから。

小さくなった声を妹は聞き逃さない。
確かに。

鬼気迫るっていうか?

お兄ちゃん、

何かやったわけ?

……。
一瞬、メロスが固まる。
やってない。
………………と思うんだけど。

と、小さく付け足す。


内心では自信がなかった。自分では違うと思っていても、ディオニスはそう思わないことがあるかもしれない。ここ最近、ディオニスの様子はおかしかった。特に、昨日と今日は、いつもと違うどころの話ではない。




(……ボクが磔刑にされるっていうのは大変な出来事かな?)
メロスは他人事のように思っていた。

ディオニスがなんとかしてくれるとは思っていたが……。

(もし磔刑になったとしても、ディオがそうしたいって思ったんなら……)
メロスには実感できていなかったのかもしれない。自分が死ぬかもしれないということを。セリヌンティウスは、そんなメロスを自分の命に代えても救いたいと思っていた。
お兄ちゃん

そういうとこ、鈍感だから。

兄に磔刑が下されていることを知らないフレイア。いくら想像力が豊かでも、そこまではわからなかった。
そんなわけないだろ。

おまえは自分の中で勝手に想像するんだから。

そうでもないと思うんだけどな。
………………風呂、行ってくる。
気分転換が必要だった。
(予定は変更にしよう……)
先に風呂に行くことにした。
行ってらっしゃい。
ニコニコと妹は言った。

2年前、もう二度と許してはもらえないと思った妹。


それが、笑顔で見送ってくれる。

メロスは悦びを噛みしめながら背を向け、公衆浴場に行こうとした。


しかし、いつまでたっても足を踏み出さない。

もう一度振り返って、大切な妹の顔をじっと見つめる。

…………。
何?
不思議そうな顔で妹は兄を見た。
おまえ、アレクのこと

好きなのか?

好きよ。
即答だった。

気持ちがいいくらい、スカッと。

その……
大丈夫よ。

お兄ちゃんじゃないんだから。

ボクじゃないって、

なにが?

ちゃんと大好きっ
その笑顔はとても素敵だった。

メロスも(なんて可愛いんだ)と改めて思える愛らしさだった。

でも、アレクは私よりもお兄ちゃんが好きって言うんだもの。不公平じゃない? だから、お兄ちゃんが1番、アレクが2番って言ったのよ。
嫌な予感がした。
じゃあ……
お兄ちゃんよりも、アレクの方が好きだよ。

ニコニコとフレイアは言った。


メロスは、ものすごいショックを受けた。想像以上の衝撃だった。

好きでもないのに結婚するならやめさせなければと思っていたが、そんな心配はいらないようだった。


小さい頃から「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言って、常に後ろをついてまわっていた、大切な大切な妹に、そんなことを言われる日が来るとは、思ったこともなかった。


否、いつか来るであろうことはわかっていた。

しかし、それが今、この瞬間であった。

………………。
もちろん、お兄ちゃんのことは、いままでと同じくらい好き。
キラキラの笑顔で言う。
(素敵なモノも見せてくれるし)
……。
でも、アレクのことは、

それ以上に好きなの。

妹の顔は、いままで見た中で一番輝いていた。
風呂、行ってくるよ。
かろうじて綺麗な笑みを妹に向けた。
うん。

早く帰ってきてね。

もちろんだよ。
妹を溺愛する優しい兄。
……。
手を振る妹に手を振り返す。

しかし、向きを変えると、とたんに険悪な表情になった。

(あいつ、やっぱり赦せない!!!)
メロスは心の狭いお子様だった。
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登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

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