メロスは王城に来ていた。
セリヌンティウスの心配が現実になりそうだ。
メロスはその門前にいた。
門は開いていた。
それは犯罪のない、平和な王都であることを物語っている。
市民からすれば、入ったが最後、無事に帰れる保証がない場所であった。
だから、門は開いてたが、入る者はいなかった。
(王城に入ったくらいじゃ罪にはならない。もっと建物の近くまで行けば警吏に捕まるかもしれないけど、追い出されるだけじゃないかな? そこからディオに会うにはどうしたらいいんだろう)
メロスはディオニスに会うことしか考えていなかった。
贅沢をして磔刑になった者もいたが、メロスには贅沢をするだけの財産がない。
メロスは王城を見上げた。
ほとんどが歴代の王が建てた城だった。
ディオニスは華美な装飾を少なくして、敵に攻め込まれても大丈夫なように改築した。
その改築費はかけているので、城の守りは堅固だった。
力の弱いメロスでは考えるまでもない。
門の前でウロウロしているメロスを見て、不信に思った巡邏の警吏(見回りをしていた警官のような人)が近寄ってきた。
誰もいない門前にいるのは、けっこう目立つ。
メロスは声をかけてきた若い警吏の姿を見て、パッと表情を明るくした。
ニコニコと挨拶をする。人として正しいことをしているのかもしれないが、この場所でそんな市民はいなかった。
瞳をキラキラと輝かせ、にこにことメロスは言った。
悪人にはまったく見えなかった。
犯罪をしそうな顔はしていない。むしろ被害者になりそうな少年に見えた。
けれど、不審な人物だった。
おまえのような得体のしれない者に、王のお目通りが叶うはずはない
ふつうに考えればそうなのだが、やけに堂々としているので、警吏は粗雑に扱ったら後で何か言われそうな気がした。
そんなことを笑顔で言うシラクス市民はいなかった。
警吏は何かトラブルの匂いを感じた。
そこへ、その様子を見ていた別の警吏がこちらへやってきた。
はじめの警吏よりも偉いようで、命令された警吏はメロスの体を確認した。
ふつうの身体検査だった。
それまでの身体検査なら、ただでは済まないことが多かった。
ここでおかしなことをするようでは、ディオニスの王城の警吏は務まらない。
警吏が眉を寄せ、メロスの懐中から布の袋を取り出した。
メロスが端切れで作った袋だ。
メロスはそれを取られて顔色を変えた。
取り返そうとするがそれを制止される。
警吏は袋から短剣を取り出した。
王に会って、この短剣で殺害するつもりでいたのだな!!
警吏の命令を聞き、どこに隠れていたのか? という量の警吏が一斉にメロスを囲んだ。
と言っても、ヒマだったのか、警吏たちはメロスを取り押さえた。
メロスは大勢に押しつぶされ、拘束された。
メロスは希望通り、王の前に引き出された。
後ろ手に縄で縛られ、石の床の上に倒される。
倒されたすぐ前に数個の階段があり、その上に玉座があった。
そこに、メロスが逢いたいと焦がれているディオニスがいるはずである。
自由に動かせない体をにじにじと起こし、メロスは王の姿を見ようと顔を上げた。
その場には、見物人として警吏に半ば強引に連れてこられた市民もいたのだが、体を斜めにして王を見上げるメロスの艶めかしさに思わず目をみはる。
王を殺害しようと王城に忍び込んだ男と聞いて、皆、筋骨隆々な男を想像していたが、そこにいたのは線の細い美しい少年に見えてしまう青年だった。
(そんな大それたことを考える子じゃないんじゃない?)
玉座に王の姿があったが、顔は拝めなかった。
がっつりと着込んだディオニス王だった。
苦虫をかみつぶしたような顔をしているに違いない声だった。
声はいつも聞いているもので、唯一出ている目は眼光鋭い見慣れたものだが、顔はマスクをかぶり、他もすっぽりと布をかぶっていて彼の姿はほとんど隠れていた。
違う人が座っていると言われても納得してしまいそうだった。
石工のセリヌンティウスのところで、用心棒をしています。
と、セリヌンティウスに言われていたので、それを答えた。
(知らない振りをしているのか、それとも全くの別人なのか……)
メロスの普段の生活など、そういう話はあまりしてなかった。訓練をしたりご褒美をもらったりと、することはたくさんあったので知らない可能性もあった。
だが、市民のことならなんでも知っているディオニスである。
メロスのことも、本人の知らないことまで知っているかもしれない。
袋に入った短剣をメロスに見せるように持ち上げ、暴君ディオニスは静かに、でも威厳を以て問い詰めた。
こんな袋に入れていたら、いざというときに使えぬであろうが。
大事な人からもらったから、傷つけたくなかったんです。
表情は見えなかったが、照れくさそうに言う様子は想像ができた。
メロスを捕えるようにと指示した警吏は近くにいて、語気も荒く言った。
こやつは用心棒なのだ。
短剣は持っていて当たり前であろう。
ですが、王に合わせろと言ってきている者が、そのような武器を持っていたら……。
おまえは門前にフラフラやってきた者を我が前に連れてくると言うのか? そのようなことでは、おまえの能力を疑うぞ。
それまで意気揚々としていた警吏だったが、頭を下げて飛び退る。
ボクは武器なんて必要ないよ。使ったこともないし素手でいけるよ。
真っ先にそう思ってしまった。
じーっとディオニスを見つめたが、ゴテゴテの飾りが邪魔で、何を考えているのかわからなかった。
いささか結論が早すぎであろう。袋に入った状態では、短剣をすぐに使うことはできぬ。それにこれはすでに私の手の内にある。何か意見があるのなら、聞こうではないか。
と、言ったらいけない雰囲気だということは、さすがにメロスでもわかった。それに、ディオニスは普段からメロスが自分の恋人であることを隠したがっているのを知っていた。
(それ以外のことを言って、この場を濁そう。そうすればディオが助けてくれる)
いままでずっと言えなかったことだった。
辺り一面にピリっとした緊張感が走り、ディオニスは絶句した。
そういうものが気にならないのか、メロスは続けた。
市民は磔刑を畏れて、警吏を畏れて、街に出ることさえ控えてて、自由に意見を言うこともできず、贅沢も禁止され、シラクスの街からは活気が奪われてる。
それはそうだと思う。さっき、身体検査を受けて、びっくりしたよ。あんな真面目な身体検査は初めてだった……。
ディオニスは、見えないところでグッと拳を握る。
爪が皮膚に食い込み、微かに血がにじむ。
けど、市民が減りすぎだよ。
だから、犯罪がなくなったんだ。
そんなこと言ってないよ。
ディオなら、人が多くても、犯罪が少ない都市をつくれるはずだよ。
メロスなりに、褒めたつもりだった。
褒めたというか、本心でそう思っていた。
警吏が、それを抑える。
それから声を上げる市民の声はなくなった。
メロスという男、市民を甘言で惑わせる者です。磔刑にすべきでしょう。
警吏たちからメロスの死罪を求める声が溢れ、いつしかそれは大音量になった。