3 はじめて会った日

文字数 4,885文字

メロスの今カレは悪名高きディオニス王だった。

ふたりが出会ったのは2年前。


妹に追い出され、セリヌンティウスを頼ってシラクスのまちに来たが、家がわからずに迷っていた時だった。当時は往来に人があふれ、繁華街は活気に満ちていた。

あの……。
道を聞こうとしていたが、誰もが忙しそうで、田舎者のメロスになど目もくれずに行ってしまう。
声をかけようとして、
あ……。
と言っただけで、
間に合ってるよ。
と、断られることもあった。
え?

何が間に合って……。

と、聞こうとしたが、すでに相手はいなかった。

皆が足早に去っていく。

道を聞こうとしただけなのに……。
メロスは周囲を見回した。

自分のようにオロオロしている人間などいなかった。

どうしよう……。
途方にくれていると、
どうしたんだ?
と、後ろから声をかけられた。
メロスが振り返ると、二人連れの男がいた。
……。

自分を気にしてくれる人物が現れたことが嬉しくて、メロスはいつも以上に愛らしい笑顔を向けた。その顔に驚いたように、二人の男たちはお互いの顔を見る。

あ……、あの、ボク、あまりシラクスに来たことがなくて……、でもせっちゃん……、じゃなくて、えっと、あれ? せっちゃんの名前って、なんだっけ?
ようやく声をかけてきた相手はまっとうな雰囲気ではなかったが、そんなことを言っている場合ではない。メロスはシラクスの人間に合わせて自分も早く答えなければと焦った。


しかし、焦れば焦るほど言葉が出てこない。


そんな時のメロスは、何でもいうことを聞きそうな美少年に見える。普段はもっと活発でずうずうしいのでが、シラクスの様子がつかめないためか、おとなしそうに見えた。


それを見た男たちはニヤっとした。

知ってるよ。ついてこいよ。
……。
そんな情報で相手に伝わるはずがないのだが、
(やっぱりシラクスの人ってすごいかも)
と、思い、
ありがとうございます!
と、満面の笑みで言った。
大したことじゃないよ。
…………。
男たちは胡散臭そうな風貌をしていたが、
(人は見かけによらないんだ)
と、メロスは自分に言い聞かせ、ようやく会話をしてくれた相手に感謝をし、いそいそとついて行った。
      ◇◇◇
(王都にもこんなところがあるんだ……)
男たちの後について行くと、スラム街にやってきた。細い路地に必要なのかそうでないのかわからない物がたくさん散らばっていてる。先ほどまでの大通りとは違っていた。
(せっちゃん、こんなところに住んでるの?)
メロスが持っていたセリヌンティウスのイメージと合わなかった。


けれど、そこで彼らは立ち止った。

メロスはぶつかりそうになって慌てて止まる。

そして、振り返った男に、

持っている金を置いていけ。
と言われた。
無理。
即答だった。

羊たちは大切な妹のために置いてきた。
追い出されたのだから、置いてきたと言うのもおかしいが。
 
もう成人もしているし、賢い妹ならメロスがいなくても切り盛りができるだろう。ただ、メロスはそうもいかない。家を追い出され、セリヌンティウスにも会えず、金もなくなったら途方にくれるしかない。

そこまでがパッと浮かび、メロスは反射的にそう言っていた。
しかも、渡せるほど持ってもいなかった。
ただ、男たちも断られることを意外に思ってはいなかった。
無理ならそれなりの物を出せ。
こちらの方が目的だった。


男は慣れた感じでもうひとりに目で合図する。

その男はメロスを捕まえようとした。

ほら、来いよ!
え?
メロスはとっさによけた。

しかし、よけた先に箱が積まれていて、その上に倒れこむ。

何すんだよ!
起きようとして、じたばたしながらメロスは叫んだ。
金がないなら、体をよこせ。

おとなしくしていれば、いい思いをさせてやるぞ。

ニヤニヤして男は言った。

メロスは驚いて目を瞬かせた。

それ、ヤダ。
淡々と言った。
じゃ、金出せ。
つられたのか、男も淡々と聞く。
持ってない。
さくっと事実を伝えた。
それなら体。
男もさくっと要求するものを言った。
え~
メロスは迷惑そうだ。
そして、二人の足が遅そうなのを見て、
どっちもムリ。
と、隙を見て走って逃げようとした。


メロスの足は速い。

羊を追って、野山を駆けまわっていたからだ。

おっと。
メロスは行けると思ったが、寸前で止められ、壁に押し付けられる。
っ!
肩が硬い壁に当たり、メロスは顔をしかめた。
離せ!
不安を感じながらも必死に叫ぶ。
そんなこと言われて、離すわけないだろ。
男のひとりがメロスの肌に触れる。
やめろよ!
メロスは蹴りながら叫んだ。


周りに人がいないわけではなかったが、誰も気にしない。

スラム街の住人は、それくらいのことで騒いだりはしなかった。

その様子をじっと見ていた男以外。
俺たちを楽しませてくれよ。

なあ、いいだろ?

その男が蹴ろうとしているメロスの足をつかんだ。
いやだ、やめろ……
弱々しく言い、メロスは首を左右に振る。
俺にもさせろよ。
もう一人もメロスを押さえつける。

男の息が耳にかかり、メロスは顔をゆがめた。

待てって、慌てるなよ。
ニヤニヤと笑い、そんなことを言っている男たちの様子を見て、メロスは絶望的な気持ちになった。
(ここは、村じゃない……。アレクも村長もいないんだ……)
 メロスは目に涙を浮かべた。
(おとなしくしていれば、すぐに終わる……)
 自分にそう言い聞かせ、笑顔も感情も顔から消えた。
(二人はしんどいな……)
メロスはそう思って目を閉じた。

その時だった。

愚か者どもめ……
メロスはびっくりして目を開けた。

どこから出ているのか、とてつもなくどす黒い声だった。


大きな声が出ているわけではない。

けれど、人を奈落の底に突き落とす声だった

(何? この声……)
メロスは声の出所を探した。

それはすぐに見つかった。

…………。
かなりな悪人面をした若い男が立っていた。

怒り心頭な顔だったが、自分に向けられたわけではないその顔は、とてつもなくメロスの好みだった。

(綺麗な顔で怒る人だな……)
メロスがはじめて見たディオニスは、激怒していた。
なっ、なんだ、おまえは!
男たちはその人物、ディオニスを見るとそう叫んだ。

怒りの矛先は彼らに向けられていた。


のっしのっしとメロスの前にディオニスがやってくると、彼らは自然とメロスから離れた。

(あ……)
ディオニスはメロスをかばうように前に立ち、メロスは自然とディオニスの背中に寄り添った。
離れるでないぞ。
しかめ面だったが、メロスを労わるように言っていた。
…………。
メロスは黙ってうなずいた。
おい!

そいつは俺らのだぞ!

あ゛?
その一言で、ディオニスは男たちを圧倒した。
くっそー!
もう一人が廃材の棒を持って来て、それでディオニスを殴ろうとした。
ふん!
ディオニスは廃材を砕いた。

そして、男たちの攻撃を華麗に防いで反撃した。

(身長、せっちゃんぐらいかな?)
ディオニスが男たちを倒している間、メロスはそんなことを思っていた。

背格好がセリヌンティウスに似ていた。
 
身長が同じくらいで、細く見えるのにがっちりしているところも似ていた。服を着ているが、ちらりと見える筋肉は、固くしなやかそうである。それに動きも綺麗だった。

しかし、よく見るとセリヌンティウスとまったく違っていた。セリヌンティウスは薄茶で癖のある髪を後ろでひとつに結わいていたが、ディオニスは短めの黒髪だった。そして、優しい表情のセリヌンティウスと違い、つり上がった眉にきりっとした黒い瞳。また、民間人を装っているが身なりもいい。

そして、一番違っていたのは、彼が持つ雰囲気だった。
人の上に立つことを運命づけられているオーラ。


初めて会った日から、メロスはそれを感じていた。

(ものすごく怒ってるな……)
メロスは自分が置かれた状況を忘れ、ディオニスに魅入ってしまった。
ただ、どうして怒っているのか、メロスにはわからなかった。
スポーツをしている少年に、性交渉のしかたを教えるのは正しいことだ。
メロスは初めて聞くことだった。

ディオニスは声のトーンを下げ、ゆっくりと制裁を加えている男たちに近寄る。

くっ! 来るな!!
傷だらけになった男たちは叫んだ。

ディオニスの顔はめちゃめちゃ怖かった。


何人、殺った? という表情をしていた。

静かな怒りが伝わってくる。
怒らせてはいけない類の人間だった。

往来で困っている少年を手籠めにするのは間違っている。
凍り付きそうな顔でそう言って、ディオニスは男たちをボコボコにした。
ディオニスの正義感はものすごく強い。

メロスはその様子を見ていて、

(手籠めってなんだ?)
と、思った。
      ◇◇◇
ディオニスはお忍びで繁華街に来ていた。


男たちを倒したディオニスは、一般市民のふりをして役人に突き出してきた。

しかし、一般市民のくせに偉そうで、王様オーラは消えていなかった。

ありがとうございます。
メロスは心の底からそう言っていた。

救世主のように現れた男に、メロスはひと目で惚れこんだ。

(この人なら、お礼に何でもするよ、マジで……)
そう思ったが言わなかった。

そんな下賤なことを言って、この男の神々しいまでの威厳を落としたくなかった。

どこに行こうとしていたのだ?
ディオニスはしかめた顔をしていたが、メロスは親切心で言っているように思った。

ようやくセリヌンティウスの名前を思い出し、それを告げると

石工のセリヌンティウスか?
と、言った。
せっちゃん……、

セリヌンティウスの知り合いですか?

いや、名を知っているだけだ。

腕のいい石工らしいのでな。

それを聞いて、メロスも嬉しくなった。
せっちゃんは幼馴染なんです。
まるで自分が褒められたかのようにニコニコとメロスは言った。
小さい頃から、いつも面倒をみてくれる……。
セリヌンティウスは幼い頃から、いつもそっと助けてくれた。わからないくらいそっとなので、大ざっぱなメロスは見落とすことも多い。けれど、本当の友だと思えるのはセリヌンティウスだけだった。

他の知り合いは身の危険を感じた。その点、セリヌンティウスは安心して厄介になれた。だからわざわざ10里も歩いてシラクスへ来た。

そのセリヌンティウスの家まで、ディオニスはメロスを送っていた。

すみません。

道案内までしてもらって。

さっきもそうだったが、メロスは何の警戒もせずについて行った。

辺りは夕暮れが近くなっている。

道を聞いても誰も教えてくれなかったんです……。やっと教えてくれる人がいたと思ったのに……。
メロスは先ほどのことを思い出し、言葉を濁した。黙っているディオニスに絶えず話しかけていて、余計なことまで言ってしまったと後悔した。
すまない……。
眉根を寄せ、辛そうにディオニスは言った。

メロスは何のことかと驚いた。

どうして謝るんですか? あなたは助けてくれたのに……。
慌てたようにメロスは言った。調子に乗ると、余計なことを言ってしまう。今回もそれをしてしまったと思った。
私の統治がうまくいっていないから、お前のような者が苦しむのだ。
ディオニスは苦しそうに顔をしかめた。
私の責任だ……。
そう言い、ディオニスは悲しそうにうつむいた。

その顔を見て、メロスは慌てた。
ディオニスのせいではまったくない。メロスはそう思っていた。

そして、彼は顔を上げ、地平線に沈む夕陽を静かに見つめる。
メロスは時間が止まったのかと思った。
朱色に染まる景色の中、憂いを含んだ瞳で世界を見つめる男。

いつか誰もが笑って過ごせる世にしたいと、まるでそう願っているかのようだった。
メロスはディオニスの視線の先に、そんな未来が見えるような気がした。

陽が沈み、これから闇が始まるのだとしても、明るい夜明けが必ず来るような。
メロスはそんな予感がした。
……

ディオニスはメロスをセリヌンティウスの家まで送り、それからもたびたび会うようになった。


二人が特別な関係になるのも時間はかからず、ディオニスが暴君であることを知っても、メロスの気持ちは変わらなかった。

メロスが見たディオニスは暴君ではなく、市民を大切にする賢王だった。


お忍びで繁華街に来て、市民のことは何でも知っていて、不正を憎み、弱き者を助けた。

ただ、最近は、彼の正義感が、行き過ぎてしまうようにメロスも感じていた。

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登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

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