3 はじめて会った日
文字数 4,885文字
ふたりが出会ったのは2年前。
妹に追い出され、セリヌンティウスを頼ってシラクスのまちに来たが、家がわからずに迷っていた時だった。当時は往来に人があふれ、繁華街は活気に満ちていた。
皆が足早に去っていく。
自分のようにオロオロしている人間などいなかった。
自分を気にしてくれる人物が現れたことが嬉しくて、メロスはいつも以上に愛らしい笑顔を向けた。その顔に驚いたように、二人の男たちはお互いの顔を見る。
しかし、焦れば焦るほど言葉が出てこない。
そんな時のメロスは、何でもいうことを聞きそうな美少年に見える。普段はもっと活発でずうずうしいのでが、シラクスの様子がつかめないためか、おとなしそうに見えた。
それを見た男たちはニヤっとした。
けれど、そこで彼らは立ち止った。
メロスはぶつかりそうになって慌てて止まる。
そして、振り返った男に、
羊たちは大切な妹のために置いてきた。
追い出されたのだから、置いてきたと言うのもおかしいが。
もう成人もしているし、賢い妹ならメロスがいなくても切り盛りができるだろう。ただ、メロスはそうもいかない。家を追い出され、セリヌンティウスにも会えず、金もなくなったら途方にくれるしかない。
そこまでがパッと浮かび、メロスは反射的にそう言っていた。
しかも、渡せるほど持ってもいなかった。
男は慣れた感じでもうひとりに目で合図する。
その男はメロスを捕まえようとした。
しかし、よけた先に箱が積まれていて、その上に倒れこむ。
メロスは驚いて目を瞬かせた。
メロスの足は速い。
羊を追って、野山を駆けまわっていたからだ。
周りに人がいないわけではなかったが、誰も気にしない。
スラム街の住人は、それくらいのことで騒いだりはしなかった。
男の息が耳にかかり、メロスは顔をゆがめた。
その時だった。
どこから出ているのか、とてつもなくどす黒い声だった。
大きな声が出ているわけではない。
けれど、人を奈落の底に突き落とす声だった
それはすぐに見つかった。
怒り心頭な顔だったが、自分に向けられたわけではないその顔は、とてつもなくメロスの好みだった。
怒りの矛先は彼らに向けられていた。
のっしのっしとメロスの前にディオニスがやってくると、彼らは自然とメロスから離れた。
そして、男たちの攻撃を華麗に防いで反撃した。
背格好がセリヌンティウスに似ていた。
身長が同じくらいで、細く見えるのにがっちりしているところも似ていた。服を着ているが、ちらりと見える筋肉は、固くしなやかそうである。それに動きも綺麗だった。
しかし、よく見るとセリヌンティウスとまったく違っていた。セリヌンティウスは薄茶で癖のある髪を後ろでひとつに結わいていたが、ディオニスは短めの黒髪だった。そして、優しい表情のセリヌンティウスと違い、つり上がった眉にきりっとした黒い瞳。また、民間人を装っているが身なりもいい。
そして、一番違っていたのは、彼が持つ雰囲気だった。
人の上に立つことを運命づけられているオーラ。
初めて会った日から、メロスはそれを感じていた。
ただ、どうして怒っているのか、メロスにはわからなかった。
ディオニスは声のトーンを下げ、ゆっくりと制裁を加えている男たちに近寄る。
ディオニスの顔はめちゃめちゃ怖かった。
何人、殺った? という表情をしていた。
静かな怒りが伝わってくる。
怒らせてはいけない類の人間だった。
ディオニスの正義感はものすごく強い。
メロスはその様子を見ていて、
男たちを倒したディオニスは、一般市民のふりをして役人に突き出してきた。
しかし、一般市民のくせに偉そうで、王様オーラは消えていなかった。
救世主のように現れた男に、メロスはひと目で惚れこんだ。
そんな下賤なことを言って、この男の神々しいまでの威厳を落としたくなかった。
ようやくセリヌンティウスの名前を思い出し、それを告げると
他の知り合いは身の危険を感じた。その点、セリヌンティウスは安心して厄介になれた。だからわざわざ10里も歩いてシラクスへ来た。
そのセリヌンティウスの家まで、ディオニスはメロスを送っていた。
辺りは夕暮れが近くなっている。
メロスは何のことかと驚いた。
その顔を見て、メロスは慌てた。
ディオニスのせいではまったくない。メロスはそう思っていた。
そして、彼は顔を上げ、地平線に沈む夕陽を静かに見つめる。
朱色に染まる景色の中、憂いを含んだ瞳で世界を見つめる男。
いつか誰もが笑って過ごせる世にしたいと、まるでそう願っているかのようだった。
メロスはディオニスの視線の先に、そんな未来が見えるような気がした。
陽が沈み、これから闇が始まるのだとしても、明るい夜明けが必ず来るような。
メロスはそんな予感がした。
ディオニスはメロスをセリヌンティウスの家まで送り、それからもたびたび会うようになった。
二人が特別な関係になるのも時間はかからず、ディオニスが暴君であることを知っても、メロスの気持ちは変わらなかった。
メロスが見たディオニスは暴君ではなく、市民を大切にする賢王だった。
お忍びで繁華街に来て、市民のことは何でも知っていて、不正を憎み、弱き者を助けた。
ただ、最近は、彼の正義感が、行き過ぎてしまうようにメロスも感じていた。