9 妹の結婚式

文字数 3,123文字

少しずつ雲が厚くなり、日の光が届かなくなってきていた。


どんよりとした空が、メロスの心情を表しているかのようだった。

今にも落ちてきそうな雲。雨は降りそうだがまだ降っていない。


間もなく、結婚式が始まる。

ゼウスとヘラを讃える祭壇の前に、メロスの愛しい妹と憎きアレクサンドロスと神官がいた。


そこから少し離れて身内がいたが、ほとんどアレクサンドロスの親戚だった。

フレイアの家族はメロスしかいない。


メロスは目立たない部屋の隅にいた。

自分の持ってきた服を着て、ベールを頭からかぶった妹を見て、

(きれいだよ、フレイア……)
と、うっとりしていた。


馬子にも衣裳というヤツか。
ディオニスはメロスの後ろから近付いてきて言った。
……!
びっくりして振り返ったメロスにキスをする。 
また置いて行きおって。
怒っているというより、すねたように言ってディオニスはメロスの肩を抱き寄せる。
 
起こすの悪いかなって……。
メロスはトロンとした顔でディオニスに寄りかかる。

甘えてもいたのだが、疲れていたので眠かった。

まあ、よく眠れた。
そう言って、集まってきていた人々を見る。

彼らはディオニスに気づき、絶対にそちらを見てはいけないと感じ、そっと目をそらした。

よかった。
恋人のことしか見えていないメロスは、ディオニスに笑いかける。
ボクは

ちょっと限界だけどね……

意識が遠のきそうなのをこらえながらメロスは言った。
そうか……。
ディオニスはほくそ笑む。
この後は

ゆっくりと休むがいい。

とても優しい声だった。甘くて優しい声。メロスはそれだけで幸せな気持ちになり、他のことは一切考えないようにして、髪にキスをされて微笑んだ。


けれど、首を振る。

ダメだよ。

式が終っても、祝宴があるんだから……

この後と言わず、今すぐにでも眠りたいのが本音だった。これから長々と始まるであろう神官の言葉など、考えただけでも憂鬱だった。


しかし、メロスはそれに逆行しなければならない。

お前がいなくても大丈夫であろう?
まるで悪魔の誘惑だった。

メロスもそのままディオニスの腕の中で眠ってしまいたかった。

そうもいかないよ。

みんなにフレイアのこと、頼まなきゃ……

……。
ディオニスはそれを満足そうに聞いていた。
 
お前は妹のことになると、一所懸命になるのだな。腹立たしいことだ。
言葉の割に怒ってはいない。


優しく抱きしめ、メロスに微笑む。

自分で立たなくても良い楽さに、メロスはディオニスに体を任せる。

だって、ボクはまたシラクスに戻るから……。フレイアに、何もしてあげられなくなるから。
シラクスに戻るということは、ディオニスのところにいるということだった。

ディオニスはそっと口づけする。

ディオ……。
ん?
式の間は、こういうのしちゃダメだからね。
拗ねたように言うのが愛らしかった。
始まる前はいいか?

そういう意味で言ったんじゃないよ。

ふっ
ディオニスはメロスを抱きしめる。
もう……
困ったように言うが、すぐに笑みを浮かべる。
シラクスでも、ディオとこんな風に一緒にいられたらいいな……。ここで、ディオと一緒にいられて、すごく嬉しかったんだ。
半分、寝言のように言った。
仕事にならなくなるではないか。
そう言って、軽くキスする。

メロスはクスっと笑う。


しかし、哀しそうにうつむいた。

やっぱりダメかぁ……
諦めたような笑みを浮かべる。
牢につなげて、誰の目にも触れぬようにして、おまえをいたぶるのでもよいか?
真面目な顔でディオニスは言った。

どこまで冗談か、メロスにはわからなかった。

嫌だって言ったら

やめてくれるわけ?

愛らしく見上げ、恋人に聞いた。
それもそうだな。
訊ねる必要がなかったことにディオニスも気づいた。
ディオになら、何をされても構わないよ。
「たとえ殺されたとしても……」

その言葉は言わなかったが、メロスは嬉しそうにディオニスの胸に顔をすり寄せる。

覚悟しておけ。
本気とも冗談ともつかぬ顔でディオニスは笑みを浮かべた。
うん………………
メロスは小さく息を吐く。
毎日来てくれるよね?
ふっ、どうかな?
え~
ふくれ面をするメロスに、ディオニスは笑いかける。
片時も離しとうはない。
ディオニスはメロスを抱きしめた。

そう簡単には離さないかのように、とても強い力が込められていた。


メロスは嬉しくて、ディオニスの服をそっと握った。

(せっちゃんが殺されるようならダメだけど、ボクはどうなってもいいや……)
夢と現の境がわからない状態で、メロスはそう思っていた。




      ◇◇◇




やっとのことで支度を終えた甲斐もあり、フレイアとアレクサンドロスの結婚式が始まっていた。
(あのバカが隣にいるのは頭に来るけど…………)
妹の隣で偉そうにしているアレクサンドロスを憎々しげに睨む。

誰が来ていようと、メロスは不満を持っただろうが。

(すっごくかわいいよ、フレイア)
ディオニスがくれた高級な服を着たフレイアは、いつも以上に可愛らしかった。


ベールをまとい、顔は見えにくいが、それでも長いこと一緒に暮らしていた妹が、憎きアレクサンドロスの隣で嬉しそうにしているのはわかる。

(よかったね……)
恥じらいつつも、本当に嬉しそうにアレクサンドロスの方を向いている妹の姿を、涙をこらえて見ていた。

もはや、うれしいのか悔しいのか、両方なのかわからない。


そして、妹は愛らしいのだが、村長が頼んでくれた司祭の言葉が長すぎて、メロスは立っているのがやっとだった。強烈な眠気が襲ってきて、隣にいたディオニスに寄りかかる。

大丈夫か?
小さな声で言われ、目を開ける。
……うん
そう言いながら、コクコクしている。
式の途中で寝るな。
とても優しい声に、メロスはディオニスに笑顔を向けた。
寝そうになったら、起こして……
そう言っている傍から目が閉じられていた。
……起きろ。
言いながら、額に口をつける。
……ん
倒れそうになるメロスを、そっと抱き寄せ、小さく揺する。

閉じられた目は開かなかった。

いい加減に起きろ。
声を荒げているわけではないが、迫力のあるその声に、メロスはビクっとして目を開ける。

目が覚めたか?
 ディオニスは優しく微笑んでいた。
今の、けっこう怖かったんだけど……
小声でディオニスに言う。
寝てもいいぞ。

起こすのでな。

今の調子で起こされんの? 
そうだな。
ディオニスは嬉しそうに言う。
ん……、起きてる……、ように……するぅ……
しかし、メロスは目を閉じた。




      ◇◇◇




終ったぞ。
ディオニスのその声に、ハッとしてメロスは目を開けた。
あれ? え?
慌てて周囲を見回すと、神官はいなくなり、そこにいた人々も式が終わって人心地着いた顔をしていた。

メロスの記憶に残っているのは新郎新婦が神々への宣誓をしていたところだ。

(フレイアの、大事な結婚式だったのに……。最初から最後まできちんと見たかったのに、見損ねた……)
とんでもない失態だった。

メロスがショックに打ちのめされていると、その気持ちに同調したかのように雷が鳴る。

きゃあ!
おお!
周囲からのそんな声が聞こえ、天から雨が降ってきた。

はじめは大粒の雨がぽつぽつ程度だったが、すぐにバケツをひっくり返したかのような大雨になった。

すごい雨だなぁ
村人のそんな声が聞こえてくる。
 
(何か悪いことの前触れではないか?)
皆がそう思っていた。
……。
メロスとの牢獄生活を想像しているのか、ディオニスはほくそ笑んでいた。

(フレイア、アレクの奥さんになっちゃったんだな……)

自分の妹であることに変わりはないのだが、あのアレクサンドロスの妻になってしまった可愛い妹を見て、なんともいえない喪失感を味わっていた。


天からの大量の雨は、そんなメロスの気持ちにぴったりだった。

メロスの気持ちを表すかのように、土砂降りの雨が降っていた。

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登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

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