9 間に合ったメロス

文字数 5,209文字

死力を尽くしてメロスは走った。

メロスの頭はからっぽだ。元々そんなに入っていない。


わけのわからない大きな力に引きずられるように走る。セリヌンティウスを助けたい。その一心で。


そして、刑場が見えてきてメロスはそこに駆け込み、メロスはあまりにも見物人が多いことに驚いた。見渡す限りの人だった。

(こんなに見に来てる人がいたわけ?)

人が死ぬ様子を見たがる人間がいることに唖然(あぜん)とした。


ただ今回は、暴君を殺そうとした罪人が、親友を身代わりにして自分の村に帰り、約束通り3日後に戻ってくるか否かという見世物のようにもなっていた。


見物人の大半は、逃げてしまうと思った。

一度自由になった者が、殺されるために戻ってくるはずがないと。


けれど、ほんの少しだけ期待していたのかもしれない。

自分が死ぬとわかっていて、戻ってくるかもしれないことを。


そんな馬鹿正直な人間を、見てみたいと思っていたのかもしれない。

せっちゃん!

メロスは叫び、友の姿を探す。

(居た!)

円形の闘技場。刑の執行はそこで行われる。すり鉢のようになっていて、中央にはすでにはりつけの柱が高々と立てられていた。


その下に縄を打たれたセリヌンティウスがいる。傍らに横木があったが、まだ刑の執行はされていなかった。

どけよ!

ここを通せ!

メロスは叫んだ。

しかし、群衆はメロスに気づかない。


暴君に楯突(たてつ)いた男が、こんな愛らしい青年だとは誰も思わなかった。

せっちゃんは違うんだ!

ボクは帰ってきた!

だから、せっちゃんを殺したらダメだ!!

メロスは群衆をかき分ける。

いままでで一番大変な思いをしたかもしれない。


群衆をかき分け、懸命に進む。

メロスの近くに居た者は、美少年が必死の形相で人をかき分けているのに驚き、思わず道を開けた。


けれど、ほとんどがメロスが来たことに気づかない。

ボクがメロスだ!

せっちゃんを人質にしたメロスは、ボクなんだ!

メロスは叫び、やっとのことではりつけの柱の前にいるセリヌンティウスのところに到着した。

なんだ?
はりつけ台に勝手に上ってるヤツがいるぞ。
誰?
何が起きてるんだ?

群衆がどよめく。

はりつけ台に颯爽(さっそう)と現れた少年のような男。


美しいドレープを描く真っ白いシルクのキトンを着ており、その短い丈の裾から、すらりと伸びた形の良い足。青年としては華奢な体つきだが、均整がとれたシルエット。


そのメロスは膝をつき、自分の身代わりで縛られている友に、白く美しい腕をすっと伸ばす。

遠くからでもその仕草は、見ている者の目を奪う。

はぁ……、はぁ……
全速力で走ってきたので、息を切らし、今にも倒れそうだった。

それでも悩ましげに顔をゆがめ、縄をほどこうとしていた。

なんなの?

あの美少年は。

悲鳴のような歓声が上がる。
処刑されるのが耐えられなくなった恋人が、助けに来たんじゃない?
あ~、そうそう。

そんな感じする~。

と、メロスを見て思う者もいた。
くっ……

メロスは必死になって縄を外そうとする。

なぜ……、

なぜ来たんだ! メロス!!

凛としたセリヌンティウスの声が響いた。


セリヌンティウスはやややつれたが、そのやつれ加減がより哀愁を漂わせている。 

彼を縛っていた縄がするりと外れた。 

あれがメロス?
本当に暴君を殺そうとしたのか?
群衆にどよめきが走った。
あんなに可愛い子が謀反(むほん)なんてねぇ。
謀反に外見、関係ないだろ?
もっとゴリラみたいなのを想像してたんだが……。

そんなことを皆が口々に言う。


けれど、メロスはそんなこと気にならなかった。

それどころではないと言った方が正しかったかもしれない。


セリヌンティウスを自由にすると、メロスは崩れるように倒れた。

メロス!

セリヌンティウスはメロスを抱き起こす。

助かったというような感じはなかった。

どうして来た?!
せっちゃん……
友の温もりを感じ、その頬に手を伸ばす。

来るに決まってるだろ。

ボクがせっちゃんを見捨てるわけないし。

メロスは幼い頃から変わることのない笑顔を向けた。
メロス!
…………
メロスは安堵したかのように目を閉じた。
……メロス。

セリヌンティウスは死を覚悟していた。けれど、それが怖くないわけではない。


メロスは暴君を殺害しようと思っていない。

むしろ、そうしたいと思っていたのはセリヌンティウスだ。


牢獄でのことは、思い出しても腹が立った。

メロスは自分のものだと宣言しにきて、自分の優位を自慢するように主張する姿は腸が煮えくり返った。

(自分が王であることを第一に考えているようなヤツに、メロスを渡したくはない)

だが、メロスはディオニスを愛している。


なぜあのような暴君を愛するのか、セリヌンティウスにはわからなかった。

わかっているのかもしれないが、認めたくなかった。


メロスはバカで、本当にバカで、迷子にはしょっちゅうなるし、後先考えないで突っ込んで尻拭いをセリヌンティウスにさせるし、放っておけば、食っちゃ寝を繰り返すだけのごく潰しだ。

(ただ、とても優しいだけの男だ)

直感で物事の本質を見抜き、悪いことは悪いと言ってしまう。


言わなければ、波風が立ったりもしないのに、人が気にしていることをサクっと言って怒らせる名人だ。ただ、人はそこから目を背けたらいけないのかもしれない。

(大切なことを、自分が怒られても口にする。素直で正直で、優しい男なんだ) 

セリヌンティウスは、メロスのそういうところに助けられたことが何度かあった。ケンカをして、頭が冷えて考え直すとメロスの言う通りで、それを認められない自分の弱さに嫌気がさした。


けれどそれを認めると、メロスは綺麗に微笑んで、いつもと変わらず接してくれた。


それなのに、自分が本当に苦しい時、メロスは何も言わなかった。

綺麗な顔で、淋しそうな笑みを浮かべただけだった。 


セリヌンティウスはそれが悔しかった。

知らない男どもに、やられ続ければいいとさえ思った。

(でも、本当は……、暴君の言う通りだ……。俺がそうしたかったのだ。メロスが嫌がっても苦しんでも、自分がしていればよかった)

セリヌンティウスはメロスを抱きしめる力を強める。
(そうすれば、こんなことにはならなかった。メロスが磔刑などということには……)
セリヌンティウスは自分を責めた。
(これは、俺の罪だ)

セリヌンティウスはそう思い、死を覚悟していた。 

自分はメロスの代わりに死のうとしていた。


けれど、メロスは戻ってきてしまった。

時間は間に合い、このままだとメロスが処刑されてしまう。


今、そのメロスが腕の中にいる。

しなやかな身体。艶やかな唇。しっとりとした吸い付くような肌。


夢に描いていた通り、いや、それ以上だった。

セリヌンティウスは、いままで触れることのなかった愛しい者を胸に抱いていた。

(もう、死んでもいい……)

セリヌンティウスは、そう思った。

(恨まれてもいいから、メロスだけは助けたい……)

セリヌンティウスはメロスをそっと抱きしめる。

そして、

(誰にも渡したくない……)
強く思った。
そいつを

こっちによこせ!

刑吏(けいり)(死刑を執行する人)はセリヌンティウスからメロスを取り上げようと近寄ってきた。
ダメだ。来るな!
セリヌンティウスはメロスを抱え、刑吏から守るように下がる。
来るんじゃない!!
手負いの獣のようにセリヌンティウスは叫んだ。

助けておやりよ。

可哀想じゃないか。

それを近くで見ていた婦人が言った。
そうだそうだ、死ぬのがわかってて来たんだぞ!
恩赦(おんしゃ)だ、恩赦!

刑場にいた人々が声を上げた。

だが、刑吏もそれを聞くわけにはいかない。


群衆の言うことを聞けば、次に処刑されるのは刑吏になる。

刑吏はセリヌンティウスからメロスを引きはがそうとした。

おとなしくその者を渡さねば、貴様も一緒に処刑するぞ!

望むところだ!

殺すなら殺せ!!

セリヌンティウスはそれでいいと思った。

メロスを死なせるくらいなら、自分も一緒に死にたかった。

せっちゃん……
メロスは自分でセリヌンティウスから離れる。
メロス?
腕の中にあった温もりが消える。

せっちゃんは死んじゃダメだ。

そんなの嫌だよ。

ボクの代わりに死んで、それでボクが喜ぶなんてこと、ないんだからね。
……
それを聞いて、セリヌンティウスは眉をしかめた。
ボクの代わりにせっちゃんが死んだら、喜ぶのはボクじゃないよ。
……
それが誰を指しているのか、セリヌンティウスにはわかった。
それで、ボクはあの人にやられ続けるんだよ。それじゃ、せっちゃん、死んでも死にきれないだろ?
おまえは……、それが嫌なのか? その、ヤツとするの……

「嫌だ」と言ってほしかった。

もしそうなら、セリヌンティウスはどんなに嬉しいかわからない。

嫌じゃないよ。

あっさりとメロスは言った。

……そか。
うん

セリヌンティウスは地味に落ち込んだ。

地味にだったが、とてつもなく深く深く落ち込んだ。

でも、嫌だよ。

せっちゃんが死んで、そういうことになるなんて。

それならそれでいい。

その時に、俺のこと思ってくれるんなら。

だから、それダメ!

そういう考えしたらダメだからね!

プチっときて、(おの)()をかけてメロスのことを守ろうとしている友を怒鳴りつける。
せっちゃんは、ボクの幸せは考えてくれない唐変木(とうへんぼく)なわけ?!
おまえの幸せは、誰よりも考えてるつもりだが……
自分の命よりも、大切だと考えているのだから……。
じゃあ、こういうことすんな。

自己満足でされたらボクが嫌な思いをするんだぞ。

……自己満足?
ひどい言い分だ。
あと、自分が辛いからって、一緒に死のうとかっていうのもナシだから。
いちおう、友のことを想って言ったのかもしれないが、セリヌンティウスに加えられたダメージは大きかった。
……

セリヌンティウスは言葉を失った……。

……

セリヌンティウスを傷つけるだけ傷つけて、メロスは刑吏の前に行く。

あんたが刑を執行する人?
そいつを捕らえろ。
近くにいた若い刑吏たちがメロスを捕らえた。
痛い、痛いってば。

もうちょっと優しくしろよ!

腕をねじ上げられ、メロスは騒いだ。

そして、刑吏はメロスを横木のところまで連れて行く。


磔刑は横木に両腕を(くい)で打ち付けられ、その横木が柱に釣り上げられて十字架になる。刑吏はそのスペシャリストで、横木に打ち付けられると、助かったとしても二度と手は使えなくなる。

……
数人に押さえつけられ、身動きができない。

そして、目の前に横木があった。

仕事熱心なのはいいんだけどさ、ボクに傷をつけると、後でエライ目にあうと思うよ。
刑吏たちだけに聞こえるような小さな声で言った。

刑吏たちは、メロスが何を言っているのかわからず、呆けた顔でメロスを見た。

あんたたちだって、罪をまったく犯してないわけじゃないよね。人が見てない時に、何かやってるよね? それを持ち出されて、近いうちにここにいることになるんじゃないかな。
時間稼ぎのつもりだった。
(だったらいいな……)
愛されているとは思っていたが、ディオニスが公私混同するとは思えなかった。

だから、本当に時間稼ぎだった。

何をバカなことを!
一番偉そうにしていた刑吏はそれくらいでは揺らがない。

メロスを強い態度で威嚇(いかく)する。

メロス!
セリヌンティウスはそれを止めようと叫ぶ。

しかし、他の刑吏に行くてを阻まれ、メロスの(もと)に行くことができない。

待て!

そいつに触るな!

触るんじゃない!!

あまりに騒ぐので、刑吏がセリヌンティウスを殴ろうとした。
セリヌンティウスに手を出すな!
……

鋭い口調でメロスは言った。

普段、ぽやぽやしている分、セリヌンティウスまでもが驚いていた。

セリヌンティウスには何の罪もないはずだ。

刑吏の手が止まる。

メロスには刑吏に命令をする権限はないが、整った顔で真面目に言われると凄みが増してそうしなければいけないような空気になった。

メロス……?
大丈夫だよ、せっちゃん。
いつもの笑顔でメロスは言った。
もう、間もなく、来るはずだから……
……

その表情を見て、セリヌンティウスはメロスが誰を待っているのかを知った。

セリヌンティウスは目をそらし、唇を噛みしめる。

誰が来ると言うのだ!
強く言いながら、刑吏は底知れぬ不気味さを感じた。
きっと、来るよ。

メロスは笑みを浮かべて言う。


そして、茜色の空を見つめる。

大地に赤い太陽の下端が触れていた。

(来るはずがない……。あの男は……、メロスよりも……、王としての尊厳だかを重視する奴だ)

貴様のたわ言など

聞いている暇はない!

刑吏はメロスを黙らせるために、(つち)を手にした。

彼は絶対に来る。

あの陽が沈む前に、きっと!

メロスは言い放った。

刑吏はその勢いに押された。


まだ陽は沈んでいなかった。

(……あれ? 陽が落ちるのって、けっこう早くね?)

みるみる沈んでいく太陽を見て、メロスは少し後悔していた……。

自分がいつも思いつきで発言をすることを。

メロス……
セリヌンティウスは、うっすらとそれを感じ取った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色