15 お兄ちゃん、しっかりして!

文字数 4,212文字

すぐに出発はせずに、メロスは羊小屋の掃除をした。

このまま妹に掃除をさせて出かけるわけにはいかない。


そんなに時間をかけるつもりもなかった。

元々メロスの仕事で手際も良く、みるみる綺麗になっていく。


フレイアは椅子に腰かけ、兄の仕事を見ていた。

小さい頃はよくこうしていたので、なんだか懐かしい気持ちになっていた。

せっかく帰って来たんだから、あと2,3日くらい泊まって行けばいいのに。
久しぶりに会った兄に、甘えたい気持ちになっていた。
すぐに戻らないといけない用事があるんだ。
(シラクスでそんな用事があるなんて……)

羊の世話以外、あんまりやろうとはしなかった兄である。

確かにシラクスでメロスがやることはほとんどない。 

(ディオさんとやる以外に用事なんてあるのかしら?)
気持ちいい午後の風を受けながら妹は思った。

(それ以外にやることないから、ディオさんを追いかけるっていうのが妥当なところかな?)

(お兄ちゃん、なんだかんだ言って恋愛体質っぽいとこあるし)

(でも、それにしては、何かがヘンなんだよね……)

フレイアは賢い妹だった。

はっきりとはわからなかったが、何かが引っかかっていた。


そもそも、メロスがフレイアのお願いよりも優先する用事があるとは思えなかった。

今度、ゆっくり来るよ。
手を止め、妹を見てニコっと笑ってそう言った。
ディオさんも一緒?
メロスの表情が沈む。
……ディオは、ちょっと難しいかも?

思い返してみても、今回、彼が村に来たのもおかしかった。

いつもは王の仕事を優先して、余った時間にメロスと会っていた。


恋人同士だと周囲に気づかれないようにしていたので、会っても素っ気ないことが多く、人目に付かないところに来て、ようやく恋人らしいことをしてくる。


彼は厳格な王を目指していて、色事にはまったらいけないと思っていることは、メロスも感じていた。

(ディオに限って……)
メロスはそう思い込もうとしていた。
じゃあ、せっちゃん連れて来て。
メロスは一瞬、ビクっとした。
なんで

せっちゃんなんだよ。

ディオさんがいないところで、間違いを犯してしまう二人。後悔をするお兄ちゃんに、後悔させてしまったことを後悔するせっちゃんが見てみたい。

……意味わかんないし。

そういうのを見て喜ぶな。
後悔するようなことをする気は満々ね。
満々じゃないからな。
する気はあるよね。
ない!
そう言ったが、メロスは伏し目になり、
せっちゃんは

しないと思う。

と、つぶやいた。
(さすがお兄ちゃん。通常通りと見せかけ、合間に魅せる物憂げな表情が耽美だわ)
妹はキラキラした瞳で妄想した。
(こういうのは男女の恋愛では出ないのよね。禁じられた恋をしているがゆえに押さえ込んでしまう感情。でも、隠しきれずに漏れ出てしまう恋心……)
………………

妹の心の声が微妙に聞こえたような気がした。

メロスはそれを追いやるように、テキパキと掃除を終わらせた。

あとはアレクにやらせろ。
用具を所定の場所にしまう。
は~い

メロスは軽く食事をして出かけるつもりでいた。

この後、日没まで食事を摂れる気がしなかった。


台所に向かいながら、

ってか、アレクは?
と聞いた。

祝宴に来た客は帰ったようだが、アレクは家にいるはずだった。

わが義兄よ!
と来てもおかしくないのに来ない。
昨日の雨、すごかったでしょ? 葡萄畑がけっこう大変なことになってるらしくて、お家のお手伝いに行ってるよ。
アレクの家は葡萄を作っていた。
そういえば

すごい雨だったな。

結婚式が終ったとほぼ同時に振り出した大雨。それから明け方近くまで降り続いていた。
私も行くって言ったんだけど
危ないから出歩かないで。
って……
フレイアは淋しそうに言った。
それで羊の世話をしてたんだな……
メロスは妹の頭をなでた。
お兄ちゃん?
アレクと仲良くするんだぞ。
……
なんだか嫌な予感がした。
お兄ちゃん、私に何か隠してることない?
え?




      ◇◇◇




お兄ちゃん!

何、呑気に掃除なんてしてたのよ!!!

日没までにシラクスに戻らなければ、メロスの代わりにセリヌンティウスが、王であるディオニスに殺される。ということを聞き、フレイアは烈火のごとく怒りだした。
だって、フレイア、

大変そうだったから。

そんなの!

アレクにでもやらせるからいいわよ!

フレイアも兄と同じかそれ以上に、自分に惚れた相手を利用するのが上手かった。 
でも、いままで何もしてなかったから、これくらいしないと……。
2年前のことを言ってるんなら、お兄ちゃんは気にしなくていいよ。
え?
私がアレクを落とすのにお兄ちゃんが邪魔だったから追い出しただけだから。
妹がサラッと悪魔のようなことを言いだした。
えと……?
ごめんねっ

お兄ちゃん!

かわいい妹にかわいく言われた。
あ……、そうだったんだ……。

うん。いいよ。

妹の方が兄を上回る恋愛体質だった。

すぐにメロスの機嫌はよくなった。

……

ただ、妹も兄と一緒の時間を過ごしたい気持ちもあった。

今は、そう思ってしまったことを後悔していた。


フレイアもセリヌンティウスのことを、(兄を想っている登場人物として)とても大事に思っていた。

急いでシラクスに戻らないと、

せっちゃん、殺されるよ。

真面目な顔で妹に言われ、メロスは改めてゾクッとした。
でも、ディオはなんとかしてくれるって……
言いたくないけどさ。お兄ちゃん、ディオさんに何度かお願いしてたけど、あれ、聞いてもらってないよね。
え……?
メロスは思い返してみた。

ねえ、お願い。

もうヤダ……、やめて……

眠さのあまり、辛すぎて泣きながら言った。
ふ……
ディオニスはやめなかった。
まあ……、そうか?
そうだよ!
見ていた妹は強く言った。
(そこでやめられちゃったら見てる方はつまんないんだけどね。むしろそこがいいっていうか、お兄ちゃんも誘ってるっていうか?)
しかし、今はそれを語っている場合ではない。
そんな好機、どうしてディオさんに与えちゃったの? ディオさんはせっちゃんが目の上のたんこぶなんだよ!
でも、せっちゃんとはしてないし……
そんなの関係ないんだよ。お兄ちゃんとせっちゃんは、気持ちの上では固い絆があるもの。
えーと、友達として?
ちっが~~~う!!!

フレイアは叫んだ。

落ち着いて。
メロスは妹に深呼吸させた。
うん。

ありがと、お兄ちゃん。

ううん。
妹に礼を言われて嬉しそうに答える。
せっちゃんは、お兄ちゃんが大事で大事で、本当に大事だから手を出せなかったの。
少し落ち着いたフレイアは言った。
そこがアレクとは違うのよ。アレクは自分の気持ちに正直だからいいんだけど、せっちゃんは内に秘めちゃうのよ。
うん
ホントにわかってるの?
わかってるよ。
兄妹でうんうんとうなずいた。
せっちゃんは……

フレイアは言葉を詰まらせた。

兄を苦しめた奴らと同じになりたくなかったのだと、言うことができなかった。

わかってるよ。
それを察したメロスは、黙り込んだ妹の頭をなでた。
お兄ちゃん……
せっちゃんは、ボクが助けるから。
そう言って、微笑んだ。
今のお兄ちゃん、めちゃめちゃカッコよかったよ。
きっぱりと言った兄を、嬉しそうに妹は見た。
フレイアも綺麗だよ。

惚れちゃいそうだし。

お兄ちゃんは

昔から私の(とりこ)だよ。

そうだった。
クスっと笑い、妹の頬に優しくキスをした。
先に行ったディオさんを見つけて、一緒にシラクスに行くんだよ。じゃないと、間に合った時、お兄ちゃんが殺されちゃうからね。
唇をかみしめ、妹は言った。

止めても兄が聞かないことはわかっていた。

そうだね。
メロスは焦点の合わない目で妹を見た。

大丈夫?

しっかりしてね!

妹は必死になって兄を揺さぶった。
……フレイア、苦しい。
それから、フレイアに急かされながら昨日の残り物を軽く食べ、水が入った水筒と、フレイアが手際よく包んだ弁当を持ってメロスは出発した。

お兄ちゃん、行ってらっしゃい。

ディオさんはこの先の川に行ってるはずだって。

家を出る前、心配そうにしている妹は言った。
川?

なんで?

村にも被害が出たけど、川のあたりはもっと大変だったらしくて、ディオさんはその状況を見に行って、まだ戻ってきてないらしいよ。
賢い妹は、兄が食事をしている間にわかるだけのことを聞いてきた。
(そういえば、橋、渡ったな……)
メロスは立派な橋を思い出した。
お兄ちゃん、絶対に絶対に

ディオさんと一緒にシラクスに戻るんだよ。

妹は他人事(ひとごと)な顔をしている兄に、何度も何度も念を押す。
大丈夫だよ。
心配している妹に、メロスは笑顔でそう言った。
(この笑顔、一番、信用できないヤツだ……)
妹はそう思ったが、言っても暖簾(のれん)に腕押しになることがわかっていた。
寄り道も、

しちゃダメだよ。

しないしない。

するわけないだろ?

(そう言ってもお兄ちゃん、絶対に何かやらかすから……)
妹はギュッと兄の手を握り、顔を見つめる。
何?

フレイア。

私とこの子と、

ついでにアレクのために。絶対に生きて帰ってきてね。

うん……
メロスはうなずいた。
行ってきます。
嬉しそうに言い、見送る愛しい妹に手を振るメロス。
(……お兄ちゃん、しっかりしてね)
心の中で、強く思う。
……
そして、メロスは走り出した。

日没までにシラクスに着かねばならない。

では、セリヌンティウスは殺しても構わぬな。
ディオニスのあの言葉が、メロスの頭の中で何度も繰り返された。


思い返してみると、ディオニスは普段と違うことをたくさんしていた。それはメロスがシラクスに戻るのを遅らせるためだと考えれば辻褄が合う。

(ディオの欲望を満たすのも兼ねた作戦だったのか……)

連日の攻めはそうとしか思えなかった。


王という枷が外れて気ままに行動していただけだと思っていた。

メロスはそういう行動をよくする。


やらなければいけないことから解放されると、自由気ままに動き出す。

解放されてなくても動き出す。


しかし、あのディオニスである。

枷が外れたとしても、そんなことにはならないのかもしれない。

(ディオは、どんな時でも王としての責務を忘れたりしない)

メロスはそれを知っていたはずだった。

ディオニスはクソ真面目なのだ。


でも、あんまりにも嬉しいことだらけで、すっかり忘れていた。


メロスは走った。

足には自信がある。


特に自信があるのは短距離だが、長距離も少しならいける。

しかし10里を走ったことはない。

(遅れたら、せっちゃんが殺される……)

フレイアに言われ、疑惑が確信に変わった。

……
まだまだシラクスまでの道のりは遠かった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色