ディオニスはリビングの一番奥にある長椅子に座っていた。
狭い我が家だったが、ディオニスはそんなちまい家の中でも、なぜだかわからないゴージャスな雰囲気を醸し出していた。
メロスは知らないが、その後、セリヌンティウスとも会っている。
子どものようにメロスは言った。
メロスは重い荷物をディオニスに持たされ、半日以上歩いていた。
ディオニスは本当ならメロスを処刑するはずだった時間に、メロスが妹の結婚式に出席するために村に帰り、3日目の日没までに帰ってこなければ、友であるセリヌンティウスを磔刑にするという
御触書を出させた。
それから今日の仕事を済ませ、警吏と打ち合わせをしてシラクスを後にして、昼過ぎにはメロスの家に着いていた。
当たり前のように、ディオニスが座っている隣に座る。
メロスもやけに街にいるとは思っていた。
泊まりでやるのは初めてだがな。
一週間は無理だが、3日ならできそうだ。
気が変わったとかじゃなくて
はじめから来る気満々だよね?
むっとしたように言う。
1週間を3日に変更したのはディオニスだ。
明け方までしていた。
それを言われたために、メロスもしかたがないと思った。
メロスの頬にかかった髪を撫で、機嫌を取るように言う。
じっと見つめられ、恥ずかしそうに視線を外す。
会えないと思っていたディオニスに会えて、嬉しくないわけはない。
メロスは身体を動かし、少しだけ寄る。
すると、笑みを浮かべたディオニスはメロスを抱き寄せた。
おずおずと見上げたメロスの首筋に、ディオニスは口づけをする。
ゾクっとして、メロスも身をゆだねそうになっていた。
しかし、その視界の隅に、見えてはいけないものが見えた。
我に返ったメロスは、細い腕でディオニスを押しやる。
ディオニスはものすごい険悪な顔になった。
しかし、メロスは戸口の方を見ている。
戸口に隠れるように立ち、隣の部屋からキラキラとした瞳で、フレイアは二人を覗いていた。
妹の愛らしい、小さいがはっきりとした精霊のような声がメロスにも届く。
抗うのが難しい声で
囁き、メロスに触れる。
メロスは必死に、その手を離させる。
ここで、誘惑に負けることは絶対にできない。
顔をしかめたメロスはディオニスから離れて戸口まで行き、身重の妹を気遣ってリビングのテーブルの椅子に座らせた。
隠れようとはしていたが、それでも食い入るように二人の様子を盗み見ていた大切な妹の前に、メロスは跪くとそう言った。
フレイアは照れたように、とても可愛らしく兄に笑いかける。
しかも、こんな、わけのわからない男までついてきちゃって……とは、さすがに言えなかった。
言ったらディオニスに何をされるかわからない。されたところで、メロスは大歓迎かもしれなかったが、やはり怒らせたくはない。
謝らないで。
お兄ちゃんを困らせたいわけじゃないの。
さすがにメロスの妹なだけはあった。
フワっと笑って慈愛のこもった瞳で許す感じが似ていた。
思いもよらぬ歓迎に、メロスは嬉んだが、同時に申し訳なくもあった。
哀しそうにフレイアは言った。フレイアは、できれば兄に帰ってきてもらいたいと思っていた。この機会にという気持ちもあった。
でも、イレギュラーなことが起きていた。
大切な妹に会い、何を言われようと祝福を贈り、妹の結婚式の準備を終えたら、すぐにシラクスに戻って、できればディオニスと会えたらいいと思っていた。
そんなことを思いながらメロスはシラクスから村まで歩いた。
ディオニスはシラクスにいると信じて疑っていなかった。
それに、いくらディオニスがなんとかしてくれると言ったとしても、セリヌンティウスは今もメロスの代わりに牢屋に入れられているのである。
できれば早めに戻りたかった。
(それに、ディオはきっとすごい案を考えてくれて、ボクもせっちゃんも助けてくれる)
妹は哀しそうにうつむいて、兄の手を優しく握り返す。
かわいい妹のお願いである。
メロスもなんでも言うことを聞いてやりたかった。
(でも……、ディオを放ってはおけないし……。それにせっちゃんも……)
メロスは恋人の暴君の方を見る。
何か裏がありそうな笑みを浮かべ、ワインを飲んでメロス兄妹を見ていた。
メロスは慌てて恋人の元へ戻る。
ディオと一緒に出られるなら、ボクは嬉しいよ。すんごくとっても。でも、そんなにのんびりしてていいの?
ディオニスは自分のところまで戻って来たメロスを隣に座らせて抱き寄せる。
暴君の頼み事……。
メロスには不吉としか思えなかった。
メロスはよくわからなかった。
ディオニスは恋人だったが、いつも忙しいと言って、会えずに寂しい思いをすることもあった。
会える時は頻繁に会えるが、それでもやはりシラクスの王なのである。
その超多忙なディオニスが、自分の妹の結婚式に出てくれる。
そんなことが本当にあるのだろうかと。
でも、ディオニスはわざわざメロスの生まれ育った村まで来てくれていた。
二人きりでいるときと同じように、優しく微笑みかけてくれる恋人を見上げる。
夢なのではないかと思ってしまった。
とてもとても幸せな。
お兄ちゃんとディオさんが
一緒にお祝いしてくれたら嬉しいな。
そんなフレイアの笑顔を見ているのは嬉しいし、こんなに機嫌のよいディオニスもいるのだ。
何の不満があるのかと、メロスは自分に問う。
けれど、何か不穏な空気を感じていた。
(いままでにディオが、ここまでボクに都合よく動いてくれたことって、ないよね?)
ディオニスは自分の都合を優先する。
彼は暴君と呼ばれてしまう、シラクスの王なのだ。
忙しいはずなのに会いに来てくれていたが、ひどい時は訓練だけで帰ってしまうことすらあった。会えただけでもよしとしなければいけないと思うし、会えて嬉しいのだが、
と思いながらやっていると、ついつい訓練に熱中してしまうことも。
と、楽しむようにもなっていたが。
そんなことを2年も続けていたのでメロスも強くなった。
快楽というエサで訓練すると、ここまで強くなれるという見本だ。
(フレイアの結婚式だから、ディオも気を遣ってくれたのかな?)
メロスにとって一世一代の喜ばしい(かもしれない)ことだった。
(それともやっぱりボクを捨てるつもり? 捨てるから、最後に望みを叶えてやろう的な……)
ニコニコと見つめてきている妹に、おずおずと聞いた。
村での様子はそれ以外に考えにくいが、シラクスでのことがあったのでメロスは聞いた。
だって、お兄ちゃんが来るまで、
ディオさんとおしゃべりしてたのよ?
兄の様子がフレイアには不思議に思えたようで、どうしてそんなことを聞くんだという顔をしていた。
昼過ぎからメロスが着くまでの間、話している時間は山ほどあった。
しかも、メロスについてならフレイアは何時間でも話すことができるし、ディオニスもいくらでも聞くことも話すこともできた。
アレクよりもお兄ちゃんのことに詳しいのよ。さすが今カレね。やっぱりアレクは元カレだわ。アレクよりもすごい話が聞けて良かったわ。
愛らしく首を傾げ、きょとんとしてフレイアは言った。
メロスは『これは夢である』と誰かに言ってもらいたかった。
パッと顔を輝かせ、フレイアはいそいそとリビングを出て行った。
メロスは妹を目で追った。
そこまで輝いている妹の顔を、メロスは見たことがなかった。
そんな恋人を、暴君と呼ばれている男は労わるように見つめた。