11 村の長

文字数 6,164文字

すぅ……、すぅ……
ディオニスにもたれかかり、メロスは眠っていた。

起きているのも限界のようだ。

…………

ディオニスがそんなメロスを起こそうとしていると、老人が近づいてきた。

ずいぶんと

ご執心のようだのう。

この村の長だ。


ディオニスはメロスの肩を抱き、威嚇するように村長を見た。

村長は愛らしく眠るメロスを見つめ、笑みを浮かべる。

文句でもあるのか?
メロスを起こすのはやめ、自分よりもはるかに年上な村長を大人げなく睨む。
いやいや、

そんなつもりはない。

村長はいつもと変わらなかった。

微笑を浮かべ、ディオニスの『どこかに行け』オーラをひょいと受け流す。

……
隣、よろしいか?
ディオニスが答える前に、村長はメロスの横に座る。
(ひぃぃ、村長……)
それを見ていたアレクサンドロスは、代替わりを予感せずにはいられなかった。
すぅ……、すぅ……
猛者のディオニスと昔は猛者と呼ばれていた村長に挟まれ、メロスはすやすやと眠っている。
(せめて雰囲気を察して起きろよ……)
あまり空気を読まないアレクサンドロスでさえそう思った。
ん……
ただ、メロスもディオニスの策略によって疲れ果てていた。
よいとは

言っておらぬぞ。

ゾッとするような暴君の低い声。

少し距離があり、妻の後ろから見ていたアレクサンドロスでさえ恐怖した。

おや、そうでしたか?

ちと耳が遠くてのぉ。

聞こえているではないか。
まあまあ
明るく村長は言った。
歳を取ると

立っているのが辛くなりましてな。

村長は飄々(ひょうひょう)と言い、カラカラと笑う。
(怖いもの知らずにも程があるよ……)
村長を心配していたアレクサンドロスは、いつの間にかフレイアの前に来ていた。
…………。

そんな夫を見てフレイアはこっそりと微笑み、寄り添う。
……

心配されている村長は、しばらく黙って座っていた。

慌てている様子も見られず、楽しそうに、そこから村人たちが浮かれて騒いでいるのを眺めている。

言いたいことがあるのなら申してみよ。

回りくどいのは好かん。

沈黙に耐えられなくなったのはディオニスの方だった。
特にはない。
ゆっくりと村長は答える。
………………。
しばしの沈黙。

気にしている者も多少はいたが、喧騒は変わらずに続いていた。


祝宴は夜を迎えても、夜になったからなのかさらに盛り上がっていた。

おまえもこいつの美貌に

(あらが)えなかった者か?

ディオニスの問いかけ。村長にまで威嚇をしている。

けれど、村長はそれらを流した。

そのように見えますかな?
村長はカッカッカと笑った。
だから来たのであろう?
おやおや。

自分がそうだからと言って、他の人間もそうだと考えておるのか?

 ディオニスはさらに不機嫌な顔をした。

余裕がないディオニスに対して、村長は穏やかに見えた。
 

たしかに、メロスは愛らしい子だ。姿かたちだけでなく、愛嬌もある。お前さんのような人間が、(そば)に置きたくなる気持ちはわからなくもない。
村長の言葉に、ディオニスのメロスを抱きしめている手に力が入る。
私のような人間だと?
何かを背負っている人間のことだ。

おまえさんは、大きなものを背負っているね。

ディオニスは王だった。

この辺りを統べている。


メロスがいるのでおかしなことにはなっていたが、元々は責任感が強い真面目な王である。

私は気ままな旅人だ。

自分ではそういう設定のようだ。

気ままな旅人が祝宴で眉間にシワなんぞを寄せているものか。まあ、いい。今は、そういうことにしておいてやろう。
そう言って、村長はメロスを見つめる。
すぅ……
元々おおらかな子だが、こんなに無防備に寝てしまうとはな。よほど気を許しているのであろう。
しわしわの手がメロスに近づくのを見て、ディオニスはものすごい顔で睨み付ける。

それでも構わず村長はメロスの頭に手を置いてポンポンと軽く触れる。

……ん
寝ているメロスが笑みを浮かべる。

それを見て村長も笑顔になった。

外見の愛らしさに目が行きがちだが、この者はそれだけではない。
……
ディオニスは面白くなさそうにそれを聞いていた。


まっすぐで、自分にどんな災難が降りかかろうと、決して諦めない。自分が辛くても、ニコニコ笑って皆を守ろうとする子だ。
辛い時にこの者がいると、その笑顔に癒されてしまう。
……。
たしかにそうだった。

ディオニスにも覚えがある。

不思議な子だ。
村長はメロスの頭をなでる。
すぅ……
メロスは動いたが、連日の疲労で目を覚まさない。
そんな姿を見ていると、

ついつい、助けてしまいたくなる。

村長は穏やかに言った。
私が助ける。

キサマは手を出すな。

ディオニスは村長に言い放つ。
かっかっか
村長は大声で笑った。
また何か問題を起こしたのか?
真顔になって村長は聞いた。
本当(ホン)に……、この者は、ちょっと目を離すと、とんでもないことに巻き込まれるゆえ。『危ない所に行くな』と言っても聞かぬ。
村長は小さくため息をつく。

村長は兄妹で暮らしていたメロスの父親代わりだった。


もっとも、村長は村全体の父親のような存在だ。

メロスのことの後は特にそういう傾向が強くなった。

……。

ディオニスは言葉を詰まらせた。


村長の言うように、メロスは来なくてもいい王城に来て、ディオニスを殺そうとした罪をかぶせられ、磔刑が言い渡されている。

問題などない。
より強くディオニスは言った。
(セリヌンティウスを代わりに磔刑にすればいい)
とディオニスは考えていた。


そのまま表情を硬くしてワインを飲む。

村長はやれやれという顔をした。

おまえさんは

ちと焦りすぎではないかな?

なに?
ディオニスが村長を睨み付ける。
急いては事をし損ずる

ということを知っておられるか?

何が言いたい?
おまえさんは、ちと気が短いようだ。

早さが必要な時はおまえさんのやり方でもかまわん。だが、のんびりと焦らずに、時間をかけねばならないことも、世の中には山ほどあるのだ。

キサマに何がわかる?
なんもわからん。

適当に言っただけだ。

村長は気持ちいいくらい、あっさりすっぱりと言った。
……。
あんまりにものんびりと言うので、ディオニスも(きょ)()かれる。
こやつに会うたのも久しぶりじゃ。シラクスに行く前は、悩んどったみたいじゃが、こんなに幸せそうに眠っておるのは、お前さんのことを好いているからであろう。

勝手なことを言うな。

わからぬのなら黙っておれ。

ディオニスは鼻で笑い、忌々(いまいま)しそうな顔をした。
人間など

当てにはできん。

そう言いながらも、子供のように眠るメロスを愛おしそうに見つめた。

ワシも若いころは、焦っていろいろやった。

しかし、それで学んだのだ。待つことも、大切なことだと。

私に意見するのか?
意見などというモンでもあるまいて。

年寄りのたわ言だ。聞き流してもいいぞ。

こんな近くでしゃべられて

聞き流すことなどできるか。

それならもう少し

お付き合い願おう。

嫌だと言えばやめるのか?
耳が遠いのでのぉ。
村長はわざとらしく顔をしかめて言った。
……。
何を言ってもムダに思えた。

しかたがなく、ディオニスは黙ってメロスと共にそこにいた。

待ちすぎるのも、よくはない。

動く時は、動かねばならん。

待つことも必要。

だが、待っているだけでは、ダメだ。

それで、気づくのが遅くなってしまったこともある。
村長は辛そうな顔でメロスを見た。
……
起こされずに済んでいたので熟睡していた。
こやつが笑えるようになったのは、

おまえさんのおかげもあるだろう。

祝宴に訪れた村人に、メロスは屈託のない笑顔を向けていた。

ディオニスが見ていたメロスは、そういう人間だった。

あの頃、望まぬ相手から幾度となく強要され

凍ったような目で周囲を見ておった。

話しかければ笑っていたがな。

無理をしておった。

……
実はのぉ

この者が役人のご機嫌を取っていた間、村も潤っておったのだ。商人を呼び、村でとれる物を売買してくれたりとな。

ワシらも、薄々気づいとった。

だが、誰もそれを表立っては言わんかった。村が潤うのは嫌ではないからな。

……
ディオニスは宴に来て、大騒ぎをしている村人を鋭い目で睨み付けた。
それなのに、

うちのバカ()が、言ったのだ。

(バカ男?)
メロスを……、メロスを助けてください。
とな。
(……身内からもバカ男扱いされているのか?)
それでもなぜかアレクサンドロスは親族から愛されている。

それで、皆、目が覚めたのだ。誰かを犠牲にしたらいかんと。あんなことで潤った村など、恥ずかしくてお天道様の下を歩けぬようになる。

だから皆で役人を追っ払ったのだ。

それでもワシらはちぃっとも困らんかった

それは……

すまぬことをした。

元々役人だったこともあり、そういう輩がいることはディオニスも知っていた。

だから、うっかりそう言ってしまった。
なに、おまえさんが即位する前のことじゃ。

おまえさんが気にすることではない。

いや、そんなことは……
と、言いかけて、ディオニスはハッとした。
私は王だと言ったか?
もしかしてと思うただけだ。
(………………(たぬき)ジジイ)
自分で白状してしまったような形になって悔しかった。
ほんにこの子は

ワシでもびっくりすることをやりよる。

まさか暴君の恋人になってるとは思わんかった。
そう言って、カッカッカと笑う村長に、ディオニスは微妙な殺意を持った。
(暴君と言われているのは薄々感じておったが、面と向かって言われたことはない……)
ほんの少しというかけっこう本意ではなかった。
ここではきままな旅人として

扱ってやるからそんな顔をするでない。

村長はカラカラと笑う。
身をもって守った妹を、ウチのバカ男に取られて、さぞかし悔しいだろうに……。あんなに気立ての良い娘が、なんでウチのバカ男なんぞに引っかかったんだ? と、一族でも言うておる。
(似合いの夫婦だと思うが……)
この兄妹は、この村の宝だ。

妹の方はワシらで面倒を見る。ウチのバカ男の大切な嫁だ。

この婚姻を心から喜んでいるように村長は言った。
この者は

おまえさんに任せても良いかな?

村の長はそれまでの明るさを潜め、心配そうな瞳で言う。
キサマに言われるまでもない。
ディオニスはメロスをぎゅっと抱き寄せる。
……ん?
メロスはうっすらと目を開けた。

しかし、起きていることができずにまた眠る。

この者を大切にするということは、その周囲も大切にせにゃならん。自分を犠牲にしても、周囲のものを守ろうとする子だからの。
何が言いたいのだ?
この村に何かあったら、この者は嘆きますぞ。
ついでにワシに何かあっても嘆くぞ。
こんな辺鄙な村、何も起こるまい。
ジジイのことなど知らん。
だが何か起こったら

誰か助けてくれると皆は喜びますぞ。

喜ばれようと喜ばれまいと、

王ならば助けるのが務めだ。

きっぱりとディオニスは言った。

いつも思っていたことだったので、ウソ偽りもなかった。

王ならば、とな?
村長はニヤっとする。
私は違うが

王ならば助けるであろう。

気ままな旅人さんに

そう言ってもらえて、安心しましたぞ。

老い先短いでのぉ。

心配事が多くてかなわん。

殺しても

死にそうにないではないか。

カッカッカ
憎まれっ子は()(はばか)るのであろう?

なれば長生きもしよう。

う?
そう言うと、ディオニスはメロスを抱え、その場を後にしようとした。
この者が嘆くのならば、

達者で暮らせ。

おやおや

そんなことを言われるとは思わなんだ。

ディオニスはにこりともせず、村長を置いて立ち去ろうとしていた。

村長はそれをじっと見つめている。

シラクスには、この村出身のセリヌンティウスという若者もおるのだが、旅人さんは知っているかのぉ。
……。
ディオニスは立ち止った。
こいつの

友だと言っていた。

少しだけ穏やかになっていた表情が、それまで以上に険しくなった。
会うたのか?
かなり不愉快な男だった。
あの者も

こじらせておるからのぉ。

村長はまたカッカと笑った。

ディオニスには村長がそれを楽しんでいるようにしか見えなかった。

永遠に友でいいそうだ。
それならばそれでいいであろう。

旅人さんは気にする必要はないだろうて。

気になどしておらん。
めちゃめちゃ気にしていた。


命に代えてもメロスを守ろうとしているなどと、絶対にメロスに知られてはならない。それが伝わる前にセリヌンティウスを亡き者にしようとしていた。

メロスはおまえさんから離れるようなことはないじゃろう。おまえさんの欲し方の方が、セリヌンティウスよりも激しそうだ。

村長は意地悪く言う。

ディオニスはバカにされているようで面白くない。

そう言えば、おまえの家のツボを割ったのは、あいつではなくこいつらしいぞ。
村長が驚く顔を見たかったのか、ディオニスはメロスを示して言った。
すぅ……
メロスはディオニスに抱きかかえられ、気持ちよさそうに寝ていた。
はて、ツボ?
村長は記憶をさかのぼる。
おお、おお。

覚えておるぞ。

この家が一軒

買えるくらいのツボだったんだがな。

この家とはメロスの家のことだった。

村長は遠くを見つめ、ぽつりと言った。

こいつの代わりに

セリヌンティウスが怒られたらしいぞ。

そんなこと

わかっておった。

村長は平然と答えた。
負け惜しみを……
村長の言葉を聞き、ディオニスはむっとした。
いやいや。メロスは自分が痛めつけられるより、他人が痛みつけられることを嫌がるのでな。案の定、次の日こっそりと泣いて謝ってきおった
愛らしかったぞと言う村長に、ディオニスはイラっとした。

セリヌンティウスは怒られ損ではないか。

この村では、罪のない者を罰するのか?

本来は、正義感がめちゃめちゃ強い。
いやいや、あやつはメロスの代わりに怒られる自分に酔うていたぞ。メロスのためならなんでもする男だ。
メロスの代わりだとは知らなかったようだぞ。
知っていても、知らんかったと言ったやもしれん。あやつは面白いくらいにこじらせておるからのぉ。
村長はかっかと笑った。
それを喜ぶとは悪趣味な……
老いさらばえたジジイのひそかな楽しみじゃ。
何が老いさらばえたジジイだ。
不機嫌なディオニスを村長は楽しそうに笑い飛ばす。
あやつもこの者をがっかりさせるくらいならば、自分がどんな目に会おうとも気にせんだろう。
すぅ……
………………

ありそうなことだとディオニスは思った。

そうでなければ身代わりで死ぬなどと言うはずがない。

本当に不思議な子だ。
……

村長は眠っているメロスの頭を撫でた。

……
ディオニスは、年寄りを睨み付け、その手を払いのける。
ワシだって、この可愛い顔で泣かれたら、怒る気も失せてしまう。
……
小さくため息をつき、メロスを温かい目で見つめて言う。
…………。
ディオニスは不愉快そうにメロスを抱きかかえ、部屋を出て行こうとした。
おまえさんは、

自分が常に正しいと思うか?

目の奥に鋭い光をたたえて村長は問うた。

ディオニスは振り返る。

私が正しいと思うか思わないかではない。

私がそうだと思うことが正しくなるのだ。

その言葉は、重く響く。

それで、本当に皆にとって

良い世の中になると思うか?

…………。
ディオニスは何か言おうとしたが、言えなかった。

何も言わず、ムッとした顔でメロスを抱きかかえると、まだ皆が祝宴を続けている部屋を後にした。


 家の外では、雨音が激しく聞こえていた。




この村の者は皆、ワシの大事な宝じゃて。

村の外にいようとも、それは変わらん。

村長は誰に言うわけでもなく、つぶやいた。
大事な大事な

宝物じゃ……

雨は激しく降っていた。
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登場人物紹介

メロス

村から王都シラクスまで走ります。

ディオニス

暴君。

メロスの今カレ。

セリヌンティウス
メロスの幼なじみ&同居人

フレイア

メロスの妹。

アレクサンドロス

妹の婚約者。

メロスの元カレ。

村長

村でいちばん偉い人

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